バイオリンの涙
晩秋の夜でした。道には冬を早める秋の雨がしとしと降っていました。朝から降った秋の雨は夜になってもやみそうもなかった。ヨンドンポ駅の地下商店街でバイオリンを弾いていた盲人の奏者キムさんは「先駆者」を弾き終え時計を触ってみた。一般人の時計とは違って時計の針が外に突出している盲人用の時計はすでに夜の10時をさしていた。
キムさんはもう家に帰るのがいいと思ってバイオリンをケースにしまっていた。籠に入った100ウォンコインを何個もポケットに入れて古いビニールのかばんの中に入れておいた携帯用の白い杖を長く伸ばした。するとその時杖の端に一人の男の足が引っかかった。以外にもその男が声をかけてきた。
「おじさん、雨がたくさん降っているけどどうやって帰ろうと思っているのですか。」
酒に酔っている人の声ではなかった。とても澄んだ20代青年の声だった。声だけでもかなり信頼できる人だった。
「大丈夫です。いつもこうやって通っていますから。」
キムさんはその青年に感謝の表情を表して地下道の出口に向って歩き始めた。すると青年が急いでキムさんの前に近づいてきた。
「私は向かい側のカメラ店で働くチェチョルホと言います。一日に何回もおじさんのバイオリンを聞いています。おじさんの熱烈なファンだと言うか。全部が好きです。」
「あ、はい。そうですか。ありがとうございます。」
キムさんは、青年が自分のファンだと言う言葉に再度感謝の表情をしました。
「お家はどこですか。バスに乗っていくのですか。私がバスに乗るところまでお連れします。」
「いいえ、大丈夫です。家はポンチョンドウですが、いつも通っている道なのでよくわかります。」
「でも、今日は雨がひどいし、、今、雨脚が強くなっています。」
いつの間にか青年は地下道の階段を上るキムさんの腕を軽くつかんでいた。
キムさんはそんな青年の行為をあえて振り払わなかった。どんなに世の中が干からびていると言っても、それでも自分のような人が何とか生きていけるのは世の中の人心がそんなに悪くないのだといつも思っていた。
通りには青年の言葉通り本当に雨がたくさん降っていた。青年が傘をさしてくれようとしたが顔に当たった雨粒が結構大きく冷たかった。キムさんは杖をできるかぎり上手く使って歩いた。だけど何度か通行人と肩をぶつけたりし、水溜りがあるのも知らないで歩いた。
「そのバイオリンをこちらにください。私が持ってあげます。」
キムさんは青年にバイオリンを渡した。まれに彼の演奏の腕前をほめてくれる人からこのような親切を受けてきたから彼は特に他の考えもなく楽器を渡した。ところが、キムさんがバスの停留所にまだ着かないときだった。
「雨がとてもひどいです。家に電話して車を呼ばないと。私が車で家まで送ってさし上げます。このままいてください。携帯どこにあったかな。あれまあ、どうかしているなぁ、事務室に置いてきちゃったな。公衆電話ででも電話しないと、公衆電話は、、、あ、あそこにある。こちらに来てください。あっちの公衆電話のあるところまで一緒に行きましょう。」
キムさんは青年について公衆電話のあるところに行った。青年が家に電話をかけるために公衆電話ボックスの中に入っていくとキムさんも雨を避けるためにその横のボックスに入った。
10分ほど過ぎた。だが、どこかに電話をかけていた青年の声が聞こえなくなった。
「チェさん、チェさん。」
キムさんは電話ボックスの間の壁を手で叩きながら青年を呼んだ。しかし、青年の答える声は聞こえなかった。キムさんは「しまった。」と言う思いがしてすぐに青年のいたボックスの中に行った。しかし青年がもうそこにはいなかった。
キムさんはもしや何か急なことで青年がちょっと席をはずしたのかも知れないと思って、そのままボックスの前で1時間待った。しかし、青年は現れなかった。全身ずぶぬれになってヨンドンポ駅の前を何回も行ったり来たりしたがバイオリンを持って行ってしまった青年はとうとう現れなかった。
その日、ずぶぬれになったまま、真夜中を過ぎてポンチョンドウの貧民街の貸間に帰ってきたキムさんはオイオイ声を出して泣いた。同じく盲人である彼の妻も声を出さずに涙を流した。
彼はこのまま死んでしまいたい思いに駆られるほど青年を信じた自分の愚かさが嘆かわしかった。湧き上がる悲しみに一度あふれた涙は止まることなく、普段特別に話もしない隣に住む男性が、寝ていてたのに起きてきて派出所に申告してくれた。すると、朝早く警察が訪ねてきてキムさんの話を聞いて行った。
3歳の時白内障を患って視力を失ってしまったキムさんはソウル盲学校を卒業した後ギターを弾く流浪の音楽家として全国各地を回った。そうしていたところ30半ばを過ぎてソウルに定着した後、録音機を回して曲を覚えながらバイオリンを習った。安い下宿でうるさいと叱られると、冬でも寒い路地に出て練習をしたりした。
キムさんは2年の間バイオリンを練習した後にやっと、通りに出て客を呼び集めることができた。体が悪くない限り一日も休んだことがなかった。運がいい日には一日に3万ウォン以上稼ぐ時もあった。4年前には食べたいものも食べないで大事にしたお金でチェコ製のバイオリンをひとつ買った。主に人々が好む歌曲やクラッシクの小品、シャンソン等を演奏しながら、楽しみながら演奏する曲の中には「碑木」「恋しい金剛山」「アベマリア」などもあった。
バイオリンを失ってしまった後、キムさんはただ失意の日々を送った。仕事に行きたくてもバイオリンがなくては行くこともできなかった。妻は地下鉄に乗ってハーモニカを吹きながら物乞いをしようと言ったが彼は何も答えなかった。ただ、彼を訪ねてくる新聞記者を捕まえて訴えた。
「私のバイオリンには通りの音楽家が流した涙とため息が染みています。お金が必要で持って行ったならお金をさし上げます。どうか私の命であるバイオリンを返してください。」
新聞には「通りの盲人音楽家、バイオリンを失ってため息だけ、、おくっていってくれると親切を装った若者、楽器を持って行方をくらます」と言う題目で記事になった。
記事が出た次の日、ある楽器の製造者の社長が彼のところに訪ねてきて、バイオリンを1台贈ってくれた。彼はキムさんの手をしっかり握って「これは私が若いときに使ったドイツ製の弓です。どうか勇気を失わないで一生懸命生きてください。」と激励して行った。
キムさんはまた新しい命を得たようだった。彼は次の日からすぐにヨンドンポ駅の前でバイオリンの演奏を始めた。
その後2年過ぎたある日、晩秋の夜だった。バイオリンの演奏をしていたキムさんの足元に静かにバイオリンを1台置いていく青年がいた。他の人々はなぜあの青年がキムさんにバイオリンを上げていくのかわからなかったがキムさんは知っていた。
「バイオリンをお返しします。私を許してください。」
キムさんはバイオリンを弾いていたがその若い青年の澄んだ声をもう一度聞いた。しかし、彼は籠にお金を投げ入れた音を聞いた時のように少し腰を曲げて口元に微笑を浮かべただけでバイオリンを弾き続けた。