かやのなか

あれやこれやと考える

雑感

2020-05-22 00:49:44 | 日々のこと
自分は結構、社会とか組織に対してあれこれ文句を言いたがるタイプの人間だと思う。
だから最近は意識して、そういうことをやらないようにしている。
現在の自分の生き方は、丸くなったとかではなくて、単なる日和見主義、自己保身なのかもしれない。組織から吐き出されないように、なんとなく、ゆるく存在して、ぬるま湯に浸かっている。まぁ、昔より知恵はついたんだろうな。でも、一度言葉を飲み込んで、あとで言えば良いやなんて思っていると、二度と吐き出す機会は来ないものだ。そうして吐き出せなかった言葉を自己の中でぐるぐる反芻していくうちに、いつの間にか自家中毒に陥っていく。

最近Twitterで、京都精華大学の学長による「コロナ対策でわかった"日本のホンネ"」とかいう記事が回ってきた。このアフリカ出身の学長が何を感じて何を言ったとて、それは個人の見解で自由だし、海外出身者だからこその視点もあるだろう。おかしいなと思ったのは、この記事が「われわれ日本人はこの記事をよく読むべきだ」とするリツイートが私のところまで届いてきたことにある。学長様は語っている。以下””内引用。

”今回の事態で、日本人の本音に触れた気がします。冷静に見えて他人へのいらだちを募らせていたり、堅い職業の人が、歌舞伎町やパチンコ店でこっそり気分転換したり、表と裏の二面性がある。プレッシャーの強いストレス社会なのでしょう。また「自分ではない誰かがしてくれる」気持ちが強い。サービスが整いすぎているのが日本の弱さで、知恵や能力を使う機会がなく、自ら考えて動くのが苦手で他責傾向がある。ただ、わかっているのは、この問題は誰かが解決してくれるものではないということです”

引用して疑問に思ったが一文目、アフリカでもヨーロッパでもアメリカでもロシアでも堅い職業の人が夜の街やギャンブルでこっそり気分転換する事例なんて腐るほどあるだろうに、何が日本人のホンネなのだろうか。もしかしたら学長の身の回りには、たまたまそういう日本人がいなかったのかもしれない。
まぁそれは置いておいて、次の「自分ではない誰かがしてくれる気持ちが強い」という一文。本文中では、例として、日本人が政府のやることに文句を言う一方で政府からの「強い命令」を期待するという奇妙な二面性が語られる。また日本の親が学校教育に依存しすぎている問題点や、自治体の機能が弱いことも挙げられている。
これらの問題点については、まぁだいたいそのとおりだなという気はするのだけど、別に今に始まったことではない。有事になって、現象がより大きく噴出しているだけで、目新しいことは何も起こっていない。この記事を人々が「すごい記事だから、目からウロコだから、みんなも読むべき!」として脊髄反射的にリツイートしていく現象こそが、「自分ではない、アフリカ人の芸大学長様が語ってくれる」、そして「私がリツイートしたこの記事を読んだ誰かが、なんとかしてくれる」というやつじゃないのかしらというパラドックスについて学長はどのように感じておられるのか、聞いてみたいところではある。

サンガリア炭酸水1L

2020-05-18 01:25:21 | 日々のこと
*サングリアとサンガリアを間違えていたのでこっそり訂正

自分は筒井康隆のTwitterをフォローしていて、そこに時折流れてくる本人の日記の更新には、だいたい目を通している。

あんな風に日記を書きたいものだと常々思っているが、もちろん巨匠の筆には一朝一夕で近づけるはずもないので、まず更新頻度から参考にしていきたい。
ちなみに更新頻度の次に参考にしたいのは食べ物の描写だ。羅列だけなのになぜあんなにも美味しそうなのか。
筒井康隆の五月五日の日記。「真鯛切り身二枚」「生雲丹」「牛肉切落し」「偕楽園弁当」「皮付き牛蒡のクルミ和え」「冷凍のビーフガーリックライス」「冷凍のうなぎ櫃まぶし」
・・・私も昨日スーパーで購入したものを、できるだけそれらしく列挙してみよう。
「OIKOS苺ヨーグルト」「有機水菜」「静岡県産舞茸」「新潟県産ブナシメジ」「予約でいっぱいの店のポモドーロ」「ミニピザ・ミックス・五枚入り」「サンガリア炭酸水1L」
・・・そもそも食べているもののクオリティが違うことが問題であることが明白になった。さらにこれは罠なので注意が必要である。
以前私は筒井康隆の文を読んだあと、その余韻冷めやらぬまま文豪気分でスーパーで買い物をした結果、会計が五千円近くになったことがある。一人暮らし独身の貧乏賃労働者にとって、一回の買い出しで五千円という金額にはなかなかお目にかかれない。形から入るタイプはだいたいこうやって一度破滅する。

とはいえ、なんやかんやいって文豪・文士という仕事に夢があると思わせてくれるのは良いことだと思う。先だって、青空文庫で江戸川乱歩だか菊池寛だかの短編推理小説を読んでいたとき(詳細は忘れた)、物語中に”文京区本郷にそこそこの邸宅を構えている教授先生の細君”とかいうキャラクターが登場した。立地からして、この細君の亭主がT大教授の可能性は高いのだが、じゃあ今のT大教授で文京区本郷のど真ん中に邸宅を構えている人が何人いるのかと思うと、私の知る限りのT大の教授陣は大体さいたまとか千葉とかに住んでいるし、都内に住んでいる人ももう少し端の方に居を構えているので、まぁ学者には夢のない時代になったんだなと思った。まぁ当時とは教員の数がそもそも違うだろうし、学問を目指せるような人材はそもそも実家に余裕があったのかもしれないし、いろいろ事情はあるだろうが、この手の「夢」ってのはそんなに馬鹿にしたものでもないと思う。

東京都の感染者数はここ一週間目に見えて減ってきて、とうとう今日は5人と一桁の大台に乗ってきた。このまま数字が抑えられれば、おそらくキリのよい6月頭から緊急事態宣言は解除になりそうだが、お隣の韓国や中国の様子を見ていると、今後も小さなクラスターが散発的に各地で発生し、そのたびに自治体ごとに小規模な外出自粛が行われていくのだろう。仕事の方はハーフ&ハーフの在宅勤務が続きそう。
そういえば自粛生活に突入してから念願だった木刀をついにアマゾンで購入し、昨日届いた。家の天井が低いので外で振り回すしかないのだが、身体の脇にそっと目立たないように隠しながら夜の公園に持っていくのだけでもスリリングである。一度くらいは通報されそうだが、警察にはyoutubeの検索履歴「木刀の扱い方」「木刀 筋トレ」などを見せて弁明するつもりだ。

悲劇喜劇 2019年5月号

2020-05-12 23:58:48 | 
雑誌「悲劇喜劇」の2019年5月号を読む。冬に神保町で100円で叩き売られていたのを買っておいたものだ。ちなみにそこの書架には「悲劇喜劇」が8冊程置かれていて、年代は2015年頃〜2019年頃までと比較的新し目だった。うち4冊を適当に選んで買って帰ったが、そこそこの戯曲を8本読めて400円なら安いものだと思う。逆に、定価で買ったあげく、早々にこの本屋に売り飛ばした人は、後悔しなかったのだろうか。悲劇喜劇は定価で1,445円もする。まぁ私みたいに古本屋を巡回してめぼしい台本を探すような貧民からすれば、その調子でどんどんお読み捨てくださいと言うだけですが。

収録されているのは蓬莱竜太氏の「消えていくなら朝」と根本宗子氏の「クラッシャー女中」。消えていくなら朝の方は、この雑誌の名前を冠した「悲劇喜劇賞」なるものの受賞作として掲載されている。
「消えていくなら朝」は、Twitterの方でもつぶやいたが、2分に一度のペースでムカついて本を壁に投げたくなる。別にこれ自体は批判ではないです。蓬莱氏お得意の、煽り合うための会話が上手くいってるので、つられてムカッとさせられてる。つまり台詞の掛け合いが上手いからです。しかし、いつも思うんだけど(といっても生で観た蓬莱氏の芝居は、モダンスイマーズ1本観だけです)この人の書く家族の会話は本当にいつも(私が触れた2本中2本、という確率で打率10割としてるだけです)逆にリアリティがないというか、家族というものを露悪的に描いて、で、それが何なんだろう? って感想に帰結してしまう。こっちは批判です。家族にしろ兄弟にしろ、実際はもっと、なんていうか他人以上に遠慮しあって生きていかなきゃならない面があって、その折り合いに苦労している人が世の大半だと思うんだけど、そこをすっとばして、まぁわざとすっとばしてるんだろうけど、お互いをあけすけに罵り合う姿に、一体今更何を感じろっていうんだろうか。これがやれりゃ、苦労はねぇよ、みたいな。まぁ、言いたいことを言いまくって、やっぱり崩壊しちゃう様には、スカッとジャパンみたいな爽快感もなくはないけど。私は今のところ、スカッとジャパン以上の深さを感じることがあんまりできない。
「クラッシャー女中」の根本宗子の芝居も去年観ていて、それは「今、できる精一杯」というタイトルだったが、このクラッシャー女中も内容的には「今、できる精一杯」とあまり変わらず、なるほどこの作家の基本フォーマットはこれなのか、と2本並べてみて理解する。いや、もちろん他にもバリエーションがあり、たまたま似た2作に先に知ったのかもしれないけど。生まれながらにヒモ気質な男と、コンプレックス爆弾みたいな女。あと年増女がなぜか性的に場をかき回す。明るく楽しい鬱、っていうんだろうか。全員が全員に依存しあっていて、大人らしい大人が一人たりとも出てこないのも根本宗子の特徴で、若い人には、世の中のこういうふうな捉え方が、すごく馴染むんだろうと思う。あんまり年長者を信用してないっていうか。考え方がクリーンすぎて逆にまぶしいわ、と思わんでもない。昭和の人間は、そもそも始めから他人に期待とかしてないからな。いちいち裏切られた!と騒ぎすぎな気もする。とはいえ、私は性格がひねくれてるうえにルサンチマンを抱えているので、大体の作品はこなくそと思いながら読むのだが、わりと面白く読んだし、最後静かに終わるところなんかは、精一杯の芝居よりも良かった。まぶしかった。一つ腑に落ちなかったのが、この主人公は、サークルクラッシャーと呼べないと思うんだけど、私の中のサークルクラッシャーの定義が間違ってるんだろうか。

在宅生活

2020-05-06 14:19:27 | 日々のこと
コロナウイルスの影響で、賃労働者の仕事が在宅になって一月近く経つ。家で仕事をすることに違和感があったのは最初の1、2日程度で、すぐに慣れてしまった。逆に、次にこの自粛要請が解除されたときに、ダレた体が用意に前の生活に戻れる自信がない。水は高い方には流れない。
昨夜は二回目のZOOM飲み会で、懐かしい面々と再会。みなコロナにも負けず元気そうだった。こんなときこそ、何か面白いことをやって世間を驚かせてやろうという意欲が必要なのは確かだ。ところで私は家で酒を飲むのが苦手で、店で飲むときに比べて十倍早く酔っ払ってしまう。昨夜はビール2缶に、ハイボールをちびちびやっていたが、ビールの1本目で既に酔っていた。ハイボールは水代わりみたいな状態で、酒を飲んでいるという意識がなく、思い返せばもったいないことをした。ウイスキーはストレートに限る。
家に籠もっていれば金はあまり使わなくて済むはずなのだが、結局、外に出る口実が欲しいのと、大きな買い物をしないから「これくらいはいいだろう」という意識が働き、結局毎日一度はスーパーに出向き、こまごまと物を買っている。しかし、「12袋入りの入浴剤500円」とか、「パック3袋入り600円」とかで贅沢した気分になれるので私はコスパが良い方だと思う。
小説現代の5月号1000円もプチ贅沢のつもりで購入したが、まだ読めていない。その前に、去年神保町三省堂書店のディスカウントコーナーで買った大森望のSF翻訳講座を読む。マイケル・ムーアの新作映画がyoutubeで公開されたらしいので、これも見なければならない。やることは山ほどあるが、すでにゴールデンウィーク最終日である。