寒いよね、寒い、人知れず、貧しきアパートに帰還。
このアパートも建て替えとなるんかねぇ、とほほ。
たいへんだんべ。
世間様を体感するために、帝都新宿へ。
小沢一郎応援街宣に参加。3ヶ月ぶりだんべよ、とほほ。
まず、思い出横丁へ、ラーメン食べ、うまい。ママからライターをもらった。
そのお礼に、武蔵野在野をさそって、街宣中であったが、ウイスキーを飲みにいった。
武蔵野在野は、おらの故郷矢板で小沢支援演説に来てくれた友だ。
矢板駅で街宣が終わり、食堂に入り、焼酎、一本をあけ、酔ったまま、宇都宮へ。
宇都宮で餃子を食べ、さらに飲み、上野駅から東京駅へ。
武蔵野在野は東京駅から中央線に乗ったが、大月駅まで。
大月駅でおり、飲んだそうだ。武蔵野在野は野人である。
帝都新宿でチラシを配っていると、やはりいるよね、熱狂的小沢支持者が。
おら、ひとりでこれをやらないとね。まんず、湘南の藤沢駅あたりから、とほほ。
発見するのは通行者であると、武蔵野在野は語った。
偶然は必然へ。
武蔵野在野をおらの故郷、矢板の高原山、温泉旅館へつれこみ
来年は、小沢宣伝を午後、矢板駅でやり、その後、高原山の温泉旅館へ、
そこで酒を飲む。
そのような旅を。
おれは悪党である。
時代が変わったと武蔵野在野は語った。
おらは読書ばかりこもっていたので足が弱っていた。とほほ。
野心復活は足からだよね、とほほ。
来週土曜日は帝都新宿で小沢街宣をやったのち、懇親会だという。
おらは酒乱だから、心配だ。
まあ、なんとかなるべよ。
いいよね、街宣とは通行者による発見をひたすら待つ。
主体は通行者の偶然と必然にある。
これこそ中国古代書にある<道>だよね。
韓国朝鮮の源態が韓非子であるならば、二本の日本とは信義である。
帝都新宿西の通行者は主体者としてみていた。
なにが信(ノブ)であり、なにが義(ヨシ)であるかを。
時代は武蔵野在野が語ったように変わっていた。
信義(ノブヨシ)である。
道であった。
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『三国志』魏書弁辰伝によると、辰韓と弁辰(弁韓)は、風俗や言語が似通っていたという。土地は肥沃で、五穀や稲の栽培に適していた[1]。蚕を飼い、縑布を作った[1]。大鳥の羽根を用いて死者を送るがそれは、死者を天空に飛揚させるという意味であった[1]。鉄の産地であり、韓、濊、倭などが採掘していた[1]。市場での売買では鉄が交換されており、それは中国での金銭使用のようであった[1]。
また倭人とも習俗が似ており、男女とも入れ墨をしていたとある[1]。武器は馬韓と同じであった[1]。礼儀がよく、道ですれ違うと、すすんで相手に道を譲った[1]。
弁韓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E9%9F%93
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弁韓(弁辰)
『後漢書』弁辰伝
弁辰與辰韓雜居、城郭衣服皆同、言語風俗有異。其人形皆長大、美髮、衣服清。而刑法嚴峻。其國近倭、故頗有文身者。
弁辰と辰韓は雜居しており、城郭、衣服などいずれも同じで、言語と風俗は異なる。その族は背が高くて大きく、美しい髮、衣服は清楚である。刑罰法令は厳格。その国は倭に近い故に全身に刺青を施している者も少しいる。
初、朝鮮王準為衛滿所破、乃將其餘衆數千人走入海、攻馬韓、破之、自立為韓王。準後滅絶、馬韓人復自立為辰王。建武二十年、韓人廉斯人蘇馬等詣樂浪貢獻〔1〕。光武封蘇馬為漢廉斯邑君、使屬樂浪郡、四時朝謁。靈帝末、韓、濊並盛、郡縣不能制、百姓苦亂、多流亡入韓者。
初め、朝鮮王準は衛満に国を破られ、その残党数千人を連れて逃れ、海に入り、馬韓を攻めて打ち破り、韓王となって自立した。準の後裔は絶滅し、馬韓人が再び辰王に自立した。建武二十年(44年)、韓人、廉斯人の蘇馬らが楽浪郡に詣でて貢献した。光武帝(後漢の初代皇帝)は蘇馬を漢廉斯邑君に封じ、楽浪郡に属させて、四季ごとに入朝させた。
霊帝の末(189年)、韓、濊はともに強勢となって郡県では制御不能となり、百姓は苦悩したが、多くが韓に逃亡した者達である。
馬韓之西、海島上有州胡國。其人短小、髡頭、衣韋衣、有上無下。好養牛豕。乘船往來、貨市韓中。
馬韓の西、海上の島に州胡国がある。その族人は背が低く小さく、髪がなく、衣服は毛皮で、上着はあるが下穿きはない。巧みに牛や豚を飼育する。船で往来し、韓で交易する。
『三国志魏書』弁辰伝
弁辰亦十二國、又有諸小別邑、各有渠帥、大者名臣智、其次有險側、次有樊濊、次有殺奚、次有邑借。
有已柢國、不斯國、弁辰彌離彌凍國、弁辰接塗國、勤耆國、難彌離彌凍國、弁辰古資彌凍國、弁辰古淳是國、冉奚國、弁辰半路國、弁〔辰〕樂奴國、軍彌國(弁軍彌國)、弁辰彌烏邪馬國、如湛國、弁辰甘路國、戸路國、州鮮國(馬延國)、弁辰狗邪國、弁辰走漕馬國、弁辰安邪國(馬延國)、弁辰瀆盧國、斯盧國、優由國。
弁辰もまた十二国、また諸々の小さな別邑があり、各自に渠帥(首領)がおり、大首領は臣智と言い、その次に險側、次に樊濊、次に殺奚、次に邑借がいる。
(弁辰には)彌離彌凍国、接塗国、古資彌凍国、古淳是国、半路国、樂奴国、彌烏邪馬国、甘路国、狗邪国、走漕馬国、安邪国(馬延国)、瀆盧国がある。
(辰韓には)已柢国、不斯国、勤耆国、難彌離彌凍国、冉奚国、軍彌国(弁軍彌国)、如湛国、戸路国、州鮮国(馬延国)、斯盧国、優由国がある。
弁、辰韓合二十四國、大國四五千家、小國六七百家、總四五萬戸。其十二國屬辰王。辰王常用馬韓人作之、世世相繼。辰王不得自立為王。土地肥美、宜種五穀及稻、曉蠶桑、作縑布、乘駕牛馬。嫁娶禮俗、男女有別。以大鳥羽送死、其意欲使死者飛揚。國出鐵、韓、濊、倭皆從取之。諸巿買皆用鐵、如中國用錢、又以供給二郡。俗喜歌舞飲酒。有瑟、其形似筑、彈之亦有音曲。兒生、便以石厭其頭、欲其褊。今辰韓人皆褊頭。男女近倭、亦文身。便歩戰、兵仗與馬韓同。其俗、行者相逢、皆住讓路。
弁辰と辰韓の合計二十四国(ただし、上記には辰韓は十一国しか記載がなく、難彌離彌凍国は両者に重複する)、大国は四、五千家、小国は六、七百家、総計は四、五万戸である。その十二国は辰王に属している。辰王は常に馬韓人を用いて擁立することが代々継承されている。辰王は自ら王に立つことはできない。
土地は肥沃で、五穀や稻の栽培に適しており、多くの蚕や桑があり、縑布を作り、牛馬の車に乗る。妻を娶る婚礼あり、男女の別がある。大鳥の羽を死者に送る、その意は死者が天空に飛揚することを望む。国は鉄を産出し、韓、濊、倭など皆、これを採りに来る。諸貨の売買には皆、鉄を用いる。中国で金銭を用いるがごとくである。また二郡で供給する。
風俗は歌舞、飲酒を好む。瑟があり、形は筑に似ており、これを弾く音曲がある。子が生まれると、石に頭を押し付け、扁平にすることを欲する。今、辰韓人は誰もが扁平な頭をしている。男女は倭に近く、全身に刺青もする。歩兵戦に慣れており、兵器は馬韓と同じ。その習俗は、路上で行き交えば、皆、道を譲りあう。
『南斉書』加羅國伝
加羅國、三韓種也。建元元年、國王荷知使來獻。詔曰:「量廣始登、遠夷洽化。加羅王荷知款關海外、奉贄東遐。可授輔國將軍、本國王。」
加羅国、三韓の一種なり。建元元年(315年)、国王の荷知は使いを持って来貢する。詔に曰く「広く量って初めて登朝し、遠くの蛮夷が懐いた。加羅王の荷知は親しく海外(中華の外)の難関を越え、遠方の東から方物を奉じる。輔国將軍、加羅国王を授けるべきなり」
弁辰與辰韓雜居、亦有城郭。衣服居處與辰韓同。言語法俗相似、祠祭鬼神有異、施灶皆在戸西。其瀆盧國與倭接界。十二國亦有王、其人形皆大。衣服清、長髮。亦作廣幅細布。法俗特嚴峻。
弁辰は辰韓に雜居し、城郭をも有する。衣服、住居は辰韓に同じ。言語、法俗は相似するが、祠に鬼神を祭祀するのは異なる、皆が家の西にかまどを置く。そこの瀆盧国は倭と境界を接する。十二国にも王がおり、身体は皆大きい。衣服は清潔、総髪である。また広い幅の細布を作る。刑罰における法俗は特に峻厳である。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/sankan-benkan.htm
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