退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

울지 말고 꽃을 보라

2014-08-04 14:52:39 | 韓で遊ぶ

岩の話
私は自分自身を不幸だと思ったことはなかった。野山の中の突き出たところある小さな岩に過ぎないが、自分自身の暮らしに対していつも喜びでいっぱいだった。星の光が澄んだ夜になると私は自分自身が星になり光を放つと思いながら、日の光が私の体をくすぐる朝ならば、自分自身が日の光になって輝くと思った。
それだけだろうか。山グミが咲いた後春雨でも降れば、私自身が雨になってどこかに流れると思いながら、雨がやんで風が吹くと風に揺れる葉っぱのように私自身が一枝の葉っぱになって風に揺れると思った。
どうして私の暮らしはいつも喜びでいっぱいだったのか。私は太陽が出ると笑って、星が出ると喜んで、雪が降ったり花が咲けばもっと喜んだ。何一つ悲しみで胸が痛いことがなかった。
しかし、いつの頃からか、人の話す声に耳を傾けるようになった後から私は少しずつ心が揺れ始めた。いつも鳥の声と澄んだ風の音だけを聞いていた私の耳がなぜ人の声を聞けるようになったのか、それは本当に不幸なことだった。
「この石、なくしてしまおうか。」
「さあ、時々座って休むにはいいようだが。」
「それでも、畑に行くのにつまずかないか。」
ある日、人々が言うことがどういうことかと細目を開けて慎重に周囲を探ったのだが、私はただ、びっくり驚いてしまった。

私が暮らすここはそんなに鬱蒼としてはいなかったが、それなりに人が来ない静かな森の中だった。ところが、この間どうしたものか森は畑になっていた。いつの頃からか人々は家を建てて焼畑をし、開墾して農業を始めたのを自分だけが知らないでいたのだった。
「こいつをなくそう。こいつをなくせばとうもろこし2升はもっと採れる。雑草を取るにも楽になる。」
二人の男が私を睨んでいたら、年のとったと見えるほうの男がつるはしで私を掘り始めた。
にわかに、私は平和に暮らしていたところから追い出されることになった。「私をこのままにしておいてください。時々座って休めばいいじゃないですか。」と叫んだが彼らは私の話を聞いてくれなかった。
彼らは私を掘り起こして山の下に転がしてしまった。私は山の下の人々がまばらに家を建てた路地の入り口の片隅に落ちてしまった。
私が気を失って、気がついたときには夕方ごろだった。空にはちょうど新星が上がって光を放っていた。私は体中傷だらけで、血の流れた後もあった。
私は新星を眺めながら静かに心を整えた。この間、森の中で静かに安住しながら暮らしたのがいけない暮らしだったのかという考えが浮かび、むしろより低いところに降りてきた暮らし対する期待に心が浮かれた。
一番最初に私を訪ねてきたのは、以前のように露とか日差しではなく犬だった。犬は来るとクンクン匂いをかいでおしっこをして行った。ある時にはウンチもしていく時もあった。犬は必ず私のところに来ておしっこで縄張りを表示した。
その次には村の子供たちが私のところに来た。子供たちも犬のようにおしっこをかけたりウンチをしたりして行った。もちろん椅子のように休んで座る子供もいたが、大部分の子供が私に落書きをしたりつばを吐いたり足でけったりした。村のおばさんたち何人かは洗物をした水や掃除をした汚水を私にかけた。
私の体は汚れていった。私の体は犬のおしっこの匂いと子供のウンチの匂いと荒いものの匂いで汚れていった。私は犬や子供たちの安らかな椅子になってあげたり、面白い遊び道具になってあげたかったが、毎日彼らのおしっこ、ウンチの匂いで汚れていくだけだった。

歳月は流れた。歳月が流れても私のそんな暮らしは少しも変らなかった。依然と犬が来て一方の足をさっと上げておしっこをかけることで自分の縄張りを主張し、子供たちが私の横でしゃがんでウンチをして行った。時々夕立が降って私の体を洗ってくれなかったならば私はもしかしたら窒息して死んでいたかも知れなかった。
それでも私は夜になると空の星を眺めることができてよかった。星を見ていると心の平和と静けさを失わないように努力することができてよかった。
しかし、心の平和と静けさは簡単に手に入れられるものではなかった。何よりももっと私の心を苦しめたのはこのまま歳月が過ぎながら私が何ものにも使えようのない石ころになってしまうのではないかと言うことだった。
そしてそんな苦しみは単純に苦しみとしてだけ終わるのではなく段々現実になり始めた。いつの頃からか私は使い道のない惨めな石に過ぎなかった。一日に何回か来ていた犬も来なくなり、子供たちさえもう私を忘れて久しかった。私は彼らが来ておしっこ、ウンチをかけて行った日々が恋しかった。
私は寂しかった。使い道のない無用の物になった私自身がいやだった。私は誰でもいいから私のところに来てくれることだけを願った。足があったら自分が犬のところに行きたい心情だった。しかし、私が誰かを訪ねていくことはできなった。そして誰も私を訪ねて来てはくれなかった。朝の日差しも露も、夜空の月の光もなぜか私を避けて行った。

そんなある日のことだった。年をとった一人の僧が無心に私の前を通ってふと歩みを止め私を見回した。
「うむ、これは使える。」
僧はしばらく私を見て頷いていたら、早足でいなくなった。そして次の日その僧はまた私を訪ねてきた。今度は一人ではなかった。他の若い僧を何人かを連れて来てその人たちに言った。
「どうだ。この石。ちょうど大雄殿に使うほどの礎が一つ足りなくて困っていたところだったが、大雄殿に使うようにと仏様が送ってくれたようにはないか。早く石を移す準備をしなさい。」
若い僧は年をとった僧の言葉通りに汗をたらたら流しながら元々私が住んでいた山の突き出たところと向かい合うほうに私を移した。
そこにはいつの頃からか寺を建てる工事が盛りだった。
私は大雄殿を支える礎になって新しい暮らしをすることになった。誰も私を注意してみないけれど私の心の中にはいつも喜びの波がいっぱいに押し寄せた。
礎になって何百年過ぎても私は自分が支えている寺の柱が少しも重くない。それはむしろ私の存在の喜びであるだけだ。
コメント
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