先日、知り合いのおじいちゃんが
亡くなられ、
お通夜に参列しました。
86歳でした。
昨年3月に奥様を亡くされて
10ヶ月後のことです。
奥様は長い間の
「闘病生活」でした。
ご主人は
闘病生活を支えてこられました。
その支えが無くなったかのように
まるで後を追うかのような
あっ、と言う間の「死」でした。
(勿論、家族全員の支えは有りました)
「畑命」「畑一筋」だったそうです。
祭壇に飾られている
「おじいちゃんの写真」
「おじいちゃんの柩」
を見ながら、
お坊様が読まれる
「読経」
の声を聞きながら、
頭の中には
色々なことが
グルグルと回っています。
自分の葬儀は
「どんな風な葬儀になるのだろうか?」
①「自分の死、だから、
どんな葬儀にするのかも、
自分で考えたがいいのかな?」
②「葬儀は、残った人が
故人を偲ぶためならば、
残った人が考えたがいいのかな?」
①ならば
「祭壇は・・・・、
写真は・・・・」
参列者への言葉は
自分で考えとこうかな・・?」
②ならば・・・・。
葬儀に参列することは
故人を偲ぶ、と同時に、
自分の生き方を、
自分の死に方を、
じっくりと見詰め直させてくれる
最良の機会だな!!
と思いました。