昨日、アニメの「ワンピース」を見ていた長男が、お父さんに逢いたいといい始めた。
春に、私は遊園地へのバスツアーを企画して、友達家族と出掛けた。
たまたま休みだった旦那も参加した。
上の子二人は友達と回り、私と旦那と長男で遊園地内を回ることになった。
途中、上の子を見るために、旦那と長男は二人で「ワンピース」の催しを見たようだった。
その事を思い出したらしい。
その時の楽しかったことから始まり、昨年の3歳の誕生日に、お父さんといったデカレンジャーショーの話をした。
今朝、「お父さんに電話してもいい?話があるんよ」と自分で電話を掛けた。
一通り、楽しかった思い出を話し、また一緒に行こうと話していた。
聞いていると辛くなってその場を離れてしまった。
勤務中だったのに、ちゃんと付き合って話をしていた旦那。
二人の逢いたいという気持ちを引き裂いてしまっているのかと思うと悲しくなってしまった。
過去を思い出したとき、辛かったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと、そんなことばかりが思い出されてしまう。
そして楽しかった思い出の中に、両親の姿が見つからない。
私はどこにいても、何をしていても楽しいと感じられなかったのか?
私は、「笑顔がいい」とよく言われた。
その笑顔は、どこから生まれていたのだろうか?
私はいつも悲観的だったのか?
私の楽しかった思い出を消してしまったのは何なのだろう。
楽しいと感じた長男の運動会。今まで、何が私を縛り付けていたのだろう。
心を解放させることもなく、どこかで、そんな気持ちにブレーキを掛けていたのか?
子供達が、お父さんのことを楽しそうに語るとき、私はとても許せない気持ちでいた。
何故、一生懸命やっている私より、旦那ことばかり言うのか?
テレビばかり見ていて、家族の存在を無視したように生活している父親に対して、腹を立ててる様子もないのに、何故私ばかり、子供達に要求されるのか?
私はそんな思いでいっぱいだった。
旦那は子供達から愛される価値のない人間だと思った。
でも、今は長男の中に、楽しいお父さんとの思い出があることに安堵感がある。
気が付かなかったら、子供達の心の中のお父さんの姿を醜いものに変えてしまうところだったと思う。
旦那を悪く言う度に、子供達の心を傷つけてきたことに私は気が付いた。
どんな父親であっても、子供からは愛される存在だったのだ。
私の会話から、旦那の不貞を知ってしまった次女が
「浮気している人を殺したい」と言った。
浮気をしているお父さんではなく、浮気相手が憎いと言った。
お父さんのことを愛してるんだなそう思った。
知ってしまった事実を否定することしか出来ないけれど、子供たちの心の中のお父さんを守っていかなければいけないそう思った。
次女は友達に、私と旦那のことについて話していて、友達からも自分の親を聞いたらしい。
怒ってあちこちを殴り、家中穴が開いていて、朝も、お父さんが投げたガムテープが足に当たって痛くて遅刻した友達の話や、
離婚しているお母さんがいつも一緒にいる男の人と再婚することになっていて、その人のことは嫌いではないけれど、お父さんと会えなくなるかもしれないと危惧している友達の話を聞かせてくれた。
友達の話に、少し安心した様子の次女を見ていると、このままじゃあいけないなと思った。
今、母親である私が、自分自身を見つめていかないと、もう一人の私を育ててしまうことになると思った。
色んな本を読みながら、自分の子育てについてもあれこれと反省してしまう。
だけど、今までは変わらない。今からをどうしていくかが大切だなんだ。
まだ間に合うのだろうか?
子供達の心の中の楽しい思い出は、色褪せることなく、きちんと残せるのだろうか?
逃げないでまっすぐに立ち向かう強さが欲しい。
春に、私は遊園地へのバスツアーを企画して、友達家族と出掛けた。
たまたま休みだった旦那も参加した。
上の子二人は友達と回り、私と旦那と長男で遊園地内を回ることになった。
途中、上の子を見るために、旦那と長男は二人で「ワンピース」の催しを見たようだった。
その事を思い出したらしい。
その時の楽しかったことから始まり、昨年の3歳の誕生日に、お父さんといったデカレンジャーショーの話をした。
今朝、「お父さんに電話してもいい?話があるんよ」と自分で電話を掛けた。
一通り、楽しかった思い出を話し、また一緒に行こうと話していた。
聞いていると辛くなってその場を離れてしまった。
勤務中だったのに、ちゃんと付き合って話をしていた旦那。
二人の逢いたいという気持ちを引き裂いてしまっているのかと思うと悲しくなってしまった。
過去を思い出したとき、辛かったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと、そんなことばかりが思い出されてしまう。
そして楽しかった思い出の中に、両親の姿が見つからない。
私はどこにいても、何をしていても楽しいと感じられなかったのか?
私は、「笑顔がいい」とよく言われた。
その笑顔は、どこから生まれていたのだろうか?
私はいつも悲観的だったのか?
私の楽しかった思い出を消してしまったのは何なのだろう。
楽しいと感じた長男の運動会。今まで、何が私を縛り付けていたのだろう。
心を解放させることもなく、どこかで、そんな気持ちにブレーキを掛けていたのか?
子供達が、お父さんのことを楽しそうに語るとき、私はとても許せない気持ちでいた。
何故、一生懸命やっている私より、旦那ことばかり言うのか?
テレビばかり見ていて、家族の存在を無視したように生活している父親に対して、腹を立ててる様子もないのに、何故私ばかり、子供達に要求されるのか?
私はそんな思いでいっぱいだった。
旦那は子供達から愛される価値のない人間だと思った。
でも、今は長男の中に、楽しいお父さんとの思い出があることに安堵感がある。
気が付かなかったら、子供達の心の中のお父さんの姿を醜いものに変えてしまうところだったと思う。
旦那を悪く言う度に、子供達の心を傷つけてきたことに私は気が付いた。
どんな父親であっても、子供からは愛される存在だったのだ。
私の会話から、旦那の不貞を知ってしまった次女が
「浮気している人を殺したい」と言った。
浮気をしているお父さんではなく、浮気相手が憎いと言った。
お父さんのことを愛してるんだなそう思った。
知ってしまった事実を否定することしか出来ないけれど、子供たちの心の中のお父さんを守っていかなければいけないそう思った。
次女は友達に、私と旦那のことについて話していて、友達からも自分の親を聞いたらしい。
怒ってあちこちを殴り、家中穴が開いていて、朝も、お父さんが投げたガムテープが足に当たって痛くて遅刻した友達の話や、
離婚しているお母さんがいつも一緒にいる男の人と再婚することになっていて、その人のことは嫌いではないけれど、お父さんと会えなくなるかもしれないと危惧している友達の話を聞かせてくれた。
友達の話に、少し安心した様子の次女を見ていると、このままじゃあいけないなと思った。
今、母親である私が、自分自身を見つめていかないと、もう一人の私を育ててしまうことになると思った。
色んな本を読みながら、自分の子育てについてもあれこれと反省してしまう。
だけど、今までは変わらない。今からをどうしていくかが大切だなんだ。
まだ間に合うのだろうか?
子供達の心の中の楽しい思い出は、色褪せることなく、きちんと残せるのだろうか?
逃げないでまっすぐに立ち向かう強さが欲しい。
母は、自分の辛さや苦しさをどこかで埋める事に必死だったのかなと思います。自分の気持ちをどう対処すればいいのかわからないまま今まで過ごしたことを、かわいそうだなと思います。
ただ、ずっと母のことをかわいそうだと思い続け、これ以上困らせたり、悲しませたりしてはいけない気持ちがあったので、母のことをこれ以上かわいそうだと思う気持ちになるよりも、母は、私のことを愛していたと思い、過去を清算するほうが私は楽かなって思っています。
でも、なんだか最近の母は、幸せそうなんですよね。この歳になり、姉兄夫婦とよく遊んでいるせいか、昔の辛かった思い出が塗り替えられてというか、思い込んでいた部分もあったことに気が付いたというか.....
なんだか、こちらが混乱してしまうというか、呆れてしまうというか......
>子どものとって愛情はすべてプラスです。あなたのお母さんの「愛情」は間違っていた。愛情は、相手のことだけを考えるものです。それだけではいけないでしょうか?
そうなんですよね。つい求めてしまう。そして自分の都合を考えてしまう。”無償の愛”でないといけないなと思います。
その辺りを自分自身の中で、見つめていかなければいけないなと思っています。
>えらそーに言ってごめんなさいね。
えらそーなんかじゃないですよ。
コメントありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
たぶん自分の生活を犠牲にし過ぎてしまうくらいに。
それを考えた時に、何が正しくて、何がいけなかったのか、混乱してしまうのです。
ほとんど、同じようなことが私にもありました。
しかし、嫌なことをひとつ言わせてください。
お母さんがあなたを愛しすぎていたというのは、違います。そう思いたいけれど、そうではない。
多分、残念ながら、あなたのお母さんは、あなたを愛するという形でお母さん自身を愛していた。お母さんにとって、一番は、あなたではなく、お母さん自身だった。そうして、お母さん自身がそれに気づいていない。だから、あなたは悩む。あなたを本当に愛しているのなら、あなたの本当の幸せを考えるはず。世間的な幸せではなく。もしくは、残念ながら、あなたのお母さんはそれに気づくほど、賢明ではなかった。それを子どもとして認めるのは辛いけど、そういうことなのではないでしょうか。
そんなことにも、気づけなかった、かわいそうなお母さん、って思ってあげればいいんです。お母さんだって、あと10年もすれば、本物の大人になれますって。でも、少なくとも、今のお母さんは、大人じゃないですよね。
悩むことないですよ。子どもの幸せの形は、子ども本人しか決められない。あなたはそれを助ける人です。
>子どもにとって、何がプラスになる愛情で、何がマイナスになる愛情なのか、考えながら行動してしまう私がいます。
子どものとって愛情はすべてプラスです。あなたのお母さんの「愛情」は間違っていた。愛情は、相手のことだけを考えるものです。それだけではいけないでしょうか?
えらそーに言ってごめんなさいね。
たぶん自分の生活を犠牲にし過ぎてしまうくらいに。
それを考えた時に、何が正しくて、何がいけなかったのか、混乱してしまうのです。
愛を与えることが愛情なのか?与えすぎないことが愛情なのか?
ちょうどいい兼ね合いがわからないのです。
>私のいまの目標は、心置きなく子から捨てられる大人になることです。こんなことしたら、親は傷つくかしらなんて、これっぽちも思わせず、子が心置きなく自分のことだけを考えられるといいと思います。それって、素敵で、かっこいいでしょ?
まさにそれが大切なのではないかと思い始めています。
ただ、そうさせるにはどうすればいいのだろう?その迷いがますます私の心を混乱させてしまうのです。
今、気が付くことが出来たということが、唯一私の救いです。
幸いにして、母のような完璧主義者にはなれそうもないのですが、
子どもにとって、何がプラスになる愛情で、何がマイナスになる愛情なのか、考えながら行動してしまう私がいます。
そして、気付かずに過ごしてしまった日々をどうやって埋め合わせていくべきなのか、考えてしまいます。
本当は、どれが正しいっていうのはないのでしょうね。
ただただ、子どもの幸せを守っていけたらなって思っています。
あなたにとって、お母様との関係はまだ、整理できていないものなのかもしれないけれど、もうあなたは大人で、親なのだから、「自分」がすればいいんだと思います。「自分」は「自分」が認めてやり、褒めてやり、抱きしめてやる。「自分」を暖める焚き火を「自分」で燃やすのです。
もう、お母様のことは、どうでもいいことなのではないでしょうか。過ぎてしまったことではないでしょうか。できれば、過去とは比較せず、あなたが一歩一歩新しいものを作っていけばいいじゃないですか。それに、そうでなければほんとうの意味での「救い」はこないと思います。
不安はいっぱいだろうけど、でも、できなくっても、やるんです。だって、あなたはあなたのお子達にとって、唯一無二の母ではないですか。その子達を不幸の連鎖からはずしていくことができる、唯一の人であることを、人生に感謝すべきです。素敵ですよ、それって。
謝ってくれない人、救ってくれない人、自分で精一杯の人なんてほおって置けばいいんです。あなたは子を育てることで、手一杯でそれでいいではないですか。
私のいまの目標は、心置きなく子から捨てられる大人になることです。こんなことしたら、親は傷つくかしらなんて、これっぽちも思わせず、子が心置きなく自分のことだけを考えられるといいと思います。それって、素敵で、かっこいいでしょ?
私は自分が「育てる人」になれたことを本当に幸福だと思います。それができて始めて、私は私の欠落を埋めていけた気がしています。
育てられなかった、愛されなかったという気持ちを、育てられること、愛されることに求めても、何も満たされないです。育てられなかったこと、愛されなかったことは、育てること、愛することでしか、満たされないと、私は思います。
しかも全部読んで頂いたなんて......
力強いお言葉ありがとうございます。
>あなたが、「あなた」ではなく、「お子達」を癒すことが、あなたを癒すこと、あなたを強くすることだと思います。
そうなんですよね。
これから先、子ども達を癒してやり、幸せな道へ進めるように考えていくことが大切なんですよね。
今まで、母の取ってきた行動が正しいと思っていた私にとって、なにが正しくてなにが間違っていたのか確認しながら、子育てをしていかなければならないような気がして混乱してしまいます。私にそれが出来るのだろうかと、不安になってしまうのです。
ただ、同じ過ちを繰り返すことだけは辞めておこうと心に誓いながら、子ども達の笑顔を見守っています。
何を迷ってらっしゃる?もう、強くなってらっしゃるじゃないですか。
本当に癒されることは、自分が人を癒せる存在になれると実感できるときに他ならないと私は思います。求めても、満足にはきりがないけれど、与えることは、与えれば与えるだけ、満たされていく。
あなたが、「あなた」ではなく、「お子達」を癒すことが、あなたを癒すこと、あなたを強くすることだと思います。
何も持たない自分、自分を守るすべを知らぬ自分をわかることからしか、何も始まらない。あなたは、もう始めている。歩いている。
言い訳も、解説もいらない。ただ、あなたがあなたのお子達の幸せを考えられるあなたなら、それでいいと思います。