こんばんは。
今日は日中良いお天気で風もかなり吹いたせいか、空気が澄んでいるようでした。
日一日と秋の気配が濃くなっていくのかもしれませんね。
そうして今夜は中秋の名月。
この分なら綺麗なお月様が見えそうです。
ただし真ん丸の満月ではなく、実際の満月となるのはこの度は二日後の六日だとか。
たとえそうだとしても、今夜は素敵なお月見が出来そうですね。
そんな日の朝は此方。
何枚か撮ってみました。
移り変わる空、つまりは雲の様子が面白かったものですから。
二枚目の写真は、なんだか孔雀が羽根を広げて、ぐるりん?としている感じに見えたりして面白く思って見ておりました。
様々な雲が織り成す空の光景は、いつまでも見ていても飽きることがありません。
ただ、どうしてでしょうね、雲を撮るとさほど詳細に写らない気がします。
ガラケーで撮っていた時の方が湧き上がるような感じやら千切れて飛んでいく雲の端の辺りまで写せていたように思うのですけれど、むしろ
雲に近づき過ぎて?上手く撮れないのでしょうか。
見たまま、そのままの雲をお伝え出来ないのが何とももどかしい思いがするところです。
そんな日の午前中、郵便物を出すのに下界、要するに平地まで歩いて行って来ました。
車で行けばものの五分と掛からぬ距離ですが歩くと二十分から三十分までにはなりませんけれど、そんなところでしょうか。
坂ですので行きはそれこそ下るわけでさほど苦にもなりませんけれど、帰りは近くのスーパー等で何かしら買い物をして戻るようになり
そうなると荷物を持って途中休みを挟みながら、のんびり戻るという具合ですね。
車で往復ですと当然早くて楽ですが途中、あれこれの景色やらを楽しめるのはやはり歩きならではですね。
お天気のよいのもあり、これもまたあれこれ写真を撮りながら戻っておりました。
時折、あの雲、何かに見えそうだなぁ、などと思いながらいつものように空を見上げて帰ったのですけど。
最近、夜寝る前に以前ご紹介したまるの日さんの誘導瞑想というのを聞いて就寝しております。
座ってイヤホンをして聞いていても、ついウトウトしているのが殆どなのですけれど;。
それでも、なんというのか最近、自分がブログで取り上げていることなどが、別の方が同じように話題にされていたりすることがあり、あれ
同じように感じておられるのかな、ということがしばしばあります。
決して自分が優れているとかそのようなことを申したいのではなく、どこか上の方で繋がっていたりするのかな、面白いなと思っているという、
ただそれだけのことなのですけれど。
有体にいえば、シンクロしてるという言い方も出来るのでしょうけれど、そこまででなくとも、なんだか同じことを考えているのだなぁと思うこと
感じること自体が面白いという、本当にそれだけなのですけどもね。
それともう一つ、昨日も街中へ出かけてバスで戻ってきたのですが、その際バス停へ行くと既にバスが来る状況でして。
まるの日さんが少し言われていたことに、この瞑想をするとスーパー等で駐車しようとするとグッドタイミングで目の前の場所が空くとか
エレベータを待たずに乗れるとか、そんな日常のちょっとしたことがツイてくるようになるかもしれませんよ、ということがありました。
ふと気づくとそんな風になっていたり、自分がこんな感じのものを観たいなと思っているとそのようになっていたりするようです。
そんなささやかな事を偶然として全く気にしないか、有難いな、面白いな、楽しいなという感覚で行くかどうかでその後がかなり違ってくる
気がします。
漫然とただ日々が流れて行くと感じるか、ふとした事に気を留めるかでやはりそこから先がそれこそ少しずつずれて行き、気づけば相当な隔たりが
出来てくるのでは、とも思います。
どちらの側に自分が居たいのか、自分が是とする側に居たいのなら、一目瞭然という気も致します。
〝千里の道も一歩から〟
そんな歌をたまに口ずさんでいたりする時があるのですけれど、この歌の歌詞を一つずつ考えていると、なるほどそうだなぁ、と感じる事も多い
気がしております。
今の若い方はご存じないのかもしれませんけれど。
少し話がずれますが、この歌は自分が小学生の頃に水前寺清子さんが唄ってヒットした曲です。
〝幸せは歩いてこない だから歩いて行くんだね
一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩下がる・・・〟
〝幸せの隣に居ても わからない日もあるんだよ・・・
一年三百六十五日 ままになる日もならぬ日も・・・ 〟
このような歌詞であったかと思います。
その当時は毎日テレビから流れてくるこの歌を、特になんとも思わず唄っていたものでしたが、今改めて見直すと確かにそうだよなぁ、とつくづく
感じる思いです。
少しずつ、でも着実に歩を進めること、その大切さ、それを最近ようやっとこの歳にして感じておるところです。
我ながらもう少し早く気づいとけば?な思いですけれどね;。
それでも、そう気づけただけ良し、とも考えます。
幸せは確かにすぐ隣にあるもの、これを感じられるかどうか、その事自体は小さいことかもしれません、しかし感じ取れるかどうかで大きく変わって
も来るのではと思います。
いつにも増して雲だらけの今日のブログ、代わり映えしませんけれど、お付き合い頂きました皆様、いつも有難うございます。
感謝申し上げます。
今日は日中良いお天気で風もかなり吹いたせいか、空気が澄んでいるようでした。
日一日と秋の気配が濃くなっていくのかもしれませんね。
そうして今夜は中秋の名月。
この分なら綺麗なお月様が見えそうです。
ただし真ん丸の満月ではなく、実際の満月となるのはこの度は二日後の六日だとか。
たとえそうだとしても、今夜は素敵なお月見が出来そうですね。
そんな日の朝は此方。
何枚か撮ってみました。
移り変わる空、つまりは雲の様子が面白かったものですから。
二枚目の写真は、なんだか孔雀が羽根を広げて、ぐるりん?としている感じに見えたりして面白く思って見ておりました。
様々な雲が織り成す空の光景は、いつまでも見ていても飽きることがありません。
ただ、どうしてでしょうね、雲を撮るとさほど詳細に写らない気がします。
ガラケーで撮っていた時の方が湧き上がるような感じやら千切れて飛んでいく雲の端の辺りまで写せていたように思うのですけれど、むしろ
雲に近づき過ぎて?上手く撮れないのでしょうか。
見たまま、そのままの雲をお伝え出来ないのが何とももどかしい思いがするところです。
そんな日の午前中、郵便物を出すのに下界、要するに平地まで歩いて行って来ました。
車で行けばものの五分と掛からぬ距離ですが歩くと二十分から三十分までにはなりませんけれど、そんなところでしょうか。
坂ですので行きはそれこそ下るわけでさほど苦にもなりませんけれど、帰りは近くのスーパー等で何かしら買い物をして戻るようになり
そうなると荷物を持って途中休みを挟みながら、のんびり戻るという具合ですね。
車で往復ですと当然早くて楽ですが途中、あれこれの景色やらを楽しめるのはやはり歩きならではですね。
お天気のよいのもあり、これもまたあれこれ写真を撮りながら戻っておりました。
時折、あの雲、何かに見えそうだなぁ、などと思いながらいつものように空を見上げて帰ったのですけど。
最近、夜寝る前に以前ご紹介したまるの日さんの誘導瞑想というのを聞いて就寝しております。
座ってイヤホンをして聞いていても、ついウトウトしているのが殆どなのですけれど;。
それでも、なんというのか最近、自分がブログで取り上げていることなどが、別の方が同じように話題にされていたりすることがあり、あれ
同じように感じておられるのかな、ということがしばしばあります。
決して自分が優れているとかそのようなことを申したいのではなく、どこか上の方で繋がっていたりするのかな、面白いなと思っているという、
ただそれだけのことなのですけれど。
有体にいえば、シンクロしてるという言い方も出来るのでしょうけれど、そこまででなくとも、なんだか同じことを考えているのだなぁと思うこと
感じること自体が面白いという、本当にそれだけなのですけどもね。
それともう一つ、昨日も街中へ出かけてバスで戻ってきたのですが、その際バス停へ行くと既にバスが来る状況でして。
まるの日さんが少し言われていたことに、この瞑想をするとスーパー等で駐車しようとするとグッドタイミングで目の前の場所が空くとか
エレベータを待たずに乗れるとか、そんな日常のちょっとしたことがツイてくるようになるかもしれませんよ、ということがありました。
ふと気づくとそんな風になっていたり、自分がこんな感じのものを観たいなと思っているとそのようになっていたりするようです。
そんなささやかな事を偶然として全く気にしないか、有難いな、面白いな、楽しいなという感覚で行くかどうかでその後がかなり違ってくる
気がします。
漫然とただ日々が流れて行くと感じるか、ふとした事に気を留めるかでやはりそこから先がそれこそ少しずつずれて行き、気づけば相当な隔たりが
出来てくるのでは、とも思います。
どちらの側に自分が居たいのか、自分が是とする側に居たいのなら、一目瞭然という気も致します。
〝千里の道も一歩から〟
そんな歌をたまに口ずさんでいたりする時があるのですけれど、この歌の歌詞を一つずつ考えていると、なるほどそうだなぁ、と感じる事も多い
気がしております。
今の若い方はご存じないのかもしれませんけれど。
少し話がずれますが、この歌は自分が小学生の頃に水前寺清子さんが唄ってヒットした曲です。
〝幸せは歩いてこない だから歩いて行くんだね
一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩下がる・・・〟
〝幸せの隣に居ても わからない日もあるんだよ・・・
一年三百六十五日 ままになる日もならぬ日も・・・ 〟
このような歌詞であったかと思います。
その当時は毎日テレビから流れてくるこの歌を、特になんとも思わず唄っていたものでしたが、今改めて見直すと確かにそうだよなぁ、とつくづく
感じる思いです。
少しずつ、でも着実に歩を進めること、その大切さ、それを最近ようやっとこの歳にして感じておるところです。
我ながらもう少し早く気づいとけば?な思いですけれどね;。
それでも、そう気づけただけ良し、とも考えます。
幸せは確かにすぐ隣にあるもの、これを感じられるかどうか、その事自体は小さいことかもしれません、しかし感じ取れるかどうかで大きく変わって
も来るのではと思います。
いつにも増して雲だらけの今日のブログ、代わり映えしませんけれど、お付き合い頂きました皆様、いつも有難うございます。
感謝申し上げます。