こんばんは。
このところ日が陰るのが早くなりましたね。
以前はこのあたり午後五時でもまだ日は射しておりましたけれど、今は早々と山の向こうへと隠れてしまいます。
もちろん、下界;はまだまだ日はありますよ。
それだけここら辺は山に近いということですね。
そんな朝は雲もなく晴れ渡り、久しぶりで綺麗な朝日が見られました。
遠くの山裾辺りは、霧も出ていたようです。
昨日、自分でもどうしてという位、娘の誕生までを詳細に綴っておりましたけれど・・・。
これまで親しい方にもそれほど此方から積極的に話したこともありませんでしたし、かと言って特に隠している様なつもりもなかったのですが。
書き出すと止まらなくなったというのが正直なところです。
普段、積極的に気持ちの中へいつも娘のことを思う部分があるかと問われれば、毎日はさすがに無いとしか言えません。
そんな自分に、たまには弟のことだけではなく姉の自分のことも書いてほしい、と暗に向こうの世界の娘から提案?してきたのかもしれません。
確かに、なにかあれば娘に当てはめて考えることはあるにせよ、いつもという訳ではありませんし。
今回は出来の悪い母親自身(いや、本当に;)の、自分自身に対する懺悔のような感じなのかも知れないと思います。
懺悔という言葉自体、神道にはどうにも的確な言葉が見当たらないようですので、敢えてこの言葉で表現させて頂きます。
出産自体はお腹の子自身が力が無いせいか微弱陣痛で始まり、時間ばかりがかかったように思います。
一晩中、時たま襲うようにしてくる陣痛に苦しみながら、食べないと力出ませんよといわれる食事も喉を通らず、しんどさばかりが増していくよう
でした。
結局、時間が掛かり過ぎているということで途中から陣痛促進剤を服用してくださいということになりましたが、言われた量をきちんと飲むのが
どうにも嫌で(勝手な患者でした;)何度か出されていた薬をそれこそ勝手に抜かしたりをしておりました。
駄目じゃないですか、と幾度か様子を見に来た看護師さんに叱られながらも最後はおそらく注射であったのか、薬を入れた途端に激しい陣痛の
痛みに襲われ、なんとか出産にこぎつけたのでした。
とはいえ元々弱いとされていた子供ですし、出産したにもかかわらず産声を上げることはありませんでした。
10秒、15秒、と声をあげない赤ん坊の傍らでその時間を読み上げる看護師さんの声がありました。
やがて取り上げられた娘は待ち受けていた小児科医に抱きかかえられるようにして別の部屋に連れて行かれたようでした。
自分自身は出産後の猛烈な子宮収縮の痛みがありながらも、一向に姿を見せてもらえない我が子のことが気になっておりました。
けれど看護師長はじめ、誰一人として子供のことを伝えてくれる人はいませんでした。
主人ですら、よく頑張ったなと立会い出産で全てを見ていたにも拘らず、そう声をかけるばかりで何も教えてくれません。
よく休みなさい、と口々に労わって下さる皆さんの声にありがとうと返しつつも、結局は一晩中痛みと心配とで寝られないままでした。
一夜明けるとなんともしんどく、出産とはこのように疲れるのかと感じておりましたけれど、どうやら使用した促進剤の影響もあるようでした。
そんな中で早速にお見舞いに来て下さった方もあったのですけれど、目を開けていることすらしんどい状態でまともに今度は返事も出来ない
感じで過ごしておりました。
そんな中、当日であったか次の日であったか、主人があのな、と言って話しかけてきました。
二人して、たまたま誰も入っていないガランとした病室へ移動し、主人が声を出そうとしたその時に
「駄目だったん?」
と自分が言うと、同時にそばにいた主人の方が声を上げて泣き出したのでした。
瞬間、目の前の景色が全て色あせたように感じられ、これは悪い夢ではないのか、そのように感じられました。
何かを隣で一生懸命に伝えてくれている主人の声がどこか遠くで聞こえている、よくドラマでそんな風な表現がありますけれど、実際にその時は
自分自身がぼんやりと、これって本当にあることなんだな、とどこかぼやけたような感覚で聞いていたように思います。
実際、出産直後に生まれた子に何がしかの異常があり子供が亡くなった場合、そのことを伝えることにより母親自身が精神的に相当なダメージを
受け、心身共に回復が危ぶまれることが多いのだそうです。
今回、そのようなケースも十分に考えられると医療側も捉えていたようで、では誰が伝えるのが一番良いのか、かなり議論になったそうです。
結局は、どうなってでも自分の妻だから、と主人がその役を買って出たようでした。
自分自身、出産直後から、もしかしたらということは常に頭にありましたので、主人の顔色を見た途端、わかったという方が正解かもしれません。
話を先ほどに戻すと、泣いている主人の方がどうにかなりそうで、自分自身はショックではありましたけれど、やはりそうであったかという気持ち
の方が、その時点では強かったように思います。
新生児集中治療室、NICUにて出産直後から保育器に入れられ、医師をはじめ多くの看護師さん方に見守られながら十数時間を過ごしたであろう
娘。
最後にお母さんが抱いてあげて下さい、と受け取ったその小さな身体は既に冷たくなっておりました。
ですけれど、その我が子を初めて抱いて頬ずりする自分を見る、それまでお世話をして下さっていた医師や看護師さんらは、既に泣き腫らしてぐちゃ
ぐちゃになった顔で待って下さっていたのでした。
娘は100~200万人に一人という「ポッター症候群」という症状で生まれ出た赤ん坊でした。
これは身体の外側は一見、完全に出来上がっているように見えるのですけれど、中身、いわば内臓はその多くが欠落している状態であるようです。
どうしてどのようなことになるのか、その時の段階ではわからないとされておりました。
自分にしてみると、あの妊娠二ヶ月目頃に頭を強打した後から悪くなったといわれておりましたので、素人考えではありますが母体は大丈夫であった
けれど、胎児には重篤なダメージをその際に受けたのでは、と考えております。
娘の場合もあれこれが無いという状態であったようですけれど、臍の緒、臍帯で母体と繋がっていたため、なんとか胎内では生育出来ていたよう
でした。
しかし、一旦外の世界へ出てしまえば、呼吸することも排泄することも自らが行わなくてはなりません。
心肺機能は通常の3文の1程度しかないため産声は上げることは出来ず、腎臓そのものが無い故、その機能も無く生れ落ちた瞬間から腎不全の状態
であったということでした。
保育器に入れられた娘を唯一人見に行った主人は、自分の人差し指をそっと差し入れてみたそうです。
その人差し指を、その子は思いがけぬ程の力強さでギュッと握り返してきた、と話してくれました。
それだけで、ああこの子は、この世に生まれてきてくれたんだ、ありがとう、そう感じたとも言っておりました。
ただし、娘の瞼をそうっと開けてみると、そこには瞳が無い状態だったとも言っておりました。
何ともいえぬ気持ちになりながらも、目の前で声も出せぬ娘がそれでも必死に生きようとしている姿にどうにも涙が止まらなかったとも話して
くれました。
そんな娘との対面があった後に私への報告だったらしく、泣くしかなかったのだと思います。
出産時直後は、概ねそのような状況だったかと思います。
今日の時点でこの話にけりをつけて、最初の『龍』に結びつけるつもりでしたけれど、どうにも話が終わりそうにありません。
もう少し、自分自身で納得が行くまでこの話を続けさせて頂ければと思います。
毎回拙い話を続けておりますこのブログ、本日もお付き合い頂きました皆様、いつも有難うございます。
感謝申し上げます。
このところ日が陰るのが早くなりましたね。
以前はこのあたり午後五時でもまだ日は射しておりましたけれど、今は早々と山の向こうへと隠れてしまいます。
もちろん、下界;はまだまだ日はありますよ。
それだけここら辺は山に近いということですね。
そんな朝は雲もなく晴れ渡り、久しぶりで綺麗な朝日が見られました。
遠くの山裾辺りは、霧も出ていたようです。
昨日、自分でもどうしてという位、娘の誕生までを詳細に綴っておりましたけれど・・・。
これまで親しい方にもそれほど此方から積極的に話したこともありませんでしたし、かと言って特に隠している様なつもりもなかったのですが。
書き出すと止まらなくなったというのが正直なところです。
普段、積極的に気持ちの中へいつも娘のことを思う部分があるかと問われれば、毎日はさすがに無いとしか言えません。
そんな自分に、たまには弟のことだけではなく姉の自分のことも書いてほしい、と暗に向こうの世界の娘から提案?してきたのかもしれません。
確かに、なにかあれば娘に当てはめて考えることはあるにせよ、いつもという訳ではありませんし。
今回は出来の悪い母親自身(いや、本当に;)の、自分自身に対する懺悔のような感じなのかも知れないと思います。
懺悔という言葉自体、神道にはどうにも的確な言葉が見当たらないようですので、敢えてこの言葉で表現させて頂きます。
出産自体はお腹の子自身が力が無いせいか微弱陣痛で始まり、時間ばかりがかかったように思います。
一晩中、時たま襲うようにしてくる陣痛に苦しみながら、食べないと力出ませんよといわれる食事も喉を通らず、しんどさばかりが増していくよう
でした。
結局、時間が掛かり過ぎているということで途中から陣痛促進剤を服用してくださいということになりましたが、言われた量をきちんと飲むのが
どうにも嫌で(勝手な患者でした;)何度か出されていた薬をそれこそ勝手に抜かしたりをしておりました。
駄目じゃないですか、と幾度か様子を見に来た看護師さんに叱られながらも最後はおそらく注射であったのか、薬を入れた途端に激しい陣痛の
痛みに襲われ、なんとか出産にこぎつけたのでした。
とはいえ元々弱いとされていた子供ですし、出産したにもかかわらず産声を上げることはありませんでした。
10秒、15秒、と声をあげない赤ん坊の傍らでその時間を読み上げる看護師さんの声がありました。
やがて取り上げられた娘は待ち受けていた小児科医に抱きかかえられるようにして別の部屋に連れて行かれたようでした。
自分自身は出産後の猛烈な子宮収縮の痛みがありながらも、一向に姿を見せてもらえない我が子のことが気になっておりました。
けれど看護師長はじめ、誰一人として子供のことを伝えてくれる人はいませんでした。
主人ですら、よく頑張ったなと立会い出産で全てを見ていたにも拘らず、そう声をかけるばかりで何も教えてくれません。
よく休みなさい、と口々に労わって下さる皆さんの声にありがとうと返しつつも、結局は一晩中痛みと心配とで寝られないままでした。
一夜明けるとなんともしんどく、出産とはこのように疲れるのかと感じておりましたけれど、どうやら使用した促進剤の影響もあるようでした。
そんな中で早速にお見舞いに来て下さった方もあったのですけれど、目を開けていることすらしんどい状態でまともに今度は返事も出来ない
感じで過ごしておりました。
そんな中、当日であったか次の日であったか、主人があのな、と言って話しかけてきました。
二人して、たまたま誰も入っていないガランとした病室へ移動し、主人が声を出そうとしたその時に
「駄目だったん?」
と自分が言うと、同時にそばにいた主人の方が声を上げて泣き出したのでした。
瞬間、目の前の景色が全て色あせたように感じられ、これは悪い夢ではないのか、そのように感じられました。
何かを隣で一生懸命に伝えてくれている主人の声がどこか遠くで聞こえている、よくドラマでそんな風な表現がありますけれど、実際にその時は
自分自身がぼんやりと、これって本当にあることなんだな、とどこかぼやけたような感覚で聞いていたように思います。
実際、出産直後に生まれた子に何がしかの異常があり子供が亡くなった場合、そのことを伝えることにより母親自身が精神的に相当なダメージを
受け、心身共に回復が危ぶまれることが多いのだそうです。
今回、そのようなケースも十分に考えられると医療側も捉えていたようで、では誰が伝えるのが一番良いのか、かなり議論になったそうです。
結局は、どうなってでも自分の妻だから、と主人がその役を買って出たようでした。
自分自身、出産直後から、もしかしたらということは常に頭にありましたので、主人の顔色を見た途端、わかったという方が正解かもしれません。
話を先ほどに戻すと、泣いている主人の方がどうにかなりそうで、自分自身はショックではありましたけれど、やはりそうであったかという気持ち
の方が、その時点では強かったように思います。
新生児集中治療室、NICUにて出産直後から保育器に入れられ、医師をはじめ多くの看護師さん方に見守られながら十数時間を過ごしたであろう
娘。
最後にお母さんが抱いてあげて下さい、と受け取ったその小さな身体は既に冷たくなっておりました。
ですけれど、その我が子を初めて抱いて頬ずりする自分を見る、それまでお世話をして下さっていた医師や看護師さんらは、既に泣き腫らしてぐちゃ
ぐちゃになった顔で待って下さっていたのでした。
娘は100~200万人に一人という「ポッター症候群」という症状で生まれ出た赤ん坊でした。
これは身体の外側は一見、完全に出来上がっているように見えるのですけれど、中身、いわば内臓はその多くが欠落している状態であるようです。
どうしてどのようなことになるのか、その時の段階ではわからないとされておりました。
自分にしてみると、あの妊娠二ヶ月目頃に頭を強打した後から悪くなったといわれておりましたので、素人考えではありますが母体は大丈夫であった
けれど、胎児には重篤なダメージをその際に受けたのでは、と考えております。
娘の場合もあれこれが無いという状態であったようですけれど、臍の緒、臍帯で母体と繋がっていたため、なんとか胎内では生育出来ていたよう
でした。
しかし、一旦外の世界へ出てしまえば、呼吸することも排泄することも自らが行わなくてはなりません。
心肺機能は通常の3文の1程度しかないため産声は上げることは出来ず、腎臓そのものが無い故、その機能も無く生れ落ちた瞬間から腎不全の状態
であったということでした。
保育器に入れられた娘を唯一人見に行った主人は、自分の人差し指をそっと差し入れてみたそうです。
その人差し指を、その子は思いがけぬ程の力強さでギュッと握り返してきた、と話してくれました。
それだけで、ああこの子は、この世に生まれてきてくれたんだ、ありがとう、そう感じたとも言っておりました。
ただし、娘の瞼をそうっと開けてみると、そこには瞳が無い状態だったとも言っておりました。
何ともいえぬ気持ちになりながらも、目の前で声も出せぬ娘がそれでも必死に生きようとしている姿にどうにも涙が止まらなかったとも話して
くれました。
そんな娘との対面があった後に私への報告だったらしく、泣くしかなかったのだと思います。
出産時直後は、概ねそのような状況だったかと思います。
今日の時点でこの話にけりをつけて、最初の『龍』に結びつけるつもりでしたけれど、どうにも話が終わりそうにありません。
もう少し、自分自身で納得が行くまでこの話を続けさせて頂ければと思います。
毎回拙い話を続けておりますこのブログ、本日もお付き合い頂きました皆様、いつも有難うございます。
感謝申し上げます。