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コジキジゲン

何を以て「穿って考えるのか」・・・ゲン(諺)の同音漢字

2024-06-11 00:43:58 | 古事記字源
 6月11日・午後13時~20分間・・・暴風雨
 猛烈な強風と土砂降りの豪雨・・・
 ガレージの梯子が倒され
 咲き誇っていた
 マーガレットの花畑がペッシャンコ
 そして停電でパソコンの画面が消えた・・・
 ・・・今現在は不気味な静寂・・・
 ・・・電源が回復・・・
 「ダンチョネ節」
 をユウチューブで聴きながら
 ・・・メモ帳に書き込んでいたモノ・・・
 ・・・保存する前だったので
    記録したハズの内容も脳ミソからも消えた
https://www.youtube.com/watch?v=x1cDIalQAd4

 赤紙(徴兵令状・召集令状)の値段・・・
 「一銭五厘」
 「あんぱん一個」が「当時一銭≒現時100円」
 「そば」が「五銭〜七銭」・・・?
 当時の兵士の命の値段=当時の郵便はがきの値段・・・
 今現在、女性の「飛行機乗り」がいる・・・
 「飛行機乗り」の
 「おんな」に「婿入りするな」ってか・・・
 ダンチョねッ・・・
  ダレが約束をマモラナイ
 「露西亜」や「ハマス」の
 「侵略強奪殺人命令者」のイイブンで
 「停戦、終戦」するってイウのか・・・
 ↓↑
 「山幸彦」を操った「カイジン」の戦略・・・?
 ↓↑
 「彦火火出見尊=山幸彦」
        ・・・彦=ゲン
            =彥(ひこ・びこ)
            狗古智卑狗
     (クコチヒコ・クコチヒク)
         卑狗=ヒコ=彦・日高・日子
               火の子=新井白石
         肥後・庇護・比語・火護 
 音叉・音響・音源・音波・・・諺=言+彥
               㘖=口+彥+頁
               顏=彥+頁
               喭=口+彥
               偐=イ+彥
               嵃=山+彥
 「音」は耳で聴くモノ
 「文」は眼で視るモノ
 「義」は頭で考えるモノ
 彥=文+厂+彡
   亠+乂+厂+彡
     乂=㐅(古字)=五
             五=丅+ユ
             伍(大字)
             𫝀(俗字)
             㠪(古文)
             𠄡(古文)
 ↓↑
 ジョヴァンニ・バッティスタ
 Giovanni   Battista
 ・シドッティ(シドッチ、シドティ)
  Sidotti(Sidoti)・・・支どっち?
 寛文八年
 1668年 8月22日
 ~
 正徳四年十月二十一日
 1714年11月27日

     大運1713年12月(45歳)乙丑・傷官
 戊申(戊壬庚)偏官・偏印長生⇔甲午・食神
 庚申(戊壬庚)偏印・偏印長生⇔乙亥・傷官・害
  半合壬比肩
 壬子(壬 癸)  ・劫財帝旺⇔己丑・正官・支合己
 辛丑(癸辛己)印綬・正官 衰⇔乙丑・傷官
  寅卯空亡
 ↓↑
 教皇クレメンス11世に願い
 宣教師となり
 マニラに向けて出帆
 1708年(宝永五年)
 8月
 日本に向けて出発した
 10月
 屋久島に上陸
 ↓↑
 火の子=新井白石
 明暦三年二月十日
 1657年3月24日
 ~
 享保十年五月十九日
 1725年6月29日
      大運1723年5月(66歳)丙申・正財
                支合
 丁酉(庚 辛)偏財・偏印 病⇔乙巳・食神
  冲
 癸卯(甲 乙)比肩・食神長生⇔壬午・劫財
  半合乙
 癸未(丁乙己)  ・偏官 墓⇔丙辰・正財
 癸丑(癸辛己)比肩・偏官冠帯⇔己丑・偏官
  申酉空亡
 ↓↑
 支合
 子×丑=土(己・土星・鎮星・塡星)
 亥×寅=木(甲・木星・歳星)
 戌×卯=火(丁・火星・熒惑)
 酉×辰=金(辛・金星・太白)
 申×巳=水(壬・水星・辰星)
 未×午=火(丙・太陽・金鴉・日輪・烏輪)
 ↓↑
 土・木・火・(地)・金・水(太)
   ⵐ   球      陽 
 ↓↑
 改名 伝蔵(幼名)→君美
 別名 仮名:与五郎・勘解由
 号  白石・紫陽・天爵堂・忽斎・在中・済美
 ↓↑
 渾名 「火の子・鬼」
 ↓↑
 戒名 慈清院殿釈浄覚大居士
 墓所 報恩寺(東京都台東区)
    高徳寺(東京都中野区)
 官位 従五位下 筑後守、贈正四位
 幕府 江戸幕府本丸寄合
 主君 土屋利直→堀田正俊→堀田正仲
    →徳川家宣→徳川家継
 藩  久留里藩士・古河藩士・甲府藩士
 氏族 新井氏
 父  新井正済
 母  坂井氏
 妻  正室・朝倉万右衛門の娘
 男子 明卿・宜卿
 女子 石谷清夤の妻

  ↓↑
  穿って考えれば
 「ウガヤフキアエズのミコト
  鸕鶿 草葺不合   尊」
 の対象は
 「ことわざ(諺=言+彦)」
 とか
 「四文字漢字熟語」
 とか
 「二文字漢字熟語」
 である・・・カナ・・・
  ↓↑
  鸕鶿 草葺 不合  尊
 (うがやふきあわせずのみこと
  うがやふきあえ ずのみこと)
  地神五代の5代目
  日向三代の3代目
  神武天皇の父
  ↓↑
  父親
  彦火火出見尊=山幸彦
  (火 折 尊=山幸彦)
  ↓↑
  母親
  豊玉姫=豊玉毘売=豊玉毘売命
      八尋の大和邇
   (やひろのおおわに)
    『古事記』では
    「八尋和邇」
    『日本書紀』一書では
    「八尋  大 熊 鰐」
    (やひろのおおくまわに)
      おほくまワニ
     ・・・鰐=和邇
         =わに・ワニ
         =倭邇=王仁=応神
 『先代旧事本紀』
  によれば
  異母弟に
 「武位起命」・・・「建 位起 命」
          「タケイタテ」
           などと読まれ
          「五十猛
           イタテ神
           イタケ神」
           など・・・
 叔母の
 「玉依姫」
 との間に
 彦五瀬命
 稲飯命
 三毛入野命
 彦火火出見尊(神武天皇)
 父と末子は
 同名の
 「彦火火出見尊」
 「吾平山上陵」に葬られた
 ↓↑
 鵜戸神宮(宮崎県日南市)
 「ウガヤフキアエズ」
 生誕時の産屋の跡と伝承
  ↓↑
  彦  波瀲  武  鸕鶿  草葺不合   尊
 (ひこ なぎさ たけ うがや ふきあえず の みこと)
 『日本書紀』
  天 津 日高
 (あまつ ひこ
  日子 波限  建
  ひこ なぎさ たけ
  鵜葺草  葺不合    命
  うがや ふきあえず の みこと)
 『古事記』
  彦  波瀲  武
 (ひこ なぎさ たけ
  鸕鶿草  葺不合    尊
  うがや ふきあえず の みこと)
  『先代旧事本紀』
  彦  瀲     尊
 (ひこ なぎさ の みこと)
  『古語拾遺』
  ↓↑
  茅葺(かやぶき=萱葺)
  ↓↑
  茅
 (ススキ=薄・芒・・・須々木・周々木・鈴木
            渚鋤・雪
  チガヤ=茅・違哉・千賀耶・智雅也
  ヨシ(アシ)=葦・芦・蘆・・・足・脚・肢
  などの総称)
  ↓↑
  を屋根の材料にして
  家屋の屋根を葺くこと・葺いた屋根
  茅葺き屋根
  茅葺屋根
  茅葺き屋根の一部(下地等)には
  稲藁や麦藁を屋根材に含む
  屋根の材料により
  茅葺(かやぶき)は
  藁葺(わらぶき)
  や
  草葺(くさぶき)と区別される
  ↓↑
  彦  火火 出見  尊
 (ひこ ほほ でみ の みこと
  別名
  狭野(さの)命・・・挟=挾=夾(はさむ)
  狹=狭(キョウ・ギョウ・せばめる)=犭+夾

  若御毛沼(わかみけぬま)命
  豊御毛沼(ととみけぬま)命

  第四子・・・長男(初めの児)でもないのに
        ナゼ、彼だけが
       「鰐の母親」が産んで
       「鵜葺  草葺   不合 命」
        うがや くさがや 合わず
        になったのか? 
  ↓↑
 『日本書紀』第三の一書
  では第三子
  第四の一書
  では第二子
  ↓↑
 『日本書紀』第一書での
  幼名は
 「狭野命」
  初代天皇
  和風諡号
 「神 日本 磐余 彦 天皇」
  漢風諡号
 「神武天皇」
  ↓↑
 地神五代 第五代
 日向三代 第三代
  ↓↑
 先代 彦火火出見尊(山幸彦)
    ↓↑
    鸕鶿 草葺 不合  尊
    ↓↑
 次代 彦火火出見尊(神武天皇)
 ↓↑
 神祇 天津神
 ↓↑
 全名 天津
    日高
    日子
    波限
    建
    鵜葺草
    葺不合命
 ↓↑
 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊
 ↓↑
 陵所 吾平山上陵
 ↓↑
 父 彦火火出見尊(山幸彦)
 母 豊玉姫
 ↓↑
 配偶者 玉依姫
 ↓↑
 子 彦五瀬命
    稲飯命
    三毛入野命
    彦火火出見尊=神武天皇
 ↓↑
 宮  西州之宮
 神社 鵜戸神宮など
  ↓↑
  彦  波瀲  武
  ↓↑
  諺  渚=汀・凪さ・彅差・薙差・名義差
 (ひこ なぎさ
     ↓↑
     武
     ↓↑
     たけ=竹・他家・嶽・丈
        長け・茸=きのこ=木之子
        ・・・咠
           シュウ
           ユウ
           ささやく
           囁く
           楫=かじ・カイ
            =檝・舵・梶
             鍛冶・火事
     建・健・高・田家・・・田斎
         高家⇔吉良上野介
 ↓↑
 ┏天照大神(アマテラス)
 ┗佐之男命(スサノオ)
 ↓↑
 ┏天忍穂耳命(アメノ オシホ ミミ)
 ┗栲幡千千姫(タクハタチヂ ヒメ)
 ↓↑
 ┏邇邇芸命(ニニギ)
 └木花之佐久夜毘売(コノハナノ サクヤ ビメ)
 ↓↑
 山幸彦=火遠理命(古事記)・・・山彦
     彦火火出見尊(日本書紀)
 海幸彦=火照 命(古事記)・・・海彦
     火闌降命(日本書紀)
 ↓↑
 「山彦」=「木霊(木魂)=木霊(こだま)」
 ↓↑
 ┏火遠理命(ホオリ、四男)・・・四男?
 ┗豊玉姫(トヨタマ ヒメ
       アマテラスの姪・・・?)
       天照大神=鰐・和邇・和爾・和珥?
 ↓↑
 ┏鸕鶿草葺不合命(ウガヤ フキアエズ)
 ┗玉依姫(タマヨリ ヒメ・トヨタマヒメの妹)
 ↓↑
 ┏若御毛沼命(ワカミケヌ、神武天皇、四男)
 ┗媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメ タタラ イスズ ヒメ)
 ↓↑
 彦五瀬命(ヒコイツセ、長男)
 稲飯命(イナイ、二男)
 三毛入野命(ミケイリノ、三男)
 ↓↑
 火闌降命(ホスソリ)・・・隼人
 火明命(ホアカリ)・・・・尾張氏
 ↓↑
ーーーーー
 古事記
 ↓↑
 ┏火照命(ほでりのみこと)
 ┗海佐知毘古(うみさちびこ)
 (漁師)兄
 ↓↑
 ┏火遠理命(ほおりのみこと)
 ┗山佐知毘古(やまさちびこ)
 (猟師)弟
 ↓↑
 火遠理命(山佐知毘古)は
 道具の交換を
 火照命(海佐知毘古)に
 申し出て交換した
 「釣針」で魚を釣ろうとしたが釣れず
 「釣針」を海の中に紛失
 兄も弟の「弓矢」では
 山の獲物を狩猟できず
 交換した自分の道具を
 返してもらおうとしたが
 弟が釣針をなくし
 自分の
 十拳劔(トツカのツルギ)から
 千の釣針を作って代償にしようとしたが
 兄は
 「自分の釣針を返せ」
 と云って受け取らなかった
 ↓↑
 弟が困り果て海辺で泣き悲しんでいると
 塩椎神(しおつちのかみ)がやって来て
 事情を聞き
 塩椎神は小船を造り
 火遠理命を乗せて
 綿津見神(わたつみ)の
 宮殿へ行くように言った
 ↓↑
 宮殿に着くと
 海神の娘の
 豊玉毘売命
 の侍女が
 水を汲みに外に出て来た
 火遠理命が水を求め
 侍女が水を器に入れて差し出すと
 火遠理命は水を飲まずに
 首にかけていた玉を
 口に含んでその器に吐き入れた
 玉が器にくっついて離れず
 侍女は玉のついた器を
 豊玉毘売命
 に差し上げ事情を話した
 豊玉毘売命は不思議に思い外に出て
 火遠理命を見つけ
 一目惚れ
 父の海神も外に出てきて
 彼は
 天孫
 「邇々芸命(ににぎ)」
 の子の
 「虚空津日高(そらつひこ)」
 であると言い
 豊玉毘売命と結婚させ
 火遠理命は
 海神の元で三年間暮らした
 だが
 火遠理命がここに来た理由を思い出し
 海神に事情を話した
 海神は魚たちを集め
 釣針を持っている者はいないかと問うと
 赤鯛の喉に引っかかっていることがわかり
 それを取り出し
 火遠理命に
 釣針
 鹽盈珠(しおみちのたま)
 鹽乾珠(しおひのたま)
 を差し出し
 「この釣針を兄に返す時
  『この針は
   おぼ針、すす針、貧針、うる針
  (憂鬱になる針
   心が落ち着かなくなる針
   貧しくなる針
   愚かになる針)の意』
  と言いながら
  手を後に回して
  渡しなさい。
  兄が高い土地に田を作ったら
  あなたは低い土地に
  兄が低い土地に田を作ったら
  あなたは高い土地に田を作りなさい。
  兄が攻めて来たら
  鹽盈珠で溺れさせ、
  苦しんで許しを請うてきたら
  鹽乾珠で命を助けなさい」
 と言った。
 そして
 「和邇(わに・鰐)」
 に乗せて送り帰した
 その「和邇」は今は
 「佐比持神(さいもちのかみ)」
 という・・・災(幸) 持ち?
 ↓↑
 火遠理命は
 海神が云った通りに釣針を返し
 海神が云った事件が起き
 言われた通りに兄に対処実行して
 無事に乗り切った
 ↓↑
 火遠理命の帰国時
 豊玉毘売命は懐妊したが
 天神の子を
 海の中で産むわけにはいかないとし
 姫は
 陸に上がって
 浜辺に産屋を作ろうとしたが
 ↓↑
 茅草がわりの
 鵜の羽を
 葺き終えないうちに
 ↓↑
 産気づき
 屋根のない産屋に入り
 「他国の者は
  子を産む時には
  本来の姿になる。
  私も本来の姿で産もうと思うので
  絶対に産屋の中を見ないように」
 と彦火火出見尊に云ったが
 彼は産屋の中を覗いてしまった
 豊玉毘売命は
 「八尋和邇(やひろわに)」
 が腹をつけて
 蛇のごとくうねっているのを見て
 恐れ逃げ出した
 ↓↑
 姫は
 彦火火出見尊に覗かれたことを恥じ
 生まれた子を置いて
 海に帰ってしまう
 その生まれた御子を
 「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
 (あまつひこひこなぎさたけうかやふきあへず)」
 と言う
 その後
 御子を養育するために
 妹の
 「玉依毘賣」
 を遣わし
 託した歌を差し上げ
 互いに歌を詠み交わした
 ↓↑
 日本書紀第十段
 日本書紀巻二の本文
 ↓↑
 彦火火出見尊は深く憂(うれ)い苦しみ
 海辺に行って吟(さまよ)い
 そこで出会った
 塩土老翁が
 「無目籠(まなしかたま)・・・潜水艇?
  を作り
  彦火火出見尊を籠に入れて海に沈めた
  すると自然(おのず)から
  可怜小汀(うましおはま)
  に着き、そこで
  籠を棄てて進み
  すぐに海神の宮に行き着いた」
 ↓↑
 その宮は
 雉(たかがきひめがき)
 整頓(ととの)いて
 臺宇(たかどの)が
 玲瓏(てりかかや)いていた
 門の前の
 井戸のほとりに
 湯津杜(ゆつかつら)の樹があって
 枝・葉、扶疏(しきも)いて(広げて)いた
 彦火火出見尊
 がその樹の下に進んで
 徙倚(よろぼ)い
 彷徨(さまよ)っていると
 一人の美人(おとめ)が
 扉を開けて出て来た
 そして
 玉鋺(たまのまり=綺麗なお椀)
 に水を汲もうとしたので
 擧目(あお)いで見つめた
 そこで美人は驚いて帰り戻り
 その
 父母(かぞいろは)に
 「一(ひとり)の
  希(めずら)しき客(ひと)有り
  門の前の樹の下に在り」
 と申し上げた
 ↓↑
 海神は
 八重の畳を重ね敷いて招き入れ
 坐(まし)て
 定(しず)ませ
 来た理由を尋ねた
 彦火火出見尊は事情を話し
 聞いた海神が
 大小の魚を集めて問いただすと
 皆は
 「識(し)らず。
  ただ赤女(あかめ=鯛の名)
  比のごろ
  口の疾(やまい)有りて来たらず」
 と言う。召してその口を探すと
 失った釣針が見つかった
 海の宮に住んで三年
 故郷を思う心があり
 ひどく太息(なげ)き
 豊玉姫は父に
 「天孫(あめみま)
  悽然(いた)みて
  數(しばしば)歎く
  蓋(けだ)し
  土(くに)を懐しむ憂いありてか」
 と語った
 ↓↑
 飫企都鄧利・・・・・沖つ鳥
 軻茂豆勾志磨爾・・・鴨著く嶋に
 和我謂禰志・・・・・我が率寝し
 伊茂播和素邏珥・・・妹は忘らじ
 譽能據鄧馭登母・・・世の尽も
 ↓↑
 鴨の寄り着く島で
 我が床を共にした妻は
 決して忘れぬだろう
 我世ある限り
 ↓↑
 この後
 豊玉姫は
 その子が
 端正(うるわ)きことを聞いて
 大いに憐れみの心を重ね
 また帰って養したいと欲うが
 義(ことわり)に
 於(お)きて
 可(よ)からず
 そこで女弟の
 玉依姫を遣わして
 養しに行かせた
 その時
 豊玉姫は
 玉依姫に託して
 報歌(かえしうた)を奉った
 ↓↑
 阿軻娜磨廼・・・・・赤玉の
 比訶利播阿利登・・・光はありと
 比鄧播伊珮耐・・・・人は言へど
 企弭我譽贈比志・・・君が装し
 多輔妬勾阿利計利・・貴くありけり
 ↓↑
 紅き玉は
 輝けると
 人々は申しますが
 貴方の姿はそれにも増して
 壮麗に思います
ーーーーー
 ・・・まにまに・・・随処・随所・隨書媠人伝
    隨       「蛇・陀・佗・佞・它」
           隋書      俀国伝  
 鰐魚(わに)・鰐=魚+咢(顎)・・・
        顎=咢+頁
          吅+亏+頁
          口+口+一+丂+頁
          口+口+二+ㄣ(ㄅ・勹)+丆+目+ハ
 策(はか)りて
 「我は八日(やか)の以後(のち)に
  まさに天孫を海宮に致すべし。
  唯(ただ)し
  我が王(きみ)の駿)れたる馬は
  一尋鰐魚なり
  これまさに
  一日(ひとひ)の内に
  必ず致し奉らん
  故、今、
  我帰りて
  王をして出で来さしむ
  宜しく彼に乗りて
  海に入るべし
  海に入る時に
  海の中に
  自ずから可怜小汀有り
  其の汀の
  ↓↑
  隨(まにま)に・・・隋=まにまに
  ↓↑
  進まば
  必ず
  我が王の宮に至る
  宮の門の井の上に
  まさに
  湯津杜樹
  有るべし
  宜しくその樹の上に
  就(ゆ)きて
  居(いま)すべし」
 言ってすぐ海に入り去った
 そこで天孫は
 鰐の言う通りに待ち留まり
 待って
 八日になった
 しばらくして
 一尋鰐魚
 がやって来たので
 乗って海に入る
 そのどれも
 以前の鰐の教えに
 従いおこなった
 ・・・・
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