ワーキングマザーと子どもたち 久田恵 ちくま文庫
今日は、この本を読み直して見ました。
ちょうど、次女を出産し、職場復帰した頃に出た本です。
当時は、新刊文庫をすべてチェックし、好きな作家の本と、目に付いた本はすべて購入していました。
この本には、働く母親と子どもとのちょっとした出来事が描かれています。
当時は、子どもの立場になって読んでしまって、子どもに寂しい思いをさせている自分を責めてしまいました。
働いているから、育児休暇期間は、しっかり子どもと過ごそうとか、絶対母乳で育てようとか、出産前から決めていたことがたくさんありました。
本もたくさん読んでやりました。
保育園に入れて、触れ合う機会がないからと、子どもとの時間もたくさん取るようにしてきたし、今思えば、時間のある現在よりも、あの頃の方がずっと子どもと向き合う時間は長かったように思います。
今日、読み直して、私は号泣してしまいました。
こんな風に、私は必死に、一生懸命子育てしてきたんだなと・・・・・・
たくさんの辛い思いをしながら、ぎりぎりのところで踏ん張ってきたではないか・・・
本の中の、頑張ってるお母さんの姿と、過去の自分の姿が重なりました。
あの時には、共感することの出来なかったお母さんの姿に、涙がこぼれました。
ある寒い日の夕方、私はいつものように職場から官舎へ帰り、自転車に乗って保育園に向かおうとしました。
よその家からは、晩ご飯の匂いがしてきました。
「えっ。今から、お迎え?」
同じ年頃の子どもを抱えた、お母さんに声をかけられました。
その何気ない言葉に、私は傷付いてしまいました。
私は、
「こんな時間まで、子どもを預けているの?かわいそうに・・・・」
そんな風に取ってしまったのです。
暗いし、寒いし、寂しい。
自転車に乗って、保育園に向かいながら、いったい私は何をやっているのだろう。
そんな思いになってしまい、涙が止まりませんでした。
保育園に向かうと、満面の笑みで迎えてくれた長女と次女。
後部席に乗せた長女は、私の背に抱きつき、前座席に乗せた次女は、私の手を触りました。
途端に私の寂しさは吹き飛んでしまいました。
3人で歌を歌いながらの帰り道。一時の幸せでした。
ちょっとしたスロープが途中あって、二人を乗せて走るのはちょっと苦しかったのですが、
「ねぇ、頑張れって応援してくれる?」子ども達に声をかけました。
「頑張れ!頑張れ!」長女は一生懸命声をかけてくれました。
まだ、言葉を話せない次女も、応援しているかのように声をかけてくれました。
それだけで、暖かい気持ちになりました。
それだけで、明日からも頑張っていけそうな気持ちになりました。
あの頃、本当に必死でした。
でも、そんなささやかな出来事に、幸せを感じていた。
なんだか、そんなことを思い出しました。
今日は、この本を読み直して見ました。
ちょうど、次女を出産し、職場復帰した頃に出た本です。
当時は、新刊文庫をすべてチェックし、好きな作家の本と、目に付いた本はすべて購入していました。
この本には、働く母親と子どもとのちょっとした出来事が描かれています。
当時は、子どもの立場になって読んでしまって、子どもに寂しい思いをさせている自分を責めてしまいました。
働いているから、育児休暇期間は、しっかり子どもと過ごそうとか、絶対母乳で育てようとか、出産前から決めていたことがたくさんありました。
本もたくさん読んでやりました。
保育園に入れて、触れ合う機会がないからと、子どもとの時間もたくさん取るようにしてきたし、今思えば、時間のある現在よりも、あの頃の方がずっと子どもと向き合う時間は長かったように思います。
今日、読み直して、私は号泣してしまいました。
こんな風に、私は必死に、一生懸命子育てしてきたんだなと・・・・・・
たくさんの辛い思いをしながら、ぎりぎりのところで踏ん張ってきたではないか・・・
本の中の、頑張ってるお母さんの姿と、過去の自分の姿が重なりました。
あの時には、共感することの出来なかったお母さんの姿に、涙がこぼれました。
ある寒い日の夕方、私はいつものように職場から官舎へ帰り、自転車に乗って保育園に向かおうとしました。
よその家からは、晩ご飯の匂いがしてきました。
「えっ。今から、お迎え?」
同じ年頃の子どもを抱えた、お母さんに声をかけられました。
その何気ない言葉に、私は傷付いてしまいました。
私は、
「こんな時間まで、子どもを預けているの?かわいそうに・・・・」
そんな風に取ってしまったのです。
暗いし、寒いし、寂しい。
自転車に乗って、保育園に向かいながら、いったい私は何をやっているのだろう。
そんな思いになってしまい、涙が止まりませんでした。
保育園に向かうと、満面の笑みで迎えてくれた長女と次女。
後部席に乗せた長女は、私の背に抱きつき、前座席に乗せた次女は、私の手を触りました。
途端に私の寂しさは吹き飛んでしまいました。
3人で歌を歌いながらの帰り道。一時の幸せでした。
ちょっとしたスロープが途中あって、二人を乗せて走るのはちょっと苦しかったのですが、
「ねぇ、頑張れって応援してくれる?」子ども達に声をかけました。
「頑張れ!頑張れ!」長女は一生懸命声をかけてくれました。
まだ、言葉を話せない次女も、応援しているかのように声をかけてくれました。
それだけで、暖かい気持ちになりました。
それだけで、明日からも頑張っていけそうな気持ちになりました。
あの頃、本当に必死でした。
でも、そんなささやかな出来事に、幸せを感じていた。
なんだか、そんなことを思い出しました。
凹んだときは、「かも~ん」っていうと、いい運もやってくるかな・・って思ってるんですけど、どうやっても、上がってこれなくなるくらい堕ちるときがあります。でも、できるだけ、頑張ろうって思ってます。
私も初心者ながら、ブログっていうものをつくってみました。遊びにきてくださいね。
「あかるい離婚への道」です♪
お変わりなくお過ごしでしょうか。
ねえ、ねえ、
しばらくの間は、自分のことやら、夫様のことやら、考えるのを休憩してもいいんじゃないかな。
みんな、世の中のみんなが、同じように、自分は理解されていないと思っている。だってみんなわかってほしいと思っているんですから。量で比べることなんてできないんだから。それは仕方がないことです。わかってもらえることなんて、「無理」ですよ。おんなじように、自分も相手をわからないんだから。求めたり、求められたりを、ちょっとの間休憩したって、全然かまわないですよ。それは、別の意味の自由です。求められる自分になる必要もないし、相手の求めに応じる必要もない。だって、自分は自分のために生きているんだから。
今日は、いい気分でいますか。もしそうでないとしても、それはたいした問題ではない。今日雨でも、明日は晴れるかもしれない。雨の日は晴れの日と違ったものが見えるかもしれない。
一生懸命、本を読んだりしながら、お子を育ててきた。そんなこと、誰にも理解されなくったって、全然問題ない。あなたはそうしたくってそうしたんだから、それは幸せジャン。本当はしたくなかったわけではないでしょ?少しは私の辛さをかわってよって思うかもしれないけど、自分の辛さがわからないような人に、その役割を代わってもらうのは嫌でしょ?だから、自分でやって、それでいいじゃん。だから、こういう本も、笑って読んでやりましょう。私だってこんなに一生懸命育てたよ、ほら偉いでしょって。
ねこさんにとって、いい一日となりますように。
少なくとも私は、そう祈っていますよ、いつだって。それでは、不十分ですか?
今、子宮内膜症で通院してますが、
産婦人科でこれからママになる人たちの
会話を待合室で聞いてました。
ママA「子供の性別わかったの?」
ママB「まだ」
ママA「女の子がいいね」
ママB「?」
ママA「おとこは部屋が片付かないよ」
ママB「そうらしいね」
確かにそのあと友人にその話をしたら
(女児を持つ母)
「おとこは乱暴で~~」
男児の悪いイメージを聞かせていただきました。
全て母がそうは思えないが、これは明らかに
生まれながらの「差別」???
もし「男児」が生まれたらなんていいながら
育児をするんだろう。
ワタシは「子供が自分が生まれてきた性を喜べるならどちらでもいい」
病気のために 子供を保育園に預けています
それが 最初は可哀相なことだと
思っていました
でも やっぱり 笑顔でかけよってくる
子供に癒されました
これでいいんだと 思えるようになりました
みんな それぞれの
事情があって それでも一生懸命に生きている
それだけでいいんだって 思えました
サクラさんも別居中なんですね。
私の場合、私から別居しちゃったんですけどね。
自分自身を見つけなおしていると、辛い事もあるし、その反面、それによって変わっていく自分が楽しかったりします。
他の人から見た外面は、変わっていないんでしょうけど、一つの行動をするのが、うーんと楽だったり。
堕ちるのは、苦しくて嫌なんだけど、でも、堕ちてしまうと上がるしかないから、楽観的になれるう分もあるし・・・・
まだまだ、それの繰り返しなんでしょうけどね。
私も、遊びに行かせていただきますね。
今後ともよろしくお願いします。
うーん。目指すところは、うさとさんの言われるところなんです。
でも、まだ頭ではわかっていても、心が付いて行っていないんです。
感情を塞いでしまえば、今までと同じことの繰り返しになっちゃいそうだし、辛くてもすべての感情を吐き出してしまおうかなと思っています。
その中で、必要なものだけ拾って、後は流してしまえるようになりたいなと思っています。
前回のカウンセリングで、回復していくと先生に、同じ曲を聞いていても、詞の意味が違って聞こえたりして面白いですよなんて言われたんですけど、同じ本を読んで、最初は、子どものことばかりに目が言って、今回は、お母さんの立場で泣いてしまった、この次読む時には、うさとさんの言われるように、なつかしいななんて笑い飛ばせるようになる。
そんな風になれたらいいなって思っています。
今日は、半日買い物へ、午後からのんびりと過ごしてみました。
たぶん明日は、みかん狩り。
感情から物理的に離れることも必要ですね。
たぶん、最後には、元気で生まれて来てくれたらどっちでもいいって心境になってしまうんでしょうけど、ついつい希望が出てしまったり。
私の場合も、女姉妹だったし、回りも女の子が多くて、男の子を育てることなんて想定外でした。
なので、3人目男の子だと判った時には、びっくりでした。
でもね、産まれてくるとやっぱりどちらでもいいんですよ。
我が子は可愛い。
「男の子は、大変よ~」
なんて言ってしまうんですけど、大変なりに可愛いんです。
大変も、愛情だったりします。
ただ跡継ぎ問題などで、男の子が生むことを背負わされていたりすると違ってくると思います。
でも、母親にとって何ヶ月間もおなかで育てた子ども、口ではなんて言おうと、性別なんて関係ないと思いますよ。
子ども(赤ちゃん)は、自分の置かれている立場を人と比べようとしない。
ただ、真っ直ぐに大人を見て、与えてもらえるものを信じている。
感情すらも・・・・
可哀相なことしていると思えば、自分は可哀相なんだって思ってしまうし、短い時間でも、愛情を注げば、愛されていると思うんじゃないかなって・・・・
こんなことに気が付いたのも、最近なんですけどね。
必死になって、愛情を注がなくても、自然でいいんだなって・・・・
無理して与えられるよりも、ありのままに与えられる方が、子どもにとっても楽なんだなって。
おそらく結婚も似た感じでしょうか。
理想どおりの相手じゃなくても
素直に「ありがとう」や「ごめんなさい」が当たり前に口からでるということ。
「この料理美味しいね」がいえるセンス。
ワタシの母は「子供が出来て嬉しかった」といいますが、ワタシは素直に喜べない。
なんでだろう。
多分、母は自分感情を上手くコントロールできない「気分が基準」だからだ。
母が興味がないこと(時)はなに言っても
駄目なんだ。
たとえば料理番組や家の収納や、節約技などのネタは飛びつくが「企業や性、歴史」などは見向きもしない。
ワタシ母の興味や顔色を伺いながら生きてきた。
長女てこんなもの。。。。
嫁ぐ日があったら母に聞いてみたい
「自分と同じような人生をワタシにもやって欲しいか?」
答えはどうだろう。
父は割りと母の思想にあわせてきた。
母は父の性格を「嫌い、好き」という判断だけで決めつけていた。
長年「支配」されたり「支配」したり・・・
収入がないという事実は「心も歪ませる」
お互いに違う人間であって、例え、親子であろうと、同じようには感じることの出来ないことを判ることは難しいですね。
何故なら、あまりに同じように感じなさいと言われ続けてきたからのように思います。
それを、心から解放できたら、楽になれるでしょうね。