私のイライラはマックスを過ぎ…
肩こりは、介の字張り(コマーシャルのように)にシップを(主人に)4日間連続して貼って貰ったら、
やっとこっているよー くらいの 肩に戻りました。
自分では、貼れないのでやっぱり主人がいてよかったー! って思います。
今日は、ちょっと暗いお話ですが、目を背けてはいけない記事を、ご紹介します。
『こころばえと憂鬱』 へんみ・よう(作家)
ことしの賀状はいつもの年とずいぶんちがって、気のせいか、文面や絵柄が重く沈んでいた。何通りかは
おきまりの祝詞を略して「暗中模索」だの「五里霧中」だの、およそ賀状らしからぬ文言でまえおきし、
「めげずにがんばりましょう」などと、なにをどうがんばればよいものかさっぱり要領をえないまま文をむすで
いたりした。だれしも手放しで「おめでとう」とはおもっておらず、眼には見えない不安の波動のわけをとらえ
ようと過敏になっているようだ。かつて疑う余地がなかったはずの日常のなめらかな連続性が、ここにきて
不気味にきしみはじめていることは、たかが賀状の文面の変調にもそこはかとなく知れる。
いつもなら「旧年の特筆私事トップ5」と「新春の決心」を細やかな字でびっしりと書き送ってくる70歳代の
女性の賀状が、ことしは遅れて着いた。文面も例年とまったくことなる。のっけから
「轍鮒(てっぷ)の急にたちあがれ!」といかにも古めかしい檄文調なので苦笑してしまう。「轍鮒の急」とは
「荘子」にでてくることばで、わだちの水たまりにいる命あやういフナ。つまり、危急にひんする者のたとえで
この寒空に困窮する失業者たちを助けるために行動せよ、と呼びかけているのである。
相変わらず元気なことだと感心して読み進むうち粛然として座りなおした。彼女、暮れから東京・
日比谷公園の年越し派遣村で「飯炊き、テント張り、救援物資の分類、配給、ごみ拾い」のボランティア
をやっていたのだという。
「立ちっぱなしで一日目はヨロヨロ。けれど、だんだん強くなりました。陽が落ちるととても寒いのですが、
私は‘お母さん'と呼ばれながら、まわりに教えられて仕事をしています」。ことばに屈託がない物心にまだ
余裕のある私たちに対し「たちあがれ!」と叫んでもとくに含むところはなく、ストレートなふん、かえって明るい
のだ。彼女は殺された樺美智子さんらと60年安保を戦ったことがある。
しかし、ふたたび水をえた魚というのではない。くさぐさ思った末私は得心する。世代、経歴、思想、立場
をはねかえす一個人の凛とした〈 こころばえ 〉 が、老いた彼女を派遣村に通わせているのだ。と。
ときに単純にもみえるよきこころばえのまえには、どんなに華麗で精緻な理屈もしぼんでしまう…そう
自分にいいきかせたことだ。
この正月、印象深い便りがもう一つあった。こちらは30代の新聞記者からのEメールで、赤錆のような
疲労が文面にただよっていた。仕事を辞めたいのだが辞められない。
「暗闇に吸い込まれていくような孤独と虚無感」に日々おそわれている。辛いこと、疲れること、解決の
難しいことを考えるのをうまく避け、自分に都合の良い相手とだけほどほどに付き合う毎日をおくっていたら
「かつての理想がうそみたいにやせほそってしまった」という。社はこの不景気をしのぐために以前より
さらに権力や大企業、お茶の間になりふりかまわず媚をうり、大事な記事を減らしてでも広告を入れようと
しているけれども、意義をとなえる気力は社内にも自身にもないとなげく。
知的障害があるとみられる容疑者でも、写真撮影できるよう便宜をはかれと警察に求めているのは、
読者ではなく実は記者たちであり、社内でさして論議にもならない。自社のウェブサイトへのPV(アクセス量)
が毎日、社内メールで流され、まるでPVを上げろと追い立てられているようだともいう。
記者たちは社外でも社内でもまず「空気をよむ」のが本分のようになりつつあり、他者の苦しみをおもう
「痛覚」が年々にぶっている…と恥じている。
「孤絶の感情がつのり、このところ自分の存在を脅かすほどになってしまいました」「人は生まれてから死ぬまで、孤独のやみに沈められているのですね。ふと足元を見ると、会社もまた孤独の底なし沼です」―。
青年は年末休みに妻子を置いて夜行列車で一人旅にでた。雪の北陸路をさまよい歩くうち、孤独からのがれ
るのでなく、これからいっそ孤独をもっと深めてみようと思い立ったという。晦日の夜に帰宅したら、生まれて間
もないわが子が暗い寝床で、じっと自分の小さな手にみいっていた。彼の心はその情景にふるえ「痛感が静か
によみがえるのを感じて泣いた」のだそうだ。雪道、赤ちゃんの手、派遣村…が、私のまなうらでひとつらなりの
絵になった。
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