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コジキジゲン

トリ・モノ・チョウ

2013-06-09 23:53:38 | 古事記字源
 割り切れないことが世の中には多いなぁ~・・・ワって、アマリとなったスウ・・・このアマリをドウするのか・・・コタエは・・・ブンスウ・・・する・・・倭雛(ワスウ)・海部理(アマリ)・同諏得(ドウスウ)・拠多重(コタエ)・文素得(ブンスウ)・愚得主有(グウスウ)・記諏得(キスウ)・・・取得(とりどく・シュトク)→朱徳・習得・修得・収得・拾得・・・空飛ぶ円盤・・・フライングソーサー・・・UFO・・・サイエンスゼロ・・・鳥説(とりとく)・・・
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 枕草子

 (四八段)・・・四拾八段・四十八段・肆足捌段

         4+8=12=十二=壱拾弐=壱足弐

         4×8=32=三十二=参拾弐=参足弐

 鳥は

 他處の

 物

 なれ

 ど、

 鸚鵡

 いと

 あはれ

 なり。

 人の

 いふらん

 ことを

 まねぶ

 らん

 よ。

 杜鵑。

 水鷄。

 鴫。

 みこ鳥。

 鶸。

 火燒。

 山鳥は

 友を

 戀ひて

 鳴く

 に、

 鏡を

 見せたれば

 慰む

 らん、

 いと

 あはれ

 なり。

 谷

 へだて

 たる

 ほど

 など

 いと

 心ぐるし。

 鶴は

 こち

 たき

 さま

 なれ

 ども、

 鳴く

 聲

 雲井

 まで

 聞ゆ

 らん、

 いと

 めでたし。

 頭赤き

 雀斑。

 斑鳩の

 雄。

 巧鳥。

 鷺は

 いと

 見る

 目

 も

 みぐるし。

 まな

 こゐ

 など

 も、

 うたて

 萬に

 なつかし

 から

 ね

 ど、

 万木の

 森に

 ひとりは

 寢じと、

 爭ふ

 らん

 こそ

 をかし

 けれ。

 容鳥。

 水鳥は

 鴛鴦

 いと

 あはれなり。

 互に

 居

 かはりて、

 羽の

 うへの

 霜を

 拂ふ

 らん

 など

 いと

 をかし。

 都鳥。

 川

 千鳥は

 友

 まどはす

 らん

 こそ。

 雁の聲は

 遠く

 聞え

 たる

 あはれ

 なり。

 鴨は

 羽の

 霜

 うち

 拂ふ

 らんと

 思ふに

 をかし。

 鶯は

 文

 など

 にも

 めでたき

 物に

 つくり、

 聲より

 はじめて、

 さま

 かたちも

 さばかり

 貴に

 美しき

 ほど

 よりは、

 九重の

 内に

 鳴かぬ

 ぞ

 いと

 わろき。

 人の

 さなん

 ある

 と

 いひしを、

 さしも

 あらじと

 思ひ

 しに、

 十年

 ばかり

 侍ひて

 聞き

 しに、

 實に

 更に

 音も

 せざりき。

 さるは

 竹も

 近く、

 紅梅も

 いと

 よく

 通ひぬ

 べき

 たより

 なりかし。

 まかでて

 聞けば、

 あやしき

 家の

 見どころ

 も

 なき

 梅など

 には、

 花やかに

 ぞ

 鳴く。

 夜

 なかぬ

 も

 いぎ

 た

 なき

 心地

 すれども、

 今は

 いかが

 せん。

 夏秋の

 末まで

 老聲に

 鳴きて、

 むし

 くひ

 など、

 ようも

 あらぬ

 ものは

 名を

 つけかへて

 いふぞ、

 口惜しく

 すごき

 心地する。

 それも

 雀などの

 やうに、

 常に

 ある鳥

 ならば、

 さも

 おぼゆ

 まじ。

 春

 なく

 ゆゑ

 こそは

 あらめ。

 年

 立ち

 かへる

 など、

 をかしき

 ことに、

 歌にも

 文にも

 作る

 なるは、

 なほ

 春の

 うち

 なら

 まし

 かば、

 いかに

 をかし

 から

 まし。

 人を

 も

 人げ

 なう、

 世の

 おぼえ

 あな

 づらはしう

 なり

 そめに

 たる

 をば、

 謗り

 やは

 する。

 鳶、

 烏

 などの

 うへ

 は、

 見いれ

 聞きいれ

 など

 する人、

 世に

 なし

 かし。

 されば

 いみじ

 かる

 べき

 ものと

 なり

 たればと

 思ふ

 に、

 心

 ゆかぬ

 心地する

 なり、

 祭の

 かへさ

 見るとて、

 雲林院、

 知足院などの

 前に

 車を

 たてたれば、

 杜鵑も

 しのばぬ

 にや

 あらん

 鳴く

 に、

 いと

 よう

 まねび

 似せて、

 木

 高き

 木どもの

 中に、

 諸

 聲

 に

 鳴き

 たる

 こそ

 さすがに

 をかし

 けれ。

 杜鵑は

 猶

 更に

 いふべき

 かた

 なし。

 いつ

 しか

 したり

 顏

 にも

 聞え、

 歌に、

 卯の花、

 花橘

 など

 に

 やどりを

 して、

 はた

 かくれ

 たる

 も、

 ねた

 げ

 なる

 心

 ばへ

 なり、

 五月

 雨の

 短夜に

 寢ざめをして、

 いかで

 人

 より

 さきに

 聞かんと

 またれて、

 夜

 深く

 うち

 出で

 たる

 聲の、

 らう

 らう

 じく

 愛敬

 づき

 たる、

 いみじう

 心

 あくがれ、

 せんかたなし。

 六月に

 なり

 ぬれば

 音

 も

 せず

 なり

 ぬる、

 すべて

 言ふ

 も

 おろか

 なり。

 夜

 なく

 もの、

 すべて

 いづれ

 も

 いづれ

 も

 めで

 たし。

 兒ども

 のみ

 ぞ

 さし

 も

 なき。

ーーーーー

 ・・・

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