イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

83. 関西弁の頭蓋骨

2006年10月12日 | Weblog
【写真:セントカテリーナ修道院の納骨堂】

 その後、山と積まれた?修道士たちの頭蓋骨の保存室を見学しました。といっても窓のガラス越しですが・・・・。4世紀から現在まで、そして今後もずーっとここで、主に命を捧げるであろう修道士たちの、揺るぎない証に触れたような気持ちです。330年から守られてきた豪華絢爛な装飾と、それとは逆に、暗い部屋で静かに復活を待つ修道士たちの頭蓋骨。ここでもまた、人の命のはかなさを深く思い、今後の生き方を問われたようなショックを受けました。

 それにしてもなぜ、ころころと白い頭蓋骨だけを保存し、こうして人々の前にさらすのか。人目を避けて世を避けて、祈りの生活をしていた彼らの頭蓋骨をなぜ?
1,600年以上も前から今日までの頭蓋骨を、まるでボールのように金網の中に放り込んで、それを一度に見せられているのに、気持ち悪いなんて思わないことも不思議なことでした。
 それどころか、一つ一つが何かを語りかけているような気がして、心のアンテナを張り、数ある中の一個に目を集中しますと、なんと関西弁が響いてきたではありませんか。

「モーセの山にようおいでなさった。わてらをよう見て行きなはれや。死んだら、あんたらもみな、こうなるんやで。気張らずにな。周りの人たちを大切にして、おだやかに過ごしなはれ。腹立てたらあかん。困った時は天のお父さまを呼ぶんやで。くれぐれもイエスさまの教えをな・・・」

 分かった分かったとうなずきながら、熱くなった目頭を押さえます。2年前から、シナイ山が私を呼んでいると友人たちに言い放っていた私。今その意味が分かって興奮しています。出きることなら、あの頭蓋骨を胸に抱いて、ワンワン声を上げて泣きたい心境でした。頭蓋骨にも、人を救う使命があるのでしょう。それにしても、なんで関西弁なのか、今でも不思議に思っています。 
             
コメント
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