退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

幸福な世界 7

2015-07-31 06:36:32 | 韓で遊ぶ


たき火の友情
刃のような風に雪まで舞う、ある寒い冬の日でした。
私は家の近くにある市場に行くためにしっかりと武装して家を出ました。ところが、市場に行く途中、家の建て直しをしている現場で、おばあさん一人と現場の人たちが小さないさかいをしているのを見ることになりました。
「ちょっと、これを拾わせて下さい。」
「ダメですよ、おばあさん。」
「おばあさん、ダメだと何回も言ったじゃないですか。どうかもう行って下さいよ。ね。」
地面に落ちている木材の切れ端を拾っていこうとするおばあさんと、危ないからダメだという作業員の間の小さないさかいのようでした。作業員たちがおばあさんを止めたのは、間違って事故でも起こったらと心配したからの様でした。
「今でも木を燃やす家があるのかしら。」
それに身なりもちゃんとしたおばあさんが、燃やす木を求めて危険な工事現場に行かなければならないなんて、その身の上がかわいそうだったけれど、忙しい私は冷たく吹く風と雪の中を足早に歩いていきました。空っぽだった買い物籠がいっぱいになった頃、玄米を買いになじみの露天に行きました。缶のストーブに火を燃やして厳しい寒さに耐えている露天商のおばあさんは、私を見るなりうれしそうに呼びました。
「いらっしゃい。とても寒いでしょ、こっちに来て少しあったまって行きなさい。」
缶のストーブの前に座って私はびっくり驚きました。少し前まで工事現場で木を拾っていたおばあさんが露天のおばあさんの横に座っていたからでした。そうして私は二人の事情を聞くことになりました。
はじめ、ふたりのおばあさんは露天商とお客の間でしたが、友達になったのでした。工事現場で会った身なりのちゃんとしたおばあさんは、子供たちのおかげで豊かに暮らしている人だということでした。
「あら、一日中動くこともできないで、どんなに寒いかしら。」
おばあさんは、冬の寒さに震えながら道端に座っていなければならない友がかわいそうで、工事現場を覗いては燃やすものを探していたのでした。私はなじみになったことで情けをかけてやったと思っていたのですが、、、、。そのおばあさんは困っている隣人の冷たい体と寒い心までもぽかぽかと暖かくしてやっていたのでした。たき火のようにほのかで暖かい二人の友情に、私の心までぽかぽかしていく冬の午後でした。
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幸福な世界 7

2015-07-30 01:56:55 | 韓で遊ぶ


夫の嘘
結婚の準備で忙しい盛りの恋人同士がいました。
男は一緒に住む家を準備して、女性は結婚に必要な品物を準備して幸福な時間を送っていました。ところが、急に女性の父親の事業が失敗して、大きな借金を抱え病気になったので、女性は無一文になりました。その時、男が苦しい告白をしました。
「実は前に見せたマンション、僕の物じゃないんだ。嘘をついてごめん、、、」
「そうだったの。私は大丈夫だから心配しないで。」
実家のことで自分もお金が無く、生活に必要なものを準備する余力も無かったので女性は、男の告白を淡々と受け入れました。そして、二人は変わりない愛で困難を乗り切り、一間の部屋で新しい出発をしました。
夫婦になってはじめて、女性は夫のもうひとつの嘘を知りました。結婚前に話していたのよりも、男の月給がかなり少なかったのです。しかし、夫を大事にして愛していた妻はその嘘を問題にしませんでした。
女性の父親は思っていたよりも早く良くなり、崩れた事業もすぐに立て直しました。ですが、生活が安定すると女性の不満が始まりました。
「あぁ、一生お金の心配をしないで暮らさせてやると言っていたのに、皆口先だけだったのね。」
一間の部屋で貧しく暮らす自分の身の上がみすぼらしく、夫の言った嘘が一つ二つと思い出され、夫に対する恨みが芽生えました。
「お母さん、私、結婚失敗したみたいだわ。どうしよう。」
娘の言葉を聞いてしばらく考えていた母は、過ぎたことを話してくれました。
「これは、キム君が、あなたに絶対言わないでといっていたけど、、、」
女性の家の暮らし向きが傾いた時、女性が結婚の準備に負担を感じているのを知って、男が新居として準備したマンションを売ってしまいました。そしてそのお金で義父の借金を払いました。それに、毎月の給料の一部を病院の費用に充ててきたのでした。
「本当に、心が深い人だ。お前が良くしてやらなければ。」
すべての事実を知った後、女性は涙が枯れるほどに泣きました。夫が守ってきた秘密、それは世の中で最も美しく暖かい秘密でした。
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幸福な世界 7

2015-07-29 06:32:16 | 韓で遊ぶ


貧しい少年の贈り物
世の中を斜めに見て、いつも無気力で無心な先輩がいました。
私と親しかったその先輩が、1年の間フィリピンへ奉仕活動で行く時に、周りの人たちは内心期待しました。苦しい人々の手と足になって愛を分け合えば、先輩の否定的な性格も治ると思ったのでした。
1年後帰ってきた先輩は、期待した通り前とは全く変っていました。明るく肯定的な性格に変わっていたのでした。先輩に変化の機会をくれたのは、フィリピンで会った一人の少年でした。先輩はフィリピンであったことを話してくれました。
「ある日のことだ、そこで子供たちとバスケットボールをすることになった。」
どんな運動も上手な先輩は、フィリピンの子供たちとバスケットボールをすることになりました。実力を見ても、体格を見ても先輩に有利な競技でしたが、点数は反対でした。やる気のない動きで先輩が失敗を繰り返すと一人の子供がこう聞きました。
「おじさんは、僕たちとバスケットボールするの楽しくないの。」
先輩が失敗を繰り返す理由は他にありました。
「お前たちは、皆、はだしじゃないか。僕が思いのままに動くと、運動靴を履いた足で君たちの足をふむんじゃないかと気になって。」
はだしで上着を脱いでいる子供たちに先輩が聞きました。
「君達ははだしで、僕は運動靴を履いている。それに汗を良く吸ってくれる運動着も着ている、、、君たちも僕みたいにこうやって運動靴を履いて、シャツを着て走りたくないのか。」
少年は笑いながら答えました。
「今、この瞬間も楽しくて幸せだよ。おじさんのように、かっこいい靴とかいい服はないけど、それがあればいつでも履いたり着たりできる健康な体と足があるもの。」
先輩はその言葉ではっと、気づきました。
毎日、肩を落として不平不満ばかり並べていた先輩を、その少年の一言が変えました。
苦しい環境にも希望を忘れない少年の肯定的な姿が、一筋の光のように先輩の心の中の暗い部分までも明るくしてくれたのです。
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幸福な世界 7

2015-07-28 05:31:31 | 韓で遊ぶ


幸福は愛半分、憎らしさ半分
結婚して3年と少し過ぎた頃、夫は外国へ派遣勤務で行きました。
当然、私は韓国に残って二人の子供の世話をすることになりました。夫は7年ぶりに家族の元に返って来ました。ですが、夫さえ帰って来たら寂しく辛かった時間も終わると思っていたのですが、期待は外れました。
7年ぶりに一緒に暮らせるようになった夫に多くのことを期待したのではありません。ただ、親しい一言、暖かい抱擁を一度してくれることを期待しました。夫にとっても、それほど大変だとか難しいことではありませんでした。夫も夫なりに不満が多く積もったのか、毎日のように酒を飲みました。
「それでなくても韓国の生活に適応しようと大変なのに、妻は顔を合わせると小言ばかりで、、、」
夫はひどい酒の匂いをさせて夜遅く帰る日が頻繁になりました。とうとう何の連絡もなく明け方に帰ってきて私を苛々させました。私がこんなことになろうと長い時間を我慢してきたかと思うとカッとしました。何かの形で感情を吹き出さずには怒りが爆発しそうでした。
私はこの際、積もった不満を吐き出そうと心を決めて夫に手紙を書き始めました。
「10年恋愛して結婚して、7年離れて暮らして、これでやっと一緒に暮らせるようになったから、気をもんでいるあなた、、、、」
読んで反省しなさいという意味で、夫に見なさいというばかりに家の中のあちこちに、自分の感情を書いた手紙を貼り付けておきました。冷蔵庫、食卓、たんす、テレビ、しまいにはトイレにまでも貼り付けて置きました。そうでもして夫の心が楽になると思ったのにそうではありませんでした。私の感情を出せば出すほど夫の心情も理解できるようになりました。私は考えを変えました。酒を飲んで遅く帰ってくる夫のために蜂蜜水と一緒に愛のこもった手紙を食卓の上においておきました。
「私は家族のために長い間苦労して帰ってきたあなたを、とても愛しています。」
手紙を書いておいて夫を待っていて、そろそろ寝ようと一人で寝床に入ろうとしたら、夫が帰ってくる気配がしました。
私はドアの隙間からこっそり夫の行動をのぞき見ました。夫は服も着替えないまま、あちこちに貼り付けてある愛半分、憎らしさ半分の手紙をじっと読んでいました。そして、部屋に入って来て、寝た振りをしている私を後ろからしっかりと抱きしめました。
「おまえも俺と同じぐらい寂しかったのか。今まで自分のことばかり考えてごめん。一人で子供を育ててお前のほうが大変だったろうに。ありがとう。俺もお前を愛している。」
そうやって私たちは和解しました。その後、夫は家族に力いっぱい愛を注ぎました。そうして2年、夫はフィリピンにまた派遣されることになりました。
それで今度は別れて暮らしたかって?まさか。今度は家族みんなが飛行機に乗りました。
相手と争うことも愛だし、理解することも愛でしょ。たくさんの試行錯誤をしながら互いの愛を確認していくことが夫婦のようです。
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幸福な世界 7

2015-07-27 09:55:36 | 韓で遊ぶ


心の目で見れば
大邱、達西区にある公園では1週間に2回、疎外された人々のための無料給食が行われています。
無料給食は他の場所でもよく目にすることのできる風景ですが、じっと見ているとすぐに違う点を発見することができます。奉仕活動をしている人たちが皆、視覚障害者だという点です。
援助を受けなければならない立場であるにもかかわらず、人を助けようというこの人たちは「愛の芸術団」の人たちです。無料給食をする前にも、この人たちは老人ホームに行って寂しいお年寄りのために公演を開きました。どうせなら、もっと多くの人々に愛を伝えようという意味で、無料給食を始めることになりました。
今までの3年間バチや太鼓を持っていた手で、これからは包丁を持って、まな板を叩くことになったのです。食材にかかる費用は、街頭で公演して集めたお金と要請を受けて演奏していただいた収益金でまかないました。今でこそ、あちこちから援助をもらっていますが、はじめは人々の目がそんなに甘くはありませんでした。
「目も見えないのに無料給食をするとは、、、食事を作れるのかどうかわからないね。」
人々の厳しい言葉に傷ついてあきらめようとも思いました。ですが、がんばって決心しました。自らの手で作った暖かいご飯で隣人の寂しい気持ちを暖かくすることができたならば、それもまた感謝することだと思ったからです。
「やっぱり、食事は何と言っても手作りの味よ。」
見えないので格好はどうかわかりませんが、味だけは自信があると自負する「愛の芸術団」の仲間達。その人たちの真心がこもった食べ物はすぐにうわさになり、今は給食の日になれば、数百人の人々が公園に押し寄せる珍風景を演出しています。
「おじいちゃん、たくさん食べてくださいね。」
「ありがたいね。ご馳走さん。」
「おいしく食べていただいて、私たちの方がありがたいです。」
「愛の芸術団」の仲間の隣人に対する愛は給食で終わりません。無料給食が終わるとすぐに即席の公演が始まります。楽しいサムノリで興をそそり、美しい振りで雰囲気を盛り上げて、、、疎外された人々の虚しい心を誰よりも良く知っているので、より興が沸くように公演します。心の目で見るとこの世の中は美しく暖かいことを、私たちに体をつかって確認させてくれています。
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秋田の言葉

2015-07-26 06:15:15 | 秋田
代名詞

おめ (あなた、君、相手をさす)

「おまえ」からきているが、“まえ”が“め”と短くなっている。Maeのaeがeと発音される。このように母音が続くとeと発音される場合が多く見られる。(韓国語もそーだな)

複数形 おめだ (あなたたち)


おれ、おい (私、自分、)

“おれ”は男の人ならば自分を表現するときに使う言葉であるが、女性でも自分のことを「おれ」と表現するので、荒く聞こえるかもしれない。秋田の我が家に夫の両親(東京在住)が来た時に私が両親と話をしているのを聞いて「おれ」だって!!と言ってびっくりし、父や母を「おめ」というのを聞いてもっとびっくりしていた

複数形 おいだ  (私たち)
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幸福な世界

2015-07-26 06:09:56 | 韓で遊ぶ


生涯、初ゴール
アメリカ オハイオ州の、ある女子高校であったことです。
学校の運動場で開かれた女子学生のサッカー競技。ハーフタイムを知らせる審判の笛の音が鳴ると、両チームの監督がひそかに話をし始めました。
「うちの選手がゴールできるようにお願いします。」
「そうしよう。よろこんで。ははは。」
チラッと見ると、勝負を操作しようとするような変な感じを含んだ会話。
ですが内情は勝負操作とは程遠い話でした。両チームの監督がある種の取引をしたように見えたのは一人の選手のためでした。
19歳のチルリオン バートンはダウン症でした。彼女の母は、彼女がサッカーを通して自然に友達と交流することを願ってサッカーを教えました。丈夫でない体で渾身の力をこめてボールを蹴って走って3年、彼女は脳卒中で倒れ、体が麻痺してしばらくの間、運動をやめなければならない身になりました。
「お母さん、私、サッカーを続けたい。」
ある程度体が回復した後にも、チルリオンがサッカーをするのは無理でした。ですが彼女の監督は、サッカーに対する彼女の熱意を誰よりも良く知っていました。ですから、もうじき卒業する彼女に、永遠に忘れられない美しい思い出をプレゼントするために計画を立てたのでした。それが、サッカーの試合で初ゴールができるように助けることだったのでした。チルリオンの話を聞いた相手チームの監督とすべての選手たちはその提案に快く同意しました。
そうやって開かれた、チルリオンさよならサッカー試合。試合終了まで4分、彼女がゴールできるような状況を作りました。チルリオンの足の前にボールが転がってくると相手チームの選手は追いつけないような振りをしました。彼女はゴールに向って走りながら力いっぱいボールを蹴りました。ゴールキパーも体を飛ばしましたがボールを捕まえることができませんでした。とうとう、ゴールの網を揺らしたチルリオンの初ゴール。
「わぁ、ゴールだ。ゴール。」
すべての人が喜ぶ彼女を取り囲み涙ぐみました。試合に関与した人々、試合を見ていた人々の心の中に、その日のサッカーの試合は最高の名勝負として記憶されました。
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幸福な世界 7

2015-07-25 06:02:31 | 韓で遊ぶ


単身赴任のお父さんの手紙
家の父はずっと単身赴任です。
慣れない日本にある工場で、がんばって働いています。日本語もうまく話せない父が、他国で働いてきたのは、ひたすら家族のためでした。私も父の苦労はよくわかっていますが、長く離れて暮らしていたせいか、父に会うことは、とてもぎこちなく気恥ずかしいことでした。
「お帰りなさい。お父さん。」
「ただいま、大きくなったね。」
父が始めて韓国に長らく留まる事ができるという時も、父娘の対話する時間がないほどに忙しく過ごしました。一日中働きながらも、明け方には、貧しくて勉強できなかったハングルの勉強をしていました。父の顔を見るのがとても難しかったです。ですが父はその忙しい中にも、私たちと親しくしようと努力しました。
「チエ、この本ちょっと読んでくれないか。」
時々、本を読んでくれと言って言葉をかけてくる父になぜかなじめず、その度に私は言い訳をするのに忙しかった。
「ごめんなさい。明日、試験だから、、、」
「そ、、そうか。仕方ないな。」
そうやって数ヶ月過ごした父は、また日本に帰りました。父が発った日、私はいつものように淡々と見送りました。
ですが、翌日の朝、自分の行動を後悔しなければならなくなりました。父が本の間に挟んでおいいた手紙を見つけたからです。一字一字真心をこめて書いた父の手紙、、、。
「愛するチエへ。お父さんはお前たちが誇らしい。お前たちを置いていくたびに足が重くなるが、まっすぐに育っていくお前たちの姿を見ると、がんばって日本に行くことができる。」
「体に気をつけて」という言葉で終わる父の手紙は、スペルはおかしかったのですが、ぼろぼろ涙がこぼれるぐらい感動的でした。
こちらにいる間よくしてあげなかったことが、とても後悔され申し訳なく思いました。次に来た時には、父の手をためらうことなく握ってあげなければと思いました。自信を持って愛しているという言葉も言わなければと思いました。
「お父さん、大好き。」
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幸福な世界 7

2015-07-24 09:05:08 | 韓で遊ぶ


妻の父、娘の義父
両家の顔合わせがあったとき、相手方の奥さんに支えられて入ってきたご主人を見た瞬間私は言葉を失いました。
20年前に亡くなった父の姿にそっくりだったからでした。妻は脳卒中の父の看病をして7年も苦労しました。妻の苦労をそばで見てきて、それがどんなに大変なことか、私は良く知っています。ですが、大事な娘が同じ道を歩くかと思うと目の前が真っ暗になりました。私は考えただけで腹が煮えくり返ったのですが、妻は何がうれしいのかしきりにニコニコしていました。
「あ、はい、そうですね。ならば、私が日取りを考えて来ましたので、この場で決めてはどうでしょう。」
すると妻はさっと式の日取りまで決めてしまいました。その日の晩、私はあきれて怒りが収まらず、到底眠ることができませんでした。私がしきりに寝返りを打っていると妻が、催促するように言いました。
「あなた、一体何なの。さっきは一言も話をしないし、何がそんなに不満なの。相手方が気に入らないの。」
妻の問いに、待っていましたとばかりに答えました。
「なら、お前は気に入ったのか。娘が病気の親の面倒を見なければならない羽目になったのに、眠れるか。」
私が声高に言うと、妻はあきれたというような表情をしました。
「な、何ですって。私があなたと結婚した時は、義父さんは動くことすらできなかったわ。なのに、私があなたと結婚すると言ったから、家の父が胸を痛めたそうよ。あなた、そんな家の父の思いは一度でもしたことあるの。えっ、したことあるの。その時、父の胸がどんなに痛かったか、、ううう、、、」
今まで一度も口にしなかった妻の訴えに私は言葉がありませんでした。妻は、確かに妻の父にとっては大切な娘でしたから。ですが私は、妻が父の世話をすることが嫁として当然なことだと思っていました。貧しい家に嫁に行って病気の舅の世話までしなければならない娘を、遠くから見守るだけしかできない妻の父の気持ちは全く考えなかったのです。それに、私は妻の父にちゃんとした孝行も一度もしたことのないダメな婿でした。
妻は今まで我慢していた悲しみを爆破させたのか泣き続けました。
「ううう、、、」
「おまえ、泣くなよ。」
私は、肩を抱いて泣く妻をありったけの力で抱きしめました。私の妻である前に、一人の父の大切な娘であった妻、あまりにも遅くなりましたが、これからでも妻の父の気持ちをなだめるような意味で、妻をより大切にして愛する夫になろうと心に決めます。
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秋田の言葉

2015-07-23 07:09:22 | 秋田
「おばくたける」 おしゃれをする、いい格好をするの意


あのわらし おばくたけで いったども おどごさでも あうに いったったべか?
(あの娘、 おしゃれして出かけたけど、彼にでも会いに行ったのかしら?)


「おばくたかれ」名詞となっておしゃれが過ぎる人(少し批判的な気持ちが入る)


別の表現で、
「えーふりこぐ」がある。この場合おしゃれをするにも使うが、できもしないこととをできると言ってしゃしゃり出るというような意にも使う。かっこつけているという感じ

なに えーふりこで おっきごど ゆってら
(なに、かっこつけて大きなことを言っているの)


「えーふりこぎ}名詞となってかっこつけた人を言う(少し批判的な気持ちが入る)
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