2年半前、新聞に掲載された境界性人格障害の記事を見て、以前の自分と重なった。
旦那から、人格を否定された時に、自分がわからなくなり、死にたくなってしまう。
わめくように泣き続け、そんな自分をどうしたらいいのかわからなることがあった。
それほどまでに、傷ついているのに、旦那から離れられない。
見捨てられ不安がつきまとい、仕事に行こうとする旦那にしがみついた。
今、振り返っても、はっきりとその頃のことは思い出せない。
長男が産まれる前だから、5年以上は前のことになるだろう。
新聞に掲載された当事者のHPを拝見し、ますます自分と重なった。
でも、一度薬漬けにされそうになった経緯もあり、病院に行くのは恐かった。
そんな時に辿り着いたHPがここ
以前は、メニューもほとんどなかったけれど、BBSで一人ずつの質問に丁寧に答えられている様子は、こんなお医者様もおられるのだなとホッとさせた。
その頃作ったお気に入りのホルダーには、薬の密売サイトも合わせて登録してある。
いざとなった時に、薬を入手しようと考えていたのかもしれない。
久しぶりに今日開いてみると、ACについても詳しく記述があって、
「表面的にはしっかり者だが、誰にも弱味を見せられず、特に近い相手には一転して依存的となったり、自分からぶち切ってしまったりして人間関係が長続きしない」の文章に思わず、苦笑してしまった。
私は、カウンセリングを受けているけれど、専門医に詳しくテストしてもらったわけでもないから、人格障害については、実際のところ自分がどのような状態にあるのかはわからない。
でも、このHPの『ACと人格障害』のページを見て、自分なりに納得した。
「見捨てられ不安などの認知のゆがみをもつ人はACだが、その中で激しい行動化を起こす人が部分集合として境界例と呼ばれる」と書かれている。
ACの認知のゆがみによって、激しい行動化を起こしてしまうことがあるのだと思えば、自分に起こっていた出来事も説明がつく。
けれど、今はそういう激しい行動化を起こすことはなくなっている。
どうして、それが起こらなくなったのか?
一つは、飛び降りをしようとしたときに、回りの反応によってリセットされたこと、もう一つは、仕事により、以前よりも自尊心が高まったことによるのだろう。
見捨てられ不安によって、行動化を起こしたくなるというのも納得できる。
「私は、誰からも必要とされない」という思いが高まった時、死にたくなる。
カウンセリングを受けていて、一度だけこの思いを抱いたことがある。
苦しくてカウンセリングを受けたいと、急に予約を入れ、空きがなく断られてしまった時。
このまま、ブログを書いてしまうのを辞めたら、次のカウンセリングを連絡しないままキャンセルしたら、心配してくれるのか試してみたくなった。
子どもがいるから、死にたくはないけれど、未遂を起こしてみたくなった。
あの時、友達からの電話が掛かっていなかったら、何かの行動を起こしていたかもしれない。
でも、友達は、私の不安になった気持ちを共感してくれた。
ブログで知り合った友達と直接、電話で話す機会にも恵まれた。
偶然が重なったことで、私は、行動を起こすことが出来なくなった。
消えたくなる思いや、見捨てられ不安は、何かの拍子に心に浮かび上がる。
けれども、もう、それによって行動を起こしてしまおうという気持ちは薄くなった。
そういう思いは苦しくて、掻き出してしまいたくなる。
だけど自分の心に、消えたくなる思いや見捨てられ不安があるのだと認めた。
その思いを、隠さず話そうと思うようになった。
今までは、みっともなくて隠しておきたかったのだけど。
これからは、その繰り返しなのだろう。
人間関係において、浮かび上がってくる見捨てられ不安を、話すことで勝手な思い込みであることを知り、誤った感情だということを認識する。
その繰り返しによって、見捨てられ不安は少なくなっていくのかなと思う。
今、そうしたことをカウンセリングや、新しい人間関係の中でおこなってきているのかなと思う。
学び直し……本来であれば、成長過程において身につけているかもしれないもの。
私は、学ぶことが出来ず、誤った感情を学んでしまった。
要に今までは、過去の母なり、男性が、私の見捨てられ不安を増強させる人物であったことを知る。
見捨てられ不安を抱えていることは、逆に見捨てられる行為がないと不安が募る。
見捨てられて当たり前だと思っているから、見捨てられないでいることが恐い。
安定していると、いつ見捨てられるのだろうと不安な日々を過ごす。
そして、見捨てられることのない安定した生活は、壊してしまいたくなる。
いつか見捨てられると思うと、安心して生活が出来ないから、自分から壊すか、もしくは相手が壊してしまうように仕向けていく。
見捨てられることにより、ああやっぱりと安心できる。
私にとって、不安定な状態が、安定していたのだと思う。
でも、もうそんな安定はいらない。
不安な思いを抱きたくない。
安らかで穏やかな人間関係の中に、身を置いていたい。
本当に、そう出来た時がACからの脱却なのかなと思う。
ポチッと押していただけると嬉しいです。
とっても励みになっています。ありがとうございます。
メンタルヘルスジャンル 恋愛・結婚(離婚)ジャンル
旦那から、人格を否定された時に、自分がわからなくなり、死にたくなってしまう。
わめくように泣き続け、そんな自分をどうしたらいいのかわからなることがあった。
それほどまでに、傷ついているのに、旦那から離れられない。
見捨てられ不安がつきまとい、仕事に行こうとする旦那にしがみついた。
今、振り返っても、はっきりとその頃のことは思い出せない。
長男が産まれる前だから、5年以上は前のことになるだろう。
新聞に掲載された当事者のHPを拝見し、ますます自分と重なった。
でも、一度薬漬けにされそうになった経緯もあり、病院に行くのは恐かった。
そんな時に辿り着いたHPがここ
以前は、メニューもほとんどなかったけれど、BBSで一人ずつの質問に丁寧に答えられている様子は、こんなお医者様もおられるのだなとホッとさせた。
その頃作ったお気に入りのホルダーには、薬の密売サイトも合わせて登録してある。
いざとなった時に、薬を入手しようと考えていたのかもしれない。
久しぶりに今日開いてみると、ACについても詳しく記述があって、
「表面的にはしっかり者だが、誰にも弱味を見せられず、特に近い相手には一転して依存的となったり、自分からぶち切ってしまったりして人間関係が長続きしない」の文章に思わず、苦笑してしまった。
私は、カウンセリングを受けているけれど、専門医に詳しくテストしてもらったわけでもないから、人格障害については、実際のところ自分がどのような状態にあるのかはわからない。
でも、このHPの『ACと人格障害』のページを見て、自分なりに納得した。
「見捨てられ不安などの認知のゆがみをもつ人はACだが、その中で激しい行動化を起こす人が部分集合として境界例と呼ばれる」と書かれている。
ACの認知のゆがみによって、激しい行動化を起こしてしまうことがあるのだと思えば、自分に起こっていた出来事も説明がつく。
けれど、今はそういう激しい行動化を起こすことはなくなっている。
どうして、それが起こらなくなったのか?
一つは、飛び降りをしようとしたときに、回りの反応によってリセットされたこと、もう一つは、仕事により、以前よりも自尊心が高まったことによるのだろう。
見捨てられ不安によって、行動化を起こしたくなるというのも納得できる。
「私は、誰からも必要とされない」という思いが高まった時、死にたくなる。
カウンセリングを受けていて、一度だけこの思いを抱いたことがある。
苦しくてカウンセリングを受けたいと、急に予約を入れ、空きがなく断られてしまった時。
このまま、ブログを書いてしまうのを辞めたら、次のカウンセリングを連絡しないままキャンセルしたら、心配してくれるのか試してみたくなった。
子どもがいるから、死にたくはないけれど、未遂を起こしてみたくなった。
あの時、友達からの電話が掛かっていなかったら、何かの行動を起こしていたかもしれない。
でも、友達は、私の不安になった気持ちを共感してくれた。
ブログで知り合った友達と直接、電話で話す機会にも恵まれた。
偶然が重なったことで、私は、行動を起こすことが出来なくなった。
消えたくなる思いや、見捨てられ不安は、何かの拍子に心に浮かび上がる。
けれども、もう、それによって行動を起こしてしまおうという気持ちは薄くなった。
そういう思いは苦しくて、掻き出してしまいたくなる。
だけど自分の心に、消えたくなる思いや見捨てられ不安があるのだと認めた。
その思いを、隠さず話そうと思うようになった。
今までは、みっともなくて隠しておきたかったのだけど。
これからは、その繰り返しなのだろう。
人間関係において、浮かび上がってくる見捨てられ不安を、話すことで勝手な思い込みであることを知り、誤った感情だということを認識する。
その繰り返しによって、見捨てられ不安は少なくなっていくのかなと思う。
今、そうしたことをカウンセリングや、新しい人間関係の中でおこなってきているのかなと思う。
学び直し……本来であれば、成長過程において身につけているかもしれないもの。
私は、学ぶことが出来ず、誤った感情を学んでしまった。
要に今までは、過去の母なり、男性が、私の見捨てられ不安を増強させる人物であったことを知る。
見捨てられ不安を抱えていることは、逆に見捨てられる行為がないと不安が募る。
見捨てられて当たり前だと思っているから、見捨てられないでいることが恐い。
安定していると、いつ見捨てられるのだろうと不安な日々を過ごす。
そして、見捨てられることのない安定した生活は、壊してしまいたくなる。
いつか見捨てられると思うと、安心して生活が出来ないから、自分から壊すか、もしくは相手が壊してしまうように仕向けていく。
見捨てられることにより、ああやっぱりと安心できる。
私にとって、不安定な状態が、安定していたのだと思う。
でも、もうそんな安定はいらない。
不安な思いを抱きたくない。
安らかで穏やかな人間関係の中に、身を置いていたい。
本当に、そう出来た時がACからの脱却なのかなと思う。
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いつもねこさんのメッセージを受け取っています
パソコンを開く時ねこさんを思い出します
ねこさんは此処に居てくれるだけで私は
励みになっていますよ
ちっこさんの言葉が、胸にしみてきます。
いつも、そんな風に思ってくださって嬉しいです。
私も、ちっこさんの存在、とても癒されています。
一人じゃないんだな。
遠い空の下、同じように、自分の気持ちと向き合って、
頑張られているんだなと思うたび、
前向きな気持ちでいられます。
本当にありがとうございます。