自身が防衛しなくてはならない。それが人殺し文化への対処方法である。USAの銃・ナ
イフといった武器商人の売り込み先はすでに決定している。それは武装に自覚した日本国
民と呼ばれている。暴力団対策法によって、日本警察官僚機構はかれらの市場を奪い、警
察そのものへ暗闇の利潤があがる制度へと転化した。だがその瞬間に警察上部の腐敗が開
始されたのである。もはや人殺し自己遺伝子と模倣子が再起動した市民社会においては、
市民そのものが無差別な暴力団となるので、警察では対処できない。ゆえにUSAの武装
サービス企業は日本に進出しているのである。日本はUSAにつぐ二番目の犯罪武装世界
市場となるであろう。
そしていま、麻薬世界市場も日本を標的にしている。日本の若い主婦が麻薬の快楽を味
わったからである。麻薬はいま、あるスピードをもって市民に浸透している。
おそろしい人間関係がすざましい表層空間において衝突する政治闘争の連続を体験する
ものは、建設の意志がないかぎり、表層空間によって打倒される。ある人間がある表層空
間において敗北するのは、おのれが投企するその空間が見えざる政治空間へと変貌し、お
のれの内部にデーモンの貌を発見できないことによる。政治とは悪魔のごとき陰謀によっ
て、敵の攻撃能力を不能にすることである。どこまでも政治分析をおのれの都合のよいよ
うに解釈するおめでたい人間は、結果のまえに、表層空間からはじき飛ばされ、立場防衛、
自己絶対化、私的所有としての内部に封鎖され、敗北するのである。
つまり人間の政治とは沈黙のうえに進行するG線上のアリアである。沈黙に耐えられな
いお祭り人間は興奮のあとの幻滅を味わうだけである。政治とはおのれがいる場所ではな
くまったく違う場所で、おのれが怜悧に分析されている、まさに商品のように。まないた
に置かれた魚がいま料理人によって、包丁で切断される、おれの自身がその魚であること
を認識できる空間である。政治とはみえない場所とみえない場所における戦争である。
おめでたいお祭り人間は、おのれのとりまく現状に不断に排気している金魚なのだ。ガ
ラス金魚ケースを擬視している、おそろしい人間の存在を忘れている。われわれ帝国主義
市民とは、つねに悪魔のごときアイによって分析されている金魚である。市民とは、おの
れの他はみんな、くたばればいい、という悪意が全面作動している。その悪意は、けして、
おのれの前にあらわれてこない。あたりまえである。どこにおいても影と裏において飲ま
れているからである。こうして行為はいつも影と裏において商品評価されその影と裏に真
実がある、アンダーグランドとなる。ゆえに古代以来、日本とはアンダーグランドにおい
て出来事が立ち上がる。ゆえにおのれの情報をなにひとつとして流さずすでに商品として
死んでいると思わせることができ、十年間部屋に閉じこもり未来を規定する沈黙のイデオ
ロギー戦争を推進できるかどうかである。これこそ情況主義ではない本来の政治である。
アンダーグランドにとって沈黙こそが実践の場所なのである。
政治闘争の勝利者は、政治敗北者によって自己の位置を確認し、自己展開能力の可能性
を拡張する。建設の意志とその実現はおのれの政治存在が抹殺されるか? それとも生き
残ることができるのか? という非日常の日常、動物的本能である自己遺伝子と模倣子の
存亡をかけた危機的事態により、その一点を死守せよ、という瞬間としての場所を設定す
る。その場所を敵を壊滅し占有せねば、おのれは永遠に後退するみじめいまを幻滅として
味わなければならない、こうして戦略は瞬間においてあらわれる。
陰謀集団である創価学会は司法権力を狙った。いまや最高裁判所にまで創価学会のウィ
ルスは浸透している。いくら池田大作教祖を裁判にかけても、「裁判を起こす権利を乱用
している」「裁判を起こすことで相手に負担を与え、池田名誉会長の社会的評価の低下を
意図したと認められる」として、棄却され、いまや誰も創価学会を相手にした裁判も起こ
せないまでに、ウィルスは司法権力までに浸透している。
これらの陰謀集団による官僚機構への浸入のしかたは、ひとつの文明がウィルスによっ
て犯された事実を示している。創価大学から東大から次々とウィルスは官僚機構と権力機
構に送り出されていく。これが文明の終焉過程に突入した一九七〇年以後の日本であった。
ウィルス装置が起動して三十年間がたっている。いかに固定化されているかは理解できる
だろうか? あなたに?
固定化された官僚機構と権力機構は、いまや農耕民族のものとなった。逆転したのであ
る。古代騎馬民族の戦闘精神はアンダーグランドのものとなった。王権はそこにおいて激
しく起動している。日本とは古代以来常識的なヒューマニズムが通用する場所ではないの
だ。いまや、われわれひとりひとりの市民が、アンダーグランドの過激派として変貌する。
誰もが王をめざしている。これが今日の自己中心的にして自己完結的な人間の大衆的出現
である。日本の男も女も世界一、嫉妬する動物となった。これが商品完成以後の商品堆積
である。商品はおのれの過去をしらない。現在、使用されるのか、使用されないのか、だ
けに集中する「もの」としての機能。ゆえに最大幸福を装う家庭はUSAのように自己武
装しなくてはならない、武装社会が誕生する。三十年間にわたる新左翼での党派戦争はつ
いに、こうして前衛から後衛へ伝播する原理として、大衆社会の生活様式として普遍化す
るのである。戦争から平時へと特異進化するのがウィルスの自己遺伝子と模倣子の正体で
あった。ゆえにウィルス原論なのである。二十一世紀初頭の大衆社会とは、ついに大衆ひ
とりひとりが武装するUSAの世界標準となるのだ。またしても。これがグローバリゼー
ションと呼ばれる。王こそはあなただ!まさにレミングであり寺山修司資本論が。救いは
寺山修司想像力論しかないという、場所まで、追い詰められている。
自己遺伝子と模倣子、その動物的本能の動物的本能が弱く武装解除するおめでたい政治
者は自壊し敗退する。なぜなら彼はむきだしの激烈な表層空間を理解できなかったのであ
る。おそるべき人間関係の内部へと回収され、人間の影と裏をみる不信の部屋にどじこめ
られたた政治闘争の敗残者は、もはや肉体的精神的自己崩壊をまつしかない。
ゆえにわれわれ市民が政治闘争のむきだしの空間にまぎれこんではならない。感受性を
もちおのれが王だと自己完結している市民は深傷を負うだろう。われわれ市民は、ひたす
ら生活のみの安定をめざすべきである。くそをして、めしをくって、セックスする、こど
もをそだて、マイホームの最大幸福をめざし、貯金をして、PC文化生活と消費生活向上
のみをめざすべきである。おのれにとって、違う世界は嫌悪すべきである。市民はひたす
ら、影と裏で評論すればいいのである。
われわれ市民とは日常としての肛門との対話で、いそがしいのだから。そしてわれわれ
市民は、こうして資本主義のおかげで、自己中心となった動物へと、おかげさまで、みご
とに進化したのだから、個人によりかかり、個人を食いつぶすば、いい狼へと変貌したの
である。われわれ市民はもはや人間ではない、奇獣へと、同期化したのである。
だから現在、思想が考察すべきは人間ではなく、間である。メディア商品によって
消費するものこそ、商品誕生の秘密であり、奇獣なのである。奇獣による全体主義こそ、
現在の民主主義である。そこでは、誰でもおなじように感じ、おなじようにかんがえ、お
なじように行動し、おなじように生活し、おなじ時間をおくる同期化の完成である。ゆえ
に携帯電話は同期順応社会への形態となる。こうして奇獣人間は、もはや同類は不信にと
ってかわり、資本主義以後の資本主義世界たる溶解現象が現出する。もはや人間とは奇獣
人間に愛好玩具とされてしまい、奇獣人間はロボットしか信用しなくなってしまった。
しかし、奇獣人間はおのれを絶対に裏切らないと思いこんでいる、ロボットがウィルス
に侵犯されていることを、認めようとしないのである。ちょうど、最後の人間たる日本人
と呼ばれた人々が、おのれがアジア民衆二千万人を第二次世界大戦で大量虐殺した、人殺
し民族の事実を過去から消却したように。またしてもあのウィルスたる奇獣が日本で誕生
したのは、一九八七年、NTTの民営分割化の時である。まさに電話回線その通信産業か
ら幾人もの奇獣人間が誕生したのである。あのときからすでに十四年が経過した。奇獣人
間の奇獣本能である自己遺伝子と模倣子は、特異的現出により、その遺伝子と模倣子は、
おそらく通信という電話回線によって、書き換えられたのであろう。
その奇獣人間の基幹産業たるNTTと警察上部機構の謀議によって誕生したのが昨年、
国会で成立した盗聴法である。もはや、あなたの電話回線・通信回線は、NTTの奇獣人
間によって盗聴されているのである。この奇獣人間はすでに銀行に誕生した貨幣の奇獣人
間とも謀議している。つまり、あなたの銀行口座は、貨幣奇獣人間と通信奇獣人間の商品
情報となり、USAの世界企業に販売されている。一九九九年にネットワークで流された、
警察庁公安警察の住所録はもちろんUSAにも流れたのだが、実はNTTの奇獣人間より
の警察庁への恫喝であった。盗聴法成立を急いでいたのはNTTの側であったのである。
盗聴法の成立で、NTTは国民個人情報を特異的商品へと完成させたのである。
現在、この個人情報は、さまざまな世界企業に販売されている。これが資本主義の動物
期である。資本主義とは、なんでも商品化することが、商品の商品への商品のための自己
運動である。その最終商品こそ、あなた! 個人はこうして商品となった。あなたの子供
が小学校に入学する時期は、すでにあなたの家庭情報は、教育産業によって買われいるの
で、さまざまな企業から教育商品の販売勧誘が攻勢されてくる。もはや家庭のプライバシ
ーなど存在していない、家庭といえでも商品として資本主義の社会市場となっているので
ある。それをすでにあなたは子供の七五三のお祝いのとき体験したではないか。
【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】