仏陀は
「帝国主義」を嫌う
&
「悪行独裁主義」も・・・
↓↑
「明治維新帝国主義」には
不都合な「お釈迦様の教え」・・・
お釈迦ではなく
弟子たちが
記録した「お経のサトリ」カモ・・・
ナンデもカンデも
弟子たちは
「お釈迦」のセイにした
釈迦が
「覚った・悟った・サトッタ」
とされるのは
「自然界・人間界」の
「生命存続存在」の
「エゴ=自我=セルフっ種」・・・
生命体自体の生命活動の
「根源的な様態」であった・・・からカモ
釈迦のサトリは
宇宙の中での
「限定プロセス変化の存在」
「生命体の個的過程存在=限定的生命活動自体」
であって
それ故の
「社会的人間」としての
「倫理・道徳・法律」を
マモるか、ドウかの
「是非」としての
「個々人のそれら選択の意識的生き方」
であって
「社会的人間秩序」の
「善悪」の
「自由選択」
「利他⇔利己=自己」
の葛藤と選択結果の行為である
↓↑
人間個々人の
「意思⇔意志⇔遺志」
↓↑
「アラヤシキ」
蛙等椰子記???
↓↑
「阿頼耶識(アラヤシキ・ālaya-vijñāna)」
瑜伽行派独自の概念
個人存在の根本にある
無意識の「識(viññāṇa)」
アーラヤ識
眼識・耳識・鼻識・舌識・身識
(視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚)
意識
末那識(ミナシキ)
・・・~であると見做す認識(概念)?
阿頼耶識(アラヤシキ)
・・・無意識
・・・既に脳ミソの記憶領域存在する意識
の8つの識
最深層に位置する
↓↑
「阿頼耶識」・・・・・・・・「阿蘇哉詞記」?
屋敷
サンスクリット語の
「ālaya」の音写と
「vijñāna」の意訳「識」
との合成語
ālaya=住居・場所の意・・・「阿蘇哉始基」?
その場に
一切諸法を生ずる
種子を内蔵している
「蔵識」・・・・・・・「倉敷・句等史記」?
とも漢字訳される
「無没識(ムモツシキ)」
とも訳される
「ālaya」の類音語
「alaya」に由来する異形語
旧訳
「阿羅耶識=阿梨耶識(アリヤシキ)」
「蔵識(藏識)=無没識(ムモツシキ)」
とも漢字訳し
「頼耶識=頼耶等」
と略されることもある・・・
↓↑
セルフィッシュ (Selfish)
「わがままな・利己的な・自分本位の」
「利己的・自分勝手」
「自分の利益や欲求を優先し
他人のことを考慮しない態度や行動」
「我が儘・身侭・我まま・身まま
気任・利己的・我侭
身勝手・自分勝手
気任せ・得手勝手
主観的
手前勝手・手前みそ」
「a selfish attitude [motive]」
利己的な態度・動機
叙述的用法の形容詞
「+ of+ (代) 名 (+ to do)」
「+ to do」
selfishly 副詞
selfishness 名詞
↓↑
明治
維新
政府の
周りが
「侵略主義者」だらけの「国際国家」環境・・・
「国家」として生き延びるには
「お釈迦様の教え」ではニッチもサッチも・・・
「帝国主義」には「帝国主義」・・・
まずは
「帝国組織」としての
「富国強兵」であるが
「意識」も
「仏の慈悲(字比)」などとは云ってられない
では日本人の「神道」は好戦主義だったのか・・・
「日本神道」は「自然主義」である・・・
根源は
「生きる為の自然崇拝=畏敬崇拝」である
・・・
現実は
「弱肉強食・食物連鎖」の頂点の「人間社会」であり
「自然災害」への懼れ慄きと
「自然恩恵」への感謝、感激である・・・
↓↑
プーチンン&シュウキンペイ
の時代遅れな
「国家間の侵略強奪=国家EGOとしての共同幻想」
「戦国時代的戦争観=独裁的扇動者の国家戦争観」・・・
そもそも
「生命体本質」の
「EGOの共同幻想」としての扇動拡散・・・
エゴ⇔重語・得語・亜語・慧語・餌護・・・?
↓↑
廃 仏 毀釈 (廢佛毀釋・排仏棄釈)
ハイブツキシャク
仏教を廃すること
「廃仏」=仏法を廃し
「毀釈」=釈迦(仏陀)の教えを棄却
↓↑
日本
近代化を目指す日本仏教
国から寺院への
財産分与
民間宗教としての再出発・・・信教の自由化?
↓↑
『日本書紀』
仏教公伝
552年(欽明天皇十三年)
『元興寺縁起』
538年
崇仏派 蘇我氏・・・・ワれヨミがえる?
vs
廃仏派 物部氏・中臣氏の争い
物部守屋の敗死
↓↑
厩戸皇子(聖徳太子)・・・仏教の不理解
仏教受容確定・・・・・・仏教誤認識ママの受容
↓↑
神仏習合(シンブツシュウゴウ)
本地垂迹(ホンチスイジャク)
↓↑
日本土着の神祇信仰(神道)
と
仏教信仰(日本仏教)の融合
統一信仰体系として再構成された宗教観
↓↑
鎌倉仏教の発展・浸透
朝廷と仏教寺院の対立
戦国時代
1571年(元亀二年)
織田信長による
・・・彼の一族は「法華経の宗徒」だった
比叡山焼打ち
江戸時代前・中期以降
学問としての
儒学・国学・神道学などの立場から
神仏習合を見直し
神仏分離を目指す動向
会津藩主
保科正之
山崎闇斎
吉川惟足
などを重用し
正之の宗教政策に影響
会津藩
神仏分離推進
1666年(寛文六年)
水戸藩
岡山藩
で寺院破却
朱子学者
水戸藩主
徳川光圀
は領内寺院の半数を破却
↓↑
幕末期
水戸学(文献史学)によって
神仏分離し
神道を尊重
尊皇攘夷派の
水戸藩主
徳川斉昭
は
弘道館を建て
領内の廃仏棄釈を推進
天保年間
水戸藩は
防衛整備近代化の
一環(大砲の新造)とし
寺院から梵鐘・仏具を供出させ
多くの寺院整理
↓↑
徳川斉昭は
藩内の寺院に対し
金銅仏
梵鐘
などの金属製の仏具を供出させ
それを海防のための
大砲鋳造の原料に充てる政策を実施
これに対し
仏教を冒涜しているとの批判
斉昭は
「方広寺大仏(京の大仏)を
鋳潰して銭貨にした」
ことを先例に挙げ
自身の政策も
国防上必要な政策であると弁明
↓↑
明治初期
慶応四年三月十三日(1868年4月5日)
「神仏分離令」
「神仏判然令」
と通称される
太政官布告
明治三年一月三日(1870年2月3日)
詔書「大教宣布」
仏教による国民負担の軽減策が出された・・・
当初は
神道と仏教の分離が目的の行政改革
仏教排斥を意図したものではなかったが
結果として長年
仏教に圧迫されてきた
神職者たちによって
廃仏運動が惹起され
平田派国学者の
神職や民衆によって
仏像や仏具が破棄され
廃仏毀釈運動が全国的に波及
黒船来航以来の西欧列強の外圧による
水戸学や平田派国学の発展
仏教国教化権益や僧侶特権への反感
地方官が寺院財産の収公を狙った
政治・文化の近代化
信教の自由
政治的理由
による
廃仏毀釈運動
政府は
「社人僧侶共粗暴の行為勿らしむ」ことと
「神仏分離が廃仏毀釈を意味するものではない」
との注意を改めて喚起
明治四年(1871年)頃に終息
正月五日(1871年2月23日)
太政官布告で
寺社領上知令が布告
境内を除き
寺や神社の領地を
国が調査・確定
↓↑
平安時代 以降
本地垂迹説
or
反本地垂迹説
などが起こり
明治維新政府の
「神仏分離」政策まで
日本人の間に広く浸透・・・
↓↑
インド
イスラム教国ゴール朝のインド侵入
13世紀初頭
イスラム教徒による廃仏
ヴィクラマシーラ寺院は破壊
数万の仏教徒が虐殺
インド仏教は
1600年の歴史を終えて滅亡
↓↑
中国
3世紀以来
「廃仏」の動き
唐の
「韓愈」
宋以後の
「朱子学派」の
「廃仏論」が影響力をもった
「三武一宗の法難」
↓↑
「廃仏事件」
北魏の
太武帝(在位 423年~452年)
「太平真君」年間
扇動者
崔浩(北魏の司徒)
寇謙之(道士)
↓↑
北周の
武帝(在位 560年~578年)
「建徳」年間
扇動者
衛元嵩(還俗僧)
張賓(道士)
道教、仏教、両方ともに弾圧しながら
通道観という施設を新設し
仏教・道教を研究させた
↓↑
唐の
武宗(在位 840年~846年)
「会昌」年間
道教を保護し仏教を弾圧
「会昌の廃仏」
扇動者
李徳裕(唐の左僕射)
趙帰真(道士)
「韓愈」
↓↑
後周の
世宗(在位 954年~959年)
「顕徳」年間
↓↑
寺院の
破壊
財産の没収
僧の還俗
↓↑
後周の
世宗
寺院の財産を没収
国家公認得度僧制度によらず
勝手に得度した
私度僧
脱税目的で僧籍を取る「偽濫僧」を
還俗させて税を課した
財政改善の経済政策
銅(貨幣の材料)
鉄(武器の材料)
という金属を中心とした物資を
仏寺中の仏像や梵鐘などを鋳物にし
銅銭発行
武器製造
↓↑
軍事で
出家し
軍籍から離脱する者が大量に出た
五胡十六国時代
仏教の影響力で
北斉の史官
魏収は
寺3万
僧尼200万
↓↑
お釈迦様は戦わないが
なりゆきまかせ主義者だったかも・・・
↓↑
ツヅクかも
「帝国主義」を嫌う
&
「悪行独裁主義」も・・・
↓↑
「明治維新帝国主義」には
不都合な「お釈迦様の教え」・・・
お釈迦ではなく
弟子たちが
記録した「お経のサトリ」カモ・・・
ナンデもカンデも
弟子たちは
「お釈迦」のセイにした
釈迦が
「覚った・悟った・サトッタ」
とされるのは
「自然界・人間界」の
「生命存続存在」の
「エゴ=自我=セルフっ種」・・・
生命体自体の生命活動の
「根源的な様態」であった・・・からカモ
釈迦のサトリは
宇宙の中での
「限定プロセス変化の存在」
「生命体の個的過程存在=限定的生命活動自体」
であって
それ故の
「社会的人間」としての
「倫理・道徳・法律」を
マモるか、ドウかの
「是非」としての
「個々人のそれら選択の意識的生き方」
であって
「社会的人間秩序」の
「善悪」の
「自由選択」
「利他⇔利己=自己」
の葛藤と選択結果の行為である
↓↑
人間個々人の
「意思⇔意志⇔遺志」
↓↑
「アラヤシキ」
蛙等椰子記???
↓↑
「阿頼耶識(アラヤシキ・ālaya-vijñāna)」
瑜伽行派独自の概念
個人存在の根本にある
無意識の「識(viññāṇa)」
アーラヤ識
眼識・耳識・鼻識・舌識・身識
(視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚)
意識
末那識(ミナシキ)
・・・~であると見做す認識(概念)?
阿頼耶識(アラヤシキ)
・・・無意識
・・・既に脳ミソの記憶領域存在する意識
の8つの識
最深層に位置する
↓↑
「阿頼耶識」・・・・・・・・「阿蘇哉詞記」?
屋敷
サンスクリット語の
「ālaya」の音写と
「vijñāna」の意訳「識」
との合成語
ālaya=住居・場所の意・・・「阿蘇哉始基」?
その場に
一切諸法を生ずる
種子を内蔵している
「蔵識」・・・・・・・「倉敷・句等史記」?
とも漢字訳される
「無没識(ムモツシキ)」
とも訳される
「ālaya」の類音語
「alaya」に由来する異形語
旧訳
「阿羅耶識=阿梨耶識(アリヤシキ)」
「蔵識(藏識)=無没識(ムモツシキ)」
とも漢字訳し
「頼耶識=頼耶等」
と略されることもある・・・
↓↑
セルフィッシュ (Selfish)
「わがままな・利己的な・自分本位の」
「利己的・自分勝手」
「自分の利益や欲求を優先し
他人のことを考慮しない態度や行動」
「我が儘・身侭・我まま・身まま
気任・利己的・我侭
身勝手・自分勝手
気任せ・得手勝手
主観的
手前勝手・手前みそ」
「a selfish attitude [motive]」
利己的な態度・動機
叙述的用法の形容詞
「+ of+ (代) 名 (+ to do)」
「+ to do」
selfishly 副詞
selfishness 名詞
↓↑
明治
維新
政府の
周りが
「侵略主義者」だらけの「国際国家」環境・・・
「国家」として生き延びるには
「お釈迦様の教え」ではニッチもサッチも・・・
「帝国主義」には「帝国主義」・・・
まずは
「帝国組織」としての
「富国強兵」であるが
「意識」も
「仏の慈悲(字比)」などとは云ってられない
では日本人の「神道」は好戦主義だったのか・・・
「日本神道」は「自然主義」である・・・
根源は
「生きる為の自然崇拝=畏敬崇拝」である
・・・
現実は
「弱肉強食・食物連鎖」の頂点の「人間社会」であり
「自然災害」への懼れ慄きと
「自然恩恵」への感謝、感激である・・・
↓↑
プーチンン&シュウキンペイ
の時代遅れな
「国家間の侵略強奪=国家EGOとしての共同幻想」
「戦国時代的戦争観=独裁的扇動者の国家戦争観」・・・
そもそも
「生命体本質」の
「EGOの共同幻想」としての扇動拡散・・・
エゴ⇔重語・得語・亜語・慧語・餌護・・・?
↓↑
廃 仏 毀釈 (廢佛毀釋・排仏棄釈)
ハイブツキシャク
仏教を廃すること
「廃仏」=仏法を廃し
「毀釈」=釈迦(仏陀)の教えを棄却
↓↑
日本
近代化を目指す日本仏教
国から寺院への
財産分与
民間宗教としての再出発・・・信教の自由化?
↓↑
『日本書紀』
仏教公伝
552年(欽明天皇十三年)
『元興寺縁起』
538年
崇仏派 蘇我氏・・・・ワれヨミがえる?
vs
廃仏派 物部氏・中臣氏の争い
物部守屋の敗死
↓↑
厩戸皇子(聖徳太子)・・・仏教の不理解
仏教受容確定・・・・・・仏教誤認識ママの受容
↓↑
神仏習合(シンブツシュウゴウ)
本地垂迹(ホンチスイジャク)
↓↑
日本土着の神祇信仰(神道)
と
仏教信仰(日本仏教)の融合
統一信仰体系として再構成された宗教観
↓↑
鎌倉仏教の発展・浸透
朝廷と仏教寺院の対立
戦国時代
1571年(元亀二年)
織田信長による
・・・彼の一族は「法華経の宗徒」だった
比叡山焼打ち
江戸時代前・中期以降
学問としての
儒学・国学・神道学などの立場から
神仏習合を見直し
神仏分離を目指す動向
会津藩主
保科正之
山崎闇斎
吉川惟足
などを重用し
正之の宗教政策に影響
会津藩
神仏分離推進
1666年(寛文六年)
水戸藩
岡山藩
で寺院破却
朱子学者
水戸藩主
徳川光圀
は領内寺院の半数を破却
↓↑
幕末期
水戸学(文献史学)によって
神仏分離し
神道を尊重
尊皇攘夷派の
水戸藩主
徳川斉昭
は
弘道館を建て
領内の廃仏棄釈を推進
天保年間
水戸藩は
防衛整備近代化の
一環(大砲の新造)とし
寺院から梵鐘・仏具を供出させ
多くの寺院整理
↓↑
徳川斉昭は
藩内の寺院に対し
金銅仏
梵鐘
などの金属製の仏具を供出させ
それを海防のための
大砲鋳造の原料に充てる政策を実施
これに対し
仏教を冒涜しているとの批判
斉昭は
「方広寺大仏(京の大仏)を
鋳潰して銭貨にした」
ことを先例に挙げ
自身の政策も
国防上必要な政策であると弁明
↓↑
明治初期
慶応四年三月十三日(1868年4月5日)
「神仏分離令」
「神仏判然令」
と通称される
太政官布告
明治三年一月三日(1870年2月3日)
詔書「大教宣布」
仏教による国民負担の軽減策が出された・・・
当初は
神道と仏教の分離が目的の行政改革
仏教排斥を意図したものではなかったが
結果として長年
仏教に圧迫されてきた
神職者たちによって
廃仏運動が惹起され
平田派国学者の
神職や民衆によって
仏像や仏具が破棄され
廃仏毀釈運動が全国的に波及
黒船来航以来の西欧列強の外圧による
水戸学や平田派国学の発展
仏教国教化権益や僧侶特権への反感
地方官が寺院財産の収公を狙った
政治・文化の近代化
信教の自由
政治的理由
による
廃仏毀釈運動
政府は
「社人僧侶共粗暴の行為勿らしむ」ことと
「神仏分離が廃仏毀釈を意味するものではない」
との注意を改めて喚起
明治四年(1871年)頃に終息
正月五日(1871年2月23日)
太政官布告で
寺社領上知令が布告
境内を除き
寺や神社の領地を
国が調査・確定
↓↑
平安時代 以降
本地垂迹説
or
反本地垂迹説
などが起こり
明治維新政府の
「神仏分離」政策まで
日本人の間に広く浸透・・・
↓↑
インド
イスラム教国ゴール朝のインド侵入
13世紀初頭
イスラム教徒による廃仏
ヴィクラマシーラ寺院は破壊
数万の仏教徒が虐殺
インド仏教は
1600年の歴史を終えて滅亡
↓↑
中国
3世紀以来
「廃仏」の動き
唐の
「韓愈」
宋以後の
「朱子学派」の
「廃仏論」が影響力をもった
「三武一宗の法難」
↓↑
「廃仏事件」
北魏の
太武帝(在位 423年~452年)
「太平真君」年間
扇動者
崔浩(北魏の司徒)
寇謙之(道士)
↓↑
北周の
武帝(在位 560年~578年)
「建徳」年間
扇動者
衛元嵩(還俗僧)
張賓(道士)
道教、仏教、両方ともに弾圧しながら
通道観という施設を新設し
仏教・道教を研究させた
↓↑
唐の
武宗(在位 840年~846年)
「会昌」年間
道教を保護し仏教を弾圧
「会昌の廃仏」
扇動者
李徳裕(唐の左僕射)
趙帰真(道士)
「韓愈」
↓↑
後周の
世宗(在位 954年~959年)
「顕徳」年間
↓↑
寺院の
破壊
財産の没収
僧の還俗
↓↑
後周の
世宗
寺院の財産を没収
国家公認得度僧制度によらず
勝手に得度した
私度僧
脱税目的で僧籍を取る「偽濫僧」を
還俗させて税を課した
財政改善の経済政策
銅(貨幣の材料)
鉄(武器の材料)
という金属を中心とした物資を
仏寺中の仏像や梵鐘などを鋳物にし
銅銭発行
武器製造
↓↑
軍事で
出家し
軍籍から離脱する者が大量に出た
五胡十六国時代
仏教の影響力で
北斉の史官
魏収は
寺3万
僧尼200万
↓↑
お釈迦様は戦わないが
なりゆきまかせ主義者だったかも・・・
↓↑
ツヅクかも
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