私が、泣いていると、「いい加減に泣くな。」と怒る父。
私が、ぐずぐす言うと、「しつこい。」と怒る父。
そして、母に怒られたことを、もう一度父から怒られる。
私が、手首を切った時、母は手当てをしてくれたけれど、本当は、父から守って欲しかった。
二人が、同じように私を怒る時、私は、家の中でいけない子になってしまった。
泣きじゃっくりが止まらなくて、苦しんでいるのに、怒られて、余計に泣いてしまう私を、慰めて欲しかった。
旦那が、長女を怒る時、手を挙げてしまうとき、私は必死になって止めた。
「人が怒っている時に、止めると、何故怒っているのか、子どもに伝わらない。」と旦那は言った。
「お前の方が、ひどいことしているのに、何故、わしがしたら怒るのか?」とも。
何故だか、判らなかったけれど、二人で長女を責めるのは嫌だった。
いくら長女が悪いと判っていても・・・・・・
そのくせ、私が怒っても、ごめんなさい一つ言わない長女に腹が立った。
私は「ちょっと来なさい。」と2階に呼ばれ、逃げると、母に引きずり回され、何度も何度も
「ごめんなさい。ごめんなさい。」と繰り返し謝った。
母が叩くのは、いつも、ももだった。
母にそうされるのは、結婚するまで続いた。20年近く、重い新聞を抱え走り続けた母の力に、大人になっても叶わなかった。
長女が謝らない時、謝らないことに腹が立った。
力ずくで謝らせてやろうと思ってしまった。
もう、最初に怒った原因は、何だか判らぬまま、取り付かれたように、私は怒った。
髪を引っ張ったことも、蹴り飛ばしたこともある。
長女が謝ると、我に戻って、「ごめんね。ごめんね。」と抱きしめた。
これは、旦那が単身赴任中の出来事だったかもしれない。
旦那の前では、それをしたことはなかったから。
今思えば、その時の長女の年齢は、私の記憶がない時期と重なる。
概ね、5歳から7歳まで、自分自身の記憶がほとんどなく、妹の記憶は8歳(妹3歳)までない。
母や妹は、私と長女の関係が良くないことに気が付いた。
なぜなら長女は、その頃から私よりも、母や妹といることを好み始めたから。
そして、母や妹の前では、私の言うことを聞かず、一層私の怒りは増し、大声で怒り散らしていた。
母は「あんた、長女にひどく当たりすぎ」と言った。
「でも、私は、それ以上、お母さんに怒られていたよ。」そう言い返した。
「自分がやられて嫌だったことは、やりなさんな。私は、親を見て嫌だったことは絶対に子どもにはしなかった。」そう母に言われた。
言われれば、言われるほど、母から愛される長女に腹が立った。
長女との関係が上手くいかないことを悩んでいて、保育園卒園前の面接で、保育士さんに相談した。
「どうしても上の子だから、いい子になって欲しいと期待をしてしまうんですよ。」そう話してくれた。
小学校へ入ると、留守家庭に預けながら、帰宅時間に間に合うように帰ろうと、大きいお腹を抱えながら、走ってばかりいた。
一人にさせたら可哀相だと思って。
でも、いざ長女を目の前にすると、優しくなれない私が居た。
5時過ぎに、家に帰り、9時までに家事を終わらせるために、私は息を付く暇もなく働き続けた。
もしかしたら次女の、夜驚も夜尿も、環境の変化ではなく、家の中でくつろげなかったせいかもしれない。
子ども達に、負わせてしまった心の傷は、どうしてやればいいのだろう。
私と同じ思いから、子ども達を解放してやるには、何をすればいいのだろう。
「今日、お母さんに、学校の話をするために、連絡帳にメモを取ったよ。」
そう話してくれる長女。
少しは、私から受けた傷を、癒すことが出来ているのか?
この先、親として子ども達に、どうしていけばいいのだろう。
私が、ぐずぐす言うと、「しつこい。」と怒る父。
そして、母に怒られたことを、もう一度父から怒られる。
私が、手首を切った時、母は手当てをしてくれたけれど、本当は、父から守って欲しかった。
二人が、同じように私を怒る時、私は、家の中でいけない子になってしまった。
泣きじゃっくりが止まらなくて、苦しんでいるのに、怒られて、余計に泣いてしまう私を、慰めて欲しかった。
旦那が、長女を怒る時、手を挙げてしまうとき、私は必死になって止めた。
「人が怒っている時に、止めると、何故怒っているのか、子どもに伝わらない。」と旦那は言った。
「お前の方が、ひどいことしているのに、何故、わしがしたら怒るのか?」とも。
何故だか、判らなかったけれど、二人で長女を責めるのは嫌だった。
いくら長女が悪いと判っていても・・・・・・
そのくせ、私が怒っても、ごめんなさい一つ言わない長女に腹が立った。
私は「ちょっと来なさい。」と2階に呼ばれ、逃げると、母に引きずり回され、何度も何度も
「ごめんなさい。ごめんなさい。」と繰り返し謝った。
母が叩くのは、いつも、ももだった。
母にそうされるのは、結婚するまで続いた。20年近く、重い新聞を抱え走り続けた母の力に、大人になっても叶わなかった。
長女が謝らない時、謝らないことに腹が立った。
力ずくで謝らせてやろうと思ってしまった。
もう、最初に怒った原因は、何だか判らぬまま、取り付かれたように、私は怒った。
髪を引っ張ったことも、蹴り飛ばしたこともある。
長女が謝ると、我に戻って、「ごめんね。ごめんね。」と抱きしめた。
これは、旦那が単身赴任中の出来事だったかもしれない。
旦那の前では、それをしたことはなかったから。
今思えば、その時の長女の年齢は、私の記憶がない時期と重なる。
概ね、5歳から7歳まで、自分自身の記憶がほとんどなく、妹の記憶は8歳(妹3歳)までない。
母や妹は、私と長女の関係が良くないことに気が付いた。
なぜなら長女は、その頃から私よりも、母や妹といることを好み始めたから。
そして、母や妹の前では、私の言うことを聞かず、一層私の怒りは増し、大声で怒り散らしていた。
母は「あんた、長女にひどく当たりすぎ」と言った。
「でも、私は、それ以上、お母さんに怒られていたよ。」そう言い返した。
「自分がやられて嫌だったことは、やりなさんな。私は、親を見て嫌だったことは絶対に子どもにはしなかった。」そう母に言われた。
言われれば、言われるほど、母から愛される長女に腹が立った。
長女との関係が上手くいかないことを悩んでいて、保育園卒園前の面接で、保育士さんに相談した。
「どうしても上の子だから、いい子になって欲しいと期待をしてしまうんですよ。」そう話してくれた。
小学校へ入ると、留守家庭に預けながら、帰宅時間に間に合うように帰ろうと、大きいお腹を抱えながら、走ってばかりいた。
一人にさせたら可哀相だと思って。
でも、いざ長女を目の前にすると、優しくなれない私が居た。
5時過ぎに、家に帰り、9時までに家事を終わらせるために、私は息を付く暇もなく働き続けた。
もしかしたら次女の、夜驚も夜尿も、環境の変化ではなく、家の中でくつろげなかったせいかもしれない。
子ども達に、負わせてしまった心の傷は、どうしてやればいいのだろう。
私と同じ思いから、子ども達を解放してやるには、何をすればいいのだろう。
「今日、お母さんに、学校の話をするために、連絡帳にメモを取ったよ。」
そう話してくれる長女。
少しは、私から受けた傷を、癒すことが出来ているのか?
この先、親として子ども達に、どうしていけばいいのだろう。
私は子供を育てたことがないので、分かりませんが、もしかしたら、子供に自分とダブらせてしまうところがあるのではないでしょうか?
「自分はこうだったのに、なんであなたは?」とか…
母親からこんな仕打ちを受けていたのに、何故あなたはその母親から可愛がられるのか?とか…
「私はこうだったのに…」っていう。
あと、自分は出来なかったけど、子供にはこうしてほしいとか…期待してしまったり。
そういうのってありませんか?
うちの母は自分が出来なかったことを子供である私に夢を託していました。
例えば、自分がテニスをしたかったから…と、中学時代私にテニス部に入ればと勧めてきました。でも、私は全くスポーツがダメで、興味もなかったので、吹奏楽部に入りました。
私は小さい頃から音楽に興味を持ち、自分の意思で始めたのですが、母親は自分が出来なかったことをやっている私にすごく満足していたし、私に「あの曲が好きだから弾いてみて」とかリクエストもしてきました。
私の弾く音楽に母はうっとりと浸っていたし、私がそっちの道に進むと期待して、自分が稼いだお金を新しい楽器を買う為に費やしてくれました。
でも、結局、私は「私は●●に行く!商社に入って海外赴任を目指す!」とワガママを言って、先生の資格をとる直前に止めてしまったものだから、私に失望したようです。
「親の期待に応えなければ!」と思う気持ちと、「親の言う通りにはなりたくない!」という気持ちがいつも葛藤していました。
あと、今でも記憶にあるのが、私は走るのが遅くて、運動会ではいつもビリでした。
そんな私に「自分を見ているようだ」とイライラしている母に不満を抱いていたし、子供ながらに凄く傷つきました。
自分も親になったら、そうはならないでおこう!と思う反面、そうなるのではないかと思います。
なので、自分を振り返っている時に、子どもの事は、そんなにも気に留めず、今の関係にしか目がいきませんでした。
でも、母のようになりたくないと思いながらも、結局は、同じだったんですよね。
一生懸命、長女のことを考えながら、行動は、操られていたと言うか(笑)
母に認められたいという一心で、母と同じことをしてしまうというか・・・・
それに気が付いていないところが、なんとも情けないと言うか・・・・・
私の場合は、長女にした早期教育や、こうなって欲しいという教育は、ことごとく拒否されているんです。
3歳でピアノを習わせると、ある日突然、レッスンに行って、止めると言い始め動かなくなったり、ひらがなを教えようとしても、頑として受け入れてくれなかったり・・・・・
結局、小学校に入るまで、字がかけなくて、それでも結果オーライというか、学校できちんと書き順を学び、字体を覚えたので、きれいな字を書くし。
逆に、子どもに教えられたというか、私も無理強いすることなく受け入れてやってるので良かったと言うか・・・
子育てについては、本当に、長女に教えられた気がします。
最初は、子どもに尽くすことばかり考えていたのですが、3人目にして、そうでないことに気が付きましたね。
親と言うのは、教えるのではなく、導いてやるだけなのだと、そして甘えたい時に、愛情を注いでやり、離れている時には、じっと見守っているべきなのだと・・・・・
母曰く、私と長女はそっくりらしいのですが、靴下片方履くのに、30分かかっていたとか言うんですね。
靴下履きながら、私としては、妄想の世界に入っていたりして、時間が止まっているわけなんですよ。
>「親の期待に応えなければ!」と思う気持ちと、「親の言う通りにはなりたくない!」という気持ちがいつも葛藤していました。
そうなんですよ。
表の私は、いつも母にはむかっているのですが、心の中では、いつも自分を責めている、そんな感じでした。
就職しても、家にお金を1円も出さず、弁当まで作らせながら、結婚資金は、親に出させなかったり、里帰りしても、こっそりとお金を置いて帰ることしか出来ない。
ほんと、素直じゃないと言うか、不器用と言うか・・・・
その辺は、妹の方が上手かったりするんですけどね。
そして、妹だけが褒められる(苦笑)
私は、結婚するまで、何をするかわからないからと家から出させてもらえず、妹は、家から出て生活したり。
信用されていないと言うか、家に縛られていたと言うか、だからrenkaさんのように、家から出ることが出来たのは、大きな進歩だと思います。
今は、もう、母や妹を責める気持ちも、さらさらないのですが、もう少し、楽に生きることが出来れば良かったんだって、今頃思ったりして・・・・
ねこさんのお返事で思い出したこと。
私は就職して、お金を家に入れていました。
それは、今まである楽器の先生になる為に、私立の高校・短大に出してもらって、結局、自分の好きなように進路変更してしまったことへの後ろめたさがあったように思います。
これで文句言わないでね!みたいな。
家を出たのも、本当にコソコソ下調べして、海外旅行に行くと言って、色んな大学を訪問して、入学届けを勝手に提出して…会社に退職願を出して… 親にはギリギリまで言ってなかったので、勘当寸前でした。
父親には「一切うちには頼るな!」と冷たくあしらわれ、でもいつかの為にと貯金してきたお金でなんとかしました。一時は食費を削る為に、すごく無理して…けちけち生活。頬はこけて、ヒョロヒョロになってしまったり。でも、親にはそんなこと言えない。本当、意地っぱりなんですよね、私。
両親も流石に心配して、いろいろ送ってきてくれました。
あぁ、日本酒が飲みたいなぁ…なんて思った時には、父親から紙パック入りの日本酒が送られてきて、「流石親子だなぁ…よく分かってる!」なんて感激したものです。
それと、妹とか弟って、上手いんですよねぇ…
私も両親には「あれはダメ」「これはダメ」って言われ、反抗し続けて来ました。こんな言うことを聞かない娘を持って、大変だったと思います。好き放題やってましたから。。。
でも、弟は外泊もOK(まぁ男だから当たり前かもしれないけど)、何しても親は驚かないみたいな…。なんで、私の時はこっぴどく怒られたのに、弟はいいのぉ?みたいな、、、
なんか解せないなぁ…って。
そんなことばかりで、かなり捻くれましたね。下の子はズルイっていうのは、どこも一緒なんでしょうね?様子を伺いながら上手くやっていく習慣が自然に身についている気がします。
ハッと気が付いた時には、出来るだけ、「お母さん怒りすぎたね。ごめんね。大好きだからね。」って抱きしめて謝って来たつもりなのですが、自分に自信がありません。
でも、子どもって寛大だなぁって思います。
大人の関係だったら、断ち切っているようなことでも、相手を認め、許すという作業をしているなぁと思います。
それに甘んじることの無いように、していきたいと思っています。
母は、一番下の子だったので、怒られないように、迷惑かけないように、いい子を演じてきた人なんですね。
それを聞くと、下は下で、上を見て、要領良すぎて、それもまた苦悩なのではないかなと思うわけで・・・・
本当は、子どもが子どもらしく生きることで、成長できるのではないかと思い始めています。
子どもの時に、子どもらしく出来なかった部分が、大人になっても行動や心の中に残ってしまっていて、時々、それがひょこっと現れてしまって・・・・
子ども達を、取り巻く環境が、日々、悪くなってきて、その背景に、そういう思いがあるのかなと、感じてしまっています。
わが子を含め、すべての子ども達の笑顔が続いて欲しい。
親になってみて、本当に子どもが可愛い。
可愛いからこそ、あれもダメこれもダメって言ってしまっていて、その思いを、どうすれば伝えることが出来るのか、日々悩んでいます。
~しなさい!って言うことが多いのですが、それが、どうしてなのか、伝え切れていない部分がたくさんあって、親もまた、未熟なために、上の子を育てることで、寛大になれたり、子どもの事情がわかったり、大丈夫だと安心できたり。
親にとっても、上の子は、勉強というか、体験というか・・・・
親としては、個性に合わせていたりするんだけれど、子どもから見ると、不平等に見えてしまったり。
ほんと難しいです。。。。