こんばんは。
昨日は良いお天気でしたが今日はまた曇りがちな一日でした。
写真に出していたような巻雲が多く見られると大抵次の日か二日後くらいにはお天気が崩れますね。
そんな予報?が多少は当たったようなお天気の日でした。
朝から太陽は顔を見せておりません。
今日未明、大分県の中津市で突然の土砂崩れにて住宅が埋まりお一人の亡くなられ、あと何人かの方が行方不明になっているというニュースを
知りました。
雨が降った後でもなかったとのことですが10日にその近くで多少の落石があったのを見ておられた近所の方もおられたようです。
何もないと思っていたところへ突然起こった今回の土砂崩れ、早く不明者が出てこられることを願うばかりです。
自分達自身、何もないと思っているところへ突然襲う災害にはなす術もありませんが、どのような地域へ住まっているのかという情報は必要なこと
であり、それに備える準備もある程度はいるのかもしれない、とも感じました。
と申しましても今回の件は防ぎようのない事態でもあったのでしょうし、何とも言いようのない思いも致すところです。
昨日、大神からの言葉をうかがい、それを書かせて頂くには少し長すぎましたので今日へと回させて頂きました。
その昨日のものと、今日またおうかがいさせて頂いた言葉を合わせて書かせて頂きますね。
〝 此度(こたび)の揺れ これは次の段階へ進めためのものでもある
囚われを 解放していくのじゃ
我らが 怒っておるのではない
働きを致すべきときに そうしておる
それだけのこと
見誤るでない
これより多くの(見た目的には)災害が起こるかもしれぬ
それも ひとつの 通り越しである 〟
先に今日起きた土砂崩れのことを書かせて頂いておりましたが、この言葉を聴いたのは昨日の時点であり、その翌日にまさかこのような事が
起ころうとは考えも致しませんでした。
大神の言葉は時により非情にも感じられます。
何故、何もない人間を襲うような災害をもたらしたのか、それこそ人間である自分には計りかねる事柄です。
この時の言葉は一昨日の島根県西部の地震のことを思い浮かべながらうかがったものであり、それに対する答えのようにして頂戴したものと
考えております。
それであったとしても厳しい内容の大神の言葉、みくじでありますけれど、神という側からすればこのような事になるのかとも感じてしまいました。
その言葉と似たような内容ですけれど、今朝もまた大神からの言葉をうかがいましたので揚げさせて頂きます。
〝 此度の揺れ 大丈夫である
数多のもの(神々?)が 守りし大地
我等が 此処へおる
ただし そなたらは 肉体を持ちて此処へ居りし者ら
この地表にて暮らしておるが この大地 地球とて生きておる
活動しておるが故に たまには動こう
地球からすれば ほんの一瞬であっても
そなたらからすれば その者の一生を変えるようなことにも繋がる
そこで その者がどのように捉えるかだ
その想いを 次へと繋げて行き その後を如何に過ごすか
またこれまでのあり方を どのように考えているのかを
模索する指針とするのだ
その者の一生に課せられた時間は ある意味短い
しかし その一生の中で どのように過ごしていくかが大事だ
此度の揺れに対して 我等が怒っていると捉える者もおる
それも一つの見方かも知れぬ
しかし それは物事の受け取りよう
その者の考え方の違いからも 異なってくる
責めるように考えるのか 共に前を向いて行こうと考えるのか
その者の捉え方にもよる (ポジティブか ネガティブか)
この国土は 我等が守りし処 在りし処
大丈夫である 〟
前日の言葉に続いてかなり厳しい内容のようにも感じます。
人によっては何もそこまで言われなくてもいいじゃないか、と思う方もおられるでしょう。
自分自身が大神の言葉を頭の中で翻訳するように受け取り、自分で感じている時、聴いている時には何をどのように言われているのか解釈を
加えずにそのまま受け取ります。
その後、直ぐにノートにまだ頭の中へその言葉があるうち、忘れないうちに書き写します。
書いた言葉を後で読み返すと、この度もそうですけれど結構シビアな内容を言われているのに気づく事も少なくありません。
但し我々人間を責めておる、怒っておるということではもちろんなく、自然の理(ことわり)、その中での自分達人間の対処の仕方を学びなさい
と言われているように感じられました。
とは言え話す側、つまり神の側からすれば至極当然の話であったとしても自分達人間側からすれば、それが本当のことであったにせよ相当にダメ
ージを受けてしまうほどの事なのではと感じます。
しかし自分達人間が大きな痛手を受けても尚、そこから立ち上がり前を向いて進んで行ってほしい、そのように考えておられるのだと思います。
神、また自分達が住まう地球に比べれば我々は遥かに短い時間で人生というひとときを過ごしております。
けれどその限られた時間の人生であるからこそ、次へのステップを踏み出せるよう歩んで参れ、そのように言われておるかと思います。
なかなかに難しい課題です。
でも、だからこそ神が守っておると言われるこの処で前進していくことが大事なのだと感じております。
大神だからこその言葉であり、怒りをもって大地を揺るがしたということでは全く無いということ、それも同時に感じました。
むしろ守って下さっておるという感覚がとても伝わってきておりました。
大きく、大らか、そうして安心感。
それらを感じた言葉でもありました。
そんな大神の言葉に続いて、また別の存在からの言葉を聴いておりました。
“ 今こそ(被災の)彼の地へ 光の柱を立てて下さい
白く輝く光の柱です
被害にあわれた方々は (見た目には)大変です
けれどそのことにより 多くの気づきももたらされます
安心して下さい ”
この言葉自体、どちらの存在のものであるかは今回わかりませんでした。
ただしとても柔らかい女性性を感じました。
何ともいえぬ穏やかな波動を持った存在、そのように思えたのは確かです。
易しい言葉で話しておられますが、内容としてはその逆に案外と厳しさも伴っておるように思えました。
光の柱を立てよ、これは被災地に向け自分の想念の中で白い光をイメージし、その光を彼の地へ送りなさいということかと思います。
これは以前書いていたこともありますけれど、自分がそのようにイメージすると白い光はいつの間にか白い龍、白龍となり身体を煌かせながら
彼の地へ舞い降りるようにして光を撒き散らすかのごとくに辺り一帯を白い光で満たして行くのでした。
そのようなことを自分達一人ひとりがしてみなさい、ということを言われておるように感じました。
また被害に会われた方々は大変そうに見えるけれどもそのことにより多くの気づきもある、とも言われておりますけれど、しかしこれは上から
見た視点からの言葉であり、当事者側からすれば辛く悲しい現実でしかありません。
そこの部分を越えて尚学び取れといわれておるようですが、そのような段階に至るまでにはまだかなりの時間を要すものと思われます。
そう考えると今回のこの存在の言葉はこの前半部分をのみ今現在は考えて、そのことにのみ集中すべきかもしれない、そうとも感じました。
しかし、それすら自分の考えです。
この存在の言葉をどのように解釈するかは、それこそ受け取られるご自身次第、そのように感じます。
白く尾を引く飛行機雲の写真、これ実は昨日のものです;。
載せるのを忘れておりまして;結構綺麗に撮れておりましたので一日遅れですけれど、揚げさせて頂きました。
白い龍、には見えませんけれどね;。(笑)
昨日に引き続き、大神の言葉を揚げさせて頂きました。
何がしかを感じ取って頂けましたら、幸いに存じます。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
昨日は良いお天気でしたが今日はまた曇りがちな一日でした。
写真に出していたような巻雲が多く見られると大抵次の日か二日後くらいにはお天気が崩れますね。
そんな予報?が多少は当たったようなお天気の日でした。
朝から太陽は顔を見せておりません。
今日未明、大分県の中津市で突然の土砂崩れにて住宅が埋まりお一人の亡くなられ、あと何人かの方が行方不明になっているというニュースを
知りました。
雨が降った後でもなかったとのことですが10日にその近くで多少の落石があったのを見ておられた近所の方もおられたようです。
何もないと思っていたところへ突然起こった今回の土砂崩れ、早く不明者が出てこられることを願うばかりです。
自分達自身、何もないと思っているところへ突然襲う災害にはなす術もありませんが、どのような地域へ住まっているのかという情報は必要なこと
であり、それに備える準備もある程度はいるのかもしれない、とも感じました。
と申しましても今回の件は防ぎようのない事態でもあったのでしょうし、何とも言いようのない思いも致すところです。
昨日、大神からの言葉をうかがい、それを書かせて頂くには少し長すぎましたので今日へと回させて頂きました。
その昨日のものと、今日またおうかがいさせて頂いた言葉を合わせて書かせて頂きますね。
〝 此度(こたび)の揺れ これは次の段階へ進めためのものでもある
囚われを 解放していくのじゃ
我らが 怒っておるのではない
働きを致すべきときに そうしておる
それだけのこと
見誤るでない
これより多くの(見た目的には)災害が起こるかもしれぬ
それも ひとつの 通り越しである 〟
先に今日起きた土砂崩れのことを書かせて頂いておりましたが、この言葉を聴いたのは昨日の時点であり、その翌日にまさかこのような事が
起ころうとは考えも致しませんでした。
大神の言葉は時により非情にも感じられます。
何故、何もない人間を襲うような災害をもたらしたのか、それこそ人間である自分には計りかねる事柄です。
この時の言葉は一昨日の島根県西部の地震のことを思い浮かべながらうかがったものであり、それに対する答えのようにして頂戴したものと
考えております。
それであったとしても厳しい内容の大神の言葉、みくじでありますけれど、神という側からすればこのような事になるのかとも感じてしまいました。
その言葉と似たような内容ですけれど、今朝もまた大神からの言葉をうかがいましたので揚げさせて頂きます。
〝 此度の揺れ 大丈夫である
数多のもの(神々?)が 守りし大地
我等が 此処へおる
ただし そなたらは 肉体を持ちて此処へ居りし者ら
この地表にて暮らしておるが この大地 地球とて生きておる
活動しておるが故に たまには動こう
地球からすれば ほんの一瞬であっても
そなたらからすれば その者の一生を変えるようなことにも繋がる
そこで その者がどのように捉えるかだ
その想いを 次へと繋げて行き その後を如何に過ごすか
またこれまでのあり方を どのように考えているのかを
模索する指針とするのだ
その者の一生に課せられた時間は ある意味短い
しかし その一生の中で どのように過ごしていくかが大事だ
此度の揺れに対して 我等が怒っていると捉える者もおる
それも一つの見方かも知れぬ
しかし それは物事の受け取りよう
その者の考え方の違いからも 異なってくる
責めるように考えるのか 共に前を向いて行こうと考えるのか
その者の捉え方にもよる (ポジティブか ネガティブか)
この国土は 我等が守りし処 在りし処
大丈夫である 〟
前日の言葉に続いてかなり厳しい内容のようにも感じます。
人によっては何もそこまで言われなくてもいいじゃないか、と思う方もおられるでしょう。
自分自身が大神の言葉を頭の中で翻訳するように受け取り、自分で感じている時、聴いている時には何をどのように言われているのか解釈を
加えずにそのまま受け取ります。
その後、直ぐにノートにまだ頭の中へその言葉があるうち、忘れないうちに書き写します。
書いた言葉を後で読み返すと、この度もそうですけれど結構シビアな内容を言われているのに気づく事も少なくありません。
但し我々人間を責めておる、怒っておるということではもちろんなく、自然の理(ことわり)、その中での自分達人間の対処の仕方を学びなさい
と言われているように感じられました。
とは言え話す側、つまり神の側からすれば至極当然の話であったとしても自分達人間側からすれば、それが本当のことであったにせよ相当にダメ
ージを受けてしまうほどの事なのではと感じます。
しかし自分達人間が大きな痛手を受けても尚、そこから立ち上がり前を向いて進んで行ってほしい、そのように考えておられるのだと思います。
神、また自分達が住まう地球に比べれば我々は遥かに短い時間で人生というひとときを過ごしております。
けれどその限られた時間の人生であるからこそ、次へのステップを踏み出せるよう歩んで参れ、そのように言われておるかと思います。
なかなかに難しい課題です。
でも、だからこそ神が守っておると言われるこの処で前進していくことが大事なのだと感じております。
大神だからこその言葉であり、怒りをもって大地を揺るがしたということでは全く無いということ、それも同時に感じました。
むしろ守って下さっておるという感覚がとても伝わってきておりました。
大きく、大らか、そうして安心感。
それらを感じた言葉でもありました。
そんな大神の言葉に続いて、また別の存在からの言葉を聴いておりました。
“ 今こそ(被災の)彼の地へ 光の柱を立てて下さい
白く輝く光の柱です
被害にあわれた方々は (見た目には)大変です
けれどそのことにより 多くの気づきももたらされます
安心して下さい ”
この言葉自体、どちらの存在のものであるかは今回わかりませんでした。
ただしとても柔らかい女性性を感じました。
何ともいえぬ穏やかな波動を持った存在、そのように思えたのは確かです。
易しい言葉で話しておられますが、内容としてはその逆に案外と厳しさも伴っておるように思えました。
光の柱を立てよ、これは被災地に向け自分の想念の中で白い光をイメージし、その光を彼の地へ送りなさいということかと思います。
これは以前書いていたこともありますけれど、自分がそのようにイメージすると白い光はいつの間にか白い龍、白龍となり身体を煌かせながら
彼の地へ舞い降りるようにして光を撒き散らすかのごとくに辺り一帯を白い光で満たして行くのでした。
そのようなことを自分達一人ひとりがしてみなさい、ということを言われておるように感じました。
また被害に会われた方々は大変そうに見えるけれどもそのことにより多くの気づきもある、とも言われておりますけれど、しかしこれは上から
見た視点からの言葉であり、当事者側からすれば辛く悲しい現実でしかありません。
そこの部分を越えて尚学び取れといわれておるようですが、そのような段階に至るまでにはまだかなりの時間を要すものと思われます。
そう考えると今回のこの存在の言葉はこの前半部分をのみ今現在は考えて、そのことにのみ集中すべきかもしれない、そうとも感じました。
しかし、それすら自分の考えです。
この存在の言葉をどのように解釈するかは、それこそ受け取られるご自身次第、そのように感じます。
白く尾を引く飛行機雲の写真、これ実は昨日のものです;。
載せるのを忘れておりまして;結構綺麗に撮れておりましたので一日遅れですけれど、揚げさせて頂きました。
白い龍、には見えませんけれどね;。(笑)
昨日に引き続き、大神の言葉を揚げさせて頂きました。
何がしかを感じ取って頂けましたら、幸いに存じます。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。