私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

カウンセリング9

2005-12-16 20:36:09 | カウンセリング
前回のカウンセリングから、色んなことがあって、なんだか、とても長く感じてしまった期間でした。
泣きながら電話を切ってしまったので、まず始めに、前回の電話のお詫びを・・・・
そして、その時の心の動きを話しました。
なかなかこういう素直な気持ちを話すことに慣れていないので、前もってメモしていたのですが、なんだか楽に話すことが出来ました。

今まで、勝手に人の行動を想像して、勝手に拒絶されていると思い込んでいたということ、心の動きを気が付くことが出来て、良かったと思います。
「実はね、本当は一枠開いていて、僕は取りたかったんだけれど、あえて断った。」と話してくださいました。
「断ってくださってありがとうございます。」こう思える私がいて良かった。
あの時、断ってもらったから、少し前進することが出来た私が居る。
あの後、ブログを読んで嬉しかった、タフラブっていうのはこういうものだと教えてくださいました。
こういう先生の思いがとても嬉しかったです。

カウンセリングを受けている時には、きちんとした関係が保たれていると思うのに、いざ何か降りかかってくると、先生に頼りたくなってしまう私が居て、もしかしたら、過去の恋愛は、こんな風に成り立っていたのかもしれないなって思ってしまいました。
すがりつくことの出来る人を見つけては恋愛だと思い、依存してばかりいたのかもしれません。
でも、それは、愛ではなくただの依存行為でしかなく、健全なものではなくて、一時の幸せのため、苦しい気持ちから逃れるためだったのかもしれないなと思いました。

拒絶されたと感じた時、ふと、意地悪な考えが浮かびました。
カウンセリングでは、思い出せなくて話していないのですが、このまま私がブログを更新せずにいたら、先生はどう思うのだろうか?心配してくれるのだろうか?優しい言葉をかけなかったことを後悔してくれるだろうか・・・・?
今までだったら、それを実行していたか、拒絶された悲しみを、悲しみとして受け止めず、怒りとして表現していたかもしれないなと思いました。

でも、そうではなくて感謝の気持ちでいることの出来る私がいること。
「依存出来なかったことで、友達との関係に気が付いたこと、自助グループに行ったこと、すごいね~。」と言って頂き、自分でも、進歩することが目に見えたこと、それを認めてくださったこと、とても嬉しかったです。



一通り、今週あった出来事を話した後、子どもの自分に何か引っかかっていることを話しました。
悲しみや痛みの記憶を話すうちに思い出されていき、それを認めていくことで、自分の物語は書き換えられていくこと、自助グループで、自分の体験を話したり、他の人の経験を聞いたりすることで、それが出来ていくことを教えていただきました。
子どもの頃の話は、私自身が暴力から逃れ、危険がない状況ではないと出来ないこと、今私の居る場所が安全であれば、カウンセリングの中で子どもの頃を振り返って見ましょうと言われました。

カウンセリングを受け始めて2ヶ月が立ったのだけれど、本当に堕ちてしまっている時は、振り返ってみても、痛々しいほどブログにしがみついているのに、その瞬間は、それがわかっていなくて一生懸命で・・・・・
でも今、感情の乱れはあるものの、あの時ほどブログだけに頼っていることはないし、他の事に目を向けて、それで上手く気持ちを切り替えることが出来たり、プラスの感情を持つことが出来たり・・・・・

いよいよ次回は、先生を目の前にして、直接カウンセリングを受けます。
不安なのですが、先生に伝えると、
「大丈夫ですよ~」と笑い飛ばされてしまいました。
本当に、大丈夫だろうか・・・・・・・やっぱり不安です。


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5 コメント

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Unknown (いおり)
2005-12-17 12:10:48
自分にとってここは安全な場所だと思えば、不思議と吐き出してしまえるようです。しかし、今現在の自分の生活はというと「そこ」にいるわけじゃないのにもかかわらず怯えて、それでも吐き出せないなんてこともあるので、それはそれで厄介です。

今居るその場所が安全でも、覚えているのでしょうね。また傷つくかもしれない、怖い、と。

人間というものはつくづく、自分を庇うようにして生きている。そういう意味では自分を愛することの出来るイキモノなような気がします。



記憶をたぐりよせていく中で、あれー?こんなんだったっけ?(良いも悪いも全て含めて)と感じる瞬間にも沢山立ち会っていることでしょう。そして瞬間の積み重ね全てが、血となり骨となり喜びになるといいですね。
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Unknown (いおり)
2005-12-17 12:17:48
訂正...



「そこ」→「安全ではないと判断した場所」です。

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いおりさんへ (ねこ)
2005-12-17 16:27:27
こんにちは。

安全な場所っていうのは、そういう意味があったのですね。

ここ(住んでいる所)が、安全な場所かどうかは、よくわかりません。

ここには、いい思い出もまだ蓋をしておきたい部分(思い出には変わりきれていない)もたくさんあります。

でも、私の好きな山に守られているという、強い力を感じます。



いおりさんも、色んなご経験なさったのですね。

それを体験してこられた優しさと力強さを感じてしまいます。



いつも、素敵なコメントありがとうございます。

私の心の中にも力が沸いてきます。
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Unknown (いおり)
2005-12-19 10:20:31
なるほど...



今居る自分の場所が心底安全かどうかなんていうのは、その人の心にしかわかりませんね。

たとえば、自分を痛めつけ苛める人などもういない、そんな一見して穏やかな環境を手に入れていたとしても。



好きな山に守られているという強い思い。

ねこさんがそう感じておられるのなら、山はねこさんを守っているのだと思いますよ。

温かく静かにどっしりと、そして凛とした姿で。
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いおりさんへ (ねこ)
2005-12-19 13:57:00
自分のことなのに、まだまだ判らないことでいっぱいです。

でも、向き合うことで、いろんなことが見えてきました。

無意識に行動していたことすべてに、理由があったのだなって。



私は、方向音痴のくせに、好奇心旺盛で、すぐに知らない道を通ってみたくなって、道に迷ってしまうのだけれど、この山が見える限り、辿りつけるんですよ。



それは、物質的なものだけでなく、精神的にも、そんな気がするのです。山が見えている限り、いくら迷っても、辿り付けるという、何とも言えない安心感。



理由は、判らないけれど、山に守られているのかもしれないですね。
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