一つ前の記事を書いた後、忘れていた2度目の流産の記憶が鮮明に蘇った。
身体から流れ落ちる塊。
私は、トイレで思わずそれをすくい上げた。
ぶよぶよして、ただの血の塊だった。
6週目。
生理が2週間遅れたのだと思えばいい、そう思った。
「ダメだった・・・」
明るく旦那にそう告げて、家族で買い物に出掛けた。
1度目は稽留流産だった。
妊娠に気が付いたときから、すでに出血が始まっていた。
当時、1年制の専門学校に通っていて、妊娠に気が付いたときには、どうすればいいのか迷った。
園芸や福祉を勉強していたから、実習などを考えると、学校を続けられるのか不安だった。
そして、退職金は、すべてマンションの繰上げ返済と授業料に使ってしまっていたから、出産のための費用もなかった。
長女や次女の時みたいに、妊娠を素直に喜べなかった。
妊娠を告げた時、母は、
「喧嘩ばかりしてるのに、また子どもを作って信じられない。
育てられるの?」そう言い放った。
私の不安を察知したかのように、お腹の赤ちゃんは、いつまで経っても心音を聞かせてくれることはなく、大きくもならなかった。
出血のため、安静を告げられ、甘えん坊の次女もあまり抱けなくなった。
なので、お腹に赤ちゃんがいること、弱い赤ちゃんなので、ゆっくりしていなければいけないことを告げた。
いつまでも、大きくなることはない赤ちゃんを、もうダメなんだと受け入れることが出来なかった。
つわりはだんだん強くなり、大丈夫なんだと思いたかった。
もしかしたらと、検診の日、祈るような気持ちで、検診台の上に乗った。
次回の検診で、心音が確認されなかったら、掻爬しなければいけないと告げられた。
その当日、朝から少しずつ出血が増えていった。
まるで、私に決断を促すかのようだった。
ちゃんと迎えてあげなかったから、この子は生まれて来たくなかったんだ、そう思った。
私のせいだ。
私の不安な気持ちを察したんだ、そう思った。
手術は、簡単なものだった。
前日から絶食して、昼から病院に入り、点滴で全身麻酔をかけられた。
ウォータースライダーを滑り落ちるような感覚がして、目が覚めたときには、すべてが終わっていた。
麻酔から覚め、なんともいえない嫌な気持ちに襲われた。
けだるさと寒さ。
でも、嘘のように、つわりはぴたり止まって、空腹を感じた。
病院からの帰り、モスバーガーをむさぼるように食べた。
食べながら、悲しかった。
吐き気を感じないことで、もうお腹の中にはいないことを思い知った。
お腹の赤ちゃんが死んだことを子どもに告げると、
「私が、抱っこして、抱っこしてって言ったから、赤ちゃん死んだの?」まだ3歳の次女は言った。
「違うよ。
最初から、弱い赤ちゃんだったんよ。」私は答えた。
子どもの前で泣いたらいけない、そう思った。
ネットで調べて、子どもを流産してしまった人の集まる掲示板を見つけ、そこに気持ちを書き込んだ。
旦那も、母も、妹も、私の気持ちを受け止めてはくれなかった。
「産むなってっことだったんよ。
いいじゃん、二人いるんだから。」妹の言葉が突き刺さった。
何日も、何日も、一人で泣いた。
いい加減にしたら・・・旦那に言われた。
本当は、一緒に悲しんで欲しかった。
辛かったねって、抱きしめて欲しかった。
今回、産むことが出来なかった赤ちゃんを、絶対に抱きたいとそう思った。
同じ子が生まれてくるのだとそう思った。
今回は、巡り合えなかったけど、必ず、逢いたいとそう思った。
だから、お医者さんからの許可が下りた、半年後、欲しいと思ってすぐ妊娠に気がついたときには嬉しかった。
でも、やっぱり同じように、出血が続いた。
同じように、心音を確認することが出来なかった。
またダメなのかもしれない・・・
子どもには告げなかった。
そして、安静にすることもなく同じようにすごした。
覚悟していたけれど、2度続けて流産したことは、私の心に重くのしかかった。
でも、私は笑っていた。
悲しんでも、受け止めてもらえないことがわかると笑っているしかなかった。
そんな私の気持ちに共感してくれたのは、同じように流産を繰り返していた女性と、掲示板の仲間だった。
本当は、一番傍にいる旦那に、辛かったねと受け止めて欲しかった。
残念だったねと抱きしめて欲しかった。
夫婦ってなんなのだろう、そう思った。
お願いだから、もう一人産ませて。
旦那に頭を下げた。
この子を、産んであげないと私はずっと、このことを考えてしまう。
生まれてこなかった子をずっと思って暮らさなければいけなくなってしまう。
この子を抱きたい。
そう思った。
この記事を書き上げるのに3日掛かってしまいました。
思い出すのが辛くて悲しくて、上手く書けませんでした。
これを書き始めてから、抱きしめられたい思いに駆られています。
夫婦の間に起こった出来事なのに、一緒に乗り越えて欲しかったのに、そんな思いが渦巻いています。
一人で耐えなければいけなかったあの時の悲しみが、そのまま私の心に蘇っています。
悲しい出来事も、辛い出来事も、一緒に乗り越えて、夫婦の絆が深まるものだと思っていました。
でも、私の身の上に起こったことで、旦那の身の上に起こった出来事ではなかったようです。
1度目の流産の後、まだまだ私の悲しみが癒えぬ時、旦那は他の女性を抱いていました。
そうやって、色んな出来事を重ねるにつれ、私達夫婦の溝はだんだんと広がっていったような気がします。
ポチッと押していただけると嬉しいです。
メンタルヘルスジャンル 恋愛・結婚(離婚)ジャンル
身体から流れ落ちる塊。
私は、トイレで思わずそれをすくい上げた。
ぶよぶよして、ただの血の塊だった。
6週目。
生理が2週間遅れたのだと思えばいい、そう思った。
「ダメだった・・・」
明るく旦那にそう告げて、家族で買い物に出掛けた。
1度目は稽留流産だった。
妊娠に気が付いたときから、すでに出血が始まっていた。
当時、1年制の専門学校に通っていて、妊娠に気が付いたときには、どうすればいいのか迷った。
園芸や福祉を勉強していたから、実習などを考えると、学校を続けられるのか不安だった。
そして、退職金は、すべてマンションの繰上げ返済と授業料に使ってしまっていたから、出産のための費用もなかった。
長女や次女の時みたいに、妊娠を素直に喜べなかった。
妊娠を告げた時、母は、
「喧嘩ばかりしてるのに、また子どもを作って信じられない。
育てられるの?」そう言い放った。
私の不安を察知したかのように、お腹の赤ちゃんは、いつまで経っても心音を聞かせてくれることはなく、大きくもならなかった。
出血のため、安静を告げられ、甘えん坊の次女もあまり抱けなくなった。
なので、お腹に赤ちゃんがいること、弱い赤ちゃんなので、ゆっくりしていなければいけないことを告げた。
いつまでも、大きくなることはない赤ちゃんを、もうダメなんだと受け入れることが出来なかった。
つわりはだんだん強くなり、大丈夫なんだと思いたかった。
もしかしたらと、検診の日、祈るような気持ちで、検診台の上に乗った。
次回の検診で、心音が確認されなかったら、掻爬しなければいけないと告げられた。
その当日、朝から少しずつ出血が増えていった。
まるで、私に決断を促すかのようだった。
ちゃんと迎えてあげなかったから、この子は生まれて来たくなかったんだ、そう思った。
私のせいだ。
私の不安な気持ちを察したんだ、そう思った。
手術は、簡単なものだった。
前日から絶食して、昼から病院に入り、点滴で全身麻酔をかけられた。
ウォータースライダーを滑り落ちるような感覚がして、目が覚めたときには、すべてが終わっていた。
麻酔から覚め、なんともいえない嫌な気持ちに襲われた。
けだるさと寒さ。
でも、嘘のように、つわりはぴたり止まって、空腹を感じた。
病院からの帰り、モスバーガーをむさぼるように食べた。
食べながら、悲しかった。
吐き気を感じないことで、もうお腹の中にはいないことを思い知った。
お腹の赤ちゃんが死んだことを子どもに告げると、
「私が、抱っこして、抱っこしてって言ったから、赤ちゃん死んだの?」まだ3歳の次女は言った。
「違うよ。
最初から、弱い赤ちゃんだったんよ。」私は答えた。
子どもの前で泣いたらいけない、そう思った。
ネットで調べて、子どもを流産してしまった人の集まる掲示板を見つけ、そこに気持ちを書き込んだ。
旦那も、母も、妹も、私の気持ちを受け止めてはくれなかった。
「産むなってっことだったんよ。
いいじゃん、二人いるんだから。」妹の言葉が突き刺さった。
何日も、何日も、一人で泣いた。
いい加減にしたら・・・旦那に言われた。
本当は、一緒に悲しんで欲しかった。
辛かったねって、抱きしめて欲しかった。
今回、産むことが出来なかった赤ちゃんを、絶対に抱きたいとそう思った。
同じ子が生まれてくるのだとそう思った。
今回は、巡り合えなかったけど、必ず、逢いたいとそう思った。
だから、お医者さんからの許可が下りた、半年後、欲しいと思ってすぐ妊娠に気がついたときには嬉しかった。
でも、やっぱり同じように、出血が続いた。
同じように、心音を確認することが出来なかった。
またダメなのかもしれない・・・
子どもには告げなかった。
そして、安静にすることもなく同じようにすごした。
覚悟していたけれど、2度続けて流産したことは、私の心に重くのしかかった。
でも、私は笑っていた。
悲しんでも、受け止めてもらえないことがわかると笑っているしかなかった。
そんな私の気持ちに共感してくれたのは、同じように流産を繰り返していた女性と、掲示板の仲間だった。
本当は、一番傍にいる旦那に、辛かったねと受け止めて欲しかった。
残念だったねと抱きしめて欲しかった。
夫婦ってなんなのだろう、そう思った。
お願いだから、もう一人産ませて。
旦那に頭を下げた。
この子を、産んであげないと私はずっと、このことを考えてしまう。
生まれてこなかった子をずっと思って暮らさなければいけなくなってしまう。
この子を抱きたい。
そう思った。
この記事を書き上げるのに3日掛かってしまいました。
思い出すのが辛くて悲しくて、上手く書けませんでした。
これを書き始めてから、抱きしめられたい思いに駆られています。
夫婦の間に起こった出来事なのに、一緒に乗り越えて欲しかったのに、そんな思いが渦巻いています。
一人で耐えなければいけなかったあの時の悲しみが、そのまま私の心に蘇っています。
悲しい出来事も、辛い出来事も、一緒に乗り越えて、夫婦の絆が深まるものだと思っていました。
でも、私の身の上に起こったことで、旦那の身の上に起こった出来事ではなかったようです。
1度目の流産の後、まだまだ私の悲しみが癒えぬ時、旦那は他の女性を抱いていました。
そうやって、色んな出来事を重ねるにつれ、私達夫婦の溝はだんだんと広がっていったような気がします。
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どうか、どうか、あたたかさがねこさんを包みますように。
笑っていたねこさん、笑うことにいつもなれてしまったねこさんの気持ち、
笑うことしかえらべなかった、ねこさんを
どうか、どうか、神様が優しく包んでくださいますように。
涙がいっぱいこぼれました。
とんびさんの優しい言葉が私を包んでくださいました。
本当にありがとう。
辛かったですね。このお話を書き上げるまでの主さんの心境を思うと他人事とは思えず書き込みしました。
私も初期流産を経験し、一昨日手術を受けました。旦那は流産が発覚した際泣いていたので、私は努めて大したことではない風に普通に手術の日まで過ごしてました。
でも、そんな私の態度を見て旦那も聞きたいことを聞きずらかったようです。
本当は全然大丈夫ではなかったのですが、そんな態度を取っていたら、旦那は私が本当は深く傷ついてる事に気付かず私が術前処置をしてる日と手術をした翌日は職場の人と遊んでいました。手術当日は術後に迎えに来てくれましたが、前日の遊び疲れで風邪を引いてしまい、体調が良くなかったせいで私が期待していた精神的な支えはまったくありませんでした。それでこらえていた思いが爆発して大泣きしてしまいました。そこで初めて辛かったことを知った夫はオロオロしながら私の背中を撫でて慰めてくれましたが、体調が悪くても翌日の遊び(釣りが趣味で釣りに行く予定でした。)は絶対に行く様子でした。そして、体調が良くないのに無理やり翌日も会社の人と釣りに出掛けていきました。どうやらわたしに食べさせたかったみたいですが、どちらかというと自分が釣りをしたかったという気持ちの方が強かったのは明らかですし、何だったら妊娠の間魚が受け付けなくなっていたことは伝えてましたが、どうやらうまく伝わってないのか、それとも忘れてしまっていたようです。沢山釣れたことを帰ってきて意気揚々と話していましたが、明らかに私の態度がいつもと違うので、遊びに行っててごめんと言われました。そこで私もこの3日間に夫が取ってきていた行動で夫婦としてやっていく自信が無くなったこと、支えてくれなかったことが悲しかったことなどを泣きながら話しました。そこでやっと夫は自分がやってきたことを振り返り、深く反省して泣いてました。こっちが泣きたいところですが笑 その旦那の態度を見てもう一度前向きに考えてみようと思っていましたが、どうしても1人になると彼の取った行動が許せなくて恨みが深くなっていくのが自分で分かります。そしてどうしても離婚の二文字が自分の頭をちらつきます。ここから前に踏み出して夫婦関係を修復すべきか迷っています。