日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

ガイアという名の女神

2018-04-20 17:23:30 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
朝から気温も上がりこの時期らしい陽気となっていたようです。
いえ上がり過ぎて暑いくらいのところもあったかもしれませんね。
寒暖の差がこうも急激だと毎回申すように身体の方がついていかない感じです。
花粉症の方はどうなのでしょうか、大分飛んでいる花粉も収まってきているようですけれど。
その代わりでもないのでしょうが黄砂は相変わらずあるようです。
一時期ほどではないにせよ、洗わずにいる車がかなり汚れております;。
先日会った弟が車がすぐに汚れるとぼやいておりました。
確かに雨が降って綺麗になったなと思うまもなく次の黄砂がやって来て?じきに車が薄汚れます。
なんともはや、な季節でもありますね。
そんな一日のはじまりは眩しい朝日からでした。




                                    





                                    






                                   





気温の上昇とともにかどうか体調も回復してきましたのでいつものように祝詞奏上させて頂き、その後に静かに座っておりました。



 “ もし貴方がどこかへ行きたい そこの処を味わいたいと感じるなら

   例えば幽体離脱のような形で 或いは夢で訪れることも出来ます

   実際にそうしていることもあります
  
   貴方が覚えていないだけです

   けれど 五感で感じたいと思うのならば

   実際にその場所へ足を運んで そこの土地を踏んで下さい

   そこが南の島であれ または荒涼とした地であれ

   もし貴方が心惹かれる地であるならば

   かつてそこはあなたの魂が住んだことがある場所です

   以前貴方が住まっていた処へ魂が戻りたいと思うからです

   心惹かれる場所に行ってみて下さい

   懐かしい感じがするかもしれません

   あるいは逆に辛い思いが出てくるかもしれません

   それはかつて貴方がそこへ居た証です

   または地球のどこかではなく 空の星を眺めて行ってみたいとか

   素敵とか思うのなら

   貴方の魂の一部が そんな空の星のどこかから

   やって来ているのかもしれません

   その星にコンタクトしてみて下さい

   貴方ならキャッチ出来る筈です

    
   何処であれ そこへ足を運べるなら そこへ行き

   その場のエネルギーを取り入れて下さい

   貴方に素敵な喜び 或いは感動をもたらすでしょう    ”


 
 あなたは誰?



  “ 私は ガイア    ” 
                                    





                                          





先日よりどこか女性性らしい存在からの言葉を聴いておりました。
ついこの間は、それは「私は貴方」と言われておったのですけれど。
しかし今日感じたのはそのこの間の「私は貴方」という感じでもなく、また別のどなたかという風に思えました。
そこでこの言葉を受け取りながら此方からあなたは誰?と問うと「私は ガイア」という答え?を聞かされました。
ガイアと聞いて自分の頭に浮かんだのは地球;。
地球かい;とかちょっと感じたんですけれどね;。(笑)
今ここへ書きながらウィキペディアで見てみますと、どうやらギリシャ神話に出てくる大地を象徴する女神のようですね。
なるほど、それで地球が頭へ浮かんだのかと思ったのですけども。
言葉を受け取りながら、先に書いたように女性のようでもありながらどこか中性的な感じも受けておりました。 
神話の中ではガイアは天をも内包した世界そのものでもあるとされているようで、文字通りの大地とは違う存在ともされておるとのことです。
いずれにしても壮大な感じがする存在でした。

そのガイアが貴方が行きたいと思う処、どこへでも足を運んでそこの土地を踏んで下さいと言っておりますね。
そこへ行き、じかにそこの土地を踏むことでその場所のエネルギーを自分に取り入れることになるのだと思います。
最初に言われたように幽体離脱、これは誰もが出来るわけでもありませんし、夢でそこを訪れたとしても覚えていないことも多いかと思います。
それならば、やはり自分でそこへ直接出向いてその地へ行くことにより、その大地からのエネルギーをダイレクトに自分自身に取り入れるのが
一番よいのではと感じます。
昔から行ったこともないのに、何故か心惹かれる場所、そういうところはどなたにもあるのではないでしょうか。
時間や費用の制約があれば、どうしてもすぐ行けるというものでもありませんが、行きたい!と強く願う思いがあれば必ずその地へ足を運べるの
ではないかなとも思います。
行きたいと思う心が勝るか、現実を見据えて難しいと感じてしまうか、それはその人の年齢や健康状態にもよるのかもしれませんが、行きたい気持ち
を持ち続けることも大事なのかも、とも感じます。

行きたい場所はかつて自分がそこへいた証、といわれておりますけれど、確かにそれはある気がしますね。
生まれてこのかた、行ったことなどないはずなのに何故か心惹かれる場所、確かにそこはかつての自分、魂が住まっていたところなのかもしれま
せん。
写真や動画などで見て、どうしてか魅了されるところ、そこは以前の自分の暮らす場所だったのかもしれませんね。

或いは地球を遥かに越えて空の星を見上げてどこかしら懐かしさを覚えるのならば、自分の魂の一部もかつてはそんなどこかの星からやって来て
いたのかもしれないですね。
この場合は範囲が広すぎて難しいかもしれませんけれど;。
(と言いながら自分の場合は、この星を見上げるのが一番楽しくワクワクするんですけれどね;、宇宙人!?たる由縁かもしれません;;)

                             
                               


                                 




こう書いていて思い出したことがあります。
中学生の頃、今のようにネットなど何もない遥か昔の話です;。
その頃読書はひとつの楽しみでもあり、およそ活字が並んでいるものは片っ端から読んでおりました;。
そんな中でいわば女子のくせして;(最近こういう言い方もよくないのかもしれませんが;)何故かしらスペースオペラと呼ばれる宇宙を舞台に
したSF、サイエンスフィクションに非常に興味を持ち、それこそ読破しておりました。
その前には、小学生の頃に「スタートレック」というアメリカのテレビドラマが放映されており、それを見るのが毎週の楽しみでもありました。
エンタープライズ号という宇宙船に地球人と宇宙人が乗り込み宇宙の様々な場所へ出掛けていっては色々なことに遭遇するというようなストーリー
だっかと思います。
(書いていてその当時聞いていたナレーション兼カーク船長の声が蘇っております、おぉ;)
それが高じて?年齢が上がると自分で読める小説にのめり込み、むさぼり読んでいたのだと思います;。
しかしそのようなことをしていたという記憶が、ここ何十年スッポリと抜け落ちておりました。
つい先日一人で散歩していた時、そういえば、と本当に不意に思い出したのでした。
読んでいたことすら記憶から脱落していたようだったのに、どうしてか閃くようにして急に思い出したのでした。
思い出したとて、どうでもいいような記憶なのですけれど;。
今日聴かせて頂いた言葉から余計にその頃の記憶が蘇ったのかもしれません。
本当に、どうでもいい話ではあります;。(笑)





                                  





五月十四日月曜日午前十時より、出雲大社にて毎年恒例の例大祭が斎行されます。
ご参列なさりたいとお考えの方がおられましたらば、下記までご連絡下さいませ。
追って詳細をお伝えさせて頂きます。


    kimikimiblue13@gmail.com


皆様のご参列をお待ち申しあげております。







                                  




夕方歩いてくると、夕日にはまだ程遠い陽射しを浴びてかなり暑かったですね。
明日はより暑さが増すとか。
暑さなれしていない身体には堪えそうです。
どなた様も呉々もご自愛なさいますように。





本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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テラの励まし

2018-04-19 21:33:34 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
昨日までと違い、日中の気温が急に上がってきたように感じます。
朝晩はまだ冷えるとも思えますけれど。
このような時が、ともすれば遅霜と言われるようになるのでしょうか。
農家の方は気をつけられる頃かもしれませんね。
朝は霞はあるものの眩しい太陽が昇ってきておりました。


                          


                                  






                                  



昨日申しておりましたようにスマホの充電器のケーブル部分、そのスマホ側へ接続するコネクタが壊れ使い物にならなくなり、どうででも買って
こねばと下界まで歩いて行ってきました。
毎度これも申す如く;車ならわずか5分かそこらの距離です;。
歩くと片道30分。
昔の人間か?と自分で自分に突っ込みたくなるところですよね。(苦笑)
ともあれ、えっちらおっちら行って参りました;。
壊れるのは大体この部分なので、ケーブルのみ取り替えられるのかとホームセンターへ行くと、あるわあるわ、いっくらでも売っておりました。
これも当然ですけれど;。
でもコネクタの先の部分を注意しないと、これも常識ではありますがアイフォンとアンドロイドではこの部分が違いますよね。
なんで此処を違うように作るかね、全て世界共通にしてほしいと思うところです。
そそっかしい方ですので、大概よく確かめもせず買って帰り、繋げてみたら合いませんでした;となると悲劇です。
これはアンドロイドか?と思いつつもちょうど近くにおられた店員さんに確かめると、中身を出して確かめて下さっていいですよ、とのことでした
ので持参のスマホに差し込んでみるとOKでした。
これで無駄にせずに済みました。(笑)
このブログへ出しております写真、これ全てこのスマホで撮ったものばかりですので使えなくなるとかなり困ります。
当然写真だけではありませんが、こういう文明の利器(いつの話だ;)を取り扱うようになり使えなくなると即座に困る時代というのもどうだろう
とも考えるのですけれど。
いずれにしましても早く行ってこれて良かったと思っております。

ぐずっていたお腹も大分回復してきたようですし何よりと感じておるところです。






                                






                               


              


そんな私の体調を気遣ってラインと共に写真を送って下さったのは以前もご紹介した三米窯(さんよねがま)の多賀井氏です。
ご自宅のアトリエ前とすぐ近くの漁港の風景のようですね。 
おそらく目の前は紀伊水道となる少し手前辺りかと思います。
美味しいお魚が獲れるんでしょうね、なんだかそれだけで羨ましい環境です。  
機会がありましたら訪れてみたいところですね。
                



                                

                               




行って帰る道中、出たついでにとまた少し足を伸ばして近くのショッピングモールまで行ってきました。
此処とて車ならものの10分掛かるか掛からないかの距離です;。
先日墓参りを一緒にした弟は原付でもいいから乗れば?と言ってくれましたが、車は乗れるくせして原付の乗るのは怖い感じがしております;。
車の免許取得の際、今はどうか存じませんがその当時は一時間原付に乗る講習があり、一人ずつが乗ってコースを走るという時間がありました。
大抵の人は楽しそうに乗っていたかと思いますけれど、どうにも自分はおっかない感じがしてあまり走っておりませんでした;。
自転車はごく普通に乗れるんですよ、ええ;。
ですのでおそらく乗るのは慣れだけだろうと思うのですけれどね。(苦笑)
確かに原付でもあれば、ちょっとした買い物にもこれで楽に行けますしね。
息子が残して行ったフルフェイスのヘルメットもあることですし、一つ考えてみましょうか;。

ともあれ久しぶりのようなそのショッピングモールでネコの餌やら、ちょっとした服やらをウィンドショッピングしたり本屋を覗いて車の月刊誌を
男性諸氏に混ざって立ち読みしてきたりしておりました。
その後は食品売り場で食料を買い帰路に着きました。
まぁ、普通のオバサン;ですね;。
とはいえ、来た道をまた歩いて戻るわけでして。(当然のこと;)
来る時よりもこれまた当然荷物も増え、しんどいなと思いつつもどうしようもありません。
心の中でテラを呼び出し、会話をしておりました;。
これも毎回申すようにブツブツと呟いておりましたら、即怪しい人;となりますので会話は自分の頭の中で致しておりましたよ。




                                    




そんな話の中で、こんなことばかりしてまともに仕事も最近出来てないし、どうにもなぁ;などと申しておりましたら



 “ 自分のことをダメ人間みたいにして卑下したら あかんのやで

   自分はよう頑張ってるなぁ こうやって一人でなんでも出来てるやん て思わな

   それに 何もしとらへんこと 無いよ?

   皆さん あんさんがこうして書いてること 結構楽しみにしてくれてはるやんか

   何でもないこと書いてるようでも そこで元気を貰うてはる人も おんねんで

   せやから 自分に自信持つことは 大事なことなんやで

   これから あんさん 自分が思う以上に 色んなこと待っとるんやさかい

   元気出さな あかんよ?   ”




そんなことを頭の中で語り掛けてくれておりました。
歩いて帰る最中、手にした荷物を左右に持ち替えながらしんどいなと感じつつ、そんなことをテラと二人?話していたわけです。 
実際このところ仕事らしい仕事も出来ずにくすぶっているばかりの自分に、はっぱをかけるというよりもそんな自分であっても大丈夫、自信を
持ってと言ってくれたことに何とも言えぬ思いを感じました。
駄目な自分と腐るのではなく、前を向いていきなはれと励ましてくれたのかもしれません。
まぁ、しょぼついている時に;けしかけてこられても余計しんどいですしね;。(苦笑)
神様や他の存在とは違い、常に傍らで居てくれておりますテラならでは、なのかもしれません。



     
                      

                                    





このところ、どうにもこんな感じが続いておりまして申し訳御座いません;。
こう、シャキッとしてですね、元気な文面を綴れるよう努めたいと思います。(笑)






昨日お伝え致しておりました来月五月十四日の出雲大社例大祭、午前十時よりの斎行となります。
参列致したいとお考えの方はどうぞ下記までご連絡下さいませ。
追って詳細をお知らせさせて頂きます。


    kimikimiblue13@gmail.com


此方までご連絡下さいませ。
   

                                 
                                      

                                       




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
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大神 ?の存在

2018-04-18 20:54:56 | ちょこっとスピリチュアル
こんばんは。
昨日は一日小雨の降るぐずついた日でしたが、今日は一転朝からとても良いお天気に恵まれました。
黄砂はあったようですが、先日ほどではなかったようです。
ただし風はまだ少し冷たい感じですね。




                                    






                                   




ぐずついたお天気と一緒にお腹の調子も今ひとつの昨日でしたが、今日は大分痛みも取れ楽になっておりました。
けれど、これもまた今ひとつ気力が無いというのか、どうにもやる気になれず身体が動かない感じでしたね。
さっさと物事に取り組めない感じで、気力が沸かないようでした。
それでも掃除しなくては、と掃除機を掛けながら電池の少なくなったスマホに充電させておりますとスマホの置き方が悪かったのか少し上から
床に落ちたのが悪かったのか、しばらくして見ると充電器の接続部分が歪んでおりました。
あれ?と思い、その時何にも考えずに指で;元の形に戻そうとして余計負荷を掛けたのか、結局は壊れてしまったようでした;。
充電器のこの接続部分の端子?というのか、充電器が壊れるとすれば大低この部分なんですよね;。
このコードの部分だけ取り替えられるように出来れば、といつも思うのですけれど。
充電器がないとたちまち困るわけですし、またこれ買い替えにいかないといけないなと思いつつもどうにも出る気になれず、治ったとはいえまだ
少しぐずつくお腹と共に家でくすぶっておりました。

この自分のお腹と壊れた充電器、なんとなくこのお腹の代わりにそうなったのか、とも思わなくもなかったのですが。
そんな事をふと感じながら、神様へ祝詞奏上させて頂きました。



 お腹痛いのは大分治ったけれど気力が湧かない 神様にうかがう




 〝 今は次へと変わる時 身体を労われ

   思う以上に無理が来ておる (本当か;?)

   ここを過ぎると忙しゅうなる

   今のうちに 休んでおけ   〟


  
                                       

                                          




こんな風に言われました。
けれど無理が来るほど無理した覚えも無く、仕事らしい仕事すらしておりません、お恥ずかしい程に;。
もし何かあるとすればそれこそこの不順な気候に身体がついていっていないくらいのものでしょう、情けないことに。
とは言え三月には厳島神社、また出雲大社と参拝し、その間には墓参りも彼方此方へ行って来ておりました。
それらの色々なことが合わさって何か変わって行っている時なのかもしれません。
これから忙しくなる、この言葉はそうであるのかどうか、それこそ神のみぞ知るという気がしないでもありません。
そうなれるよう、自ずと努めたいところです。


続いてもう一柱の神となるのか、或いは昨日の「私は貴方」といわれた存在であるのかは未だによくわからないのですが、その存在からの声の
ようでした。



 “ 貴方のお腹の具合が悪いのも それに代わって物が壊れたのも

   元のエネルギー 入力を次へと出力する部分が壊れたということです

   これは せっかくそこまで入って来ているエネルギーを

   次へと出し難くなっているという状況ですね

   器械の故障の場合は直す 或いは取り替えるなりして交換出来ますが

   人間はそうはいきませんね

   しっかりと 休んで下さい

   それを現します

   また出力部分が壊れたということは そこの所をどうすれば

   壊れにくくなるか 考えて下さいということです

   つまりアウトプットが 上手く行っていないということです

   どのようにしたら 伝わりやすくなるのか

   それを今一度 考えることのようです

   繊細な部分の取り扱いには 気をつけなさいということもあるでしょう

   自分ではこの位なら大丈夫と思っていたのではありませんか?

   慎重になりなさいということですね   ”
  
                                                 
                                   

                                      



自分自身が体調が今ひとつなせいか、うかがう言葉もどことなくグダグダとしておるように感じます;。
なんというのか回りくどいような物の言い方のように思えます。
もっとも自分がそのように感じるだけなのかもしれませんが。
とは言えその内容は確かに壊れた部分、具合が悪くなった箇所ということでいえば、どちらも似たようなところが具合が悪くなったと言えますね。
身体で言えば口から食べ物を食べてエネルギーを補給しますが、それを上手い具合にコントロール出来ずに最後の部分で愚図ついておりました。
せっかく食べても上手に自分のエネルギーとして活用出来ていないということです。
スマホでは電力はコンセントまで来ておりますが、それを一度充電器を通してスマホへと伝えます。
その最後の部分、出力する部分が壊れたということはアウトプット出来ない、電力をうまく流せない状態であるということですね。
こちらも充電器までは電流というエネルギーを取り込めていても、そこから先が上手く出来なくなったということです。
この二つのこと、自分ではどうも同じようなことを示しているように感じておりましたところへ、このような言葉を頂いた?というわけでした。

果たしてこの言葉を伝えて下さったのは何処かの神であるのか、はたまた昨日と同じく、私は貴方と言ったその存在であるのか、どうにもわかり
ません;。
大抵、どこかの誰であると名乗られます。
それが今ひとつわからないので、どなたとはお伝え出来ないところです。
申し訳ございません。

どなたかは分かりかねておりますが、いずれにしてもアウトプットの部分が良くないということだけは理解出来ました。
自分に関していうならば、皆様にお伝え致す部分で気をつけなさいということを言われているのではないのか、と感じております。
消化不良のままお伝えしておる部分が少なからずあるのかもしれませんね。
自分だけが納得したことを得意げにもの申し上げておるのかもしれません;。
今一度、自分自身が何をどのように皆様にお伝えいたせば良いのか、それを考えてみたいと思います。
まぁ、どうにも回りくどいのは否めない事実であります;。(苦笑)





                                    





どうも体調がすぐれないとうかがう事もそれに連れてあまりパッとしないものになっておるかもしれませんね;。
申し訳ございません。
明日からは気温も上昇しこの時期らしい気候に変わってくるようですね。
早く身体の調子を整えてしゃっきりしたいと思います。






                                      







此処で一つ皆様にお知らせがございます。
来月五月十四日、月曜日ですが毎年恒例の出雲大社例大祭が斎行されます。
昨年、このブログでもお伝えさせて頂いておりますように執り行われるお祭りの内容は例年通り変わりません。
このお祭りに参列出来ますのは限られた方、いわば来賓である方々、または出雲大社教の信徒さん等となっております。
その信徒、信者さんといわれる方は全国の分祠(ぶんし)、教会、講社等に属しておられる方々ですが、それらの代表者の方と共にでしたらば
八足門(やつあしもん)の中、つまりはご本殿おそばへと入ることを許されます。
それを踏まえた上で、もしこの日、年に一度の例大祭を間近で拝見させて頂きたいという方がおられましたらば、講社の代表者であります(一応;)
自分と共にご参列なさってみられませんでしょうか。
厳かに執り行われるお祭りを拝見できる数少ない稀有な機会かと存じます。
詳しくはまた明日以降、お伝えさせて頂こうと考えております。





                                       




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私は 貴方?

2018-04-17 21:07:37 | ちょこっとスピリチュアル
こんにちは。
朝からなんとなくどんよりとしたお天気で、そのうちにポツポツと落ち始めたようでした。
降っているかいない川からないほどの雨ですね。
いっそしっかり降って空気中の汚れを洗い流してもらいたいものです。





                                    






                                   




この間からお腹が痛いと申しておりましたが、まだ治っておりません;。
ずっと痛いわけではないのですが、急にギリギリッという感じで痛みがくるのでどうにも今ひとつ元気が出ません。
そんなんじゃ食べられないのでは?と思われるかもしれませんが、なんとか食べることはしております;。
いつ、痛みが来るのかが自分でも把握出来ないのでどうにも対処のしようがありませんね;。
そんなわけでお天気も悪いのもあり、殆ど家の中で過ごしておりました。






                                    




朝の祝詞奏上の頃にはそのような痛みも感じませんでしたので、いつものように御神前にて祝詞を上げさせて頂き、その後にしばし目を閉じて
静かに座っておりました。


 目の前がピンクと感じる
 それまで頭の中で昨日見たフレグランスの事を考えていたこともあるかも
 それでもそのピンクの色の中へ身を置いていると想像すると とても心地良い
 ほんわりとした感じ

 やがて目の前が白く明るくなる感じ(目を閉じていても)




 “ 女性性を 忘れることをしないで下さい

   優しさは真の強さがなければ出来ないことなのです

   真に本当の強さがあるからこそ 他者に対して優しくなれるのです

   ただなよなよとしているだけが 優しいのではありません

   
   観音の柔らかさは その芯に強さを秘めているからこそなのです

   中性であっても 柔らかさを感じられるのは それがあるからです

    
   女性という性を 敢えて否定しなくて良いのです

   強さを秘めた柔らかさを 抱いて下さい   ”
                                               

 
 あなたは誰?


  
 “ 私は 貴方です  ”





                                   
                                       


昨日見たフレグランスというのは呉からの帰り、広島へ戻って来てまだ時間もあるし、少しぶらついて帰るかとなんとはなしに駅前の商業施設を
歩いていた時に見かけたものでした。
いつも千田さんの講座では素敵な香りの様々なメモリーオイル等も拝見させて頂き、香りも嗅がせて頂いておりますけれど、街中ではまた別の形
で様々な香りが売り出されております。
それら色んな香りやらそのボトルやらを眺めているだけでも楽しく感じておりました。
またその色味も多彩で素敵です。
そんなことが頭の中に浮かび上がってきたのかもしれませんが、それが何故ピンクであったのかは自分でもわかりません。
何にしても閉じた目の前は美しいピンク色に感じておりました。
ピンク色を感じながら、なんともいえないほんわりとした心地よさもその時同時に感じていたようです。
やがてそのピンク色が次には明るく眩しいような白い光へと変わっていったようでした。
その時に頭の中へ上記のような言葉が入ってきたのでした。

女性性を忘れないで下さい、といわれております;。
確かに自分自身、外見からもとても女性らしいのとは程遠い場所に居るよなぁと思っておるところです。
主人が倒れその面倒も見ながら仕事もし、家のことや息子のことを考えねばと思う時期があり、その頃はとても女性じゃやっとれんわ、な思いが
しておりました。(その前からずっとそうですけれどね(苦笑))
まぁ、髪振り乱して、とは言いませんがどこかで父親役もせねばと感じていたのは事実ですね。
家の中で頼れる人がいないとも考えており、自分がしっかりせねばと思うと、とても女性を意識することなど考えもしませんでした。
そんな経緯がありつつ(もう何年も前のことですけども;)今は今で、既に大いなるオバサンの地位を確立、獲得致しておる自分です。(自慢には
なりませんね;)
余計に女性らしさからは縁遠くなっておるのは否めない事実そのものです;。
そのような自分に対してのこの言葉でした;。
少々、どころかこれこそ大いに面食らう思いです。

けれどそのような事とは、この場合かなり趣を異にすることを言われておるようでもあります。
優しさの定義などというものは特にないのでしょうけれど、優しさ自体どこか掴みどころのないふわふわしたようなものではなく、実際にはその
中身はしっかりとした芯がなければならないといわれたように思います。
優しさの根底には強さがなければ優しくには出来ないということですね。

中性的に感じられる観音、あるいは天使といわれる存在、そのどちらも優しさは感じられますが、その元には大いな強さがあるからこそなのかも
しれません。
女性っぽく振舞えということではなく、優しさを秘めながらも強くあれ、或いはその逆を言われたのかもしれないとも感じました。

ただし、その言われた相手が、私は貴方、ということでしたけれど;。
これこそは、うーむ、どうなんだろう;と感じてしまいました。
自分が自分に対して、こう言うだろうか;?と今のところはかなりな?マークが付きそうな思いです;。
木花咲耶姫、この方が言われたとするなら納得出来るところですが。
明日、もう一度尋ねてみようか?とも感じておる自分です。





                                    




去年の今日、初めてこのブログで『龍が行く』と題して龍のことを書いておりました。
宜しければ詠んでみてやって下さいませ。


      https://blog.goo.ne.jp/kimibluekimi/e/72a9cbeb4be9d4e7e90bd8b0786e6312


当時と比べると、今はなんと;自分の傍らに龍がおる生活;?です。
なんとも不思議な感じですけれど、まさか書いて一年後にこのようなことになっておろうとはその当時の自分は考えることもありませんでした。
ともすれば、その傍らにおります龍、テラと会話をしていたりしますしね。
皆様にその姿を見て頂けないのが残念です;。
今度真面目に絵に描いてみようかしらん;。(笑)

 〝 出来たら ごっつう カッコよう 描いてぇな   〟

そう自分の横でニコニコしながら話しかけてくるようです。
はいはい、頑張ってみましょうかね。(笑)




 
                                      




今日はどこへも出かけておりませんでしたので、花の写真は先日撮ったものを出させて頂きました。
歩く途中の折々に咲いていた春の花、これからまだまだ増えてきそうです。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。  
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お墓参りに行きました

2018-04-16 21:54:06 | お出かけ
こんばんは。
日中はそうでもありませんでしたが、朝晩また風が冷たく感じるほどになっておるようです。
5月の声を聞こうかという頃ですが、何とも読めない気候のようです。
道行く人の何かにはこの季節らしくな半袖で歩かれる方もおられますが、まだまだ厚着の方もいらっしゃるようで着る物に本当に困ります。
花粉症に加え、風邪引きの方も多いのではないでしょうか。
そんな迷走気味の日の朝はこれもまたぼんやりと霞のかかった空に太陽が出てきておりました。

                                  




                                   



                                   


                                   




今日、ようやっとで自分の実家の方のお墓参りへ行って参りました。
もう少し早くに参るつもりでしたが、呉に住んでおります弟と共に参ろうと考え彼の休みに合わせようと今日になりました。
なかなかいつ休みが取れるかわからない仕事をしておるため、向こうの都合に極力合わせるようにして参った次第です。
(ちなみにその弟、独り者です、悪しからず)
いつものようにレンタカーを借りてブーンと走って行こうかとも考えたのですけれど、弟が車を持っておりますので自分は電車で呉まで行く事と
致しました。
久しぶりの電車での移動です。
時たま乗ることはありますが、それも年に一度あるかないかの頻度です;。
そんなわけで、この前乗ったのはいつであったか;うろ覚えなほどですね。
毎日電車通勤、通学の方はそれこそ車中では寝て過ごしたい程の移動なのでしょうけれど、滅多に乗らない自分にしてみればまさにお出かけ気分な
わけです;。
とは言え自分自身も学生時代は呉から広島まで毎日電車に揺られ通っておりましたよ。
当時は今ほどの電車の本数も無く、また到着時間も結構掛かっていたように思います。
最近は少しでも短縮するようにされているのでしょうね、また快速も本数が増え、今日はその快速に乗りますと呉まで30分ちょっとで到着して
おりました。
電車自体も2、3年前に新しい車両が導入され、尚の事快適でした。

下の写真はよくお参りさせて頂く三篠神社さんのケヤキ?を車窓から撮ったものです。
確かに神社の近くのホームからは此方が良く見えていたといわれる所以ですね。




                                
                                    




そんな風にして呉に着き駅前で待ってくれていた弟の車に乗り込み、お墓へと向かいました。
今日は実母の里の方の墓へも足を運んできました。
実母の母、祖母と祖父等が眠る墓です。
墓所ということもあり、結構辺鄙な場所にあります。
一人で電車で行っただけですと、駅から下りて歩いてではとてもではありませんが、参れる場所ではありません。
車で行ってやっとな場所です。
そんなところへ今日は弟に連れて行ってもらう形で参ってきました。
お彼岸もとうに過ぎ、訪れる方のない墓所です。
弟と二人、水を汲んでお墓へ行き、までは良かったのですが肝心のお花を買い忘れており;;(ご先祖様、申し訳ございませんです;;)水だけ
お墓へ掛けてそのまま手を合わせて参りました。
本当にばち当たりものです;;。
これまではよく一緒に参っておりました母の妹、叔母がお花は用意してくれておりましたので、ついと言ってはいけないのですけれどこれまた忘却
の彼方でありました;。(大いなる言い訳ですね、毎度の如く、おぉ;)
いえ一応用意はしておったのですが、その方は実家の墓用にと考えておりましたので、此方へはお供えせず終いでした;。
つくづく罰当たりな子々孫々で御座います;。
それでもしばらくぶり、しかも最近は足を運べていなかったという弟と二人で参られた事は良かったと感じました。

                                  



                                 





その後に実家の墓へ赴きました。
此方の墓所もやはりバス停等からはかなりあり、しかもこれまた相当な坂道です。
若い頃はそれでもそんな坂道を歩いて登っておりましたがさすがにしんどく、これまた車でないとという場所です。
彼岸やお盆など墓参の車で渋滞し狭い道をどちらかが譲らねば通れぬ程の狭い道ですが、当然今日などお墓参りする方もおられぬようで、すんなり
と登って行けました。
此処でも水汲み場でバケツに水を入れ、お墓へ参りました。
このお墓、父方の祖父からが入っておる所です。

以前も申しましたように、祖父の代で宮島から呉へ出てきたとの事ですのでそれ以前のお墓というのは宮島の対岸、大野町というところへ設けて
あります。
少し話が脱線致しますが、宮島では昔から神の島ということもあり、今はどうであるのかは存じませんが以前は葬儀も島内ではしてはならず全て
対岸で執り行っていたと聞いております。
葬儀ですらそうですのでお墓はこれも当たり前に島の中には建立出来ません。
全て対岸の大野という所へ墓所があります。
そこからは宮島が望め、故郷を海を挟んで偲んでおられたご先祖様もおられたかもしれませんね。

大野のご先祖のお墓のことはまたいずれ話すと致しまして、実家のお墓、此方へは申したように祖父をはじめ祖母、自分達の両親、また継母と
入っております。
不思議とどなた(という言い方もおかしいですけれど)も三、四、五月のいずれかの月で他界しており、互いに何かあるの?という思いが致し
ました。
また数えの年ではありませんが、母がちょうど五十年、父が十年、祖母が三十年、本当にジャスト、亡くなってから此等の年数が経っておりました。
また継母は数えの三年でした。(祖父は既に五十年以上でした)
何とはなしに、互いのこの年数も何か自分達を呼ぶようなものがあったのかしら、とも感じた思いでした。
墓に彫られたそれらの文字を眺めながら、そんなことも思っておりました。
花をお供えし、二人して手を合わせて参りました。
穏やかな日和で何よりと感じた次第です。





                                       





お墓参りを終えるとちょうどお昼頃でもあり、二人して呉の街中へ行き、そこで食事をしその後に辺りを少しぶらつきましたが、月曜日の昼下がり
人通りもさほど多くも無く、どうにも寂れた感の否めない故郷の町になんともいえものを感じました。
今の呉の街はこんなもんよ、と弟は言っておりましたけれど、自分の若い頃は確かにもっと活気があったよなぁとも思えました。
今日来る電車の中では、おそらく関西方面から遊びに来たと思われる女の子や遠方から出張で来られていたスーツ姿のビジネスマンさんらの姿も
ありましたけれど、この街中の姿はあまりお見せできないかもなぁ、とも感じた次第です。
今日の地方都市の姿なのかもしれませんけれど、哀しい現実とも言えるのでしょうね。
そんなことを思った呉の街中でした。





                                       

               


弟と二人して参りました墓参り、果たして両親など喜んでくれたでしょうか。
口の悪かった父などは
「おまえ、わしにお供えする酒は持って来んかったんか」
と墓の裏側から声を掛けていたのかもしれませんけれど;。
お酒は毎日、我が家の御霊舎でお供えしておりますので、良しと致しましょう。(笑)

気になっておりましたお墓参りが出来ましたことが何よりと感じた今日でした。





                                       



道中、テラとは話しておりましたけれど、いつもの他愛ない話ばかりでございました。
神様も今日は出て参りません今日のブログでした。

そのようなブログでしたけれど、変わらずお付き合い頂きました皆様に感謝申し上げます。
有難うございました。
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