気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

非非行少年 ・・・ 手に負えない困りもの 

2010-03-04 18:22:49 | Weblog
 学校教育は、「欲望」を自分だと思わせ、その自分を大切にすることを進歩的だと教えてきました。
 政治も同じ考えで行われてきたので、欲望に非常に弱く、大変図々しい人間が大量生産されました。

 おまけに物が豊かになり、子どもが少なくなったため、この甘やかしの傾向は極端に発展して、いわゆる鍛えられた若者は影をひそめてしまいました ・・・ 。

 人間らしい向上心 ・・・ それに刺激されて苦しむ悩みさえなっくなって、ただその場その場の快を追い、苦を避けてノラリクラリと日を送ります。

 これは大きな目から見れば、非行少年よりも手に負えない困りもの ・・・ です。
非行少年はまだ、もがきがありますから救いもあるでしょう。
ところがケガをしたり罰を受けたりする苦痛を恐れるために、それほど悪いこともせず、むろんよいこともせず、そのときその場の小さな快楽を追う「非非行少年」になると全く手のつけようのないものです。

 彼らは極端な消費族であって、生産的な行動には全く関心を示しません。
何もしないということは悪をしていることだとすれば、彼らは常に悪をなして、悪だと気がつかない困りものだ ・・・ と言えるでしょうね。

 このような「非非行少年」がこのところ激増していることに気づいている人は少ない ・・・ のではないでしょうか。


 しかもいまは、その「非非行少年」たちが、親となって子育てをしているのですから ・・・ 。










ものを憶える要領 ③ ・・・ 本気でやらねば

2010-03-04 08:32:37 | Weblog
 「忘れ方」が、即ち「憶え方」で ・・・ 忘れるのには、ただ忘れるよりよりほかに方法はないのです。

 方法がないから、実をいうと、教えることができないのです。

・・・ 自転車に乗る要領を教えるのに、どんなに詳しく姿勢やハンドルの握り方や、力の入れ方などを説明しても、それだけでは乗れるようにはならないのと同じです。
それでも他人が乗れるのだから、自分もきっと乗れるようになると信じて練習していると ・・・ 二、三回膝小僧をすりむいているうちに、誰でも乗れるようになってしまいます。

それと同様に、この忘れ方も私がどんなにうまく説明しても、それだけで伝授することはできません。

しかし、この私にすらできたことですから ・・・ 一年本気でやってくれたら、たいていの人は自分でなるほど、というところがわかってきます。







ものを憶える要領 ② ・・・ 忘れ方

2010-03-04 06:05:36 | Weblog
 私たちは、余計なことをパッと放して、この一つだけに全力を傾ければ ・・・ なんでも楽々とできるのに、役にも立たない余計なものを欲張って放すまいとするから、かえって損をしてしまいます。

「忘れ方」が、即ち「憶え方」なのです。

 この忘れ方というのは知ってみれば、全然当たり前のなんでもない、誰でも一日の中の大部分やっていることです。
忘れてはいけない、忘れてはいけない、と思う習慣ができているので、なかなかうまく行かないのです。

それでも事がらは、きわめてやさしいのですから ・・・ 誰にでもできます。

しかし、
力を抜くのに ・・・ 力を抜こうと力んでは抜けないのと同じく、
忘れるのには ・・・ ただ忘れるよりほかに方法はないのです。






ものを憶える要領 ① ・・・ 一どきに一つ

2010-03-04 05:02:57 | Weblog
 ものを憶える要領は、一どき一つ、これだけです。

 一つの単語を憶えるのならどんな人にもできるでしょう。よほど長いつづりの語でも30秒もあれば十分です。
それが済んだら次に一つにうつります。
 うつったら、もう前も後も忘れてただこの一つだけを憶えればよいのです。こんな楽なことはありません。

しかし、屁理屈をいう人は、前も後も忘れようと思うとかえって前や後が気になって集中できないのではないかと思います。
なるほど理屈はそうかもしれませんが、私の経験からすると、忘れるというのは、「走る」とか「食う」というような動作ではなく、「眠る」ことと同じで動作のない状態です。
だから、眠ろうという努力のある間は眠れないのと同じで、忘れようと努めては忘れられるわけはありません。
その代わり、なんにもしなければ忘れています。

 ところが、たいていの人は、忘れようという努力はしないけれど、忘れまい、と心を使っています。
忘れたら損だと思って忘れることを恐れています。これが邪魔をして もの憶えを悪くしているのです。
結局、欲張って損をしているのです。