退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

泣かないで、花を見なさい

2014-08-20 07:48:47 | 韓で遊ぶ

私たちの村の泉
私が住んでいた故郷の村にはいつも枯れない泉がひとつありました。一年中その泉は枯れることなく人々は生涯、水の心配をしながら暮らすことはなかった。農地が亀の甲羅のようにバリバリと割れる夏の日照りの時も唯一その泉だけは冷たく澄んだ水が豊かに湧いていた。冬に雪が降らなくて何年ぶりかの冬の干ばつになって困難な時も私たちの村の泉だけは決して乾くことはなかった。
村の人は誰もその泉を自慢したが、また愛しもした。大人たちは野に出て草取りをして帰って来ては必ずその泉によって手足を洗った。私のような子供たちも一日中強い日差しの中を走って遊んで夕食を食べる時が来たらその泉に行って、汚れを落として家に帰っていった。風呂敷に包んだ本の包みを腰にぎゅっと巻いて、10里もある村の小学校ら疲れて帰ってくる時、私は当然その泉を一杯飲むとまた元気をもらった。村の婦人たちは毎日のようにその泉を汲んでご飯を炊いて、その泉に来て洗濯をする若い婦人もいた。
泉はまさに村の人々の乳腺であり、その泉を慈しまない人は一人もいなかった。もちろん私もその一人だった。
私が青年になって、故郷の村を離れる時まで、その泉は私を育ててくれた、もう一人の母だった。しかし私はいつもあふれて流れる泉がもったいないと思った。隣の村の人々がその泉を汲んでいくことさえもったいなくてある時は悔しいと思うことがあった。だから、ある時、その水をわざと何杯か汲んで水腹を一杯にしたりもし、使う当てもなく水を汲んでただ道に捨てたりもし、仕舞いにはその水をたくさん汲んで便所をきれいに掃除したりした。
しかし、その水はいつでもあふれて流れているだけで少しも少なくならなかった。その大事な泉があふれて流れないようにどんなに頭を使って思案をしても特別にいい考えがなかった。
私のそんな考えは私が故郷を離れた後にも続いた。都市でお金を出して水を買って飲むたびに、そんな考えはだんだん深くなった。
しかし私はもうその時の私の考えがどれだけ間違っていたのかをよく知っている。泉があふれて流れなければそのまま腐ってしまうと言うことをやっと悟った。そして人も、同じだという事実を知ることになった。愛がなければ人は死んでしまうと言うことを、人もいつもその泉のように互いに愛があふれて流れていてこそ生きていくことができることを。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする