心の旅紀行

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強い国とは生産が強い国であることを日本の人々は知ってほしい

2024年01月23日 | 世界

日本は、歴史の教育で、鎌倉幕府、江戸幕府などの武士社会の繁栄をよく勉強するので戦争に強い国が「強い国」と思いがちです。現代日本の支配的価値観になっています。

しかしよく世界を見てください。幸福度世界一のアイルランドは、第二次世界大戦のときでも我関せずで中立を保ち、その後も静かに生産に注力し、ふたをあけたら1人当たり生産性世界一です。日本の生産性の3倍ですよ。圧倒的に日本が負けています。

現代では軍人社会ではなく、生産者社会をよく学ぶべきであることがわかります。

日本は、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、社会急拡大時代と発展してきました。旧石器時代は、確証はありませんが、血縁的共同体だったと思います。人々は自然を畏れて生きていたと思います。

縄文時代はまだ血縁的共同体であったと思います。しかし、他血縁的共同体と原始的交易を始めたようです。生産していない黒曜石、硬玉、サヌカイトなどが発見されています。恐らく海の幸、山の幸の交換などは始まっていたのではないでしょうか。しかし、生きるために助け合う必要がある厳しい状態で階級社会ではなかったようです。

(注)サヌカイトとは、讃岐岩のことです。香川県坂出市国府台周辺でよくとれます。非常に緻密な古銅輝石安山岩で、およそ1400万年前に瀬戸内周辺地域の火山から噴出した溶岩からなると考えられています。固いもので叩くと高く澄んだ音がするので、カンカン石とも呼ばれます。(出所)ウィキペディア    

弥生時代(紀元前5世紀-紀元後3世紀)になると、複数の血縁的共同体が共存する社会に拡大し、地縁的共同体へ移行したと考えられています。生産に強い血縁的共同体が強い立場に立ち、弱い共同体が下になったと思います。つまり階級社会になりました。小国家が形成されるようになりました。分業が生じ、交換経済になってきました。

その後の社会急拡大時代は、生産が強く、かつ軍事が強い国が、周辺国を従える形で国拡大がおこりました。この頃から記録が数多く残るようになりました。神話的なものが多いが、まるっきり事実と無関係ということはないでしょう。

平氏の隆盛は武士社会の隆盛ではないかと思う人が多いと思いますが、まだ生産をバックに軍事を強化してのし上がってきた面が強いと思います。保守的な面を色濃く残しており、軍事力の効用をはっきりと認識していなかったと思います。したがって平氏は貴族的で戦争に非常に強かったとは言えません。

完全に牙を抜かれた状態になった源氏の血筋は、親平家の地方に流されました。ところが地方は貴族的な平家の保守政治に不満で、流された源氏の軍事的日本統一を期待し、支援するという大変革が地方から起こりました。武士社会をはっきり認識し、武士社会をつくったのは鎌倉幕府です。

その後、武士社会に不満をもった人が天皇家中心の古き良き繁栄社会復活を夢見て中興の動きを展開したが、朝廷が分裂するなど、求心的行動にならず、関東の武士勢力が勝って、しばらくは大混乱が続きますが、やがて德川家が日本統一に成功し、改めて江戸幕府という安定武士社会を構築することに成功しました。

しかし、アメリカ・ヨーロッパの帝国主義の脅威の前に江戸幕府は崩壊し、殖産興業を重視した明治政府が誕生しました。

明治維新は殖産興業でよかったのですが、その後、日本は帝国主義に染まり、軍事力偏重になりました。地方の貧困化がひどかったのに、地方の産業開発が軽視され、日本は軍国主義になりました。

太平洋戦争で大敗し、アメリカに降伏しました。実はアメリカの生産力に勝てませんでした。

そこで戦後は日本は生産に注力し、世界が驚く奇跡の復興をとげ、経済世界第2位にまで経済成長しました。

ところが強烈なアメリカのジャパンバッシングに会い、日本は元気を失い、愚かにも国内生産軽視路線に展じました。海外生産重視に展じました。その後は周知のとおり、経済低迷で、日本は後ろに進む本当の後進国になりました。

岸田文雄内閣はこの現実を認識せず、国内生産軽視、地方の生産軽視のまま、防衛力・アメリカとの同盟強化と叫んでいます。武士社会の夢の中にいる内閣です。これでは新興国、開発途上国にも負けます。


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