イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

74.シナイ山ご来光

2006年10月04日 | Weblog
【写真:シナイ山ご来光】

 ほとんど這って登って、ついに良い場所に到着しました。頂上が見えています。行けないこともないような気がしますが・・・・。
「あと15分で頂上に抜けますが、無理なようだったら、ここで待っていてください。ここでも十分ご来光が仰げますから。ここならほとんど頂上と同じです」
 私たちは残ることにしました。倉田さんは野ヤギのように、たちまち頂上に消えて行きます。その様子はまさに次の聖句のようでした。

 イエスは彼らに語り終わってから、天に上げられ・・・・(マルコ16:19)

 残った児玉さんと私は、寒さに震えながら、ご来光を待ちます。動かない分、余計に寒さが身に染みてガタガタしました。やがて、5時30分頃から少しずつ空が白んで、5時45分にはお待ちかねの太陽がピカーッと顔を出しました。感動の一瞬です。
「おはようございます」
 二人で挨拶を交わし、新年を迎えたような爽やかな気持ちです。暗かった岩山が黄金に輝き始めました。今、まさに「月の栄光」から「日の栄光」へと変わりつつあります。その輝きの差は比べようもありません。
 ガリラヤ湖の湖面に反射した日の光は、輝く銀色でした。シナイ山に反射する日の光は金色です。ゴールドです。想像をはるかに超えています。確かに神がいるとしか言いようがありません。
 頂上ににいるみなさんは、標高2千273mの地点にいますが、何を思い、何を感じているのでしょうか。まだ下りてきません。もしかして、頂上ではラッパが鳴っているのでしょうか。

 ラッパの音がいよいよ高くなったとき、モーセは語り、神はかみなりをもって、彼に答えられた。主はシナイ山の頂に下られた。(出エ19:19~20)

「ねえ、ここで写真撮ろう。傘さしているところを撮って!」
と、児玉さんが突然言います。
「え? シナイ山で傘さして写真を? 前代未聞だわ」
と答えながら、杖になる傘を持たせてくれた友人に、感謝の証拠を見せたいという、その気配りに学んだものでした。
 さて、ゴウゴウと音をたてて吹く風に耐えられず、先に下りることにしました。しかし、隆々と波打つ連山に思わずすくむ足。急勾配が見えるだけに恐怖を感じます。それでも私たちは、
「来て良かった、本当に良かった!」
と繰り返しながら、ほとんど座る格好で、最後の休憩所まで下山したのでした。
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73.ラクダのストライキ

2006年10月03日 | Weblog
 【写真:最後の休憩所、ラクダはここで終り】

 しばらくして妙な光景に出会いました。ラクダが座り込んでいるそのそばに、誰かが立っているのです。暗がりの中、首を伸ばしながら訊ねますと、小室さんでした。
「どうしたの?」
「ラクダがストライキしちゃったよ。あ~あ」
というわけ。片道10ドルで、シナイ山のタクシーと呼ばれているラクダ、何度も往復したに違いありません。今日は人が多いから稼ぎ時なのでしょうが、少しは休ませてあげないと・・・・。飼い主も座り込んで、一生懸命スキンシップしています。私は自分のペースを守って、ひたすら歩きます。

「私の目的は頂上ではない。自分の体力と精神力で、どこまで行けるか、そして、その過程で何を感じるかだ。それが肉体にトゲをいただいている私の、最大の目標なのだ。ラクダになんか乗るもんか」
 一番最後だという焦りもさることながら、半分は意地で歩き続けます。上に行くに従って息が荒くなってきました。マイペース、マイペースとひとり言を言いながら歩いていますと、再び小室さんを乗せたラクダが、いとも優雅に気品高く、スッ、スッと追い越して行ってしまいました。またビリです。
 ずっと上の方には、最後の休憩所の明かりと、そこを目指す人たちの懐中電灯の明かりが揺れています。ふと、モーセのことが頭をかすめました。

 モーセが民を神に会わせるために、宿営から導き出したので、彼らは山の麓にたった。シナイ山は全山煙った。主が火の中にあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた。ラッパの音がいよいよ高くなったとき・・・・(出エ19:17~18)

 聖句を思い出しながら、また回りの暗い景色を眺めながら、ラクダの終着駅である最後の休憩所に着くと、みんな待っていてくださいました。ここからはラクダが登れないような、更に険しい、道なき岩を登ります。暗くてはっきり見えないのが、むしろ祝福かも知れません。ビデオを担ぎながら、岩と岩の間を這うように進みます。
 危険信号を発したのは、膝よりも股関節でした。ここでは児玉さんと一心同体、彼女も傘を杖にして頑張ります。やっぱり私たちが最後です。
「もう、ここでいいわ。足が・・・・」
 そんな私たちに、倉田さんがアドバイスしてくれます。
「せっかくここまで来たのですから、もう少し頑張ってください。頂上の手前でご来光を仰げる場所がありますから、ゆっくりでいいですから」
 従うことにして、もう少し頑張りました。
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72.シナイ山へ出発

2006年10月02日 | Weblog
 【写真:セントカテリーナ修道院】

「ねえ、起きて!」
10月17日(土)の真夜中、児玉さんに起されたのは1時過ぎ、眠気と寒さに耐えながら、もう2度とないかも知れないこのチャンスを、逃してならぬと気合を入れます。耳を澄ますと、起しに走り回っている添乗員さんの声。まもなく私たちの玄関がノックされました。
「もう時間ですよ~。起きてくださ~い」

 仕事とはいえ、泉さんと倉田さんに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。夢中で何かをしている姿、一生懸命な姿は人の心に響くものですね。
「さあ、出かけようか。準備できた?」
「もう少し待って!」
「水、持ったわね。部屋の鍵、無くしちゃだめよ」
 互いに気遣いながら外へ出ますと、空は満天の星。月明かりに辺りが青白く見え、懐中電灯は不要のようです。昨日は星もなく、風の強い暗闇だったとか・・・・。今日は私たちのために、主が特別に祝福してくださったに違いありません。何という恵まれた旅。

 柳田夫妻と早川夫妻はホテルに残り、バスは予定より少し遅れて2時15分出発。どれくらい走ったのか時間を記憶していませんが、しばらくしてバスを降ろされました。いよいよ頂上を目指してモーセの山に挑みます。が、セントカテリーナ修道院までの道も、砂利の坂道で歩きにくいものでした。ここでリタイアして、ホテルに戻った人が2人。西さんは、最初の休憩所まで頑張りました。
 月明かりの中に見える岩山の険しさ、登るほどに、なぜこんな所まで来てしまったのだろうと、多少の不安を覚えましたが、みな平気な顔をしていますので、ただひたすら自分のペースで歩き続けます。

「もし、無理だと思ったら次の休憩所で休んでいてください。また同じ道を戻ってきますから。近道もあるんですが、急ですからね」
 倉田さんに励まされながら、いつの間にか、自分が一番最後であることを知りました。黙々と歩きながら、迷い出た一匹の羊の話を思い出したり、映画のベン・ハーを思ったり、また、日の栄光、月の栄光、星の栄光の違いを思ったり、(1コリント15:40~42)、何としても日の栄光に救われたいと、決意も新たに歩みます。
           
             
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