日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

時間が止まった

2017-08-05 22:18:26 | 不思議なお話
こんばんは。
最近、夜が涼しくなってきたと申しましたが、たまにやはり寝苦しい夜もあり。
寝たか寝ないかわからぬままに、時間が過ぎてしまうこともあるようです。
昨夜もそんな感じでして。
で、明け方近く、ふっと目が覚めて窓の外を見ると、なんとも綺麗な空が。
あともう少しで朝焼けになったのでしょうけれど、なんせ相当寝ぼけておりましたので、それでもと思い撮ったのが此方。
寝ぼけていただけあって、かなりブレておりますがご勘弁のほどを;。(というか、拡大してこんなにぶれてると思わなんだ;)
明けの明星、金星が見えていますね。

                              

こちらは毎度おなじみの朝のお日様。
ピーカンです。

                              


このところ不思議な話をしておりませんでしたので、自分が体験したそんな話を書いてみようと思います。
明日の原爆の日に事寄せて、そのお話を、とも思いましたがそれはまた後日にさせて頂きます。


                                


一人暮らしをしていた頃、(今もそうですが;)20代の頃に瞑想をしていたという話は以前させて頂いておりましたが、その頃のことです。
多分、その頃は毎晩のように一人、瞑想をしておりました。
なにせ一人ですので、邪魔する人もおらず、しようと思えばそれこそ何時間でもできていたのではないのかな、と思います。
そんなことをしていたのも、これも以前話したように瞑想の先生についてあれこれしていた時期だったかと記憶しております。

グループで集って瞑想をしていた頃、ある音楽をかけてその音を楽しむというのか、音を見てみようといわれたことがありました。
音を観るって、どういうこと?と思っていたのですが、中の一人がスピーカーから流れる音を聞きながら、ああ見えるね、と言いました。
え?見える?
そう思い、その音が見えるという本人の近くへ行くと、確かにぼんやりとした感じで焦点をずらしてそのスピーカーを見ると、音に合わせて
微かな青い煙のようなものが出ているのが見えました。
これ?と思い本人に確認すると、そうだよといいます。
へぇ、音って見えるんだ、そう感じながらそのスピーカー辺りをしばらく眺めていたのを覚えています。
実際、音に色が着いているように認識できるという人がおられるようで、その人は音につれた色が見えているようですね。
「共感覚」というそうですが、他にも数に色が見えたりとか色々あるようですけれど、自分自身はその感覚はそのときだけのもので、その後は
音に色を感じることはありませんでした。
メンバーで同じ瞑想をすることにより、そのような感覚も、もしかするとその場でそれこそ共に感じあえるような状態になっていたのかもしれ
ません。


当時、付き合っている男性がおり(主人ではありません、そのもっと前です;)ある日曜日に会う約束をしていました。
彼はSEをしており、日曜といっても結構会社へ出ていたようでした。
本来ならそのような職場へ自分が行くことはないのですが、休日でもありましたので、今日はちょっと来て見ない?とその日に誘いを受けており
ましたので、それならば、と向かうことにしました。
因みにその彼は上記の瞑想のメンバー、仲間とは全く面識のない人です。
その日曜日、自分自身、朝から光が綺麗だなぁとか風が気持ちいいなぁとか、普段からぼんやりしている方でしたが、それに輪をかけたように
感じておりました。
バスに乗り、まずは街中へ出掛け、バスから降り立ちました。
いつも見慣れている風景なのに、何故だか周りが明るく心地よく感じます。
いやそれは、これからデートだからでしょ、といわれそうですが、そのような感覚とはまた違うものでした。
その日は、いつも以上にゆっくりと歩幅を進め、周りの人たちの楽しそうな声や表情を見ながら、自分も楽しいなと感じていました。
一歩、一歩、確かめるように進んでいくのですけれど、どうしてだかそのスピードがだんだんとスローモーションのようになってきて、それと
共に周りにいる人々も、またその声もゆっくりと聞こえてくるように感じられ、とうとう終いには自分自身が歩く事が出来なくなり、その場に
立ちすくんでしまいました。
立ち止まると共に、自分の周りだけが今度は膜を張ったよう、ベールを被せたように思われ、どうにも身動きが出来ないような感覚に襲われました。
実際にはものの数十秒、あるいはもっと短かかったのでしょうけれど、自分にしてみれば30分位はそのようにしていたように妙に長く感じられ
ました。
その間、周りの物音は一切耳に聞こえてきていなかったように思います。
どうしていいのか自分でもわからず、途方に暮れるというのはこういうことなのか、と後にして思えばそうだったのでしょうけれど、その時の自分
は、一体何が起こったのか全く分からず、どうにも出来ない状態でした。
そうしていても、頭の片隅で、これじゃいけない、周りの人に変に思われる、という多少はまともに判断出来る能力が残っていたようで、ともかくも
彼のいる会社へ行こう、と先ほどまでとは違い、とてつもなく重くなってしまったような足をひこずるような思いで、歩き始めたのでした。

やっとの思いで彼のいる会社へたどり着くと、やぁ、よく来たね、もう少しで終わるから、これでも読んで待っといて、と文庫本を何冊か手渡して
くれました。
ただ、その時の自分が相当に青い顔をしていたのか表情に乏しかったようで、しかしその事を彼自身は待たせていることに腹を立てたのかな位に
最初は考えていたようです。
渡された本に目を通すことすら難しい気がして、自分自身は声も出せない感じで、ただ座って待っていました。
しばらくして仕事のけりがついたのか、手を止めて自分のところへ来てくれましたが、どう見ても普通ではない様子の自分にどう対処したらよい
のかわからぬようで、彼の方がオロオロするばかりでした。

その後、その日をどのように過ごしたのか、殆ど記憶に残っておりません。
ただ、出そうと思ってもどうしても声が出ず、自分が先ほどどのような状態であったかを説明しようにもそれもままならず、たとえ声が出たとし
ても一体どう言えば理解してもらえるのか、そう頭の中でグルグル考えていたのだけは覚えています。

既に夜になっていました。
おそらくどこかで食事もしたのでしょうけれど、その事も全く記憶にありません。
気づくと、彼の車でどこかをドライブしていたのですが、彼自身、本当にどうしようもなかったのだと思います。
その頃になり、やっと自分が声を出せるのではと感じ、搾り出すように、「もう帰ろう」と言ったように思います。

                              
                                

あの日の記憶はそこまでで、それ以降どうであったか、やはり覚えておりません。 

後日、その日のことをお会いしたことはないのですけれど、瞑想のグループでお世話になっている先生の、そのまたもう一つ上の立場にある先生と
いわれる方が仙台にいると聞いておりましたので、その方に向けて手紙を出しました。
あの時の自分がどのような状況で、どのように感じていたかをおそらく事細かに書いて送ったのだと思います。
しばらくして仕事から戻ると、郵便受けに達筆な文字の分厚い封書が届いておりました。
仙台の先生が返事を下さったのでした。
恥ずかしながら、その返信にどのようなことを書いて下さっていたのか、今となっては殆ど覚えておりません。
ただ、その文章のはじめあたりに、自分の出した封書が向こうへ届いた折に、その水色(どうやらその色で出したようです)の封筒を最初、とても
不思議な思いで眺めたと書かれていたのは記憶に残っております。
内容そのものはどうであったか定かに覚えてはいないものの、温かみのある文章で、心配することはないように綴られていたように思います。
当分は、その手紙を大事に保管し、事ある毎に読み返していたようにも思いますが幾度か引越しを繰り返すうちに、その大事な手紙もどこへいった
ものか、今では行方もしれません;。

                              


不思議な話と言っても、この程度の事ですけれど、今でもあの時の不思議な感覚は一体なんだったのだろう、と思うことがあります。
それこそ、ほんの少し次元の違う処へその時の自分は居たのではないのか、そうも思います。
あれ以降、そのような状態になることはありませんけれど、もしもう一度なってみることが出来るとしたら、今度はその感覚を思いっきり楽しん
でみたいと思います。  
ただし、そこまで心に余裕があれば、の話ですけれど。


本日もこのブログへのお付き合い有難う御座いました。
感謝申し上げます。                             

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