アメコカ マイケル  "Twinkle Twinkle Little Star"

マイケルの日常や庭の草花等色々織り交ぜながら、お届けしま~す。

ちょっとマレーシア (3) マラッカ

2011-02-26 | trip

 2日目、クアラルンプールより 車で約2時間(120km)の歴史の町、マラッカへ行きました。

マラッカは、2008年に世界文化遺産にも指定された古い都です。1400年にイスラム教を導入したマラッカ王国が誕生、繁栄し 現在のマレー世界の原形を作り、その後、大航海時代には、400年以上もの間、ポルトガル、オランダ、イギリスとヨーロッパの列強国に支配され、独特の文化を形成た興味深い歴史のある町です。

 

    クアラルンプールより、高速道路で一路マラッカへ。 途中の料金所の屋根もイスラムっぽいかも??

 

       車窓よりの景色、虎が出てきそうな熱帯雨林のジャングル?かパームツリーの畑が ず~っと続いて見えました。 昔は、ゴム畑が多く、世界第1の生産高を誇っていたマレーシアですが、日本が天然ゴムにかわる人工のものを開発したため、売れなくなり、それにかわって、現在は、油や石鹸の材料になるパームツリーを栽培しているそうです。

 

      途中のサービスエリアは、広々としていて緑が多く、大きな実のなっている木や鳥達がたくさんいました。

   

         トイレは、きれいでしたが、エコ? 紙は使わないで、ホースで洗うようです。

   休憩中に撮った果物?と鳥です。

 

                               

 

世界文化遺産に指定されているマラッカに着きました。 マラッカ海峡より、季節風を利用して東西へ貿易船が行き来し 海上のシルクロードのような道が発展したそうです。 アジア侵略を目指すヨーロッパ諸国にとってマラッカは、アジアの重要な拠点でした。 16世紀初めのポルトガル、そしてオランダ、イギリスと数世紀にわたる外国支配は、やがてマレーシア半島全土へ。 

 

 まずは、そんなヨーロッパ各国の残した史跡のあるマラッカの起点、オランダ広場。                

    左の建物は、スタダイスと呼ばれていて 1650年オランダの総督達が住むために建てられたマラッカのシンボル的存在。 右の噴水は、19世紀、イギリスの植民地時代、ビクトリア女王即位60周年を記念して建てられた物。 手前の花の乗り物は トライショー(マレー語でベチャ)。

     現在200台位有るらしいです。 タクシーのように 運転するには、免許と講習が必要だそうです。

 

    

        後ろの教会(冒頭の絵も同じ)は、1753年 オランダ統治時代に建てられた朱色の教会。

 

 

このオランダ広場を、絵画風に アレンジしてみました(私が、描いたものではありません。コンデジ内蔵のソフトです。)。

               

     

 

       

 

 つぎは、オランダ広場の横の小道をマラッカ海峡を眺めながら のぼってセント・ポールの丘へ。

    後方に広がるのがマラッカ海峡で、手前の建物は、マラッカの警察署。マレーシアの警察署は、皆、青い屋根だそうです。 真ん中の大きな船は、「船の博物館」。

 

       この巨大な木造船の館内には、マラッカに来航した各国の歴史的に残る船の模型があるそうです。 私達は、この丘をのぼる途中から 見ただけですが、この立派な船と同様のものが、このマラッカ海峡に何隻も停泊していた遠い昔に思いをはせることができました。

     ムラカ・タミンサリー(マラッカタワー) 2008年春にオープンした高さ110mのタワー。エアコンの効いた回転式の上下する展望キャビンから、マラッカ海峡と街並みが一望できるそうです。

 

マラッカ海峡と、タワー、そして、右にちらり木造船(博物館)を、絵画風にしてみました。

     

 

   

     丘の上には、フランシスコ・ザビエルの像がありました。 あの日本史で覚えた1549年、キリスト教伝来(「以後よく来るキリスト教」とテストのために語呂合わせで覚えたような?)の フランシスコ・ザビエルです。

ポルトガルの王の依頼で、イエズス会よりインドのゴアに派遣され、その後、このマラッカ海峡を渡って日本へ来たんですね!! 2年後、またインドへ戻り今度は 日本に大きな影響力のある中国へ。しかし、中国入境は、思うようにいかず 志半ばの46歳にして、病死したそうです。その遺骨は、マラッカへ移送され、この後ろのセント・ポール教会に9か月ほど安置され、インドのゴアに移されたそうです。         

    丘の上に建てられたセント・ポール教会跡。1521年にポルトガル人によって建てられたものです。 

 

      この丘から眺めるマラッカ海峡に沈む夕日はすばらしいそうです。

 

      丘を下った所にある「サンチャゴ砦」。1511年、オランダの戦いに備えポルトガル軍によって作られた大砲もある砦跡。 マレー語で「ファモサ」と呼ばれる有名なスポットらしい。 地元の人達が大勢記念撮影していました。 後ろに見える立派な建物は古い王宮を再現した重厚な木造建築のマラッカ文化博物館です。

 

*この後、パパ・ニョニャ料理のランチを食べて、マラッカのプラナカンの暮すチャイナ・タウンへ。 そして、マラッカ郊外で 夜にホタル観賞をしてクアラルンプールに戻りました。 そのお話は また次回にでも。 

            

  

 ☆2月26(土)21:00~ 世界ふしぎ発見!(TBS )  「進化するアジア マレーシアの秘密」 

 

 

                   では Junpa lagi(ジャンパ ラギ: またね)  

 

 

    

     

 

 



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3 コメント

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Unknown (マハロパパ)
2011-02-26 20:11:45
どの風景もみなカラフルですね。
さすが南の国です。
極彩色でないと暑さに負けちゃうんでしょうか。

トイレのシャワー、話には聞いてましたけど、
なんだか使う気にならないしろものですねえ!
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TV見ましたよ~ (壮祐の“おかあさん”)
2011-02-26 23:43:23
この記事を読んで「世界ふしぎ発見」を見たから面白かったですよ。
マラッカ、オランダ広場、トライショー、サンチャゴ砦…
さすがにトイレは映りませんでしたネ(笑)ホースで洗って、
その後はどうするんでしょうね?それより、ホース床に置かないでェーーーッ

私も記事更新していますので、時間があったら遊びにいらしてくださいネ。
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Unknown (マイケルママ)
2011-02-27 13:50:36
☆マハロパパへ☆
そうか、色も、暑さと関係あるんですね。ゴーギャンのタヒチの絵とかもそうですね。トイレのシャワー、お国かわればですね。

☆壮祐君のお母さんへ☆
断捨離終了ですか。おめでとうございます。更新、寄らせて頂きま~す。テレビ、もう少し高原の方とかも取り上げるのかなあ?と思ったのですが。時間内には、収録できなかったのでしょうね。トイレ、ペーパーは、外に大きな車輪のようなのが壁にあって、そこから、要る分とっていました。多分、あれが入る前用と洗った手用と、兼用しているのだと、勝手に解釈しました。
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