・・・「木を観て森を観ざるが如し」・・・なるほで、「アブ」が「キ、モクをみないとは、森の本質の亜流だな」・・・「樹」をみず「森」ばかり見ているらしい・・・「記を視て摸理を視ざるが語渡詞」・・・「葉隠れ」・・・「葉の表を観て裏の虫を視ない」か・・・
「満州事変、盧溝橋事変」で中央政府の主導を無視したのは現場の「関東軍」だったが・・・「226事件」は1936年(昭和十一年)二月二十六日~二月二十九日・・・青年将校、1483名の下士官、兵の「昭和維新断行・尊皇討奸」であった・・・残念だったろうナッ、「叛乱軍(反乱軍)」の「安藤輝三、野中四郎、香田清貞、栗原安秀、中橋基明、丹生誠忠、磯部浅一、村中孝次」・・・ナゼ、「昭和維新・尊皇討奸」が「叛乱軍」になったのか・・・当然、「叛乱軍」≠「昭和維新・尊皇討奸」である。
「尊皇討奸」の挫折の延長が「中国大陸・太平洋戦争・敗戦」だったのか?・・・「青年将校」には「維新後」の国家プランがなかった。あったのは「尊王」だけである。そして「天皇への信仰」だけだった。「天皇」が「日本資本主義」の「大財閥」であるコトには疎かったのである。オマケに「軍人」であることの「生活基盤」を支えている「国家予算の海軍、陸軍への配分」が何たるかも知らずに、「純真無垢」、「お人よし」であったのだ。
本日の「国会討論会」が今、終わった。
委員会の後方に座っている議員が笑い顔で隣に座っている議員に終始ハナし掛けていたが・・・共産党の質問には防衛大臣も首相も深刻で、悔しそうな顔をして聴いているようだったが・・・「武力行使」を出来ない「日本国自衛隊」の無念さの苦渋だろう・・・同胞が異国人に殺されても「臥薪嘗胆」が「日本国憲法」の枠では無意味である・・・「ヤラレッパナシでイイワケ」が無い。「国家主義者」としては悔しいのは当然である。市民社会でも当然な「心情」である・・・だが、討論会後の首相はワライ顔・・・ワライが悪いと云うワケではないが・・・
「維新の会(憲法改正)」も、「共産党(憲法改正反対)」も問題にしたのは政府案の「後方支援」と「非戦闘地域」である・・・「非戦闘地域、そんなモノは何処かはワカリマセンョ、ッ」の武装解除の進まないイラク国家領域戦闘中の「自衛隊派遣」のコイズミは正直(?)だった・・・そもそも「サマワは戦争中のイラク国内」であったのだから・・・「Not Money,Show the flag」・・・
兎に角、「維新の会(憲法改正)」も、「共産党(憲法改正反対)」も「後方支援」とは「兵站(軍事物資、兵員の輸送=戦争戦闘行為の本質)である」と「政府」を追求したコトである。
理論、理屈の根幹が「日本国憲法」であるから「維新の会(憲法改正)」も、「共産党(憲法改正反対)」も「概念・範疇・本質・カテゴリ・コトバの内容規定」は正論である。
「日本国憲法」を取っ払うことのできない「政府(日本国憲法維持の枠内)」での「(軍事的)後方支援=Military Logistics)=兵站」は無理なのは当然である。
「9条」さえなければ、政府案の「後方支援」と「非戦闘地域」の論戦などは無用だから・・・「立法」も無用だから・・・
だが「9条」さえあれば「国家間戦争は無い」と考える人間も「能天気」なのである。
「9条」に「命」を掛け、日本地区居住民を護ってきたのが「日本国自衛隊員」なのである・・・「自衛隊」はそもそも「対外派兵、対外戦闘の軍隊」ではないのだから・・・「日本国自衛隊員」は「日本國憲法下の人間」に「命」を賭けているのだ・・・下痢の腹具合で義務を放棄するワケにはいかないのである・・・
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木を数えて林を忘れる
金を攫(掴・つか)む者は人を見ず
鹿を追う者は山を見ず
獣を逐う者は目に太山を見ず
鹿を逐う者は兎を顧みず
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旧約聖書
申命記
第33章
33:1
神の人モーセは
死ぬ前にイスラエルの人々を祝福した。
祝福の言葉は次のとおりである。
33:2
「主は
シナイからこられ、
セイルから
我々(われわれ・ガガ)に
向かって登られ、
パランの山から
光を放たれ、
千萬(ちよろず)
の
聖者の中から
こられた。
その
右の手には
燃える
火があった。
33:3
誠(まこと・真・允)に
主はその民を愛される。
すべて主に
聖別(セイベツ・ひじりわけ)
されたものは、
御(み・オン)手のうちにある。
彼らはあなたの
足もとに座して、
教をうける。
33:4
モーセは
我々(われわれ・ガガ)に
律法を授けて、
ヤコブの会衆の所有とさせた。
33:5
民の頭目(かしら・トウモク)たちが集まり、
イスラエルの部族がみな集まった時、
主は
エシュルン・・・ヘブル語(ヘブライ語)で
「正しい者」
「高潔な者」
のうちに
王・・・・・・「王」となったとは?・・・
となられた」。
33:6
「ルベン
は
生きる、
死にはしない。
しかし、
その人数は少なくなるであろう」。
33:7
ユダについては、こう言った、
「主よ、
ユダの声を聞いて、
彼をその民に導きかえしてください。
み手をもって、
彼のために戦ってください。
彼を助けて、
敵に当らせてください」。
33:8
レビについては言った、
「あなたの
トンミム
を
レビに与えてください。
ウリム
を
あなたに仕える人に与えてください。
かつて
あなたは
マッサ
で彼を試み、
メリバ
の
水
の
畔(ほとり・辺)で彼と争われた。
33:9
彼は
その父、
その母について言った、
『私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
彼らを
顧みない』。
彼は自分の兄弟をも認めず、
自分の子供をも顧みなかった。
彼らは
あなたの言葉にしたがい、
あなたの契約を守ったからである。
33:10
彼らは
あなたの
掟(おきて・テ)
を
ヤコブに教え、
あなたの
律法
を
イスラエルに教え、
薫香
を
あなたの前に供え、
燔祭
を
祭壇の上にささげる。
33:11
主よ、
彼の力を祝福し、
彼の手の
伎(わざ・技・業)
を
喜び受けてください。
彼に逆らう者と、
彼を憎む者との
腰を打ち砕いて、
立ち上がることの
できないようにしてください」。
33:12
ベニヤミンについては言った、
「主に愛される者、
彼は安らかに主のそばにおり、
主は終日、
彼を守り、
その
肩の間に
住(すま)い
を
営まれるであろう」。
33:13
ヨセフについては言った、
「どうぞ主が彼の地を祝福されるように。
上なる
天の賜物
と
露、
下に横たわる
淵
の
賜物、
33:14
日によって産する尊い賜物、
月によって生ずる尊い賜物、
33:15
古(いにしえ)
の
山々
の
産する賜物、
常(とこしえ・永久・長しえ)
の
丘
の
尊い賜物、
33:16
地とそれに満ちる尊い賜物、
柴(しば)
の
中に
おられた者の恵みが、
ヨセフの頭に臨み、
その兄弟たちの
君たる者の
頭の頂にくだるように。
33:17
彼の牛の
初子(初児・ういご)は
威厳があり、
その角は野牛の角のよう、
これをもって
国々の民をことごとく突き倒し、
地の果(は)てにまで及ぶ。
このような者は
エフライム
に
幾万とあり、
また
このような者は
マナセ
に
幾千とある」。
33:18
ゼブルンについては言った、
「ゼブルンよ、
あなたは外に出て楽しみを得よ。
イッサカルよ、
あなたは
天幕にいて楽しみを得よ。
33:19
彼らは
国々の民を
山に招き、
その所で
正しい犠牲をささげるであろう。
彼らは
海の富を吸い、
砂に隠れた宝を
取るからである」。
33:20
ガドについては言った、
「ガド
を
大きくする者は、
誉(褒・ほむ)べきかな。
ガドは、
獅子(しし)のように伏し、
腕や頭の頂を
かき(掻き)裂くであろう。
33:21
彼は
初穂の地を
自分のために選んだ。
そこには
将軍の分も取り置かれていた。
彼は民の
頭目(かしら・トウモク)たちと共にきて、
イスラエルと共に
主の
正義
と
審判
とを行った」。
33:22
ダンについては言った、
「ダンは
獅子(しし)の子であって、
バシャン
から
おどりでる」。
33:23
ナフタリについては言った、
「ナフタリよ、
あなたは恵みに満たされ、
主の祝福に満ちて、
湖と
その南の地を所有する」。
33:24
アセルについては言った、
「アセルは
他の子らに
まさって祝福される。
彼はその兄弟たちに愛せられ、
その
足を
油に
浸(ひた・漬)すことができるように。
33:25
あなたの
貫の木
は
鉄
と
青銅、
あなたの力は
あなたの年と共に続くであろう」。
33:26
「エシュルンよ、
神に並ぶ者はほかにない。
あなたを助けるために天に乗り、
威光をもって
空を通られる。
33:27
永久(とこしえ・常・長)
に
います神はあなたの
すみかであり、
下には
永遠の腕がある。
敵を
あなたの前から追い払って、
『滅ぼせ』
と言われた。
33:28
イスラエルは
安らかに住み、
ヤコブの泉は
穀物
と
葡萄(ぶどう)酒の地に、
ひとり
いるであろう。
また
天は
露
を
くだすであろう。
33:29
イスラエルよ、
あなたは
しあわせである。
だれが
あなたのように、
主に救われた民があるであろうか。
主は
あなたを助ける盾(たて・ジュン)、
あなたの威光の剣(つるぎ・ケン)、
あなたの敵は
あなたに諂(へつら)い
服し、
あなたは
彼らの
高き所を
踏み進むであろう」。
第34章
34:1
モーセは
モアブ
の
平野から
ネボ山
に
登り、
エリコ
の
向かいの
ピスガ
の
頂へ行った。
そこで
主は彼に
ギレアデ
の
全地を
ダン
まで示し、
34:2
ナフタリの全部、
エフライム
と
マナセ
の
地
および
ユダ
の
全地を西の海まで示し、
34:3
ネゲブと低地、
すなわち、
棕櫚(しゅろ)の町
エリコ
の
谷
を
ゾアル
まで示された。
34:4
そして主は彼に言われた、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
アブラハム、イサク、ヤコブに、
これを
あなたの子孫に
与えると言って誓った地は
これである。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
これを
あなたの目に見せるが、
あなたは
そこへ渡って行くことはできない」。
34:5
こうして主の
僕(しもべ)モーセは
主の言葉のとおりに
モアブ・・・・・・・摸阿武・・・
の
地で死んだ。
34:6
主は彼を
ベテペオル
に対する
モアブ
の地の谷に葬られたが、
今日まで
その墓を知る人はない。・・・?「ラモーゼの墓」
34:7
モーセは死んだ時、
百二十歳
であったが、
目は霞(かすま)ず、
気力は衰えていなかった。
34:8
イスラエルの人々は
モアブの平野で
三十日の間
モーセのために泣いた。
そして
モーセのために
泣き悲しむ日は
ついに終った。
34:9
ヌン
の
子
ヨシュア
は
知恵の霊に満ちた人であった。
モーセが
彼の上に手を置いたからである。
イスラエルの人々は
彼に聞き従い、
主が
モーセに命じられたとおりにおこなった。
34:10
イスラエルには、
この後(のち・ゴ)
モーセのような預言者は起らなかった。
モーセは
主が
顔を
合わせて
知られた者
であった。
34:11
主は
エジプトの地で
彼
を
パロ
と
そのすべての家来
および
その
全地につかわして、
もろもろの
しるし
と
不思議
を
行わせられた。
34:12
モーセは
イスラエルの
すべての人の前で
大いなる力をあらわし、
大いなる
恐るべき事
を
おこなった。
ーーーーー
・・・???・・・小心者で「神のコトバ」の命令には「ご辞退」を繰り返し、大衆の前では「演説・アジテーション(agitation)・ディベート(debate)」も出来ずに兄の「アロン」に負かせパナしだった「モーゼ」・・・
「ディベト」・・・シンの荒野の地名・・・「エリムとシナイの間」にある荒野・・・「シンの荒野」はシナイ半島の南西部、カディムの西方にある「ディベト・エル・ラムレ」付近の荒野の地名・・・