以前にも書いたが、現在、少女マンガや少女雑誌の歴史を研究中である。
そんな矢先、あまりにタイムリーで、
だからこそ、あまりに悲しいニュースが飛び込んできた。
少女小説の氷室冴子さん死去
毎年、全国図書館協議会と毎日新聞が共同で行っている「学校読書調査」の結果を過去にさかのぼって見てみると明らかだが、
わたしが、小学校高学年から中学生だった時代-つまり、わたしが「少女」だった時代-、
「少女」たちが読んでいる本のだんとつトップは、氷室冴子『なんて素敵にジャパネスク』だった。
わたしが「学校図書館調査」を調べはじめた当時わたしと一緒に調査の手伝いをしてくれていた友人とともに、この調査結果を見たとき、
これ以上なく、なつかしい気持ちになったことを覚えている。
『なんて素敵にジャパネスク』は、あまりに当たり前にみんなが読んでいたので、わたしたちの世代にとっては、「基礎教養」ですらあった。
わたしもこれ以上なくはまっていて、
自分の雅号(=華道師範ネーム)を決めるときには、主人公「瑠璃姫」の「璃」の字をとって、「璃翠」(りすい:「翠」はわたしの師匠の雅号にある文字である)にした。
その氷室冴子さんが、この世からいなくなってしまった。
信じられない。
今、少女小説の世界に彼女が描いたような「おてんば姫」はほとんど出てこない。
代わりに登場したのは、麗しい少年たちのボーイズ・ラブである。
「コバルト」の時代が、こうして終わりを告げていく。
わたしは、そうしてわたしの「少女」時代が過ぎ去るのを、ただただ眺めているしかない。
そんな矢先、あまりにタイムリーで、
だからこそ、あまりに悲しいニュースが飛び込んできた。
少女小説の氷室冴子さん死去
毎年、全国図書館協議会と毎日新聞が共同で行っている「学校読書調査」の結果を過去にさかのぼって見てみると明らかだが、
わたしが、小学校高学年から中学生だった時代-つまり、わたしが「少女」だった時代-、
「少女」たちが読んでいる本のだんとつトップは、氷室冴子『なんて素敵にジャパネスク』だった。
わたしが「学校図書館調査」を調べはじめた当時わたしと一緒に調査の手伝いをしてくれていた友人とともに、この調査結果を見たとき、
これ以上なく、なつかしい気持ちになったことを覚えている。
『なんて素敵にジャパネスク』は、あまりに当たり前にみんなが読んでいたので、わたしたちの世代にとっては、「基礎教養」ですらあった。
わたしもこれ以上なくはまっていて、
自分の雅号(=華道師範ネーム)を決めるときには、主人公「瑠璃姫」の「璃」の字をとって、「璃翠」(りすい:「翠」はわたしの師匠の雅号にある文字である)にした。
その氷室冴子さんが、この世からいなくなってしまった。
信じられない。
今、少女小説の世界に彼女が描いたような「おてんば姫」はほとんど出てこない。
代わりに登場したのは、麗しい少年たちのボーイズ・ラブである。
「コバルト」の時代が、こうして終わりを告げていく。
わたしは、そうしてわたしの「少女」時代が過ぎ去るのを、ただただ眺めているしかない。