― 妖元山 頂天教軍 本陣 ―
キレイ率いる歩兵隊2千5百は悪路を抜け、ついに敵の本陣へとたどり着いた。
分道が集結する五路の周りには強固な鉄の門が立ち並び、その周りには木の杭を張り巡らした柵が打たれてまさに山塞であった。
だが、ここでおかしな事が起きていた。
守備すべき鉄の門は全て開け放たれ、まるで夜逃げをしたように陣には人気が無かった。
鉄門の近くに設置された松明を燃やす燈台や、敵を覗き迎え撃つべき高い櫓(やぐら)や、段々に矢を防ぐために作られた土塁は在るものの、採石場には、まったくと言っていいほど人の気配が無かった。雨粒が降る中、細めで遠くを見つめると、ただ鉱脈を掘削、発掘するための機材と、それを置く小屋と土砂を運ぶ鉄の四輪車がまばらに見える。
キレイは一旦兵士達の進軍を止めると、数十人の手練の物見達に門内を調べさせた。
しばらくすると、帰ってきた物見がつらつらと内部の情報を告げる
「御大将。門、陣中、櫓、どれももぬけの空にございます」
「門も陣中も兵がいないだと…?どこかに伏しているのではないか?」
「いえ、伏兵の気は何処にもございません。ただ」
「ただ?なんだ。申せ」
「四方に巨大な鉄の柱と、陣の奥に採石所に繋がる鉄門があり、そこには武具甲冑が投げ捨てられておりました」
「なんだと、では敵は逃げ出したか」
「その横に祭壇のようなものがありましたが、人の気配は無く。そこにあった経典のような書物は焼かれたり、雨で濡れておりました」
「ふふ、はっはっはっ!そうか、そうであったか」
「何をお笑いで?」
「所詮敵は賊ということだ。いざとなれば自分の信じた物さえも焼き捨て、投げ捨ててゆく。教えを下に集まって乱を起こした者が、その教えの基礎である教本を焼く。これほど愉快なことはあるまいて」
「はっ、では」
「全ては、このキレイの杞憂であった。さあ進むぞ。もぬけの陣を奪うのだ」
陣内の様子に安心しきったキレイは、空を未だ包む暗雲を見ながら、無人の鉄門を悠々と潜り、不気味な静けさと暗闇に包まれた無人の陣に歩を進めた。
陣中の奥に進み馬から下りたキレイは、しばらく兵士を休ませるために別路から来るオウセイの騎馬隊の到着を待った。
「む、あれが物見の言っていた鉄の柱か。おい、あれは何だと思う」
「おそらく宗教で言うところの、偶像の類ではないでしょうか」
キレイの眼に、はたと見える異質な建造物。
相当量の鉄を使用して作られたであろう、雨に濡れて黒光りする円柱状の巨大な鉄の柱。
鉄柱の周りには、これまた鉄の鎖が巻かれており、その風格は宗教の妖しさというより、物言わぬ威圧感、どこか宗教や神と言った霊的な物より、剣や鎧と言った現実的な印象を受ける。
「なんという禍々しい偶像だ」
「ただ今、兵達に調べさせております。おそらくそろそろわかるかと」
「ううむ…何か嫌な予感がするが…」
キレイが黒雲に眼を逸らした、その時であった!
バリバリバリ…
ズドォォォン!
瞳に焼きつくほどの凄まじい閃光と共に、一瞬の轟音が辺りに撒き散らされる!
「………ギャアアーーーーーッ!」
「……うわーーーッ!」
「…だ、だいじょうぶか!」
「…うわあああッ!」
近場の轟音にぼやけていたキレイの耳に、うすらと何かが聞こえる。
次第に回復する聴力は、それが何なのかをキレイに教える。
鉄柱を調べていた兵士達の断末魔の声だ!
眩しい光に一瞬真っ白になった視力が戻り、うっすらと周りが見れるほどになると、キレイはその目を疑いたくなるような光景を見た。
「…ば、馬鹿な。落雷が兵士に当たったのか…?」
巨大な鉄柱の周りに居た1百人ほどの兵士達の殆どが、たった一度の落雷によって、ある者は全身黒焦げになるほどの大火傷を負いながら息も絶え絶えに痙攣して絶命し、またある者は地上に上がった魚のように震えながら、痛みに呼吸が乱れ苦悶の声を発していた。
目の前で絶命してゆく兵士達を見て、恐ろしくなった他の将兵達は、陣内の採石所の鉄門へと逃げてゆく。
すると、岩肌を削って出来た祭壇に火が灯り、その中から不気味な笑い声が聞こえ始めた。
「ヒャヒャッ!ヒャッヒャッヒャッ!まんまと引っかかった!引っかかったよ!」
キレイは刀を杖にして立ち上がると、落雷に逃げ惑う将兵たちを落ち着かせた。
そして、耳にうすらと聞こえる笑い声に向かって大きく叫んだ。
「お前は誰だ!妖元山に篭る物の怪の類か!」
「名乗るほどの名はもってないけどぉ、言っちゃおうかなぁ?」
「怪しい奴だ。皆の者!奴を捕らえるのだ!」
「「「 ワ ー ッ ! ! 」」」
兵士達がそれぞれ祭壇に向かって走り出したその時であった。
再び暗雲からチラリと雷光が見えたかと思うと、落雷は鉄柱を弾き、稲光は瞬時に分散し、鉄の兜をつけた官軍兵士達の頭上へと落ちてきた!
バリバリ…
ズドォォォォン!
「ぎゃあーっ!」
「うおあおおあああああおあおお!」
「ギャアアアア!」
向かっていった五十程の兵士達は、なす術もなく次々と雷撃に当たった。
電流は一瞬にして兜を通して皮膚を焦がし、兵士たちを物言わぬ死体へと変えた。
「あ、あれはなんじゃ」
「よ、妖術だ!妖術だ!」
「助けてくれー!俺はまだ死にたくない!」
向かう将兵達は混乱し、そして恐れ慄いた。
大自然の科学という物がまるで理解できない兵士たちにとって、落雷を自由に操れる者など、この世に存在するはずの無い、物の怪の類だと恐れた。
口々に悲鳴をあげて、その士気は見る見る内に下がっていく。
「ひいい、キレイ様!逃げましょう!あのように妖術を使う者に勝てるはずがありませぬ」
「黙れ!将たるものが慌てては、兵が纏まるはずもあるまい!雷など偶然の産物に過ぎん!全員恐れずに突っ込むのだーッ!」
数多の雷撃で死んでゆく兵士達の姿を目の前にしたキレイだったが、彼の眼にはどうしても落雷の仕組みが妖術の類だと信じられなかった。この非常時においても冷静なキレイの指揮で、未だ恐怖に駆られていない歩兵隊を数十人密集させると、再度、祭壇の男へと突撃させた!
祭壇の男は、それを見て、大きく弧を描くようにして腕を持ち上げて言った。
「ヒャッ!?おやおや、虫のくせに抵抗なんて生意気じゃあ!ヒャヒャッ!だが面白い奴!そういえば名乗るのを、すっかり忘れていたよ。ヒャッヒャッヒャッ!わしの名はアカシラ。お前たちのような官軍をいたぶり殺すのが大好きな男じゃあ!!」
アカシラはそう言うと、祭壇の近くに設置された小さな銅鑼を思い切り叩いた。
ジャーン!
ジャーン!
「「「 ワ ー ー ー ッ ! ! 」」」
ドドドドドドドッ!!
アカシラの祭壇へと迫る官軍の歩兵隊に対して正面の鉱山の入り口の鉄の扉がギィィと開くと、その中から、黒光りする甲冑で揃えた数百人の男達が現れたのだ!男達は、事前に辺りに投げ捨てておいた槍や刀を手に持つと、山塞中の灯台に火をつけながら、官軍の兵士達に襲い掛かった!
「ヒャッヒャッヒャッ!ゆけーぃ選ばれた黒の軍団たちよぉ!あの雷鳴を聞けぇ!あの黒雲を見よ!天は官軍を味方せず、わしらを味方しておるぞぉ!それっ殺せ殺せぇ!」
不意を突かれた官軍の兵士達が、勇猛な黒い甲冑の兵士達に次々と斬り殺されてゆく。
統率が取れていなかったこともそうだが、山登りでの無謀な疲労と雷撃による衝撃が、落ちる士気に拍車をかけた。
「キレイ様、もうだめです!次々にやられていきます!」
「良く見ろ!兵数は、こちらのほうが圧倒的に上だ!兵士を纏め上げて前方に密集させよ!」
「は、はっ!」
「賊軍め!子供だましの伏兵如きで、このキレイの兵がうろたえると思うなよ!」
黒い甲冑を着た頂天教軍の兵士達の突然の登場にキレイは冷静に対処した。
将兵達の統率を瞬く間に終えると、自ら手を伸ばし密集陣形にあった歩兵隊を前方へと突撃させ、黒い甲冑の兵士達に当たらせた。官軍の被害も相当だったが、多くの兵たちが密集して怒涛のように押し寄せれば、流石に数の劣る黒い甲冑の部隊も押し負けてしまう。
アカシラは、祭壇でその光景を苦々しく見ていた。
「ヒャアッ…?うぬぬぬん?こりゃ思ってたより手強いようじゃのうー。あれじゃ黒の部隊が全滅してしまうのう。よし、次を出すか…」
ジャーン!
ジャーン!
再びアカシラがドラを鳴らすと、今度は採石場の用具を置く小屋から、櫓の陰から、五路に設置された鉄の門の外側から、武装した頂天教軍の兵士達が、ぞろぞろと現れた!
バリバリ…
ズドォォォォン!!
そして、それと同時に再び落雷が密集陣形を離れた官軍の兵士達の頭上に落ちる!
また百人ほどの兵士がその場に横たわり、口々に断末魔を叫びながら絶命する。
キレイのお陰で俄かに統率の取れかかっていた官軍兵士達も、それを間近で見ると、それまで勇猛に戦っていた者でさえ戦闘意欲を無くし、死を恐れて隊列を乱し、士気が見る見る落ちてゆく。
四方八方から襲い掛かる頂天教軍の執拗な攻撃に晒され、キレイの指揮する歩兵隊の密集陣形は、確実に破られていった。だが、未だにキレイだけは勝つことを確信していた。
「…付け焼刃の挟み撃ちで破れるキレイと思うなよ!それっ!私の指揮下の者は、方向転換せよ!後方の敵をぶち破るぞ!傷ついた者や他の者は、陣形を乱さず、その場で防御に徹せよ!」
号令に次ぐ号令!若き指揮官キレイの声が、戦場を縦横無尽に木霊する。
瞬間的な勘と、実戦と知識を兼ね備えた統率術。キレイの用兵、その実戦における兵法の数々は、まさに至極であった。兵達は恐怖に怯えながらも、敵を打ち崩していった。
「それっ!もうすぐオウセイの騎馬隊が駆けつけるぞ!それまでの辛抱だ!」
勇敢にも恐怖に怯える兵達を指揮するキレイも、ジリジリと一方に押し込められ、増大する被害を見て、その肌で敗北を予感していた。だが、勝利への逆転の一つとして、自身最も頼りとするオウセイの援軍の到来を余地に入れていたことが、キレイを頑張らせた。
だが…軍隊というのは数であり、時の勝敗は一人の頑張りではどうにもならない事もある。
「御大将!いけません!兵士達の大部分が雷と敵に怯え、後方部隊はもう持ちませぬ!」
「なんだと…オウセイの援軍が来るまで持ち堪えられなかったのか!指揮は誰がとっておる!」
「それが…将も雷に逃げる有様で…」
「ば、馬鹿な。恐怖で統率された我が軍が、恐怖に破られたと申すか!?」
キレイは、副将の報を聞いて、思わず周囲の兵士たちの顔を見た。
才能ある自分が先頭に立って兵を操り戦い続ければ、たとえ敵が強大であっても戦う兵達全体の士気は落ちないと、そう信じて戦ってきた。
恐怖と言う名の統率と、自身の揺ぎ無い意志力こそが、最大の武器だと信じていた。
「………」
そして、キレイは付き従ってきた兵士達の顔を見て愕然とした。
目は死に、手足は震え、おびただしい顔面の油汗を血で濡れた甲冑をガチガチと震わせながら拭う。気付けば、どの者も戦おうという意思を失い、ただ死を恐れ、怯える者ばかりだった。
「いつの間にか、そこら中から頂天教の兵士の影が忍び寄り、まるで円のように歩兵隊が囲まれておりまする。士気の上がらぬ今、ここは一隊で敵の囲いを崩し!敵の迫撃覚悟で逃げるしかありませぬぞ!」
「……」
「キレイ様、ご決断を!」
「………」
「キレイ様!」
「仕方ない…なんたる無様な敗戦だ…くっ!動ける者を集めよ!全軍一文字陣形!血路を開いて逃げ延びるのだ!」
キレイは号令をあげたその時、人生初めての敗北を喫したことを認識した。
苦虫を噛み潰したような顔で、悔しい思いを胸に抱いたが、キレイは大将として気丈に指揮をとり、兵士達を従わせた。
だが、恐怖の紐を解かれた兵士達に最早キレイに従って動くなどという士気はなく、伏兵に囲われながら陣形を乱した官軍歩兵隊は見る見るうちに数を減らし、山地には無残な官軍兵士の死体が次々と積まれていった。
ガキーン!!
ドカッ!!!
「キレイ様!危ない!ぐわあっ!」
「ぬう!おのれーッ!」
ビュッ!
ドカッ!
「ぐわぁーッ!!」
崩れかけた一文字陣形で頂天教軍の部隊に果敢に突撃するキレイだったが、敵の壁は厚く、突破に躊躇したキレイの部隊を、今度は左右から敵軍が襲い掛かる。今まさに最後の砦たる副将までも討たれ、キレイを守る兵士の数は百を数えられるほどに少なくなっていた。
「まだ突破は出来んのか!くそっ!」
剣を振るう腕が重い。槍を避ける足が重い。
だが迫る敵を紙一重で倒しながら、兵達を指揮する。
キレイの間近に迫った焦燥感は、彼自身の諦めの悪さを物語るようにキレイを頑張らせた。
脳に自分の死を悟らせれば、他の者のように恐怖に歪み、生きる事を諦めてしまうかもしれない。
「ふざけるな!雑兵に取らせる首など持ち合わせてはおらんぞ!羽ばたき始めたばかりの天下の龍が、ここで死ぬわけにはいかんのだ!」
あらゆる思考の中で必死に奮戦するキレイだったが、頂天教軍の兵士達は、数を増やし、徐々に囲いを作る。指揮官キレイの絶体絶命の危機には、さほど変わりはなかった。
「英雄の首は高いぞ!貴様等の命で払えるものか!このッ!」
ブゥン!ガキーン!
ガキーン!ドカッ!!
「うっ!」
グワンッ!ヒュンヒュンヒュン!
キュィィン!カキーン!
その時、キレイを狙った三方からの槍が飛び込む!
流石のキレイも、これを剣で捌くことは出来ず、槍の柄がキレイの腕を強く叩くと、剣は大空に舞った。もう一つの槍は、赤い甲冑を霞め、剥ぎ取るように戦包を傷付ける。
槍を避けた瞬間、足がよろける。兜が脱げる。大地についた手が震える。
ついに身を守る物が一つとして無くなり、大地へ屈してしまったキレイ。
にじみ始めた背筋の汗が、差し迫る敵の鋭い槍が、死を予感させる。
「ぐっ!うおおおおお!」
キレイは、最後まで抵抗の表情を浮かべた。
彼は確かに体は大地に屈していたが、心までは屈してはいなかった。
槍の穂先が、彼の胴体を捉えようとした…
その時であった。
「「「 ワ ー ー ー ッ ! ! 」」」
ドドドドドドドドッ!!
「若ァァァァッ!!!ご無事でございましょうかーッ!!!」
大きな喚声と供に、馬蹄が唸りを上げる!
別路から向かってきたオウセイの1千5百の騎馬隊が、ついに現れ、キレイを囲むように円陣となっていた頂天教軍の陣形を切り崩すように体当たりで活路を開いてゆく!
オウセイは、手に握った双尖刀を右へ左へ振り回しながら、頂天教軍の囲いを突破し、大地に倒れたキレイの姿を確認すると、鐙につけた足にグッと力を入れ、騎馬の手綱を放すと、手を差し伸べ、そのまま力強い豪腕でキレイを自分の馬上に押し上げた!
「お!おお!お、オウセイ!!オウセイではないか!」
「若!まずは、ご無事で何より!されど今は合戦中、乗馬の時間のように優しくという風には行きませぬぞ!!しっかりと掴まっていてくだされ!」
「オウセイ。もう少しで死ぬ所であった…なんと言って礼をしたら良いか…ありがとう。お前は命の恩人だ」
「ハッハッハッ!敗戦で、少々しおらしくなりましたかな若?それともいつもの嘘でござろうか?まあ何にしろ、拙者とすればその言葉!無事に敵陣を突破してから、陣中の皆の前で言って頂きたいですな!」
「私が褒めておるのに…口の減らぬ奴め…」
「余り喋ると舌を噛みますぞ!そりゃ!」
キレイは、心からオウセイに感謝の言葉を投げかけたかった。
だがオウセイは、いつも通りの笑みを浮かべ、ニンマリと笑うと、珍しく実直なキレイの言葉に対してお茶を濁すような冗談で答えた。
キレイはオウセイという自分にとって大きな支えとなる将軍が、身近に居た事の喜びを今再び認識した。強く風のように敵をなぎ払い、強く雄々しく手綱を握り、目の前の一癖の小さな背が、今は二倍にも三倍にも感じられた。オウセイと率いる騎馬隊に守られながら、馬は山上を駆け、馬蹄は大地を蹴りあげた。
ドドドドドドドッ!!
オウセイと騎馬隊は休むことなく脱出路を守る敵の部隊へ突撃を敢行すると、脱出すべき活路を開き、そこから一直線に山道を下り始めた。しかし、突破した騎馬隊の後ろからは、アカシラの迫撃部隊と別働隊が、すでに動き始めていた。