退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

幸福な世界 9

2015-12-13 04:22:38 | 韓で遊ぶ


10年続いてきた100ウォンの力
毎日100ウォンを貯めて“隣人の愛”を実践している人々がいます。520余名の会員で構成される100ウォン会の会員達。100ウォン会は、公務員出身のキムヒマン氏が結成した奉仕団体です。金融危機寒波で崩れていく家庭の主が日に日に増えていった10年前。彼は胸がひりひりする新聞記事に接しました。休暇で帰って来た軍人の息子に食べさせようと、牛肉を万引きした母親の話でした。そのように崖っぷちに追い込まれた隣人たちのために、何か力になりたいと思いました。それで、助ける方法を考えていた時、引き出しの中に眠っていた小銭から奇抜な考えを得ました。
「どんなに苦しくても、誰でも100ウォンはあるだろう。1日に100ウォンだけ集めても苦しい隣人には大きな力になるはずだ。」
彼は、そんな自分の考えを生活情報紙に載せました。反応は早く現れました。地域も性別も年も違うけれど、多くの人々が熱く答えました。会員10名ではじめた100ウォン会は参加者が2倍3倍に増えて、翌年には光洲で創立式も行いました。100ウォン会の声のない寄付はチャリンチャリン、愛の小銭の音として世の中に広がり始めました。初めから貯金箱のまま差し出す人、毎日一定の額を通帳から自動的に引き落とす人まで、、、。必ずいくら出さなければならないと言う原則はありません。小さな真心だけあれば希望の灯火を点すことができると信じているからです。そんな心が集まって集めた10年後からは、年間寄付額が1000万ウォンを超えました。この10年間100ウォン会で奨学金を受けた学生は700名です。暮らしが苦しい隣人に生活費を支援して、疎外されたお年寄りには記念の写真を作ってやりました。100ウォン会の会員も相当数が助けの必要な力のない庶民達です。排紙を売ってやっと生活しているおばあさん、暮らし向きが苦しい両親からやっとお小遣いをもらっている学生、亡くなったおじいさんの意志を引き継いで一生懸命活動している障害者の少女、、、。会長キムヒマン氏は退職した後、トラックの運転手に変身しました。捨てられた缶を集めて100ウォン会の足しにするためです。
明らかに100ウォンは誰かを助けるには小さなお金です。ですが、100ウォン会が盛んになっていくことができる理由は、一人では弱いけれども2人は強いという信念が醸し出した結実です。1,2回の大きな寄付よりも、絶える事ない誠意がより大きな力だという100ウォン会の人たち、、、、。ポケットから転がる100ウォンが、机の引き出しに置かれたままの100ウォンが、それぞれの手から回って回って干からびた世の中を変えて、人々の心まで動かすのです。


幸福な世界 9はこれで終了です
これから製本しなきゃ
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終の棲家を探して

2015-12-12 04:57:27 | 旅に出る


引越ししました
終の棲家だと決めて函館に暮らし始めましたが函館といえども北海道、
雪は降るし、寒い、、、
これから年を重ねていくのに段々自信がなくなり
もっと年をとってからではもっと大変になるだろうと
いっそ沖縄、九州、四国
などと考えもしましたが
いろいろな周囲の事情も生じて、
千葉県に引越ししました
天気予報では北海道では
クリスマスに向かって準備が進んでいるようです
ここは雪の気配はまったくなく
道端に水仙が咲き始めました
庭にはみかんや柚子の柑橘類が黄色に色づいています。
もずっと屋外でできます

でも、
外の気温は北海道よりもずっと高いのに、
朝起きた時、家の中は北海道よりも寒い
のはどうしてでしょうか
家のつくりが北海道とは違うようです
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幸福な世界 9

2015-12-12 04:55:22 | 韓で遊ぶ

夫の先生
夫が会った人生の先生は、暖かい土の匂いがする人です。草取り一つ出来ない夫に、仕事の方法を親切に教えてくれた人、、、。他でもない隣に暮らすおばあさんです。
夫が始めて農業をするという話を切り出した時、私は耳を疑いました。
「何ですって。農業をするですって。」
農業の農という字も知らない人が、ちゃんとした職場をやめて、生涯、土に携わって生きていくというのに、空笑いしか出ませんでした。夫が最後まであきらめなかったので、家族全員、田舎に来てからいつの間にか8年、、、。農夫として立派にやっている隣の家のおばあさんが、長い時間をかけて夫が定着できるように助けてくれたのでした。
農業について知っている事がほとんどなかった初めの頃、失敗が続く夫は、このまま夢を終わらせなければならないのか悩みました。その時、流れ者農夫になると大口を叩いた夫の目の前にジャジャーンと現れた幸運の女神が、隣の家のおばあさんでした。
「唐辛子がこんなに赤くなっているのに採らないで何をしているんだ。」
「一度も採ったことがなくて。」
人情にあふれたおばあさんは、農作業が下手な夫を手伝ってやると袖を捲り上げました。その後も、どんなに気を使ってくれたか、箕で穀物をふるう方法も教えてくれて、町内の人と仲良くできるように力を尽くしてくれたおばあさん、、、。
「村の人たちと心を開くのが大変だろ。少しだけ我慢しなさい。真心は通じるものだ。」
おばあさんは愛情のこもった助言を惜しまず、あれやこれでしゃばることはしませんでした。私達が自ら悟ることを望んだのでしょう。私達家族の心強い助力者であり情け深い隣人のおばあさん、、、、。
「タヨンの家に光が明るくついていれば、私の心まで明るくなるよ。」
何もわからず田舎に来て、おばあさんに会って、私達家族は大地がくれる祝福を学びました。パサパサした都会の人から徳の厚い田舎の人として新しく生まれ変わり、生きていく喜びと味を感じました。そのすべての幸福の中には、母のように暖かく、大地のように豊かな心の持ち主、隣のおばあさんが一緒にいます。
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幸福な世界 9

2015-12-11 05:05:19 | 韓で遊ぶ

もっと健康でいなければならない理由
キムスファン枢機卿が亡くなったことで追慕と哀悼の波が全国にあふれていた頃でした。枢機卿の目が寄贈されたという話が世の中に知られると、臓器寄贈に関する人々の関心も大きく高まっていました。宗教を超える愛の誓い、臓器寄贈、、、。
私の大学の教授の中の一人も、その際、臓器寄贈をしましたが、そのいきさつがが特別でした。
プールで歩く運動をしながら体を鍛えていたある日でした。どこからか子供たちの騒がしい声が聞こえて、そのほうを見た教授。
「ジソン、どこにいるの。」
「ハヌル、私ここにいるわ。ここ。」
プールでのリハビリに来た視覚障害の子供たちが、友達を探すために呼ぶ声でした。目の見えない子供たちには、友達の声は耳で聞く羅針盤だったのです。偶然にその場面を見た教授もおばあさん達も、やっていた運動をやめて一斉に目頭が赤くなったと言いました。視覚障害の子供たちの天心な姿は、教授とおばあさん達が臓器寄贈を決心する動機になったのでした。
「どうせ死ねば土の中に埋まってしまう身、あの子供たちのために、私達の目でも残して逝きましょう。」
「そうだ。そうしよう。」
教授の助けで臓器寄贈の誓約をしたおばあさん達、、、、。その後、表情とか行動が目に付いて変わったといいます。前は水泳を趣味で休み休みやっていた人たちが、いつからか準備運動さえ軽く思わず、まじめにやっていたというのです。それで教授が聞いてみました。
「おばあさん、急に一生懸命運動をする理由でもあるのですか。」
かえって来たおばあさん達の答え、、、、。
「前に見たあの子供たちに、少しでも健康な目をあげたくて、、ほほほ。」
不治の病の患者に最後の希望といわれる臓器寄贈。その崇高な愛を実践するために、自分がまず健康でなければならないと、体力を蓄えているおばあさん達。その人たちの健康な体と美しい心が生命の大切さを教え諭してくれました。
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