イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

81.セントカテリーナ

2006年10月10日 | Weblog
【写真:左の頂上に白くポツンと見えるのが、カテリーナの埋葬場所】

 バスの中で説明を聞きます。
「カテリーナというのは女性の名前です。エジプトのアレキサンドリアで殉教した彼女の遺体が、天使に運ばれてきて、シナイ山の頂上に埋葬されたという伝説があります。それで紀元3世紀以降、多くのキリスト教徒が山の周辺に住みついて、小さな修道院的集団を作ったと言われています。
 彼らは自給自足の生活を営みながら、周辺の異教徒たちを感化してゆき、7世紀(アラブ占領)までには、シナイ半島の先住民のほとんどが、キリスト教信者になっていました。しかしですね、アラブ人の征服によってイスラム教に改宗するよう強いられるわけです。

 330年に、コンスタンチヌス帝の母であるヘレナが、燃える柴の地に小さな教会堂を建て、修道士たちの安全な場所として提供しました。さらに530年には、ユスティニアヌス帝が、ヘレナの建てた教会堂を包むように、今の修道院を建設したと言われています。
 それ以来今日まで、一度も占領されたり、破壊されたりしたことはありません。コーランにもシナイの聖所について書かれていますので、アラブ人の征服に際しても、またナポレオンがエジプトを占領した時でさえ、この修道院は保護されてきました。
・・・・この修道院を一躍有名にしたのは、何といっても、1844年に院内から発見されたシナイ写本でした。羊皮紙にギリシャ語の大文字で書かれた旧新約聖書で、4世紀ごろのものと言われています」
「それって、中に保存してあるんですか」
「いえ、現在はですね、ここではなく、大英博物館に保存してあるそうです。・・・・これから仲に入りますが、みなさん今日で良かったですね。昨日のグループは、ここがお休みで中に入れなかったそうです」

 なんという祝福でしょう。柳田さんの奥さんに感謝しなければなりません。彼女の都合で、旅立ちを一日延期したのですもの。やはり全てに主のみ手を感じます。何もかも主が良い様にしてくださると、ここでもまた限りない平安と、主にゆだねて生きる喜びを味わいました。思えば小田さんが倒れたのも、私たちは分からない主の愛なのかも知れません。

コメント
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