最近、とても穏やかな気持ちであることを話しました。
苦しみやわけのわからない辛さに襲われることがなくなったと感じています。
そして気になる自分の感情について話してみました。
本来であれば、パニックになる状況に対して、無感情になってしまうのです。
例えば、自分や子どもの身の上に何かがあった時、テレビドラマや友達の子どもに同じことがあった時には湧いてくる感情が湧いてこなくなってしまいます。
子どもが、怪我をした時も、なかったことにして放っておきたくなったこと。
それに対して、心配になるのが普通じゃないのとか、病院へ連れて行かないといけないんじゃないのというもう一人の自分のささやきによって行動すること。
行動してしばらくして感情が出てくることを話しました。
自分の出来事に共感してもらえないことが多かったことから、感情が鈍磨してるんだと言われました。
でも、それによって自分を守ってきたんだと言われました。
自分が共感されていることを経験することによって、その感情が蘇ってくること、それにはミーティングなどが効果があると言われました。
1年前まで、私は苦しい状況や辛い状況にあったにも係わらず、辛いと感じていませんでした。
今まで感じていなかった痛みや苦しみを、1年かけて見直すことによって、過去の痛みや苦しみがあふれ出してしまいました。
この一年間辛かったと言うと
「ほんと、一年間よく頑張ってきたよね。」と言われました。
でも、頑張ったねと言われるとピンと来ませんでした。
私の中で頑張ったというのは、いつも誰かと比較していて、それが実証できないと自分自身で認められないのだと改めて気が付きました。
頑張ったということは、誰かと比較するものでもなく、自分自身が精一杯努力したと思えればそれでいいのかもしれない・・・
改めて、そんなことに気が付いたのでした。
今までずっと、自分より優れた誰かと自分を比べ、まだ足りない、頑張っていないと自分を認めていなかったのだと思いました。
頑張ったというのは、結果ではなく過程なのだと、自分自身で、一生懸命に過ごしたことを認めていかないと前に進めないなぁと感じたのでした。
話の流れから、ずっと話が止まっていた生育歴を話していきました。
高校から、結婚が決まるまでの間の私の中でモヤモヤしているのは、男性関係です。
当時は、自分は一途で、二股なんてとんでもなくて、一人の人を追いかけていると思っていたのですが、今、振り返ってみると、人間関係も複雑で、自分がどうやって過ごしていたのか、誰が好きだったのかよくわかりません。
抱きしめられることで安定を感じ、誰かに必要にされていることで自分の存在価値を認めていたのだろうなと思います。
男性と身体の関係になることを求め、そうかといって相手にその気持ちがあると拒む。
そういったことも繰り返されてきました。
「それは、ねこさんの叫びに聞こえるよ、『助けて』って心の声が聞こえるよ。」って言われました。
自分の気持ちを話せない分、身体の関係になり、抱き合うことは私にとっては楽だったのかもしれません。(穏やかな気持ち)
相手の感情を、言葉ではなくて、身体全体で感じ取ろうとしていたのかもしれません。
「もし、今、恋をしたとして、きちんと相手といい関係性を作れるのか、自信がない。
今までと同じような関係性しか築けないかもしれない。」そう話しました。
カウンセラーは、
「こう言っていいのかどうかわからないけど・・・」と前置きをしてから
「今の僕とねこさんの関係は、今までの男性との関係よりも、深い関係だよね。
カウンセラーとクライアントという特殊な関係ではあるけれど・・・
そうやって人間関係を築いてから、身体の関係になるほうがいいと思わない?」
そう言われました。
もし、半年前にカウンセラーからそんなことを言われていたら、すごく依存しちゃっただろうなと思ってしまいました。それをきちんと境界線を引けていること、少し変われたのかなと思いました。
「本当にそうだと思うけれど、今はまだ自信がないかも・・・」と話しました。
生育歴でここに辿りつく前に、Kさんのことや、ネットで知り合った相手とのことがあり、自分の色んな感情を見ることが出来ました。
もし、そういう体験がなければ、思い出せなかった感情もたくさんあります。
すべて与えられてるのかなぁと思っています。
次回のカウンセリングまでに、もう少し当時の気持ちなど考えていくことが出来たらいいなと思います。
ポチッと押していただけると嬉しいです。
メンタルヘルスジャンル 恋愛・結婚(離婚)ジャンル
苦しみやわけのわからない辛さに襲われることがなくなったと感じています。
そして気になる自分の感情について話してみました。
本来であれば、パニックになる状況に対して、無感情になってしまうのです。
例えば、自分や子どもの身の上に何かがあった時、テレビドラマや友達の子どもに同じことがあった時には湧いてくる感情が湧いてこなくなってしまいます。
子どもが、怪我をした時も、なかったことにして放っておきたくなったこと。
それに対して、心配になるのが普通じゃないのとか、病院へ連れて行かないといけないんじゃないのというもう一人の自分のささやきによって行動すること。
行動してしばらくして感情が出てくることを話しました。
自分の出来事に共感してもらえないことが多かったことから、感情が鈍磨してるんだと言われました。
でも、それによって自分を守ってきたんだと言われました。
自分が共感されていることを経験することによって、その感情が蘇ってくること、それにはミーティングなどが効果があると言われました。
1年前まで、私は苦しい状況や辛い状況にあったにも係わらず、辛いと感じていませんでした。
今まで感じていなかった痛みや苦しみを、1年かけて見直すことによって、過去の痛みや苦しみがあふれ出してしまいました。
この一年間辛かったと言うと
「ほんと、一年間よく頑張ってきたよね。」と言われました。
でも、頑張ったねと言われるとピンと来ませんでした。
私の中で頑張ったというのは、いつも誰かと比較していて、それが実証できないと自分自身で認められないのだと改めて気が付きました。
頑張ったということは、誰かと比較するものでもなく、自分自身が精一杯努力したと思えればそれでいいのかもしれない・・・
改めて、そんなことに気が付いたのでした。
今までずっと、自分より優れた誰かと自分を比べ、まだ足りない、頑張っていないと自分を認めていなかったのだと思いました。
頑張ったというのは、結果ではなく過程なのだと、自分自身で、一生懸命に過ごしたことを認めていかないと前に進めないなぁと感じたのでした。
話の流れから、ずっと話が止まっていた生育歴を話していきました。
高校から、結婚が決まるまでの間の私の中でモヤモヤしているのは、男性関係です。
当時は、自分は一途で、二股なんてとんでもなくて、一人の人を追いかけていると思っていたのですが、今、振り返ってみると、人間関係も複雑で、自分がどうやって過ごしていたのか、誰が好きだったのかよくわかりません。
抱きしめられることで安定を感じ、誰かに必要にされていることで自分の存在価値を認めていたのだろうなと思います。
男性と身体の関係になることを求め、そうかといって相手にその気持ちがあると拒む。
そういったことも繰り返されてきました。
「それは、ねこさんの叫びに聞こえるよ、『助けて』って心の声が聞こえるよ。」って言われました。
自分の気持ちを話せない分、身体の関係になり、抱き合うことは私にとっては楽だったのかもしれません。(穏やかな気持ち)
相手の感情を、言葉ではなくて、身体全体で感じ取ろうとしていたのかもしれません。
「もし、今、恋をしたとして、きちんと相手といい関係性を作れるのか、自信がない。
今までと同じような関係性しか築けないかもしれない。」そう話しました。
カウンセラーは、
「こう言っていいのかどうかわからないけど・・・」と前置きをしてから
「今の僕とねこさんの関係は、今までの男性との関係よりも、深い関係だよね。
カウンセラーとクライアントという特殊な関係ではあるけれど・・・
そうやって人間関係を築いてから、身体の関係になるほうがいいと思わない?」
そう言われました。
もし、半年前にカウンセラーからそんなことを言われていたら、すごく依存しちゃっただろうなと思ってしまいました。それをきちんと境界線を引けていること、少し変われたのかなと思いました。
「本当にそうだと思うけれど、今はまだ自信がないかも・・・」と話しました。
生育歴でここに辿りつく前に、Kさんのことや、ネットで知り合った相手とのことがあり、自分の色んな感情を見ることが出来ました。
もし、そういう体験がなければ、思い出せなかった感情もたくさんあります。
すべて与えられてるのかなぁと思っています。
次回のカウンセリングまでに、もう少し当時の気持ちなど考えていくことが出来たらいいなと思います。
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私もねこさんと同じ事があります。良く言ったら「冷静」悪く言ったら「無感情」な所が多々あります。先日子どもが警察にお世話になったのですが、私は冷静沈着でした。警察官の話しを落ち着いて聞けました。あまりにもたくさんの修羅場を経験しすぎて、心にバリアを張ってしまっているのだと自分でも思います。カウンセラーには少しづつでも、心の中の「怒り」を吐き出すように言われました。それさえも、なんだか良くわからないのです。
心の傷のかさぶたをすっかり剥がせるのはまだまだ先のようです。すいません、自分の事ばかり書いてしまいました。
そうなのです。
よく言えば、冷静沈着・・・
でも、すごく違和感を感じてしまいます。
自分が冷酷な人間のようで・・・
そしてじわじわと感情が沸き起こってくるのです。
後になって、こうすれば良かった、ああ言えば良かったなんて思うのです。
ただ、その時は、無感情で、何も出来ず、何も言えず。
今までは、とてつもない溢れる感情にばかり目を向けていたので、自分は気性が激しい人間だとずっと感じていたのですが、落ち着いて自分を観察してると、どうもそれは、怒りの爆発に過ぎなかったようで・・・
もっと、もっと自分の感情を素直に表現できる、そして取り扱うことが出来るようになりたいなと感じます。
お互い、少しずつですよね。
人と係わりたいと思いながらも、深い関係を築くことが出来なかったのは、どこかで自分を守っていたのかもしれません。
時に、境界線を高く築き、時に、境界線をあいまいにし・・・
程よい距離感というものを、持つことが出来ないまま過ごしていたのかもしれません。
「NO」といい時に「NO」と言えず、かといって自分から近づくことも出来なかった。
すべては他人任せの係わり合いだったのかもしれません。
これからは、自分からのアプローチ、そして「NO」と冷静に言うことの出来るように変わっていきたいなと思っています。