今日、ルータが壊れてしまい、投稿が今になってしまいました。
前回の話の続きですが、農家だったもので、暮れは餅をついて、親戚などに配っていました。その量が多いもので、朝早くから、丸1日かけて、餅をついて、お供えなども作っていました。子供心に、つきたての餅が食べられるので楽しみにしていた日でした。正月には、小豆粥とか七草粥とか、やらなくなった行事もやっていましたし、今では、田舎でもあまりやらなくなった、まゆ玉(ヤナギの枝に、餅玉をつけたもの)を作って、神棚にあげたりしました。日本は、中国、朝鮮などと比べて、古い習慣を残していると言われていましたが、無形文化財に指定されたものは、残るでしょうが、庶民的な習慣は、ここ4,50年で、消えてしまうか、形だけで残るようで、さみしいですね。
前回の話の続きですが、農家だったもので、暮れは餅をついて、親戚などに配っていました。その量が多いもので、朝早くから、丸1日かけて、餅をついて、お供えなども作っていました。子供心に、つきたての餅が食べられるので楽しみにしていた日でした。正月には、小豆粥とか七草粥とか、やらなくなった行事もやっていましたし、今では、田舎でもあまりやらなくなった、まゆ玉(ヤナギの枝に、餅玉をつけたもの)を作って、神棚にあげたりしました。日本は、中国、朝鮮などと比べて、古い習慣を残していると言われていましたが、無形文化財に指定されたものは、残るでしょうが、庶民的な習慣は、ここ4,50年で、消えてしまうか、形だけで残るようで、さみしいですね。