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日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

新たな白龍

2017-12-01 21:44:36 | 神様等について
こんばんは。
一気にまた寒くなって参りました。
空気が入れ替わったみたいで、景色そのものがクリアに見えます。
最近は秋になってもどこかしらくぐもったような不快な霞を感じておりましたけれど、今日はそのようなこともなく綺麗に遠方が見えておりました。
これから冬本番、師走にも入り余計気忙しさを感じるようになるのかもしれませんね。
そんな朝はこのようなお天気でした。
二枚目どうやらピンぼけたようで失礼致しました。



                                   



                                                                



先日、子犬の里親を募集させて頂きましたが、今日彼女に問い合わせるとどの子も貰い手が見つかり無事引き取られたそうです。
というよりも写真のこの二匹、兄弟一緒で引き取って頂けたのだとか。
いやぁ、良かったです、安心しました。
貰われていったお宅でスクスクと育ってほしいものですね。

                                 




神迎祭から帰り、その後にうちの神殿で日々祝詞奏上後に入って来た言葉があります。
この二、三日その神迎祭の様子をお伝えするので精一杯で(ええ、枝葉末節多いもんですから;)これらのことをお伝えさせて頂けておりません
でした。
ですので今日はそれらを一気に揚げたいと思います、息切れしないように;。
まずは29日より参りますね。(28日はさすがに疲れてしまい、お言葉下ろさせて頂いておりません;)


                               


                               


                               


                               
                               



 祝詞奏上後
   
     〝  まずは よう参り越した そなた(神在祭の最中)今一度(ひとたび)参らぬか?  〟

      いやそれはご勘弁を

     〝  そうか (まぁ良い) そなたに 此度(こたび) 遣わしし龍は そなたが大社(おおやしろ)で

        想念の中で見た あの龍である
 
        大きさは 時 処により 自在に変わる

        これより後 そなたのもとにて より多くの縁(えにし)を紡いで参るのに 働きを致す  

        そなたの持てる力量 精一杯に 使うのじゃぞ

        齢(よわい)など 関係いたさぬ

        より多くの 縁を紡いで参れ
        
        既に 扉は 開いておる

        より多くの 数多の人との 縁 幸栄えを 紡いで参れ  〟


      
     〝  そなたの見ておる 虹色を纏う 天空を駆ける 白龍

        そは 天御中主大神(の化身)

        見渡す(視点が)高いからこそ 多くが見える (が詳細はわからない)

        よって そなたへ 遣わしし 此度の龍は そなたのいうところの次元

        時空に より近いところへ 働く龍である

        常に そなたの 傍らに 在る

        縁を 紡いで 参れ   〟

 神殿の龍蛇神に拝礼して

     ‘  此度の 浜での 祭

        数多の人々の 集いしこと 善きかな

        参り来た人々 また新たなる縁を 取り持つに 各地へ 散る

        数多の縁 結ぶものなり 

        新たなる 縁の 始まり   ’

 大神の御前で声の後 そのまま座っていると胸が一杯になる 
 なんともいえぬ 感無量の思い
 嬉しいのか 喜ばしいのか 涙が出そうな 気持ち
 大神の前でこのようになるのは 初めてかも?
 手の平が温かい 身体全体が実際に温かい
  
 頭の中で今後の経済のことについて考えていると


     〝  既に その力は 着いておる
 
        不安に思わず 進んで 参れ
    
        必ず道は 拓ける
 
        扉は 既に 開いておる   〟               
                                                               
 想念の中の龍 偉ぶっているとか 仰々しいとか そういうことは全くない
 ごく普通にそこに「在る」 「居る」 という感じ



     〝  良くも悪くもという言葉があるが これから先 良いも悪いも 多く出よう

        しかし あの陰陽図のように 悪しきもの 暗いものの中にも
   
        光る部分は 必ず ある そこを見ていけ (必ず 光ある)  〟

 龍は玉(玉)もっている
 なんとなく シューシュー鼻息?聞こえるような感じではある;
                                    


                                   



                                                           



此処へ揚げました写真は、まず白い御幣は稲佐の浜での神迎えの神事の際に参列された方全員に配られたもので、金色の方の御幣は龍蛇神講へ
入られた方へお渡しされたものです。
下の写真、これはうちの神殿にてその龍蛇神を祀っておりますところでして、御神札はやはりこの度のお祭で龍蛇神講に入られた方へのお渡しと
なっております。

頭へ響いた言葉を書き出してみると、やはり結構なボリュームですね;。
書き方自体をもっとコンパクトに縮小した方が良いのかもしれませんけれど;。
三日分、纏めて掲載するつもりでしたけれど、やはり無理があるようです。
ですのでこれも少しずつ揚げさせて頂こうと思います、言行不一致にてすみませんです;。



                                   


今回、大社にて感じておりました龍、ここでも言われておりますように自分のもとへ遣わされたようですね。
神楽殿で感じた折には、あの天井一杯に身体をくねらせておりましたけれど、これもまた言われるようにその大きさは如何様にも変幻自在な
ようでもあります。
確かに頭へ言葉が入りながらも、どうも自分のすぐ脇、横辺りへそのまま居たように感じておりました。
それこそ鼻息が聞こえるくらいな近さというのか;。
形状はともあれ、その働きはこれもまた言われておりますように、多くの新しい方々とのご縁を取り結んで行くために遣わされたようです。
この龍と共に己の持てる力を余すことなく使い、人々つまりは皆様に素晴らしいご縁を頂かれますよう、しっかりと働けということなのでしょう。
責任重大です;。
出来るんかしら;。
こう書きながら、改めてこりゃあ大変;と感じておるところです。

またこれまでやはり想念の中で見えておりました、あの虹色を纏う白龍は大神によりますと、いわば宇宙を司るという存在として捉えられており
ます天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)ということらしいですね。
そう言われると自分自身、案外すんなりと合点がいくようにも思えますけれど。
巷間でいわれております龍と比べてもそのスケールからして違いがあり過ぎ、想念の中ではともすれば地球を飛び出して銀河宇宙の中心まで行って
来るようにも感じておりました。
だからといって、これが即このように天御中主大神の化身であるとされるのもどうか、とも思えなくもありませんけれど、近いものではあるの
でしょう。
何にしましてもそのスケール、規模が大き過ぎますので、この度、より身軽?に自分達の近く、同じ次元で活躍してくれるであろうこの龍を遣わさ
れたのかもしれません。
今はまだ実感が沸かないというのが正直なところですけれど、これから段々とその龍と共に働かせて頂くようになってくるのでしょうね。
自分自身、より一層精進せねば、という思いが致しておるところです。

話が元よりますけれど、大神は今一度参らぬかと言われておりますね。
確かにこの神在祭の最中、もういっぺん位は足を運んでも、と考えたりもしたのですけれどさすがに今回は見合わせようと思います。
神迎祭ではある意味、強行軍的に走って行って殆ど休む間もなく帰ったきましたので、かなり後で疲れが出ております。
もう一回ほど、今度は朝早くに出てゆっくり帰れば、行って行けなくもありませんけれど、ちょっとのんびりさせて頂こうと思います。
次回は、申すようにもっと早くから計画立てとかないと、ですね;。

このように大神の御前(みまえ)にてお言葉を賜り、また龍蛇神に向かいまして拝礼致しますと、今回のこの神迎えにて集われました皆様の事を
仰いました。
大勢の方々があのように全国各地からお越しになり、お陰を頂かれてまたご自身の住まう場所へと戻って行かれます。
その際には、このお祭にて頂かれた縁(えにし)をも取り結びに戻られるものでもあるということですね。
出雲大社の大国主大神様はご存じのように縁結びの神様として広く遍く知れ渡っております。
これは何も男女の縁のみにあらず、人と人を結ぶご縁を取り持つ神様でもあります。
ですので、お越しになられた皆様は、目には見えないけれど、多くのご縁を取り持つお役目を担われて戻られたということもあるのでしょう。
お隣同士で浜で並んでおりましても、全く存じ上げない方ばかりではありましたけれど、これもまた目に見えぬご縁にてあの場で遭遇した方々で
あられたのかもしれません。
あの時、あの場で感じられたそれぞれの思いをお持ちになられて、またこれからのご自分方のお暮らしに反映されつつ、縁を結んでいらっしゃれ
ればと感じております。

このような言葉を頂きながら、自分はいつにも増してあの大社の神楽殿で感じたような感極まる思いが致しておりました。
自宅の神殿で座ってこのように感じたことはそれほどなく、その分これまで以上のお力を確かに承って帰って参ったのかもしれません。
これもまた、今こうして綴りながら改めて感じておる次第です。

最後に、暗い中にも光、明かりがあるということ、これはまたこれからの時代、より大事になって来るのではないのか、そう感じております。
陰陽図というのは分かりますでしょうか。
白と黒のちょうど勾玉の上下を逆さまにして合わせたような図、大極図のことですね。
白い部分の中には少しだけ黒い部分があり、同様に黒い部分にも少しだけ白い部分があります。
このように物事には皆、全てが全て真っ白、真っ黒ではないんだよ、どちらにも少しずつ正反対の部分を含んでいるんだよということなのだと
思います。
これから先は、この黒い部分がよりクローズアップされていくようになるようですけれど、それでもその中にあって尚、白い部分も見なくては
いけない、そういうことなのかなとも感じます。


幾度も申し上げるようですけれど、今回自分自身、此処へこうして大神から賜りました言葉を綴らせて頂きながら、これほどのものを頂戴して
帰ったのかと改めて感じ入っております。
いやぁ、行ってきたわぁ、疲れたけど良かったわぁ、という事では到底無く、相当にずっしりとした重みのある事柄を賜ったのだなと感じておる
次第です。
自分で自分に驚いております。



                                   



                                   



明日はまた、え、そういうこと?と感じたお話をさせて頂こうかと思います。
ま、自分でそう思っただけなんですけれどね;。



                                  



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。

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行って参りました 神迎祭 3

2017-11-30 21:14:06 | 神様等について
こんばんは。
どことなくどんよりなお天気でしたが、夕方には晴れ間も覗いて来ました。
その分、また寒くなるのでしょうか。
自分自身は引いてませんけれど、周りは風邪引きの方がちらほら見受けられます。
皆様もどうぞお気をつけ下さいね。
そんな日の朝は、このようにやはりどんよりでした。



                                 




                                 





昨日揚げた稲佐の浜での写真、良いものがありましたので載せてみたいと思います。
ただし、これはですね、毎年うちへ大社より送られてきますカレンダーに載っておりましたのを自分がパシャッと写した;ものです。
もしクレーム等が来ましたら、即取り下げます;(すみません;)
これは当然プロのカメラマンさんが撮っておられますのでバッチリ写せておりますけれど、実際はこのように真横からは無理ですし、
第一神事の最中ですので、これも当然撮影することは出来ませんので貴重な写真かと思います。
また不鮮明なのも写真をもう一回写したというのもありますので、そこのところは何卒ご容赦の程を;。
(手前に白く写っているのはスマホの灯りかと思います)

       
                                 

                     
  

昨日の続きから参りますね。

出雲大社の鳥居まで戻りまして、そこを潜り抜け尚も行列は進みます。
この鳥居を抜けたところが勢溜まりと呼ばれておりそこからは参道となるのですが、普通の参道とは違いご本殿に向けて下っていくように
なっており、全く灯りのない暗がりの中を大勢で歩いて行くのは少し躊躇する思いでした。
そこのところは大社側も考えておったようで、一列を五人程度の横並びとし、少しずつゆっくりと歩を進めて下さいと前の方におりました
係りの方から伝達されてきました。
ですので、そこからは少し進んでは立ち止まりを繰り返しておりました。
止まった折に松の枝の先を通して見える星空が綺麗だったのを覚えております。
真っ暗闇の中で大勢の人々がこのように、この空間に居るというのがどことなく不思議に感じられる思いもしておりました。
少しずつ歩を進め、やがて神楽殿の前まで帰り着くことが出来ました。
相当な人数でしたのでこうして並んで待っておりましてもこの先、中へ入れるかどうかわかりません。
けれどこれもまた係りの方に自分の履物を入れて下さいとビニール袋を手渡されましたので、これなら大丈夫、中へ入れるね、とご一緒した女性と
共に靴を脱いで神楽殿内へ上がることが出来ました。




                                 

(カレンダーより拝借 神楽殿前にて夜神楽の申し込みをされる方)


出しております上の写真では当然、人は殆どおられませんがこの日は此処はぎっしりの人で埋め尽くされておりました。
それほど人出が多かったということなのでしょう。
自分達が中へ入ると既に満杯のようで、かろうじて後ろ辺りへなんとか座れた位でした。
以前、此方は龍蛇神講の講員さんしか入れませんと申しておりましたけれど、そのようなことは無くどうやらどなたでも入れ、その代わりこれも
お伝えしたように御神幸の後に続いて来られた方のみということだったようです。
その人数が此処までおられるとは思いもしませんでした。
外には中へ入れずにそのまま居られる方々でごった返しておるようでした。
                               



                                 
                                  


すみません、個人が特定されるようなお顔が写っておりますけれど、消し方を調べたのですけれど、よく分からず申し訳ございませんけれど
このまま掲載させて頂きます。
それはどうかな;と考えたのですが、此処へ集われる皆様は神様のもとへお越しになられた善男善女と解釈させて頂きまして(それもどうかな
ですけれど;)載せさせて頂きました。
これも上記の写真同様、駄目なようでしたら、後ほど取り下げたいと思います。

ともあれ、このような感じでびっしりと人で埋まった神楽殿の中でした。
このような中で神楽殿に於ける神迎祭が執り行われました。
先の浜の時と同じく笛の音から奏楽が始まり、斎主の祝詞奏上の声が響きます。
こうしてはろばろと海を越えてお越しになられました八百万の神々をこの出雲大社にてお迎え致し、しましの間、ご逗留頂くこととなります。
お迎え致しました神々をその宿舎となられます十九社(じゅうくのやしろ、じゅうくしゃ)へと誘いますように神官の三度(みたび)の朗々たる
警蹕(けいひつ)が神楽殿へ響き渡りました。
この警蹕により我々人間は頭を下げて神様をお送り致すわけですけれど、この間自分の頭の中では何故か大勢の神様方がとても楽しそうに賑やかに
ペチャクチャとお喋りしながら、またその周りを羽衣を着た天女やらも舞い飛び、どうかすれば日本の神々ならず天使;?も来ておられたのかと
いう位、物凄い数の神々が通り過ぎて行くように感じられたのでした。
このシーンというと語弊がありますが、映画の千と千尋の神隠しであったようなそんな場面を思い出しておりました;。
本来なら厳粛であるはずのこのお祭ですけれど、この度の自分の頭の中の感覚では、本当に神々がもう嬉しくて楽しくて堪らないといった様子で
お越しになられているように思えました。
またこの警蹕自体、今回そこまで声が延ばせる延びるものなのかという位、長く太く朗々たる声が響いておりました。
声の感じからしてあの先生かしらと感じたりもしておりましたけれど、そんなことよりも此処まで声が出るというのはご本人が素晴らしいのは
言うまでもないことですが、このような神々の持っておられるその迫力、パワーそのものを頂かれてそれがこの声となり発せられた、そのように
感じられたりも致しました。
あの警蹕、今にして思えばこっそり録音しておけばよかったと思えるほど、それほどの力量を感じられたものでした。
そのような事を思いながらも、片方の頭では物凄くありがたい、ありがたい、ありがたい、とその感謝の念しか浮かばず、感無量と思える心境と
なり、思いがこみ上げてきそうになり涙しそうな気持ちになっておりました。
感極まるという感じでしょうね、お祭に参列させて頂いてこのような思いになったのは初めての事でした。




                                   


例のまずい絵;ですけれど、少し見えにくくてすみません。
人々の頭の上を一塊になって神楽殿をお出になる神々の様子は自分の頭の中ではこのような感じでした。


そうして、それ以前にこの神楽殿の天井一杯に巨大ともいえるような大きな龍が感じられました。
身体全体が大き過ぎてるためか、幾重にも折り重ねるようにして身体をくねらせて空(くう)に漂っております。
その姿はいつもの白龍のようですけれど、少し違います。
全体に白くはあるのですけれど、鱗の一枚一枚の中が金色に光っており、爪も金色です。
またその手にはこれもまた透き通ってはおりますが金色の玉(ぎょく)を持っております。
頭の中は、なんじゃこりゃ;な思いで溢れておりました。
この龍、実は今回自分がこの神迎祭に参列致したことで、これより後どうやら行動を共にする龍のようでした。

      〝 この龍 そなたに遣わす 連れ帰れ 〟

このようなお言葉、おそらく大國主大神のお言葉なのでしょう、そう頭に入ってきました。
祭へ参る前、どなたかは存じませんけれど、どちらかの神様にお越し頂くような事をうかがっておりましたけれど、まさかまたこのような巨大な
龍とは思いもしませんでした。
内心、ひえ~っ;とこれもまたいつものように感じながら、えらいものが来てしまいました;な心境になっておりました;。



                                




                                 



このようして無事滞りなくお祭は終わり、後は竜蛇神が据えてあります三宝の前まで順番に参らせて頂き、拝礼を致して神楽殿を後にしました。
終わりましたねぇ、とこれまでご一緒して頂いたご婦人と話をしながら、最後に十九社へ参拝して帰りますとおっしゃいますので自分もそれに
倣うことにさせて頂きました。
この時にも、神楽殿に入れなかった方々がやはり順番に中へ入り龍蛇神への拝礼を待っておられる様子でした。

十九社の前では既に幾人かの方々がそれぞれに拝礼されておられました。
今夜のお祭を思いながらお手を合わせておられるようでもありました。



                                 



                                 




上の二枚の写真、一枚目は御本殿を写したものですけれど二枚目は真っ黒になり何を撮ったのか定かではありません。
ですけれど、その何かを撮った覚えはあります;、ですので皆様、心の目で此処へ何が写っておるのかいないのか、見定めて見てくださいませ。
(って、ただの真っ黒けかもしれませんけれどね;)


                                 
                            

車を停めていた駐車場まで戻り、今日は色々と有難うございましたと互いに労い、その方はこれから松江へ戻られるとのことでした。
自分も車に乗り込み、後はひたすら広島へ向けて帰るだけです。
この時が確か午後九時半過ぎ頃でした。
帰る途中、此処も大抵寄って帰るコンビニで、お店で出してくれるロイヤルミルクティーを頼み車で一息入れながらこれから戻る道程に喝をいれて
おりました。
温かい紅茶でほっとして、さぁ帰るぞ、とアクセルを踏みます。
時間が遅いのもあり車も殆ど走っておりません。
ともかく帰ろう、とラジオの音も途切れがち、CDすら持ってきていない何にも音がしない車内を一人歌を唄うでもなくひたすら走るのでした。
やがて松江道のインター、三刀屋まで着き、余計にアクセルに力が入ります;。
一直線の道の前を行く車は、決まったようにその殆どが広島ナンバー、おんなじ調子で皆で走るばかりです。
途中、半月が山の向こうへ見え隠れしておりました。
と、やにわに霧が出て来ました;。
雲も無く晴れ渡っている分、また風も無いため、余計に霧が発生しやすいのでしょうね。
いきなりのフォグですし、前も見にくくスピードも緩めつつ走ります。
そのような箇所が途中、随分とあったように思います。
高野の道の駅付近もそのような濃い霧に覆われておりましたので、トイレ休憩を断念し中国道の江の川PAまで行くことにしました。
やがてなんとか中国道へと接続し、今度はそこをひた走ります。
先ほどまでは反対車線を走ってくる車はあまり見かけませんでしたけれど、この時間は上り車線、大阪方面へ向けてのトラックが結構すれ違って
おりました。
申すように結構霧も出ており、それでなくともライトを上向きにしないと前方を見るのが難しい感じでしたけれど、そのたびにライトを下向きに
して走るくらい、結構な台数のトラックとすれ違いました。
その時に思ったのは、いつ如何なる時でも、この方々はこうして夜中に荷物を運んで下さっているのだなぁ、ということでした。
自分はたまたま今日、このような霧の中を走っておるわけですけれども、この人たちは霧だろうが雨だろうが、はたまた雪が降ろうが変わらず
同じように走っておられるんだなぁと感じ、そう思うといつも有難うございます、お世話になりますという気持ちが沸いてきたのでした。
それが仕事だから当たり前じゃないか、といわれそうですけれど、自分の知らないところでこうして頑張って下さっている方々がおられるから
こそ、と感じたのでした。
そんなことを考えつつ、一人でこれまた感激して;PAに着きました。
此処ではそんな長距離運行の途中でトラックを停めて休んでおられる方や、おそらく社用車でしょう、同じように停めてシートを倒して休んでお
られる男性の姿も見えました。
自分も少しそのように休もうかとも思いましたけれど、休むより帰ろうと思い、肩をグルングルン回して凝りをほぐしながら車に乗り込みました。
此処から先もやはり途中は濃霧でかなり走りにくい箇所が結構あり、それだけで案外と疲れてしまいました。
そのようなこともあって帰りは広島インターよりもかなり手前の広島北インターで下り、下道を戻ることにしました。
北インターからですとものの20分ほどの時間かと思いますけれど、結構霧が出やすい場所でもありますので、このようにして一般道で帰って
正解だったのではと感じます。
ともあれ、勝手しったる道を帰っておりますと途中、随分と傾いて来ていた大きな半月が山の端に見えておりました。
今夜は最初から最後まで、この月に見守られながらいたのかもしれません。

ようやっと家に帰り着くと時刻は零時を十数分過ぎたところでした。
真っ暗い中で待っていたであろう我が家のネコが玄関を開けると待ってくれておりました。
多分、単純にお腹すいてたようでしたけれどね;。

神殿で神様に帰りましたのご報告をさせて頂き、日を跨いでの長い一日?が終わりました。
無事行って帰れたことが何よりであったかと考えております。



                                
                                     
                                   


やれやれ、やっと何とか神迎祭での一日の様子を綴らせて頂くことが出来ました、有難うございます。
オバサンのは枝葉末節が多いんだよ、という声が聞こえて参ります、確かに;。
申しましたように、自分の記録の一環でもありますので、こんなもんかいなと思っておいて頂ければと存じます。

出て参りました新しい龍、これにつきましてはまた明日、改めて書かせて頂こうと思います。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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行って参りました 神迎祭 2

2017-11-29 21:29:00 | 神様等について
こんばんは。
朝から静かな雨の降る日でしたけれど、夕方には上がったようです。
気温はそれほど下がらず暖かい一日でもありました。
このところ雨も降っておりませんでしたので、ちょうど良いお湿りとなったように感じられます。
とはいえ、外で仕事をされる方にはあいにくの空模様、どうぞ風邪など召されませぬようにと思う次第です。
そんな日の朝はこのようにどんよりとして始まりました。



                                   





                                  



昨日、期待して見て下さっておられた方、失礼致しました;。
全然、お祭出て来ないじゃん、と感じておられたかもしれませんね。
大丈夫ですよ、今日は書かせて頂きますね;。



さて、ご一緒にどうですかとお誘いして二人して浜まで歩き出しました。
辺りは灯りがあったかどうか殆ど感じないような暗さで、しかも暮れて行く一方です。
それでも二人してお互いの事をなんとなく自己紹介めいて話しながら歩いておりますと、それほど寒さも感じられません。
浜までは大社から歩いて20分程と聞いておりましたが、それくらいであったかと思います。
普段は浜へは車でものの5分もかからず来る距離ですのでそんなものでしょう。
浜に近づくに連れ、だんだんと人が増えてきておるようでした。
自分ひとりで歩いているとおそらく浜までは来られても、どこから浜へ入ってよいのかわからなかったかも知れません。
連れの方に、こちらですよと教えて頂きながら道を行き、浜へ下りる手前でこの神事のお世話をして下さっておられた青年会の方に今回の御幣
(ごへい)を一人にひとつずつ頂戴し、いよいよ浜へと向かいました。
浜への道はこの神事でご奉仕する神官らが通れるように、というよりも後にそこを通りお越しになられた神様方を大社までお連れ出来る様に茣蓙
(ござ)が敷いて道にしてありました。
自分達はそこを踏まないようにと、これも警備の方らに注意を受けながら斎場となる場所へと向かいました。



                                     




                                     



わかり難いかもしれませんが、人の頭越しに見える白い柱へ注連縄を引き廻らし紙垂(しで)を取り付けてあるところが斎場となります。
写真では案外明るく写っておりますけれど、実際にはもっと暗かったですね。
空も上の方は濃い青というよりも黒に近く、下に行くに連れてヴィーナスベルトと呼ばれる仄かにピンクがかった色合いの暮れなずむ空が
広がっておりました。
このころで時刻は多分午後五時半位であったかと思います。
神事はこの後七時からですけれど、既に大勢の方で斎場の周りは埋まっておりました。
これより後に着いておればこの斎場が臨める処へは辿り着けなかったかもしれません。
時間と共に人垣もまた増していくばかりです。
三時間程車で走り、いい加減脚も痛かったのですけれど、そんなことも言っておられません;。
時間まで、脚痛いなぁ、だるいなぁと内心感じつつ、時折片足ずつを休めるような格好をしつつお祭が始まるのを待っておりました。
その間にご一緒させて頂いております件の女性とあれこれ話をさせて頂いておりました。
この方のお父上が元々此方の大社へ出仕されておられ、また今現在は甥っ子さんが同様に此方へお勤めとのことでした。
話をしております最中に折りしもその甥っ子さんご自身がマイクを通して、今日の神事で皆さんに謹んで頂きたい事柄等を伝えておられました。
神事が始まれば携帯やカメラはご遠慮下さい、明かりとなるものは慎まれて下さいとの事でした。
当然のような話ではありますけれど、近年この神迎祭に来られる方の中には注意されても聞かず、神様が渡って来られる海の側から無遠慮にも
写真を撮る輩もおったようでした。
厳粛な神事であり決してイベントではないにも関わらずに昨今はどこか勘違いされた人も多くなって来ており、その対処にも困るとは聞いており
ました。
けれど今回はそのような行為は見られず、神事が近づくにつれ次第に静けさも増して行くようでした。
尚、神事の最中にはこの方、甥っ子さんが今回の奏楽の中で笛を吹かれるとのことでした。



                                  


段々と暮れていき、次第に半月の所在が感じられるようになって来ました。
空には一片の雲とてなく星の輝きも見え始めております。
大概この祭の日には海が荒れ、ともすれば小雨が降ることもあるのですけれど、どうしてか今日はそのような事は全くなく風すら吹かず
非常に穏やかな様子でした。
遮るものなど何一つない浜辺です、この静けさは不思議な程でした。
近隣の建物の灯りも消されて行きます。
こんな星空見たことないわ、と近くの女性らの声がします。
小彦神(すくなひこなのかみ)の話をして友人と盛り上がっておられる若い男性の声も聞こえます。
投光器に煌々と照らされていた辺りでしたけれど、やがて木々に火が点けられると人工的な灯りは一つ、また一つと消されて行き次第に暗闇が
勝る一帯となりました。
とはいえ頭上の月のおかげでぼんやりと感じられる程の明るさはあります。
ふとこれは、月読尊(つくよみのみこと)ではないかしらと感じられました。
今日、来しなは太陽の天照大御神をその夕暮れの陽射しに眩しさとして感じられ、今はこうして穏やかな月光を降り注いでいる月読尊を感じさ
せて頂けている、そう思うと出来すぎのようにも思いながら、なんとも有難いことではあるなぁ、と心の中でこの二柱の大神様に感謝の念を抱く
のでした。
そのような中、皆さん今か今かと神事の始まるのを待っております。



                                  


やがて奏樂が笛の音と共に始まりました。
辺りは水を打ったように静まり返っております。
そこへ先導を勤める神官を始めとして斎主等がお越しになられました。
先に神官、続いてこの神事をひと目見ようと集っております我々を大麻(おおぬさ)にて祓われます。
続いて斎主の奏上される祝詞の声が聴こえて参ります。
この祝詞の後に 警蹕(けいひつ)と称する声を上げると、海を渡り八百万の神々がお越しになるとされております。
この一連の神事の始まる前、自分の想念の中では、遥か彼方の海上にて数多のそれこそ八百万の神々が既に大挙して今や遅しと待ち構えておられる
ように感じておりました。
ただし、これはあくまでも想念の中の事ですので実際はどのようであるのかはわかりません。
いずれにせよ、おおーーという警蹕の後に三宝の上に備えておられた龍蛇神のもと、また神籬(ひもろぎ)へと八百万の神々がお越しになられた
のでした。
この後は絹垣(きぬがき)と呼ばれる白い布帛で覆われた中に先の龍蛇神を先頭に出雲大社の神楽殿まで町内を御神幸して参ります。



                                 

                                 


この後、町内を御神幸して行かれる神々について浜で参列しておりました我々もご一緒に歩いて回ったのですけれど、思う以上にその速度は速く
途中、何度か小走りのような状態で着いて行きました。
かなりの人数の方々が一斉に後を着いていくのには訳がありまして、御神幸の後に神楽殿にて奉迎の神迎祭が執り行われるのですけれど、その中へ
入れるのは、このように御神幸の行列に着いて回った方を優先するとのことで、おられた方々はそれこそ我先にとばかり先頭に続いて行こうと
されたからでした。
自分達二人もそのような大勢の中ではぐれてはいけないとの思いから、いつしか手に手を取る格好、手を握り合って人々に半ば揉まれるようにして
町内を着いて歩きました。
道中、町の人々はそんな我々を物言うこともなく見守るようにして眺めておられたようです。
街の灯りも殆ど消されており、薄暗がりの中を大勢の人々が早足で行く様は、町内の方にしてみれば毎年の事とはいえ、ある意味大変なことでは
あるよなぁ、と内心すみませんと何となく謝りながら先を急いでおりました。
実際、あの雰囲気は今にして思いましても神様の後を粛々と付き従うというよりも、どこかしら(言葉は悪いですけれど;)物々しいような雰囲気
もあったように感じました。
それほど人数が多く、道行く人々の様相も普通ではないように思えたのでした。
寒かった身体がこうして歩くことにより段々と火照ってくるようになり、終いには暑くにも感じられるほどでした。
そうこうするうちに出雲大社の大きな鳥居の前までどうやら辿り着いたようでした。



                                




此処からまだ続き、というよりも此処から後、神楽殿で感じた事をお伝えさせて頂きたいのですけれど、申し訳ございません、今夜はこの辺りで
一度終わらせて頂ければと思います。
こうして思い出しながら書いておりましても、あの時の様子も未だに目に浮かぶようですがその分お伝えさせて頂きたいことも多くあります。
昨日も申しましたように幾度かに分けてお話させて頂ければと思います。
これでも大分、端折って書いておるつもりなのですが、要領悪いせいか;縮まりません;。
本当に申し訳ございません。



このようなブログへのお付き合い、本当に有難うございます。
感謝申し上げます。
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行って参りました 神迎祭 1

2017-11-28 21:27:56 | 神様等について
こんばんは。
散々行きます、と公言しておりました神迎祭、参列致して来ました。
一言感想を、といわれると良かったです、という感じですね。
えらく月並みな表現ですけれど、言い表したいことが多過ぎてそうとしか言えません、なところです。
ですので、一回だけではなく何回かに分けてご報告させて頂ければと思います。
と、そんなお祭から戻った次の日の朝は、こんな感じで曇っておりましたがじきに晴れて日中は暖かい日和となりました。



                                   



                                   




                                      
                                   


時系列でお話しようかと思います。
ま、半分はオバサンのお出かけ日記とも言えなくもないのかも;?  

こちらを出たのは午後の一時半を回った頃。
いつものようにお馴染みのレンタカー屋さんで車を借り出し、無いよ母ちゃん、ごはんが無いよと目で訴えてきていた我が家のネコの餌をまず
買いにホームセンターへ出向き、思いっきりカリカリ、つまりドライフードを与えといてやっと出発となりました。
時間並びに高速料金を考えても、これは広島インターからより次のインター(広島西風新都 ひろしませいふうしんと)から乗る方がよかろうと
自宅の裏手に当たる山の峠越えをして、やっとインターへ。
どっちかというとこちらの方が労力的には体力使いそうですけどね;。
ともあれ高速に乗れば後は殆ど一本道です。
お天気は良いし懸念していた程の寒さもなく、まさにドライブ日和。
とはいえこのお借りした車、どことなくうむ~;な症状が出ているような;。
いやいや、それは自分が飛ばし過ぎるからでしょうよ、と自分で自分に言い聞かせながらも、途中で少しトイレ休憩しました。



                                                                             




                                   




                                   



此処は松江道に隣接してある『道の駅 たかの』
ご覧になってお分かりかと思いますけれど、結構な標高があります。
つい最近までは山陽と山陰を結ぶ道路、それも広島と松江、出雲方面へは殆ど国道54号線一本という状況でもあり、中国山地越えはなかなかに
時間も掛かり、案外と大変でもありました。
しかしこの松江道が出来てからは、あれほど時間が掛かっていたのが信じられない程早く着けるようになり、その利便性は計り知れません。
その分、まっすぐに道を通すということはどうしても山を貫くトンネルを掘ることにもなり、そこの部分は自分としてはどうなんかいな;な
思いもありますけれど、今現在時間の大いなる短縮という恩恵に預からせて頂いておることには間違いありません。
人間の叡智を集めた技術の素晴らしさには敬意を表したい思いと共に、人間の為だけにそんな人類の歴史の時間とは違える程の永い年月を経て
作り出された自然をこうも短時間に好き勝手に切り刻んでよいものなのか、とつい天邪鬼な自分の思いが頭をもたげたりも致します。
ですけれどどう考えても今の時点では、やはり人間の技術により作り出された便利な新しいこの道路に大いに助けられているのはいうまでも
ないところです。
あんまり四の五の言わずに、素直に便利で快適。そう申し上げておきたいと思います。

広島側から行くと、この道の駅少し手前がこの松江道での最高標高地点という場所があり、そこが確か680メートル程であったかと記憶します。
冬場はさすがに雪深い地域ですけれど、夏は逆に冷涼な気候を利用してリンゴや大根等の果物や野菜作りが盛んなところですね。
ちょうどリンゴの季節でもあり、この『道の駅 たかの』にもそんな特産品をふんだんに使ったお菓子やジュース、或いはリンゴそのものが
安く売られておりました。
買おうかなとも考えたのですけれどこれから行かねばなりませんし、見るだけに留めて先を急ぐこととしました。
因みに写真で見えておりますこの山並み、おそらくこれから全長5キロメートル近くある大万木山(おおよろぎやま)トンネルが通っているその
山ではないかしら、とも思って見ておりました。

この道の駅を出ますと、あとはまたひた走るだけ。
此処を出たのが多分、午後三時半少し前だったかと思います。
申すようにこの道は殆ど一直線。
アップダウンはありますがカーブも少ないので走りやすくはありますけれど、その分単調ですので走り慣れない方は眠気にご用心ですね;。
この松江道、有料区間と無料区間がありますけれど、今回通ったのは中国道から接続されている三次東から三刀屋木次(みとやきすぎ)という
インター間で無料区間です。
出雲というインターまで当然この松江道は続いておりますけれど、そこまで走るとむしろ出雲大社までは遠回りとなり、自分は此処で下りて
後は斐伊川沿いの一般道を走って行きます。
この斐伊川沿いの道、此処もその昔はいわばこの川の土手を利用した道ですのでかなり狭く、そのくせダンプがひっきりなしに通る道でしたので
かなり怖い思いをしておりました。
今にしてみると、それらのダンプはこの道を広げるための土砂等を運搬しておられたのもひとつにはあったようです。
現在は道幅も相当に広がり、此処もまた快適な道路に生まれ変わっておりますね。
運転する分にはそれほど見ることは出来ないでしょうけれど、一緒に同乗される方などはすぐそばを流れるこの斐伊川の織り成す景色を眺めながら
行かれるのも楽しいかと感じます。

出雲が近づくにつれ、日の入りも近くなって来ておりました。
その陽射しがちょうど走っていく方向へあるために、遠視(今老眼ですけれど;)の自分にはサングラスしていても相当眩しく左手でその陽射しを
遮りながら運転しておりました。
言い換えれば、それほどにお天気が良く雲の一つすら無かったということですね。
なんでこんな強い西日;と思いつつも、ふとそういえば太陽って天照大神、ということはこうして参らせて頂くのを歓迎して下さっている?と
かなり良い方へ解釈してみました。
それにしても強烈過ぎるほどのまさに熱烈歓迎ぶりだよねぇ、と感じておったのでした。





                                   




出雲大社に着くと四時半位になっておりました。
向こうの係で受付を済ませ、これから始まる稲佐の浜は既に人で溢れておるようですので、行かれるならばお急ぎくださいと促されました。
この時間でもうそんなにと思うと、内心焦りながらもまずは腹ごしらえしとかねばと考え近くの蕎麦屋さんへ行きましたが、この時点でもう
今日は終わりましたとの看板が出ております。
中にはお客さんはおられるのですけれど、もうオーダーストップということなのでしょう。
以前にも書かせて頂きましたけれど、この日は町内は早めに各家庭や商店等、灯りを消して家の中で静かに過ごされる様です。
そのようなことからお店も早仕舞いのようでした。
例大祭で友人と行った喫茶店はどうだろうと覗いてみると、此処もお客さんはおられます。
お店の方のまだ大丈夫ですかと尋ねると、まだいいですよとのお返事。
ならばと店内に入り、これも先だって注文したことのあるホットサンドを注文しました。
隣の席は、どうやら東京辺りからお越しになったと思しき若い女性数人のグループです。
聞こえてくる話から察するに幾度かこの神迎祭に参列されことがあるようです。
今日はどうだろうねぇ、と言いながら先に食事を済ませお店を後にされておられました。
それにしてもあの軽装で寒くはないのかしらんと思うほど防寒着も着込んでおられないようでしたが大丈夫だったんでしょうかね;。
オバサンは気になるところではありました;。
右隣は、此方はカップル(こういう言い方でいいのかな;?)
しかし、このお二人が話す言葉は中国語です。
食事を済ませた後、ひとしきりスマホのゲームに興じておられましたけれど、何しに此処まで来られたんだろう、とこれまたいらぬ詮索をする
自分なのでした(やっぱりオバサンじゃん;)



                                  



                                  



                                      



食事を染ませて外へ出ると、かなり薄暗くなってきておりました。
車を停めてありますところまで一度戻り、浜まで歩くならスニーカーへ履き替えようと思いながら鞄からキーを取り出そうとした時、カチンと
小さな音がして何かが落ちました。
どうやら以前に加藤さん(虹色つむぎの癒し雑貨星読み店長さんですね)に調合して頂いていた香るオイルの小さな管瓶のようでした。
これは金運というブレンドしたオイルが入っていたもので中身は既に無くなっておりましたけれど、金色の可愛いチェーンが付けてあり素敵な
ものでしたので、自分の鞄に大事に仕舞っていたのでした。
それを不覚にも落としてしまい、困ったなと探そうとしたのですけれど、暗くて見えません。
しかもそこへ花が植えてある桶状の鉢植えが置いてあり、どうやらその下辺りへ入り込んだようでした。
その下部分に手を入れようにも入りそうもなく、時間も押してきていることもあり、とても残念でしたが探すのは断念致しました。
これを落としたことって、何か意味があるのかな?と頭の片隅で考えながら、でももしかするとこれを(悲しいけれど)落としたことにより
何がしかの自分の身代わりになってくれたのかもしれない、とも感じておりました。
それが何であるのか、それは案外もっと後でわかるのかもしれません。

ちょっと落胆しつつも車まで戻ると、隣に駐車した方もどうやら女性お一人のようでした。
しかも年齢もさして変わらぬ感じの方です。
「宜しければ浜までご一緒致しませんか?」
とお声を掛けさせて頂き、殆ど灯りのない道を二人して浜まで歩き出したのでした。



                                 




                                 




                                 

                                        

いよいよ本番はここからなのですけれど;。
例によってオバサンが書き出しますと、このように始まるまでの前奏がかなり長ったらしいですねぇ;。
今か今かと待っておられました皆様、どうも本当に申し訳ございません。
もったいぶるつもりは全く無いのですけれど、こんな日であったよということも合わせてお伝えしたくこのようにダラダラと書いております;。
明日、神迎祭の本番の様子、お伝え出来ればと思います。
もうしばらくお待ち頂ければ、と存じます;。


本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。                                     
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神在祭等について 2

2017-11-03 21:37:41 | 神様等について
続けて神在祭の日程を書かせて頂きますね。
尚、先に揚げました稲佐の浜におきまして執り行われます神迎祭は午後七時よりとなっております。



                             



十一月二十八日 (旧暦 十月十一日)

午前九時 神在祭

出雲大御本殿にてご奉仕され、午前十一時からは神楽殿に於きまして「龍蛇神講大祭」がご奉仕されます。
この神楽殿での「龍蛇神講大祭」はやはり講員さん方へのお祭となりますので、一般の方のご参拝は出来かねます。


十二月一日   (旧暦 十月十四日)

午前十時  月始祭・ 臨時縁結大祭

出雲大社御本殿でご奉仕され、合わせて全国の神々がお集いのこの時に幸せの御縁を深め結ばせて頂きます〝縁結大祭〟がご奉仕されます。
本年は神在祭期間中にある月始祭にも併せてご奉仕されます。


十二月二日   (旧暦 十月十五日)

午前十時  神在祭・縁結大祭 

出雲大社御本殿でご奉仕され、合わせて全国の神々がお集いのこの時に幸せの御縁を深め結ばせて頂きます〝縁結大祭〟がご奉仕されます。


十二月三日   (旧暦 十月十六日)

午前十時  甲子祭(きのえねさい)・臨時縁結大祭

出雲大社御本殿でご奉仕され、合わせて全国の神々がお集いのこの時に幸せの御縁を深め結ばせて頂きます〝縁結大祭〟がご奉仕されます。
本年は神在祭期間中にある甲子祭にも併せてご奉仕されます。


十二月四日   (旧暦 十月十七日)

午前十時  神在祭・縁結大祭

出雲大社御本殿でご奉仕され、合わせて全国の神々がお集いのこの時に幸せの御縁を深め結ばせて頂きます〝縁結大祭〟がご奉仕されます。


十二月四日   (旧暦 十月十七日)  

午後四時  神去出祭(からさでさい)

ご参集になりました八百萬神が出雲大社をお発ちになられるに際して、お見送りする神事が執り行われます。



                                   

 

以上が神迎祭、並びに神在祭の期間中にご奉仕されますお祭りとなります。
文中書いておりますように、講員の方でなければ入れないお祭り等も御座いますので、お気をつけ頂ければと存じます。
また、このようなお祭りに参拝してみたいと思われる方が御座いましたら、これも申すように講員となられましたらそれは可能となります。
ご希望の方が御座いましたらば、これは龍蛇神講という講の講員となることが出来ますので、お申し出頂ければと存じます。
下記に此方のメールアドレスを添付致しておきますので、詳しいことはどうぞご遠慮なくお尋ね下さいませ。
ご加入の際の初穂料は、新たにお入り頂く方お一人につき五千円(加入の初年のみ)、また毎年の龍蛇神講謝恩金と致しましてお一人につき
三千円をお納め頂いております。

また縁結大祭と申しますのは、上にも書いておりますように皆様方のご良縁を願いご奉仕させて頂くお祭りとなります。 
縁結びの神様と称される大國主大神様が特にこの時期に、全国の神々と共にその御縁を結ばせて頂きますので、近年は殊に若い男女にその事が
人気となり、知られるようになったようでもあります。
此方のお祭りへ直にご参拝は出来ないけれど、そのお陰を頂かれたいと思われる方が御座いましたら、これもまた当講社へお申し出頂けました
らば、そのように手配させて頂きますので、どうぞご遠慮なくお申し込み下さい。
多くの皆様方のご参加、お待ち申し上げております。


                                   



また、神在祭の期間中、境内に於きましては特別に東西の十九社(じゅうくのやしろ)のご参拝、龍蛇神講拝のご案内を致しております。
どうぞこちらも皆様、是非ともご参拝、ご奉拝なされますよう、お勧め申し上げるものです。



                                  



以上、本日は出雲大社に於きまして、今月二十七日からご奉仕されます神迎祭並びに続けて執り行われます神在祭等についてお伝えさせて
頂きました。



日々書かせて頂いておりますあの白龍につきましては、また日を改めまして綴らせて頂きます。



本日もこのブログへのお付き合い、真に有難う御座いました。
感謝申し上げます。


メールアドレスは 
    kimikimiblue13@gmail.com
此方までご連絡下さいませ。
お待ち申し上げております。
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