かやのなか

あれやこれやと考える

牛タン、焼きそば

2022-08-23 01:31:00 | ショートショート
日々をストレス溜めずに過ごすことに精一杯で、子供の頃なら一日でやれた内容を一週間かけても出来ない。この日記だってちょっと後回しにしただけでゆうに一週間は空いてしまうし。逆にストレスを溜めているのだろうか?
十九日は半年ぶりの視野検査の日。仕事終わりに予約を入れていたのだが、その直前の仕事がとても嫌なおわり方だったせいで疲労が残っており、こなくそと集中力を発揮しようとした結果、前回よりも良い数値になってしまった。先生には、あんまり頑張りすぎないでくださいと苦言を呈された。そりゃそうだ、コンディションが違うとデータの比較にならない。でも気持ちの問題って、結構難しいものでない?私はそのへんのコントロールはもともと下手だ。どうせ一生付き合っていく病だし、そのうち自転車に乗るみたいに自然にできるようになるんだろう。でも急にガクンと下がらなくて少し安心した。
大学時代、先輩から借りて見た惑星ピスタチオの公演が、一部YouTubeに上がっていたので懐かしくて見てしまった。未だに色褪せないのがすごいが、先日東京でみたお芝居に対して感じたことが何だったのか、比較することで少し明確になった。これに似てて、でも何かが違うなぁと感じたのにはやっぱり理由があった。それを語る相手はいないけども。どんどん内にこもる。もうそれでいいや、となってる。まぁブログくらいのチラシの裏がちょうどいい。

崎陽軒の焼売定食

2022-08-15 00:31:57 | 
観劇三昧。明日のアー、範宙遊泳を観た。後者は配信だが。
東京は毎日どこかでそれなりの演劇が催されていて、ぷらっと観に行けるのがとにかく一番いい。こんなことができる都市は東京しかない。
なんで演劇なんか見始めたんだろう、と思い返すと、小学一年生まで遡る。
平田オリザもベケットもきちんと履修して評価できない人間が演劇なんかを見るな語るな、と怒る人がいるかもしれないが、小学一年生が学芸会を見て面白い、と感じたことくらい大目に見てほしい。
別に演劇こそ至高、演劇こそ愛、みたいな考えは持ってなくて、小説も映画も好きで、それぞれに私なんかにはわからない深淵がある。ただ、小説や映画はだいぶアクセスが便利になってきているが、演劇はその場に行かなければならないのでハードルが高い。また、途中でやめることができないので、苦痛な演劇にあたったときは悲惨。(映画館でひどい映画にあたったときよりも苦痛度が大きいのはなぜだろう)五感を使って感じる芸術、それが演劇。なのだろうか?
どちらも若い人の舞台で、あぁいいな、こんなこと考えてるんだ、はぁ、と感心してしまった。私はあそこに立てなかったし立ち方がわからない敗残者である。

タコスとタコライス

2022-08-10 00:40:00 | 日々のこと
撤退したかと思われた夏が帰ってきた。
このまま秋に突入してもらっても一向に構わなかったのだが、そう都合よく回るはずもない。毎朝、職場までの道のりが試練だ。cocoaの接触通知を何気なく確認すると、七月二十八日に30分、陽性者との接触が記録されていたが、通知が来なかったように思う。cocoaも状況に慣れてしまったか。

暑さを凌ぐため、麦わら帽子風に樹脂が編み込まれた小麦色のハットを被って出勤しているが、鏡をみると畑仕事に出向くおばあちゃんだ。首にタオルでも巻いたら完成品。でも機能よりも見た目を気にするような洒落っ気はこのところ下降の一途を辿っているので、これで良いのだ。良いのか?

昼ごはん代を節約するために、昨日今日と2日続けて弁当を持参した。梅干しをのせた米におかず二品程度の簡易弁当だが、弁当をメインに据えて、適当におかずを追加で購入する。すると、わが社食ではおかず一品が百円から二百円なので、二百円前後で腹が膨れ、とても財布に優しい。社食は通年でメニューにあまり代わり映えがなさそうなので、味のバリエーションは弁当側でつければよいか。

朝の河原で会う、黒柴を飼っているご近所さんが一級建築士で、赤柴を飼っているご近所さんが写真家、別の赤柴のご近所さんはお能をやっていて、白柴の飼い主さんは大地主。すごい人たちばかりで恐縮する。

また面倒な事務仕事が発生した。職場お得意の官僚仕事で、号令をかけた人々の理想と、末端で行う現実の仕事内容が乖離しているように思える。旗振り役の某省庁の気持ちもわかるが、もっとマシなやり方はないのだろうか。AIとかデータサイエンスとかいう前に、こういう問題を解決できるプログラムを誰か開発してほしい。(他力本願)

ハタハタとレタスと茄子のパスタ

2022-08-09 00:23:04 | 日々のこと
朝夕の散歩中は、だいたい配信とかラジオを聴いていることが多いが、ふと気がつくと物思い耽りがちだ。四十にして惑わずという。確かにやみくもに惑わなくなった気がするが、単に足が止まってしまったようにも思う。気をつけていないと、毎日同じことの繰り返しになってしまう。一年も半分以上過ぎたというのに、一月一日の自分とあまり変わり映えがない。本を読むとか映画をみるとか、そういったことは昔から習慣化してしまっているので、手に垢がついてしまった感がある。もっと抜本的に、何かまったく新しいことを始めなければならない気がしてくる。そういえば、今年の春ごろから「ご近所付き合い」というのが始まったのだった。何かを成し遂げるとか、上達するとかいった類の話ではないが、これも一応は変化といえるか。

10年以上前、ある時期チャットでよく交流していた人を、ツイッターでみかけた。HNも画風も当時から変えていない様子で、てきぱきした行動力とエキセントリックな言動は健在らしく、おかげでだいぶ悪目立ち、もとい炎上していた。炎上はこれが初めてではないらしい。むちゃくちゃにみえて、実はマメに周囲に気を遣って話す人のイメージだったが、少し追ってみると本人の言動は当時よりさらに先鋭化しているようだった。同好の士が集まるクローズドなチャットグループの中では、多少の暴言もコミュニケーションのひとつ、歪んだ愛の形としてみなされる。でも、ツイッターは彼女の悪い面しか強調されないツールだろう。しかし、彼女だってただ黙々と創作に没頭しているわけにはいかないだろう。輪を作るタイプの人なので、口を閉ざしてしまっては、やっていることの楽しみが半減してしまうはずだ。私自身ができないことなので、現状(および思想)はどうあれ、やっぱり根本的に強い人間だなと思う。私なんぞ、いまだに決まったハンドルネームのひとつも考えつかない優柔不断さだ。

クーラー三昧の日々

2022-08-01 23:39:58 | 
貴志祐介を読んでみよう。そう思い立ち、土曜日に短編集を本屋で購入。軽めのミステリだったこともあり日曜の夜には読了。冒頭の田舎の古民家で起こる殺人事件が最も読み応えがあり、怖かった。真相については謎解きの3ページ前くらいでもしや・・と気がついたが、作者の計算によって巧みに誘導されていた気がする。二作目もコメディタッチだが、明るみに出た真実は狂気の沙汰。淡々とした硬い筆致によって、余計に生理的な気持ち悪さを喚起させられる。もう少し読みたいが古本で探すか。本棚がまた溢れてしまう。

積読していたスタニスラフスキーの俳優修行を読み出す。ロシア語の原著が英語に翻訳され、さらに英語から日本語訳された本のせいか、翻訳はかなり読みにくい。まだ、スタニスラフスキーが役者を始めたばかりの頃の、そもそも役を演じるとはなんぞやと悩み七転八倒するくだりを読んでいる最中だが、いちいちページをめくるたびに共感することばかりで、こんな平易な本だったのか、もっと早く読めばよかったと後悔している。大学時代を思い出す。巨匠も、自分たちが当時悩んでいたこととほとんど同じことを悩んでいたらしい。テクストとか身体性とかいった難しい演劇論を、どれだけ聞いても他人事に思えてしまう私なんかには、このくらいの基礎教本がちょうどよさげ。

暑すぎて、汗をかきすぎて、首と背中にあせものような湿疹ができた。ひやひや。