こんばんは。
朝から台風の影響で雨、風ともに続いております。
とはいえ、この辺りはそれほど酷い風雨でもないので今のところは安堵しておるのですけれど、未だに酷い状況、あるいはこれからという
地域の皆様はお気をつけ頂ければと存じます。
朝はやはり鈍色の空から始まりました。
朝の6時過ぎと8時頃、こうしてみても明るさが違うだけでさして変わりはありませんね。
そんな台風が来る今日は衆議院選挙の投票日でもあります。
当然投票に行く気満々だったですけれど、朝からのこの雨でどうにも断念してしまいました;。
今日はうちの神殿で秋の謝恩例大祭を執り行うようにしていたため、それを主に考えておりましたので、選挙が後回しとなってしまいました。
申し訳ない限りです;。
日にちが分かっていたのだったら期日前投票も出来たわけですけれど、今現在、徒歩とバスでしか足がない分、当日の投票所へ行くほうが一番
良いだろうと考えたのが、そも間違いでした。
朝から降り続く雨を見ながら、今から事前に行って来ようかと思いつつも先に祭をさせて頂こうと考えたのがいけなかったのかもしれません。
心落ち着けて祭を済ませると、雨脚が余計に強くなって来ている様子で結局はその天気に心折れて出られませんでした;。
歩いて往復5キロ半、この雨の中下界へ下りるのはねぇ;、と自分に大甘の考えが出足を鈍らせた結果となってしまいました。
全国の皆さん、一票少ないのは、此処におります自分のせいです、誠に申し訳御座いません;。
秋の祭と書きましたのは、うちの広島敬神講社の信徒さん方を対象とした例大祭です。
大祭というからには、かなりの人出を想像されるかと思いますけれど、昨今はお越しになられる方は殆どおられず、その分お振込みによる
玉串料を頂戴致しまして神前にてその方々のお名前を申し上げさせて頂き、後日御神札と共に神様にお供え致しました神饌物と共にそれらの
方々へお送りするということにさせて頂いております。
いわば、神様と自分とのお祭りのような事になっておりますけれど、だからこそ余計にしっかりとさせて頂かねばと肝に銘じております。
その祭りを始める際、殊に大きな祭りでは神殿の神様の前に垂らしております御簾(みす)というものを巻き上げる所作、巻簾の儀(けんれん
のぎ)というものがあります。
この時には、警蹕(けいひつ)といい、おーーという声を出しながら致すことになっております。
今回、この時にただ御簾を巻き上げるのではなく、この巻き上げた後に出雲大社の大国主大神様そうして(どうしてか)素鵞社(そがのやしろ)
ご本殿の裏手にありますお社ですけれど、そこに坐します素戔鳴尊(すさのおのみこと)様をこの警蹕にてお迎えさせて頂きました。
何故?と聞かれても、自分でもどうしてなのか分かりません。
この度のお祭りには御呼びさせて頂くのが相応しい、そう咄嗟に頭の中で判断したからでした。
先にも申したように、神前に於いては神様と自分だけでのお祭りではありますけれど、厳粛なる心持にて執り行わさせて頂くことが出来ました。
外は台風の雨風でしたけれど、気持ちは爽やかに心静かにさせて頂けたと感じた次第です。
素戔鳴尊、よく荒ぶる神様として登場されておりますけれど、その実、雄雄しい面をお持ちの神様なのではと思っております。
今回お迎えさせて頂いたというのは、この先に何かあるからなのかどうかは存じませんが、何かしら新しい展開が待っておるのやもしれません。
期待するわけではありませんけれど、そのようになれるよう努めさせて頂きたいと存じます。
お祭りが終わるとこのお越し頂きました二柱の大神様には、元の処へ御帰りいただける様、再び警蹕にてお送り致します。
今回、お越し頂く際、この警蹕の声を出すのにいつもより声が大きく、且つ長く出しておりました。
出すというよりも、失礼を承知で申すならば出さされているという方が正直、正しいように感じます。
自分でおーーの声を上げながら、え、まだ出すの?という位、長く続いておりました。
それほど、この二柱の大神様はいつにも増して大きくお力のある神様であるのだなぁ、と感じさせて頂いたのでした。
(自分でしておいて、それは無いんじゃない?と言われそうですけれど、そういうことは往々にしてあるようです、念の為;。)
その御帰りになられる前に、奉幣(ほうへい)というものを自分で手に持ちそれを左右に振りながら念じるのですけれど、その際に頭の中へ
言葉にならないあれこれの情報?のようなものが下りてくるように、これも感じられます。
後で思い返しても、その直後なら覚えておりますけれど、時間が経つと不思議とその記憶が消えるように無くなっております。
すぐにメモしようと思いながらもそれも後で思うことで、その時にはその下りてくる情報のようなものと自分が頭の中で意見交換しているよう
でもありますけれど、それとて後にはなんのことやったやら、という感じです。
それでも何がしかをそこの時点で神様、高次元からの伝言のようなものを受け取っているのかもしれませんけれど。
覚えていないのが、玉に瑕ですね;。
ともあれ無事滞りなく済まさせて頂くことが出来まして、安堵致しております。
写真は出雲大社御本殿、裏手からのものです。
これから雨脚、また風が酷くなられる地域の皆様、最初にも書きましたようにどうぞお気をつけてお過ごし下さいませ。
本日もこのブログへのお付き合い、有難うございました。
感謝申し上げます。
(写真は、最初の2枚以外は、一昨年のものです。)
朝から台風の影響で雨、風ともに続いております。
とはいえ、この辺りはそれほど酷い風雨でもないので今のところは安堵しておるのですけれど、未だに酷い状況、あるいはこれからという
地域の皆様はお気をつけ頂ければと存じます。
朝はやはり鈍色の空から始まりました。
朝の6時過ぎと8時頃、こうしてみても明るさが違うだけでさして変わりはありませんね。
そんな台風が来る今日は衆議院選挙の投票日でもあります。
当然投票に行く気満々だったですけれど、朝からのこの雨でどうにも断念してしまいました;。
今日はうちの神殿で秋の謝恩例大祭を執り行うようにしていたため、それを主に考えておりましたので、選挙が後回しとなってしまいました。
申し訳ない限りです;。
日にちが分かっていたのだったら期日前投票も出来たわけですけれど、今現在、徒歩とバスでしか足がない分、当日の投票所へ行くほうが一番
良いだろうと考えたのが、そも間違いでした。
朝から降り続く雨を見ながら、今から事前に行って来ようかと思いつつも先に祭をさせて頂こうと考えたのがいけなかったのかもしれません。
心落ち着けて祭を済ませると、雨脚が余計に強くなって来ている様子で結局はその天気に心折れて出られませんでした;。
歩いて往復5キロ半、この雨の中下界へ下りるのはねぇ;、と自分に大甘の考えが出足を鈍らせた結果となってしまいました。
全国の皆さん、一票少ないのは、此処におります自分のせいです、誠に申し訳御座いません;。
秋の祭と書きましたのは、うちの広島敬神講社の信徒さん方を対象とした例大祭です。
大祭というからには、かなりの人出を想像されるかと思いますけれど、昨今はお越しになられる方は殆どおられず、その分お振込みによる
玉串料を頂戴致しまして神前にてその方々のお名前を申し上げさせて頂き、後日御神札と共に神様にお供え致しました神饌物と共にそれらの
方々へお送りするということにさせて頂いております。
いわば、神様と自分とのお祭りのような事になっておりますけれど、だからこそ余計にしっかりとさせて頂かねばと肝に銘じております。
その祭りを始める際、殊に大きな祭りでは神殿の神様の前に垂らしております御簾(みす)というものを巻き上げる所作、巻簾の儀(けんれん
のぎ)というものがあります。
この時には、警蹕(けいひつ)といい、おーーという声を出しながら致すことになっております。
今回、この時にただ御簾を巻き上げるのではなく、この巻き上げた後に出雲大社の大国主大神様そうして(どうしてか)素鵞社(そがのやしろ)
ご本殿の裏手にありますお社ですけれど、そこに坐します素戔鳴尊(すさのおのみこと)様をこの警蹕にてお迎えさせて頂きました。
何故?と聞かれても、自分でもどうしてなのか分かりません。
この度のお祭りには御呼びさせて頂くのが相応しい、そう咄嗟に頭の中で判断したからでした。
先にも申したように、神前に於いては神様と自分だけでのお祭りではありますけれど、厳粛なる心持にて執り行わさせて頂くことが出来ました。
外は台風の雨風でしたけれど、気持ちは爽やかに心静かにさせて頂けたと感じた次第です。
素戔鳴尊、よく荒ぶる神様として登場されておりますけれど、その実、雄雄しい面をお持ちの神様なのではと思っております。
今回お迎えさせて頂いたというのは、この先に何かあるからなのかどうかは存じませんが、何かしら新しい展開が待っておるのやもしれません。
期待するわけではありませんけれど、そのようになれるよう努めさせて頂きたいと存じます。
お祭りが終わるとこのお越し頂きました二柱の大神様には、元の処へ御帰りいただける様、再び警蹕にてお送り致します。
今回、お越し頂く際、この警蹕の声を出すのにいつもより声が大きく、且つ長く出しておりました。
出すというよりも、失礼を承知で申すならば出さされているという方が正直、正しいように感じます。
自分でおーーの声を上げながら、え、まだ出すの?という位、長く続いておりました。
それほど、この二柱の大神様はいつにも増して大きくお力のある神様であるのだなぁ、と感じさせて頂いたのでした。
(自分でしておいて、それは無いんじゃない?と言われそうですけれど、そういうことは往々にしてあるようです、念の為;。)
その御帰りになられる前に、奉幣(ほうへい)というものを自分で手に持ちそれを左右に振りながら念じるのですけれど、その際に頭の中へ
言葉にならないあれこれの情報?のようなものが下りてくるように、これも感じられます。
後で思い返しても、その直後なら覚えておりますけれど、時間が経つと不思議とその記憶が消えるように無くなっております。
すぐにメモしようと思いながらもそれも後で思うことで、その時にはその下りてくる情報のようなものと自分が頭の中で意見交換しているよう
でもありますけれど、それとて後にはなんのことやったやら、という感じです。
それでも何がしかをそこの時点で神様、高次元からの伝言のようなものを受け取っているのかもしれませんけれど。
覚えていないのが、玉に瑕ですね;。
ともあれ無事滞りなく済まさせて頂くことが出来まして、安堵致しております。
写真は出雲大社御本殿、裏手からのものです。
これから雨脚、また風が酷くなられる地域の皆様、最初にも書きましたようにどうぞお気をつけてお過ごし下さいませ。
本日もこのブログへのお付き合い、有難うございました。
感謝申し上げます。
(写真は、最初の2枚以外は、一昨年のものです。)