気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

もう一つの世界

2010-03-08 14:22:38 | Weblog
 一人前に、喜怒哀楽に操られていれば、それはそれで面白かったでしょうが ・・・ その世界に行き詰まったときフと別の世界を知ってしまいました。

 生と死を超えた、もう一つの世界、いや生と死の世界を映し出しているその源の世界。
何と言ってもよいが、要するに、もう一つの世界、そこに存在する自分を知ったらこの現実の世界は、ただそれだけのもの ・・・ です。

 政治家や実業家、いや教育者や宗教家と称する偉い人々も、実は紙屑にしか見えません。
そうなのです、価値基準が異なればそういうことになるのです。

もちろん、どっちがいいとは言えません。

 政治家や実業家から見たら、生死を超えただの、もう一つの世界だのと言って眼を白黒させているようなのは、泥だらけの落葉みたいに見えるでしょうね。


 それでいいのです。

   それでいいのです。








極楽とはここ

2010-03-08 06:03:29 | Weblog
「ここが極楽だ」

  と言うのではなく

「極楽とは此処のことだ」

  と言わせてください。



「ここ」という所が先にあるのではなく

「極楽」が先にあるのです。


(この論理はおかしい ・・・ のか。)



「山あり雲あり花あり。

  だから此処を極楽と言うのだ」

      ・・・ と思われては困ります。

「極楽とはここのことだ」

      ・・・ と先ず決めてください。


(こんなことはいくら言っても空しさが増すだけ

                ・・・ もう止そう。)



ともかく

自分の今居るこの場が極楽なのです。

それに違いない ・・・ のです。









童心にかえる

2010-03-08 04:11:35 | Weblog
童心にかえる とよくいわれますが ・・・

娑婆を長年通ってきた大人には難しいことです。


オトナが果たして童心に還れるか
  となると ・・・ 難問になってしまいます。


童心とは 要するに
我執という自我の枠から開放された心だ となったら ・・・
それに還ることは極めてやさしい ・・・ ことに違いありません。

知識にとらわれて
  ヒン曲がったいるのをやめればいいのです。
早く言えば
  知識を手放せばよい ・・・ だけです。

簡単なことです。


それには
知識を否定しようとしてはダメです。
否定なんて余計なことをしようと思ってはいけません。

それとは無関係の状態になりさえすればよい・・・ のですが。