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日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

神迎祭等について

2017-11-03 16:09:46 | 神様等について
こんばんは。
文化の日、皆さんは以下がお過ごしだったでしょうか。
お天気も良かったですし、どこかへお出かけの方も多かったのではと思います。
自分は相変わらず、ごく普通な一日でした。
朝は、これもまた最近よく出しておりますが、霧が出ていたところもあったようです。
空気が動かない、風がないからこそなのでしょうね。
朝焼けの感じも撮れましたので、それも載せてみますね。
といっても、あまりわからないかもしれませんけれど;。

                             

                              


                              
                             

                             



今日は夕方にも面白い写真が数多く撮れましたので、いつもの如く、スマホから此方のブログへアップする作業をしていたのですけれど、どうにも
途中上手く行かず、かなり手こずりました。
何かスマホ自体が不具合があるようです;。
それと共に、上に今揚げましたこれらの写真を投稿するのも、どうしてかやり直しをしたり、とどうも何かあるんかいな;な感じがしております。
まぁ、そんなこともたまにはあるさと考えておく方が良いのかもしれませんね。
                              


                             


十一月というと、どこの神社さんも七五三で賑わいますね。
うちもご他聞にもれず、と言いたいところですけれど、我が講社、神殿は小さく、普段から尋ねてくる方も殆どおられません;。
これまでもどちらかというと、此方から出向かせて頂いてご相談を承ったり、お話をうかがうということが多かったものですから、そういう事も
関係あるのかもしれません。
以前は安佐北区の鈴張というところへ神殿を設けておりましたけれど、そちらの方もずいぶん以前にうちとは違う講社を設立されましてので
大きな神殿というのは、いまのことろ御座いません。
こじんまりと致しておりますけれど、その分、他の神社さんがなさらぬような特殊な事も致しておりますので、その方の仕事を多く承るという
ことが主になるかと思います。
そのようなこともあり、七五三のお子さんのお祓いは、ここ何年もさせて頂けておりませんね;。
まぁ、考えるにやはり七五三といえば、大きな構えのどっしりとした神社さんで綺麗に着飾ったお子さん方が神妙な面持ちで、神主さんから
お祓いを受ける、そうしてあの七五三特有の千歳飴を頂戴して帰るというのが一般的なパターンかと思います。
普段は神社に御参りにいらっしゃらない方でも、お子さんの成長を祝うという意味では、ご家族揃ってお越しになられるのではと存じます。
秋の日の空気も綺麗なこの頃、そのようなお子さん連れで、或いは散策にお出かけに神社に参拝になられるのも良いのではないでしょうか。
清清しい空気を吸うだけでも、心洗われる思いが致すのではと思いますよ。




                               



お祭りといえば、出雲大社に於きましては、毎年旧暦十月十日に八百萬神(やおよろずのかみ)をお迎え致し、次からの七日間神在祭(かみあり
さい)がご奉仕されます。
今年はその日時は今月二十七日から十二月四日までとなります。
これは古来より八百萬神をお導きされる大國主大神(おおくにぬしのおおかみ)様の神事(かみごと)のムスビの〝奇しき御業(みわざ)〟の
更なる御神縁に結ばれて頂かれますように、との願いを込めて執り行われておりますお祭りで御座います。

本来は出雲大社の龍蛇神講講員といわれる方々、また崇敬者の方々を対象としたお祭りでもあり、この最初のお祭り、神迎え祭は殊に近隣の方々は
忌み祭りとも称しまして、神様方をお迎えするのに粗相があってはいけないとされ、家々の戸を固く閉ざして物音も立てずに篭っておられます。
このように元々はそれほど知られたお祭りというわけでもなく、ごくひっそりとお迎え致すのが本来であったようです。
しかしながら、いつの頃からか多くの人々の知ることころとなり、近年はこの稲佐の浜でご奉仕される神迎え祭をひと目見ようと多くの方々が
押し寄せるようにして、お越しになっておられるようです。

申すように神々をお迎えする神聖な神事ですので、周りにおる人々は声も殺して見守らねばならない筈ですが、昨今は撮ってはいけないと言われて
おりますカメラ撮影や話し声などもし、まるである種のイベントのように捉えられておるようです。

以前にも書かせて頂きましたけれど、海を渡って八百萬神がお越しになる為、その海に向けて祭壇を設け、そこの場所にて国造(こくそう)を
はじめ、多くの神官が神々をお迎え致します。
当然そこが祭場(さいじょう)となりますので先にも書きましたように厳かな場とされるわけです。
その崇高であらねばならない場所での私語、撮影は謹んで頂きたいというのは、このような理由によります。
お越しになられます方がございましたらば、そのような事には留意して頂ければと思う次第です。


                              
                              
                               


稲佐の浜にてお迎えした神様方の神迎神事に続いては、出雲大社の神楽殿にて神迎祭がご奉仕されます。
稲佐の浜での神事の後、御使神「龍蛇神」様を先頭に八百萬神は出雲大社まで御神幸(ごしんこう)なさいます。
この間、龍蛇神講講員の方々は神楽殿までの供奉をお仕え頂きます。
申すように、この神楽殿での神迎祭に際しましてはこの講員さん方が対象となりますので、一般の方々はご遠慮頂いておるようです。
(人数がかなりおられますので、講員の方でも入りきれない程の方がおられるというのもあるようです)



神在祭のご説明の途中ですけれど、どうにもパソコンが不具合のようでして、一度ここで揚げさせて頂こうと思います。
どうにも書いております中途でいつかのように飛んでしまっては、元も子もありませんので申し訳ございません。
後半へ続けます。
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秋のお祭り

2017-10-22 21:02:59 | 神様等について
こんばんは。
朝から台風の影響で雨、風ともに続いております。
とはいえ、この辺りはそれほど酷い風雨でもないので今のところは安堵しておるのですけれど、未だに酷い状況、あるいはこれからという
地域の皆様はお気をつけ頂ければと存じます。
朝はやはり鈍色の空から始まりました。




                                    




                                    


朝の6時過ぎと8時頃、こうしてみても明るさが違うだけでさして変わりはありませんね。
そんな台風が来る今日は衆議院選挙の投票日でもあります。
当然投票に行く気満々だったですけれど、朝からのこの雨でどうにも断念してしまいました;。
今日はうちの神殿で秋の謝恩例大祭を執り行うようにしていたため、それを主に考えておりましたので、選挙が後回しとなってしまいました。
申し訳ない限りです;。
日にちが分かっていたのだったら期日前投票も出来たわけですけれど、今現在、徒歩とバスでしか足がない分、当日の投票所へ行くほうが一番
良いだろうと考えたのが、そも間違いでした。
朝から降り続く雨を見ながら、今から事前に行って来ようかと思いつつも先に祭をさせて頂こうと考えたのがいけなかったのかもしれません。
心落ち着けて祭を済ませると、雨脚が余計に強くなって来ている様子で結局はその天気に心折れて出られませんでした;。
歩いて往復5キロ半、この雨の中下界へ下りるのはねぇ;、と自分に大甘の考えが出足を鈍らせた結果となってしまいました。
全国の皆さん、一票少ないのは、此処におります自分のせいです、誠に申し訳御座いません;。



                                    


秋の祭と書きましたのは、うちの広島敬神講社の信徒さん方を対象とした例大祭です。
大祭というからには、かなりの人出を想像されるかと思いますけれど、昨今はお越しになられる方は殆どおられず、その分お振込みによる
玉串料を頂戴致しまして神前にてその方々のお名前を申し上げさせて頂き、後日御神札と共に神様にお供え致しました神饌物と共にそれらの
方々へお送りするということにさせて頂いております。
いわば、神様と自分とのお祭りのような事になっておりますけれど、だからこそ余計にしっかりとさせて頂かねばと肝に銘じております。 

その祭りを始める際、殊に大きな祭りでは神殿の神様の前に垂らしております御簾(みす)というものを巻き上げる所作、巻簾の儀(けんれん
のぎ)というものがあります。
この時には、警蹕(けいひつ)といい、おーーという声を出しながら致すことになっております。
今回、この時にただ御簾を巻き上げるのではなく、この巻き上げた後に出雲大社の大国主大神様そうして(どうしてか)素鵞社(そがのやしろ)
ご本殿の裏手にありますお社ですけれど、そこに坐します素戔鳴尊(すさのおのみこと)様をこの警蹕にてお迎えさせて頂きました。
何故?と聞かれても、自分でもどうしてなのか分かりません。
この度のお祭りには御呼びさせて頂くのが相応しい、そう咄嗟に頭の中で判断したからでした。
先にも申したように、神前に於いては神様と自分だけでのお祭りではありますけれど、厳粛なる心持にて執り行わさせて頂くことが出来ました。
外は台風の雨風でしたけれど、気持ちは爽やかに心静かにさせて頂けたと感じた次第です。

素戔鳴尊、よく荒ぶる神様として登場されておりますけれど、その実、雄雄しい面をお持ちの神様なのではと思っております。
今回お迎えさせて頂いたというのは、この先に何かあるからなのかどうかは存じませんが、何かしら新しい展開が待っておるのやもしれません。
期待するわけではありませんけれど、そのようになれるよう努めさせて頂きたいと存じます。

お祭りが終わるとこのお越し頂きました二柱の大神様には、元の処へ御帰りいただける様、再び警蹕にてお送り致します。
今回、お越し頂く際、この警蹕の声を出すのにいつもより声が大きく、且つ長く出しておりました。
出すというよりも、失礼を承知で申すならば出さされているという方が正直、正しいように感じます。
自分でおーーの声を上げながら、え、まだ出すの?という位、長く続いておりました。
それほど、この二柱の大神様はいつにも増して大きくお力のある神様であるのだなぁ、と感じさせて頂いたのでした。
(自分でしておいて、それは無いんじゃない?と言われそうですけれど、そういうことは往々にしてあるようです、念の為;。)

その御帰りになられる前に、奉幣(ほうへい)というものを自分で手に持ちそれを左右に振りながら念じるのですけれど、その際に頭の中へ
言葉にならないあれこれの情報?のようなものが下りてくるように、これも感じられます。
後で思い返しても、その直後なら覚えておりますけれど、時間が経つと不思議とその記憶が消えるように無くなっております。
すぐにメモしようと思いながらもそれも後で思うことで、その時にはその下りてくる情報のようなものと自分が頭の中で意見交換しているよう
でもありますけれど、それとて後にはなんのことやったやら、という感じです。
それでも何がしかをそこの時点で神様、高次元からの伝言のようなものを受け取っているのかもしれませんけれど。
覚えていないのが、玉に瑕ですね;。
ともあれ無事滞りなく済まさせて頂くことが出来まして、安堵致しております。



                                  



写真は出雲大社御本殿、裏手からのものです。




これから雨脚、また風が酷くなられる地域の皆様、最初にも書きましたようにどうぞお気をつけてお過ごし下さいませ。





                                  



本日もこのブログへのお付き合い、有難うございました。
感謝申し上げます。


(写真は、最初の2枚以外は、一昨年のものです。)
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翻訳して、通訳する?

2017-10-03 21:22:07 | 神様等について
こんばんは。
今朝は昨日の雨も上がり、気温も上がって蒸す感じはしませんでしたけれど、久しぶりでちょっと暑いかなというような日でした。
まだ十月に入ったばかり、多少暑くても不思議ではありませんね、むしろこれまでの方がかなり早めの秋の到来を思わせる気候でしたので
このくらいで丁度良いのかもしれません。
それとは全く関係ありませんけれど、昨日も今朝もアラームが鳴っても、なかなか起き出せませんでした、ムムムッ;。
体力、つけねばです。
そんな今朝は此方。
この後、だんだんと晴れ渡って来ました。



                                




昨日、お風呂の中で頭に響いてきた言葉があると申しましたけれど、もう一つありました。
それは湯船のお湯、これは清浄なる水を使えということを言われた気がします。
どういうことかを説明致しますね。
今我が家は自分一人で他にはおりません。
息子と二人の時は、当然毎日お湯は張り替えておりましたけれど、自分一人となると身体を洗い湯船に浸るだけのことですのでそれほど汚れる
こともなかろう、第一に勿体無いと考えて一人になった頃から、真夏はともかく九月に入った頃から二日ほどは同じお湯を追い焚き、あるいは
お湯を足すなどして、そのまま使用しておりました。
(洗濯機は外にある家ですので残り湯を洗濯に使うのも難しく、せいぜいがトイレ掃除などに使っているくらいでした。)
ですけれど、お祓いなどをして疲れて帰り、そのままのお湯を今一度使うということは、もしかすると前日にお風呂で落とした穢れ、この場合は
身体の汚れというよりも、目に見えぬものの汚れを今一度自分の皮膚に取り付けるようなことになるのかもしれません。
これまでもあまりにしんどい時等は、神様にお供えしていた塩を溜めていたものをバッサリ湯船に投入して入浴したりもしておりましたけれど
同じお湯を使うということはしておりませんでした。
ご家族がおられるご家庭ではこのように何度も同じ湯を使うということ自体、まず無い話だと思いますけれど、自分一人になった分、勿体無い精神を
発揮したのは、この場合良くなかったようでした。
神道では殊に新しいもの、また清浄なるものを良しとする旨があります。
穢れを祓わせて頂く側の本人が、自らまた汚れをつけるような行いは慎むべきなのだな、と改めて感じた事でした。
残り湯は、やはり掃除等に使わせて頂く事と致します。




                               
                                


昨日の事とあわせて湯船のお湯の件等、頭の中へ何かが伝わる時は、言葉が入るというよりも様々な事柄が頭の中へそのまま入ってくる感じがします。
その一々を、自分で今一度自分自身に分かるように翻訳して言葉に直してから、頭で理解出来るようにしている感じです。
説明するのが難しいのですけれど、多くの事柄が申すように言葉として入ってくるというのとは、実のところ少し違うように思えます。
伝えたい事が次々に入って来、それらを片っ端から同時通訳のようにして自分に分からせているとでもいうような感じです。
ですので、その時は頭に入る事柄をそのままダイレクトに受け取りながらも、同時に言葉として理解して行こうと自分自身がしているように思います。
後にそれを振り返り、このように言葉に起こそうとするとその時の細かいニュアンスとは少しずれが出て来ているのかもしれません。
こう書いていても、どうにももどかしい感じなのですけれど;。
説明になっているのかどうか、それも怪しい感じですよね、すみません;。



                               
                          


これも以前に申しましたけれど、神様の言葉、いわば「みくじ」と呼ばれる言葉を下ろすような時も、このような事かと思います。
今よくスピリチュアルといわれ、チャネラーと云われている方などはおそらくこのような事をご自分の頭の中でされておられるのではと思います。
上から下りて来る事柄を今一度自分の中で殆ど瞬間的に同時通訳しながら、自分や他の人達に分かるように言葉として口をついて出しておられる
のだと感じます。       
ある意味、自分自身はその間何も考えておりません。
敢えて言葉を変えて言えば、空っぽの中へ駄々漏れ状態のようにして雪崩れ込んでくる事柄を瞬時に翻訳して言葉で出してきているということ
だと思います。
ですので自分もよくあるのですけれど、あの時こう言われたとか、後にひと様に言われたりするのですけれど、自分が意識して喋った言葉では
ないので、自分でもそうだったんですかというような事は往々にしてあります。
いわば、同時翻訳、通訳しつつも無意識でもあり、より言葉を変えていうならば、まるでラジオのようなものといえるのかもしれません。
ただし、これはやはりあくまでも自分自身についての事となりますので、どなたもが一様にそうであるのかは分かりかねるものです。



                               



今日は全然別の事を書こうと考えておったのですけれど、このような文面となりました。
何がどう、ということは全く無いのですけれど。
もう少し面白い話が良かったのですけどもね;。
また明日にでも書かせて頂ければと思います。

こんな本日のブログへのお付き合い、皆様いつも本当に有難うございます。
感謝申し上げます。
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神様をお祀りする

2017-10-01 21:12:18 | 神様等について
こんばんは。
今朝は黄金色に輝く、少し昇る前の朝日を捉えました。
これくらい、といってもたまたまそのような空の色の時間帯に撮れたのですけれど、綺麗な光景を目にさせて頂けました。
こうして見させて頂けるだけで嬉しくなります。



                               



                               




                               



今日は昨日申しておりましたように、ある若いご夫婦のお宅に神様をお祀りさせて頂いて参りました。
正式には出雲屋敷勧請御祭(いずもやしきかんじょうのみまつり)と申します。
このお祭はその方がお住まいの家をいわば神殿と見立て家の四隅に結界を張り、外からの悪しきもの、邪物(まがもの)を内側へ入れないよう
また家の中にも災いが起こらぬよう、神様をお迎え致しそのように祈念致すものです。
家の中には、これも東西南北中央と各々の方角に御札を貼ります。
この御札は特に目に触れても構わないと気になさらない方でしたらばそのまま部屋の四隅に張りますが、人目に触れるのが憚られるということ
でしたらば、なるべく目に付かないような場所、カーテンで隠れるところであるとか箪笥の陰等に張らせて頂きます。
然る後にまずは、神棚の位置を決めます。
これは北半球では北の極には向けないようにとされております。
何故なのか、この定義については自分自身、しかとは存じないのですけれど、以前主人があるお宅に神棚をお祀り致す際、どうしても北向きで
ないとお祀り出来ないといわれることがあったそうです。
確かにその向きでしか祀れない家だったらしいのですけれど、その後は神様をお祀り致したにも関わらず、どうにも上手い具合に事が運ばなかった
とのことでした。
今回はそのようなことはなく、むしろ南向きに祀らせて頂くことが出来ました。 
今回のご夫婦、奥さんのことについては昨日も書かせて頂きましたように信者さんのお嬢さんですので、神様の事はお分かりになっておられる
方です。
その彼女のご主人、夫である彼、この方の父方のお里は島根県の邑智郡とのことで、実はこの彼の方が彼女以上に、より信仰心の篤い方でした。
彼の祖父、お爺さんがその昔その辺りの山だかを掘削しておられたところ(どのような経緯かまでは伺っておりません、そのような話ではありま
した)土の中から〝おだいこくさま〟の御像が二体出てこられたとのことで、その二体を大事に家の神棚で祀っておられたそうです。
そのようなお宅でしたので、幼い時分から田舎のその家に遊びに行けば、まずは神様と御仏壇にお参りしてからでなければ何事も始まらなかった
そうです。
そのような環境で育っておられた故に正座をしてもしびれることはまず無いと言われますし、当然神様は家に坐しますものとして今日まで生活
してこられたようです。
そんなお二人の新居ですので、神様もお越しになられたのかもしれません。
またここで新居と申しておりますのは、何も新しく建てた家だというのではありません。
お二人が入居されたアパートへ今回は神様をお迎えして頂きました。
つまりは、どのようなお宅であっても神様をお祀りなさりたいとおっしゃるならば、新築に限らずお祀り頂けるということです。
これとて、此処で殊更申すまでもないことですけれど。

このようにして、こちらのお宅へ神様をお迎えして頂きまして、今日のお祭は無事滞りなく終わらせて頂くことが出来ました。
今回これも昨日申しましたけれど、お供えの魚は鯛ではなく、秋刀魚とさせて頂きました。
今夜のお二人の食卓には、その秋刀魚が登場しておられるかと思います。


                                

                                


本来ならもう少しこの出雲屋敷祭について書かせて頂くところなのですけれど、どうにも疲れてしまっております;。
お祭の事等含めて、明日今一度話させて頂ければと存じます。
本当に申し訳ございません。


                         

                                  


こんな感じの今日のブログとなりましたけれど、いつもお付き合い頂きます皆様、有難うございます。
感謝申し上げます。
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祇園祭とか

2017-07-25 21:41:04 | 神様等について
こんばんは。
一日のうちで、二回ほど雷雨に見舞われました。
これで少し涼しくなりかな、と考えましたが全くそのようなことはなく、むしろ蒸し暑さが増しただけのようです。
どうにも戻り梅雨という感がしないでもありません。
この雨、降ってほしいところには降らず、もういらないということろにはこれでもか的に降っておりますが、いい加減平均してほしい、そう思うこの頃です。
そんな日の朝はやはりこんな曇り空でした。

                                   


そんな憂鬱なお天気を吹き飛ばすかのような祇園祭の写真が京都の知り合いから届きました。

                                    

これは一昨年のものということですけれど、毎年このような山鉾といわれる提灯に火を灯して山鉾巡行というものがなされるとのこと。
京都の方は、コンチキチン♪という音が聞こえると、居ても立ってもいられないなどとよく聞きますがまさにそのようなお祭なのでしょうね。
それでも、盆地である京都の街が一番暑い盛りに行われるこのお祭、かなりの迫力ともうかがいます。
そのようなお祭、写真をお送り頂いたその方のお言葉をお借りしてご紹介させて頂くと

「祇園祭の混沌としているところが好きです。
 メイン通りを入り込んだ小さな道に山鉾が待機しています。
 西陣呉服関係の問屋のすぐ横に今風のビル、町の人たちの変わらないプライド、観光客のような顔をして中京のお高い敷居をこの時とばかりに上がらせ
 てもらい、宝物を拝見させてもらいます。
 宝物も混沌としています。
 京都の日本のものだけではなく、ヨーロッパへシルクロードや・・・一体何がいいのん?という感じです。
 結局のところ、京都人は新しもん好きで、しかも自分の京都はもちろん平安時代からの立派なところと思っているんでしょうね 」

と綴られておられましたけれど、京都に住まわれてご自身方の伝統、文化を誇りに思われながらも、ちょっとどこか突き放して感じておられる部分もおありなのかもしれません。
ですけれど、それだけの長い歴史を持つ祭や街は今は自分たち日本人のみならず、世界中の人々が訪れてみたいと感じられるのは、これは至極当然のことなのだと思います。
おそらく雅な雰囲気を醸し出しながらも、その熱気と共に古からの風流をも現在へと受け継がれておるのでしょう。
ただ、このように華やかに見える京都やその祇園祭もその歴史を紐解いてみると、
「神仏習合の時代から八坂神社が比叡山に属して祇園社と呼ばれていたことに由来しており、祇園社の祭神の牛頭天王が仏教の聖地である祇園精舎の守護神であるとされていたので、祇園神とも呼ばれ、神社名や周辺の地名も祇園となり、祭礼の名も祇園御霊会となったのである。」
と記されております。
つまりは最初は仏教とも相まって行われてきていたものが明治の時代の神仏分離令により、神社の名前も八坂神社とされた折に祭礼名も仏教色を排除するため「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」から「祇園祭」に変更されたとあります。
そして、この祇園祭、そもそもはその頃に流行った疫病や或いは死者の怨霊となった魂を鎮めるためのものであったとされておるようです。
祇園社の神輿渡御を中心に行われておったものに山鉾が伴うようになったのは、それがいつ頃からかは定かではないようです。
いずれにしても、千年以上の間、連綿として続けられてきたであろうお祭、歴史的にもその規模的にも壮大であるのには間違いありませんね。
機会があるなら、拝見してみたいものです。


                                   
 
そんな写真が送られてきた今朝、自分は野暮用にて;、横川あたりへ出掛けておりました。
こちらの写真は、いつかご紹介した三篠神社さんです。
帰りのバス停に行くまでの道すがらにありますので、ご神前にて手を合わさせて頂いて参りました。
此方の神社さんでは、先月うちで斎行致しました夏越の大祓いをこの二十八日に執り行われるようで、その幟も出しておられました。
何故ひと月ほどずらして行うのかのご説明を、前回こちらの宮司さんにお伺いさせて頂いたのですが、如何せんその理由を忘れてしまいました;、すみません;。
旧暦でいえば、この日は六月六日と今年はなっております。
つまりはまだ水無月であり、ある意味理に適った日付の頃といえるのかもしれません。
近隣の方々でまた賑わうお祭となられるのかもしれませんね。

ところで、先ほど手を合わさせて頂いたと申しましたが、その際頭の中に
「その方、二と八の日に参られい」
とかいうような?お言葉が入ってきたような気がしたのですけれど;。
御祭神には大国主大神も坐しますし、もしかして大神様に、ちょっとは顔を出せといわれたのでしょうか;。
そうであるかどうかわかりまねますが、時間が許せばそのように致してみたいとも思います。

                                 


もう一つ、ちょっと面白いことがありました。
行きのバスで信号待ちの際、ふと窓の外を見るとガラス張りの店舗がありました。
店舗というよりも入り口の扉にはダイアモンドのマークが描かれており、遠目でよくわかりませんが、どうも宝石の鑑定をされる事務所のように見受けられました。
その事務所の奥の棚の上には、どうやらどこかの神社さんの御神札が祀られておられました。
お仕事如何にかかわらず、きちんと祀られておられるんだなぁと思うと共に、事務所の方の横顔が拝見できましたので、こっち向いてください、とつい出来心で;そう念じてみました。
と、そう思った瞬間、前を向いて仕事されておられたその方が何か感じられたのか、ほんの一瞬此方を見られ、ちょっとだけ目が合ったように感じました。
バスの窓からですので、その方ご自身がおわかりになられたかはわかりませんし、直ぐに視線を戻されたのですが、なんだかテレパシー?が通じたようで面白いと思ったと同時にこんなことして遊んではいけません;な気持ちになったのでした。
いい大人がすることではありませんね、反省しております。

                                 

頂戴した写真から京都の祇園祭をほんの少しお伝えさせて頂きました。
雅なだけでは決してない、そんなお祭なのだと感じた次第です。

本日もこのブログへのお付き合い、有難うございました。



 ご相談等、承っております。
 
 kimikimiblue13@gmail.com

此方の方へお知らせ頂ければと存じます。                                 
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