goo blog サービス終了のお知らせ 

退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩、卓球
さて何をしようか

울지 말고 꽃을 보라

2014-08-23 02:05:18 | 韓で遊ぶ

ソウルのイエス
ソウル市庁の向かい側の壽宮の石垣の通りが終わるところに聖公会の聖堂がある。その聖堂の出入り口の赤い壁には十字苦像ひとつが架けられている。そこにはとても人間的な体つきをした、まるでロダンの彫刻のような男性の筋肉美が際立った一人の男が頭を下げてぶら下げられている。
人々はその男をとても愛した。近くの会社員たちは昼の時間になると聖公会の庭に座って自販機のコーヒーを飲みながらその男が人間に愛を教えるために十字架に架けられて死んだと言う話をしたりした。
そんなある日の夜、十字苦像にぶら下げられた男が見えなくなった。昼には明らかに十字架にぶら下がっていたのに、夜になると十字架はそのままで男の姿だけがどこかへ消えて見えなかった。
夜毎男がいなくなると言う事実をはじめて発見した修女が即刻主教に報告したが、主教だからと言って男を簡単に探し出せるものではなかった。いいえ、あえて、探そうと努力しなくてもよかった。朝になると男はいつの間にか両足をたらして、一方のひざを少し上げたまま、いつそんなことがあったのという風にいつものように十字架にぶら下がっていた。
そんなことが毎晩続いた。修女は男がどこへ行くのか気になり、晩に後ろをついていってみたが壽宮大漢門の前で男を取り逃がしてしまうのが常だった。修女はこれ以上男を尾行することをあきらめた。尾行しなくても男は朝になれば間違いなく十字架にぶら下がって、日差しにひっそりと頭をたれていた。
ところがソウルに初雪が降った日の朝、男が帰ってこないという不祥事が発生した。壽宮側の雪の上に足跡だけがあるだけで、男の姿はどこにも見えなかった。
一日過ぎても、2日過ぎても男は帰ってこなかった。聖堂のすべての人が男を探しに回ったが誰も男を見つけることができなかった。ただ、何日か後の朝刊に新林洞の貧民街の少年の家の親戚のような青年一人が一酸化炭素中毒で変死体で発見されたと言う記事が短く載っているだけだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする