こんばんは。
今朝は言われていたように、この辺りは放射冷却もあってか、かなり冷え込みました。
その分、日中はお天気も良く、空気も乾燥してまさに晩秋という感じでした。
山々も急な気温の低下で一気に色づきそうな気配です。
ついこの間まで暑いといっていたようですのに、昨今季節の移り変わりが早く感じられるのは、自分の方が歳を取った証拠かもしれません。
そんな昨夜の様子と朝を写してみました。
此方は九時半を回った頃の同じ方向を写したもの。
遠くの霧はまだ消えておりませんでしたよ。
お日様の恩恵を十二分に感じられる今日のお天気でした。
写真は、そんなペッカリと昇ったお日様、これも同じ九時半過ぎの頃。
眩しいのが嬉しい日でもありました。
このところ、続けて自分の頭に浮かぶ、半分それ妄想;?な話を載せておりますけれど;。
それでも自分が考えたにしては上出来じゃない?な気も致しております、とすみません、手前味噌で;。
そんなわけで?今日も今日とて見えてきた、そんな話を載せさせて頂こうと思います。
多分、しばらくはこんな話が続くかも;?
毎回、これもしつこく申しておりますけれど、あくまで自分が感じた主観にしか過ぎませんので、そこのところはどうぞご容赦下さいませ。
祝詞奏上の後、奉幣を振りながら、今日は何故かずっと有難うございます、の言葉しか出てこない。
見えてきたのは
〝 これがそう(白い龍の言葉か?)
そなたの(見るもの)全て真(まこと)
それを伝えよ
人皆それぞれ
最初から 滑らかな道を行くものもあれば
ごつごつとした 岩肌を行く者もある
岩肌を行く者は 一見辛そうではあるが
そこを挑戦していく術(すべ)手立てを
持ったものだからこそ 敢て そうしておる
清らかな 滑らかな道を行っているものも
(他人から見れば)そう見えていても
本人にとっては 険しい道を行っている
どちらも その人の道
どちらが良いとか 悪いとかではない
与えられた道 歩めよ 〟
白龍が 空高く 駆け上がる
澄んだ群青色の空(雲はない)
青というより 黒に近いような色
眼下には 峨々(がが)とした山並み?
ヒマラヤ山脈のよう?
〝 そなたが山が好きなのは 元々この辺りへ居たから(?)
此処から(この高さから)下を見下ろしていたから
(見下ろすとは悪い意味ではなく)
此処からだと 人々の様子が つぶさに分かる
細かいところまで 入っていけずとも
上からなら 見ることが出来る
細かい処を見るのは それに相応しい者らが 役目 〟
視点が変わり色んな色の龍が並んで飛んでいる
横並び
白い龍は そのかなり上を行く
それらの龍が 向かっているのは
顔に 日の光を浴びる方向へ
朝日?夕日? そこがわからない
眼下には白い雲 霧に覆われた山々
壮大な 景色
〝 自分を卑しむことは 無い
此処も 通り越し(経済的な面)
此処を越えて行け
自信を持て(に近い言葉?) 〟
全て色の違う龍
顔が大写し?
逞しい 精悍な感じ
とまぁ、いつに変わらぬ、ほんまかいな;?な言葉が結構出てきております;。
最初の方の言葉、これは自分が書き写していても、確かにそうだなと感じます。
人それぞれ、生きていくのに通り越して行く道筋も違えばその方法も違う、けれどもそれが自分に課せられた道ならば、その道を迷わず進め、
ということでしょうか。
峨々とした山並みが見えたのは覚えております。
書いておりますように、なんとも高い山々が連なりどことなくそれらが人々を寄せ付けないようでもあり、または崇高な感じを思わせたりと
感じられました。
空はどこまでも青く、というよりもこれも群青に近い黒いような青に思われました。
しかし;、自分が下を見下ろしていた空飛ぶ龍であったのか、と問われれば、いやぁどうでしょうねぇ;、と我ながら首を傾げざるを得ま
せん。
申すがごとく、あくまでも自分が頭の中で感じた感覚、妄想の域は出ておりませんので、そこのところは本当にご容赦下さい。
ただ、自分が龍であったかどうかよりも、幾頭もの龍が横並びになり、しかもその身体の色はそれぞれに違いながらもそのどれもが逞しく
精悍な顔つきであったのはこれもまた良く覚えておることです。
なんとも清清しいような思いのする光景で、そのような龍の遥か上あたりをまた白い龍が駆けているのでした。
経済的なこと、これは言わずもがなです。
あまり申しておりませんけれど、このオバサン;結構ピーピーしております。(え、分かってるって;)
そこを見透かしてのこの言葉だったのかもしれません。
またそうであろうとも、自分を卑しむな、というのはどうせ自分なんてと、どのような状態であっても己を卑下するなという風に解釈致しました。
どんな状況であっても正々堂々、胸を張って行け、そんな風に言われたように思います。
これらのことを瞑想の中で感じた後、自分で思ったことは、不安を持つと不安が顔を出す、つまりはそのこと自体が現実化すると言うこと。
ならば、素敵!自分は楽しい!そういう方へ思えば今度は周りが光り輝いて見えるのでは、ともこれもまた書き記しておったようでした。
いつかも書いたかと思いますが、思うことがそのまま具現化、現実化する、良い意味でも悪い意味でも、思ったことそのものが実現すると言う
ことです。
ならば、どうせ思うのなら良い方へ向けて考えた方が良いんじゃない?という、とても単純な考えというわけです。
こうして見ると、自分一人で考えて、一人で落ちをつけてるようなものですね。
当たり前のようなことですけれど;。
写真は、いつものように夕方散歩をして帰っていると、それまで雲のなかった空に西から出てきた雲を撮ったものです。
今日、何書くよ;?と考えていた時に、さながら現れたかのように白い龍と思しき雲が出てきたのでした。
どうででも書けということかいな;、と感じつつ家に戻り、上記のような事柄を綴らさせて頂いたというわけです。
何度も繰り返して申しておりますけれど、決して己が優れているというようなことを述べておるのではありません。
それでもこれは伝えなさい、とどうしても言われているようで、このように書き記させて頂いております。
この拙い上記の文章の中で、少しでも皆様に伝わる部分がございましたら、幸いと存じます。
今日もまたもや妄想話となってしまいましたけれど。
そんなブログへのお付き合い、本日も有難うございました。
感謝申し上げます。
今朝は言われていたように、この辺りは放射冷却もあってか、かなり冷え込みました。
その分、日中はお天気も良く、空気も乾燥してまさに晩秋という感じでした。
山々も急な気温の低下で一気に色づきそうな気配です。
ついこの間まで暑いといっていたようですのに、昨今季節の移り変わりが早く感じられるのは、自分の方が歳を取った証拠かもしれません。
そんな昨夜の様子と朝を写してみました。
此方は九時半を回った頃の同じ方向を写したもの。
遠くの霧はまだ消えておりませんでしたよ。
お日様の恩恵を十二分に感じられる今日のお天気でした。
写真は、そんなペッカリと昇ったお日様、これも同じ九時半過ぎの頃。
眩しいのが嬉しい日でもありました。
このところ、続けて自分の頭に浮かぶ、半分それ妄想;?な話を載せておりますけれど;。
それでも自分が考えたにしては上出来じゃない?な気も致しております、とすみません、手前味噌で;。
そんなわけで?今日も今日とて見えてきた、そんな話を載せさせて頂こうと思います。
多分、しばらくはこんな話が続くかも;?
毎回、これもしつこく申しておりますけれど、あくまで自分が感じた主観にしか過ぎませんので、そこのところはどうぞご容赦下さいませ。
祝詞奏上の後、奉幣を振りながら、今日は何故かずっと有難うございます、の言葉しか出てこない。
見えてきたのは
〝 これがそう(白い龍の言葉か?)
そなたの(見るもの)全て真(まこと)
それを伝えよ
人皆それぞれ
最初から 滑らかな道を行くものもあれば
ごつごつとした 岩肌を行く者もある
岩肌を行く者は 一見辛そうではあるが
そこを挑戦していく術(すべ)手立てを
持ったものだからこそ 敢て そうしておる
清らかな 滑らかな道を行っているものも
(他人から見れば)そう見えていても
本人にとっては 険しい道を行っている
どちらも その人の道
どちらが良いとか 悪いとかではない
与えられた道 歩めよ 〟
白龍が 空高く 駆け上がる
澄んだ群青色の空(雲はない)
青というより 黒に近いような色
眼下には 峨々(がが)とした山並み?
ヒマラヤ山脈のよう?
〝 そなたが山が好きなのは 元々この辺りへ居たから(?)
此処から(この高さから)下を見下ろしていたから
(見下ろすとは悪い意味ではなく)
此処からだと 人々の様子が つぶさに分かる
細かいところまで 入っていけずとも
上からなら 見ることが出来る
細かい処を見るのは それに相応しい者らが 役目 〟
視点が変わり色んな色の龍が並んで飛んでいる
横並び
白い龍は そのかなり上を行く
それらの龍が 向かっているのは
顔に 日の光を浴びる方向へ
朝日?夕日? そこがわからない
眼下には白い雲 霧に覆われた山々
壮大な 景色
〝 自分を卑しむことは 無い
此処も 通り越し(経済的な面)
此処を越えて行け
自信を持て(に近い言葉?) 〟
全て色の違う龍
顔が大写し?
逞しい 精悍な感じ
とまぁ、いつに変わらぬ、ほんまかいな;?な言葉が結構出てきております;。
最初の方の言葉、これは自分が書き写していても、確かにそうだなと感じます。
人それぞれ、生きていくのに通り越して行く道筋も違えばその方法も違う、けれどもそれが自分に課せられた道ならば、その道を迷わず進め、
ということでしょうか。
峨々とした山並みが見えたのは覚えております。
書いておりますように、なんとも高い山々が連なりどことなくそれらが人々を寄せ付けないようでもあり、または崇高な感じを思わせたりと
感じられました。
空はどこまでも青く、というよりもこれも群青に近い黒いような青に思われました。
しかし;、自分が下を見下ろしていた空飛ぶ龍であったのか、と問われれば、いやぁどうでしょうねぇ;、と我ながら首を傾げざるを得ま
せん。
申すがごとく、あくまでも自分が頭の中で感じた感覚、妄想の域は出ておりませんので、そこのところは本当にご容赦下さい。
ただ、自分が龍であったかどうかよりも、幾頭もの龍が横並びになり、しかもその身体の色はそれぞれに違いながらもそのどれもが逞しく
精悍な顔つきであったのはこれもまた良く覚えておることです。
なんとも清清しいような思いのする光景で、そのような龍の遥か上あたりをまた白い龍が駆けているのでした。
経済的なこと、これは言わずもがなです。
あまり申しておりませんけれど、このオバサン;結構ピーピーしております。(え、分かってるって;)
そこを見透かしてのこの言葉だったのかもしれません。
またそうであろうとも、自分を卑しむな、というのはどうせ自分なんてと、どのような状態であっても己を卑下するなという風に解釈致しました。
どんな状況であっても正々堂々、胸を張って行け、そんな風に言われたように思います。
これらのことを瞑想の中で感じた後、自分で思ったことは、不安を持つと不安が顔を出す、つまりはそのこと自体が現実化すると言うこと。
ならば、素敵!自分は楽しい!そういう方へ思えば今度は周りが光り輝いて見えるのでは、ともこれもまた書き記しておったようでした。
いつかも書いたかと思いますが、思うことがそのまま具現化、現実化する、良い意味でも悪い意味でも、思ったことそのものが実現すると言う
ことです。
ならば、どうせ思うのなら良い方へ向けて考えた方が良いんじゃない?という、とても単純な考えというわけです。
こうして見ると、自分一人で考えて、一人で落ちをつけてるようなものですね。
当たり前のようなことですけれど;。
写真は、いつものように夕方散歩をして帰っていると、それまで雲のなかった空に西から出てきた雲を撮ったものです。
今日、何書くよ;?と考えていた時に、さながら現れたかのように白い龍と思しき雲が出てきたのでした。
どうででも書けということかいな;、と感じつつ家に戻り、上記のような事柄を綴らさせて頂いたというわけです。
何度も繰り返して申しておりますけれど、決して己が優れているというようなことを述べておるのではありません。
それでもこれは伝えなさい、とどうしても言われているようで、このように書き記させて頂いております。
この拙い上記の文章の中で、少しでも皆様に伝わる部分がございましたら、幸いと存じます。
今日もまたもや妄想話となってしまいましたけれど。
そんなブログへのお付き合い、本日も有難うございました。
感謝申し上げます。