日々徒然なるままに

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原爆の日に寄せて

2017-08-06 22:15:22 | 原爆の日に寄せて
こんばんは。
朝から昼にかけては昨日以上に暑くなってきておりましたが、午後三時を回った頃に、台風の影響か天気雨のようにバラバラと降ってきておりました。
それまで異常に暑かったのが、雨のおかげか随分と凌ぎやすくなりましたね。
室内のむわぁっとした感じが少し収まった感じです。
夜半から明日にかけてはかなりの雨となるようです。
そんな日の朝はこちら。
朝日だけは、もうこれでもか的に輝いていますね。

                                   

今日八月六日また九日は、七十二年前に人類史上初めて地上に原子爆弾が投下された日です。
毎年、この日は朝から日が容赦なく照りつける暑い日のことが多く、今年も例外ではありませんでした。
明け方前から数多の人々が慰霊碑の前に手を合わせに行かれるようで、蝉時雨も始まる随分前、お年を召した方の姿が多く見受けられたようでした。
式典が始まると、高く昇った太陽が容赦なく参列した人たちを照りつけますが、毎年日射しが強くなってきており、今年はテントが用意されていた
ようです。
多くの国が参列する式典でもあり、平和というものをここから発信していかねばという気概の元に開催されておりますが、市井の人々はごくごく
当たり前にあの日の犠牲者に祈りを捧げる日として静かに手を合わせるばかりです。
自分自身は、毎年、八時十五分に市内どこへいても鳴らされるサイレンの音やお寺の鐘の音と共に犠牲となられた方々への黙祷を捧げます。
普段は大概ウィークデイでもあり、また通勤時間に重なる時にもあたり、全ての人がそう出来るわけではないでしょうけれど、不思議と気持ちは
そのことに向いている気がします。
いつぞやは、やはりたまたま日曜日にあたり、その日自分は呉に向けて出掛けようとしているところでした。
電車のホームで出発を待っている間に、八時十五分の時刻を知らせるサイレンが鳴り響き、思わずその場で手を合わせたのを覚えております。
厳粛な気持ちを抱きながらも、自分達の日常に当たり前に組み込まれている祈りの時間のようにも思います。

                                    
 

この仕事、いわば神主としての仕事の中で、幾度か原爆の犠牲者になられた身内のことを探してほしいといわれたことがありました。 
あの日、依頼者の方のお母さんが市内で亡くなられたというのは、親戚の人に聞いたりしてわかったけれど、どこで亡くなったのか場所もわか
らず遺骨もないということでした。  
それで、その依頼者の方とおおよそこのあたりかもしれないということろまで一緒に参り、自分の気持ちを集中させてその方のお母さんの御霊は
どこにおられるのだろう、と目を閉じて感じてみることにしました。 
戦後何十年も経ち街中はどこも大きなビルが立ち並んでいます。
そんな一角の、ビルとビルの狭間、人一人そこを通れるかどうかというくらいの隙間にその方のお母さんの御霊、気配を感じました。
自分でもまさかと思いましたけれど、八月のあの日、おそらく辺りは焼け野原となっていたのでしょうし、自分が此処だと感じた場所は京橋川と
よばれる川からさほど遠くない地点でもありました。
あの日、お母さんは幼かった依頼者の方を自分の親戚の方に託し、何がしかの用事でその辺りまで出向いておられ、あの日のあの時刻にその場所で
息絶えたのでした。                           
申したように、今はビルが建ち、その場所へ近づくことすら出来ません。
仮にその場所へ行くことが出来たとしても、とてもそこへ遺骨が残っているとは思えず、御霊、魂としての思い、念だけがそこへいつまでも留まって
おられたのだと思います。
主人と共にその方にその旨をお話しすると
「それがわかっただけでも嬉しい。これで本当に母がいたという確信が持てました」
とおっしゃり、深く頭を下げられたのでした。
その後、そのお母さんの御霊を御霊代(みたましろ)にお移しし、ご自宅にて改めてお祀りして頂きました。


これはお身内ではなく、偶然にもその場所で犠牲になられた御霊がわかったということがありました。
依頼者の方は繁華街でスナックを経営されておられたのですが、最近どうにもお客さんも減り、なんとかならないかとのご相談でした。
最初にそのお店に一歩足を踏み入れた途端、自分の口から思わず大祓いという祓いの言葉が口をついて出て来、慌ててその後を主人が一緒になって
唱えるということがありました。
自分でもそのようなことは初めてでしたが、その時に感じたのが、その場所で八月のあの日、若いお母さんが赤ちゃんを抱っこし高い高いとあやし
ている様が見て取れました。
ですが、そのように赤ちゃんをあやしたその瞬間、途方もない閃光と共に、そのお母さんと赤ちゃんは一瞬のうちに身体を焼き尽くされ、二人諸共
姿が消えてしまっていたのでした。
そのお店の経営者である依頼者さんとは全く縁もゆかりもないお二人です。
ですけれど、このようなお姿が見えて思わず自分が大祓いを唱えたということを説明すると、
「なんとなく、お客さんがおられん時でも不意に人の気配を感じることがあったんよね。もしかするとそういうことじゃったんかね」
とさほど訝しむ風もなく納得されました。
その方はその御霊をご縁はないけれど、弔うつもりで手を合わさせてもらいますとおっしゃいました。
(他にもお客さんの減った理由はありましたが、それについてはまた後日改めさせて頂きます)

                                   


書いているうちに、また色々と思い出してきたことがあります。
あの日の記憶に繋がることがこれほどに出てくるとは自分でも思いませんでしたけれど、以前にも申したように自分が覚えている間に書かせて
頂いておこうと思います。
書いたとて何があるわけでもありませんが、しかし書くことにより何かを感じたり考えたりして頂けるきっかけになれば、と思います。
重い話ばかりかと思いますけれど、しばらくお付き合い下さいませ。


                                    


これから徐々に台風が近づくのでしょうか。
あまり酷くならないことを願うばかりです。


本日もこのブログへのお付き合い、有難うございました。


                                     
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