福島原子力発電所の事故は、その安全性への信頼を失墜させ、
制御不能になった場合の、被害の大きさをみせつけている。
これまで、電力会社も国も安全性を前提にして原子力政策を
進めてきたから、その前提がくずれてしまった事態の収拾は
いちじるしく困難で、高い代償を支払わなければならないだ
ろう。原発の安全神話が崩壊したといわれても当然だろう。
それどころか、「原子力発電は環境にもよい」として、
電力会社も国も原子力発電を過去50年にわたって進めてきた
のであった。
立地している自治体も安全を前提に協力してきた。
「東京のためになぜ福島県民が犠牲に?」
という今回の事態は、
いったん大事故がおきれば、被害が大きく環境にも大きな
マイナスになるということを忘れていたためといえる。
長期的な原子力政策を変更するためには、
冷静になって原子力のコストと便益をかんがえなおしてみる
必要があるだろう。
大事故を想定することにより、原発のコストは上昇し、
利益のほうも被害が大きな分だけ大きく減少することになる。
これまでの火力の半分程度だという原子力優位のコスト計算が、
大事故を想定すると逆転する可能性も十分ある。
少なくとも今回のような被害が想定されるとすれば、
まったく採算があわないだろう。
それでも原子力発電を進めることが、なお必要だとするならば、
大事故をおこさないような対策が低コストで可能なのか、
どれだけ大事故のリスクを小さくできるか、
また被害額を小さくできるかを再計算しなければならない。
経済学的に考えるならば、そういうことになる。(T・K)
制御不能になった場合の、被害の大きさをみせつけている。
これまで、電力会社も国も安全性を前提にして原子力政策を
進めてきたから、その前提がくずれてしまった事態の収拾は
いちじるしく困難で、高い代償を支払わなければならないだ
ろう。原発の安全神話が崩壊したといわれても当然だろう。
それどころか、「原子力発電は環境にもよい」として、
電力会社も国も原子力発電を過去50年にわたって進めてきた
のであった。
立地している自治体も安全を前提に協力してきた。
「東京のためになぜ福島県民が犠牲に?」
という今回の事態は、
いったん大事故がおきれば、被害が大きく環境にも大きな
マイナスになるということを忘れていたためといえる。
長期的な原子力政策を変更するためには、
冷静になって原子力のコストと便益をかんがえなおしてみる
必要があるだろう。
大事故を想定することにより、原発のコストは上昇し、
利益のほうも被害が大きな分だけ大きく減少することになる。
これまでの火力の半分程度だという原子力優位のコスト計算が、
大事故を想定すると逆転する可能性も十分ある。
少なくとも今回のような被害が想定されるとすれば、
まったく採算があわないだろう。
それでも原子力発電を進めることが、なお必要だとするならば、
大事故をおこさないような対策が低コストで可能なのか、
どれだけ大事故のリスクを小さくできるか、
また被害額を小さくできるかを再計算しなければならない。
経済学的に考えるならば、そういうことになる。(T・K)