日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

娘のこと 続き

2017-10-24 23:49:52 | 家族のこと
こんばんは。
どうにも書いていた記事が突然、後半部分全て消えてしまったのが納得いかず続きを書いております。
というか覚えている間に先ほどのことを思い出しながら、今一度綴ってみたいと思います。


その当時今から20数年程前は、妊娠して検診に行っても今ほどエコーもはっきりしておらず、なんとなくお腹の赤ちゃんはこんな感じですね、
と分かる程度のものでした。
そのような頃でしたけれど、検診に行く度に渋い顔をした産婦人科の医師に胎児の発育状況は良くないといわれ、自分自身もそれで余計に落ち込ん
で帰るような有様でした。
ある時、羊水穿刺といってお腹に針を突き刺し、それで羊水を取り出し胎児の状態を調べる検査をするかどうか提案されましたけれど、夫婦で話し
合いそれは断りました。
月日は経ち、臨月近くになりその個人病院の医師から、うちでは最後までは責任を持って診られないといわれ、その時点で病院を替わることを薦め
られました。
今更という思いもしましたけれど結果的にはその方が良く、総合病院である別の産婦人科に移り、その当時は妊婦さんでごった返す待合室で臨月の
最後の頃の検診を受けたのでした。
その病院では診察を受けた後、自分が自分のカルテを持って受付へ戻していたと記憶しております。
ですのでカルテの中身を見ようと思えば、自分のそのカルテを覗くことも出来たわけです。
どんなことを書かれているのかと中を見ると、カルテの端っこの方にその先生の字で「このあかちゃん、どうかな~」と書かれてありました。
嘘でしょ、と思われるかもしれませんけれど本当です。
それを見た自分は正直な先生だな、と感じました。
実際こちらの病院へ移り、何人もおられる女性の産婦人科の先生らに
「全て包み隠さずお伝え致します。お腹のあかちゃんは、帝王切開で取り出すのも難しいと思いますので自然分娩でいきます。力を尽くします。」
といわれておりましたので、それだけでも頼もしく思え、夫婦共々全面的に信頼を致したのでした。
その当時、周産期医療がようやっと言われだした頃の事で、後に出産となる時には、産婦人科と小児科の医師が共に分娩室に集う形で行われる
ことになっておりました。
そのようなことも伺って後の、この先生の「このあかちゃん、どうかな~」の書き込みでしたので、患者である自分が覗くかもしれないという前提で
敢えて書き込まれておられたのかもしれません。
その日帰宅してそのことを主人に話すと、おそらくそうかもな、と言っていたように思います。
不安がないわけではありませんでしたけれど、それまでとは違い隋分と気持ちを楽に持つことが出来、出産までの日々を過ごしていたように思います。




                                



先に掲げた記事の続きは概ね、このようなことを書かせて頂いておりました。
これ以上ですと、どうにも明日にかかってしまいそうです;。
切りの良いところで今夜は終わらせて頂こうと思います。
なんとも歯切れの悪い書き方になってしまいまして、申し訳ございませんでした。

この前半部分を書いておりました時、たまたま息子から電話があり、話をしていたのですけれど、どうにも息子にしてみると母親の自分に対して
腹に据えかねることがあったようで怒って電話を切ってしまいました;。
直後に記事をアップしようとして、その部分が消えてしまいましたので、なんだか娘や息子らに
「しっかりしんさいや(しっかりしてください)、全くもう」
と怒られたのかもしれません;;。
我が子ながら、この子らならやりかねないかも、とも感じた事でもありました。
親として反省致すべき、と今感じておるところです;。
痛いところを言ってくれるのは身内だからこそ、たとえそれが子供からだとしてもそう感じているからこそ、と思えた、つい先ほどの出来事でした。



さてさて明日にならぬうち、また、もう一度消えてしまわぬうちにアップさせて頂く事と致します。


再度のお付き合い、有難うございました。
お休みなさい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

娘のこと

2017-10-24 22:16:08 | 家族のこと
こんばんは。
いつに変わらぬ挨拶から始まりますけれど。
朝晩やはり冷え込むようになりましたね。
北海道では雪のためチェーンを付けていなかった大型車が立ち往生して、その後十数時間動けなくなったとニュースが出ておりました。
かと思えば、南、石垣島辺りでは未だに暑いのが当たり前のようで、入ろうと思えば水の中でも飛び込めるほどの気温らしいですね。
日本列島、やはり北から南ですと相当に気候に隔たりがあるのかもしれませんね。
そん日の朝はこんな感じでお日様が顔を見せておりました。



                             
                                  




                                
                                  




先日、数霊(かずたま)というものをご紹介し、その中で「龍」のそれは86であるとお伝え致しました。
それがどうした?ですけれど、自分や家族にもその数霊を当てはめてみると、その86が娘の姓名を合わせた数霊と一致しました。
我が家は一人息子です。
では何故娘なのか。
実は息子の生まれる一年前に娘も生まれておりました。
けれど、その子は18時間という、この世での滞在時間で向こうの世界に帰ってしまいました。
この話には、少し理由があります。

最初に娘を授かって2ヶ月経った頃、ある日家の外でプランターで何か種を蒔こうと自分ひとりで外におりました。
種を蒔き終わって立ち上がった途端、窓に取り付けていたウィンドファンの室外機にいやと言うほど頭を打ちつけ、自分自身そのショックで
しばらく身動き出来ない程だったのだと思います。
その場所へそのような硬く出っ張ったものがあることは分かっていたはずですが、その時は全く頭に無かったんでしょうね。
ともあれ、このままではいけないと思い、なんとか家の中へ入ったことは覚えております。
その頃、主人は仕事から戻り、二階で着替えていたようです。
自分が室外機に頭を打ちつけた時、一瞬地震かと思うほど家が揺れたそうです。
一階へ下りてくると、最初はネコが丸まっているのかと思ったそうですが、すぐにそれが私だと分かり頭を抱えて痛い痛いしか言わないその声が
段々と小さくなっていくのを見たとき、これはただ事ではないと感じたのか、すぐに救急車を呼んだようでした。
当の自分はといえば、何とはなく救急車に乗せられ移動していることは分かっていたようなのですけれど、殆ど覚えておりません。
端から見る分には、どうも息をしているのかどうかさえ怪しかったようで、ともかくにもいつもお世話になっている主治医の病院へと運んで
もらったようでした。
それからどのくらい経ったのか、気づくと自分は当然ベッドの上で寝ておりました。
何か処置をしてもらったのかどうかは覚えていないのですけれど、声を出そうとしても全く出せなくなっておりました。
その日は3月の春分の日の前の日でした、というのも次の日に自分の友人の結婚式があり、それに呼ばれていたから日にちを覚えていたのですね。
痛い頭でしたけれど、どうやら脳内に損傷があったわけではないようでしたけれど、一晩大事を取って入院したらという主治医に、どうしても帰り
たいとの旨を主人を通じて伝えてもらい、無理をして帰宅しました。
そんな状況でどうしようとしていたかというと、その当時、手技といい、身体を触って治すいわば整体をする知人のご夫婦が降り、その方らの所へ
連れてってほしいと主人に無理やり頼んだのでした。
どうやってそのお宅までいったのか、もう記憶にありませんが、ともかくそのお宅へ伺い、そこの奥様に痛む頭を30分以上も手を当ててもらって
おりました。
このご夫婦は自分達の結婚式の折に出席して頂いた方達でもあり、いわば気心の知れた間柄でしたので、その日の経緯も話してそのような運びに
なったのだと思います。
手を当てて頂いた自分自身は、救急車の隊員さんに下手をすると、と危ぶまれる程の状態であったにもかかわらず、治療が終わる頃には声も普通に
出せるようになり、痛みも相当収まって笑顔も出るようになっておりました。
次の日の友人の結婚式の話、これも色々とあるのですけれど、これはまた次の機会に譲ると致します。

ともあれそのようなことがあって後、それまでは順調に育っていたお腹の子でしたけれど、その日を境に成長は芳しくなくなっていったようでした。



                                  



すみません、続きを長々と書かせて頂き、後はアップするだけ、というところで後半が全てどうしたわけか消えてしまいました;。
もう一度書くのは、今の時点、力が抜けてしまいました、申し訳ございません。

気を取り直して、明日もう一度続きから書かせて頂こうと思います。


かなり短めの本日のブログとなりました、すみません。
それでもお付き合い頂きました皆様、有難うございました。
感謝申し上げます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする