臼田坂を登り切ったところには、子育地蔵がある。戦災で像が傷んでいるというが、今も地元では大事にされているのが分かる。地蔵尊前には、臼田坂の標柱。「臼田坂 坂付近に、古くから臼田を姓とする人が多く住んでいた関係から、この名が起こったといわれている。」
小さな堂宇ながら、重厚な瓦葺きになっている。こういったところを見ても、長い歴史を持っていて大事にされてきていることを感じる。
手水舎もある。
新しい花が上げられていて、清潔に保たれている。毎日、掃除をして、お詣りをされているのだろう。
この道は文字通り尾根筋を進んでいて、道の両側が下り坂という地形になっている。南馬込交番横の道。
道は緩いカーブを描き、微妙なアップダウンの中を進んでいく。
交叉する道をのぞいてみると、歴史のありそうな商店の建物がある。この辺りは、建て込んだ町中というよりは、農村時代からの雰囲気を残したゆったりした雰囲気の町になっているように感じる。
さらに進んで行くと、馬込八幡神社のところまで来た。その手前の交差点を右手に曲がってみる。
すると、目に飛びこんでくるのがこの時計塔。直ぐ目前にある区立馬込小学校にあったものだという。
「大正14年(1925年)から昭和37年ごろまで、馬込小学校のシンボルとして親しまれてきたものです。小学校改築により現在地に移設されました。」(大田区サイトより)取り壊されるのを惜しんで、この家で引き取って保存しているという。可愛らしい姿がいつまでも見ることが出来るのは嬉しいことだ。
小さな堂宇ながら、重厚な瓦葺きになっている。こういったところを見ても、長い歴史を持っていて大事にされてきていることを感じる。
手水舎もある。
新しい花が上げられていて、清潔に保たれている。毎日、掃除をして、お詣りをされているのだろう。
この道は文字通り尾根筋を進んでいて、道の両側が下り坂という地形になっている。南馬込交番横の道。
道は緩いカーブを描き、微妙なアップダウンの中を進んでいく。
交叉する道をのぞいてみると、歴史のありそうな商店の建物がある。この辺りは、建て込んだ町中というよりは、農村時代からの雰囲気を残したゆったりした雰囲気の町になっているように感じる。
さらに進んで行くと、馬込八幡神社のところまで来た。その手前の交差点を右手に曲がってみる。
すると、目に飛びこんでくるのがこの時計塔。直ぐ目前にある区立馬込小学校にあったものだという。
「大正14年(1925年)から昭和37年ごろまで、馬込小学校のシンボルとして親しまれてきたものです。小学校改築により現在地に移設されました。」(大田区サイトより)取り壊されるのを惜しんで、この家で引き取って保存しているという。可愛らしい姿がいつまでも見ることが出来るのは嬉しいことだ。
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