東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

旧川越街道~板橋、練馬、和光~その二十一(白子〈三〉)

2014-09-08 19:31:30 | 東京以外の町
さて、旧川越街道、白子熊野神社から清龍寺不動院の横を通ると、県道へと出る事が出来る。その途中、和光市消防団第一分団の建物があり、外の壁面に半鐘が吊されていた。これを叩いてと言うわけではなく、保存していると言うことなのだろう。


よく見ると、側面に文字が見える。「大和町消防団第一分団 昭和二十八年四月新調」と読める。


その向かい側に和光市白子コミュニティセンターという施設があり、白子橋に歌詞のプレートが設置されていた清水かつら、児童文学者の大石真の展示がされている。この時は先を急ぐ気持ちで通り過ぎてしまったが、いずれゆっくりと見てみたい。


この白子周辺の面白さの一つは、川越街道が新旧三本存在しているという点でもある。旧道は白子橋を渡り、直角に曲がって谷の埼玉側斜面を登る道筋になっていく。そして、現在の国道254号線は都県境の新東埼橋の手前辺りから首を振るように向きを変えて、斜めに斜面を登っていく。この国道254号線の白子川から先の区間は東京オリンピック前に整備されたバイパスで、それ程古い道ではない。国道254号線が池袋から整備されてきて延びてきたときに、その延長として整備されたのがこの切通の坂を直線的に上っていく、現在は県道になっている道なのだ。昭和8年に国道254号線の工事が行われたことが、八坂神社の案内に書かれていたから、その頃にこの県道も開かれたのだろうと思う。


ふと見ると蔵があったりする。


この県道は、旧白子宿の中央を貫通して建設されたようだ。それでも、この道沿いにも古い時代からの建物が残されていて、街道筋の宿場町の面影を感じることができる。成増駅から徒歩で来られるところに、こんなに良い雰囲気の町並みが残されているという点でも、この辺りは訪れてみる価値のあるところだと思う。クリーニングと花の庄商店。


坂の周辺には、マンションなども結構建っているところなのだが、比較的木々の緑が多い。そのお陰で、都市化が進行する前の時代の雰囲気を感じられる。


その並びには、鮮魚の魚くめ。ここは銅板を貼り付けた袴のような形状の看板が目立つ。昭和初期の看板建築の流行期に、その手法を取り入れたような感じ。そして、それが日本建築の建物と相まって、今は非常に良い雰囲気になっている。思わず目を止めてしまう。


お店は非常にきれいで明るい雰囲気になっていて、古い建物の持ち味を活かして、その上で魅力的に使われているという点では随一と言える様に思う。


ここまで、県道を下ってきているのだが、旧川越街道と直交して道は真っ直ぐに国道254号線との分岐点に向けて延びていく。旧川越街道との交差点の先、成増よりにはこれも見事な建物で、柴崎米店があった。


こちらも重厚な建物で、思わず見とれてしまう。白子宿は、宿場の時代を過ぎても、その趣が色濃く残されている。これほどに町並みが残されていて、大事にされているというところが、東京に隣接した町にある。これだけでも、和光市を訪れてみる価値があるという気がする。


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