かやのなか

あれやこれやと考える

崎陽軒の焼売定食

2022-08-15 00:31:57 | 
観劇三昧。明日のアー、範宙遊泳を観た。後者は配信だが。
東京は毎日どこかでそれなりの演劇が催されていて、ぷらっと観に行けるのがとにかく一番いい。こんなことができる都市は東京しかない。
なんで演劇なんか見始めたんだろう、と思い返すと、小学一年生まで遡る。
平田オリザもベケットもきちんと履修して評価できない人間が演劇なんかを見るな語るな、と怒る人がいるかもしれないが、小学一年生が学芸会を見て面白い、と感じたことくらい大目に見てほしい。
別に演劇こそ至高、演劇こそ愛、みたいな考えは持ってなくて、小説も映画も好きで、それぞれに私なんかにはわからない深淵がある。ただ、小説や映画はだいぶアクセスが便利になってきているが、演劇はその場に行かなければならないのでハードルが高い。また、途中でやめることができないので、苦痛な演劇にあたったときは悲惨。(映画館でひどい映画にあたったときよりも苦痛度が大きいのはなぜだろう)五感を使って感じる芸術、それが演劇。なのだろうか?
どちらも若い人の舞台で、あぁいいな、こんなこと考えてるんだ、はぁ、と感心してしまった。私はあそこに立てなかったし立ち方がわからない敗残者である。

身体性

2022-02-07 00:15:00 | 
‘身体性’がどうのこうの。
演劇含めたアート界隈で言われる事が多いが、自分にとっては雰囲気で何となく理解した気になっているワードの一つで、ピンときているかといえば怪しかった。しかし、最近ある作家の詩集を読んで、間違いなくこの詩には身体性があると謎に確信し、また恐らくこのような詩を書くためには、一人旅に出なければいけないと悟った。日本全国をあてどなく放浪する旅に出てみたい。
そう、放浪が必要だ。

苦痛の2時間

2021-10-16 17:09:00 | 
ロロのEverybody feat.フランケンシュタインという舞台を観に池袋へ。割と楽しみにして来たのだが、なんというか驚くほど心が動かず、2時間のうちの1時間半程度が苦痛の時間だった。役者の皆様のお声は美しいし台詞はリリカルだし装置も凝ってるし回転する。なのにセリフが全然頭に入ってこない。なぜなのだ。照明が終始暗めだから老眼に辛かったのか、前の人の座高が高く舞台の真ん中がピンポイントで隠れていたからか(これはあると思う。舞台の前半分の中央付近で低い姿勢でやる演技が多かったから)、月曜からじんわり続く右こめかみ付近の引き攣るような微頭痛のせいか。
まぁ、体調のせいなのはわりとあると思うけど、感性がまったくこの感じを受け付けなくなってしまった可能性もある。登場人物たちが常にウフフアハハと笑う芝居をしてるのが躁病にしか思えなかったが、本気でやってるのか、こんな上っ面なコミュニケーションしかとれないくらいこの子達は病んでますよという意味でやってるのか、話の雰囲気的には後者なのかな。構造が明らかになる終盤30分くらいはやっと集中してみられたけど、この、前半に情報をひた隠しにして最後に謎を明らかにする手法、演劇では多くて昔は素直におお!そうだったのか!と感動していたんだけど、そろそろ食傷気味になってしまった。なんならズルくないかとすら思ってしまう。お前は芝居に何を求めてるんだと言われそう。わたしにもわからん。十年二十年前なら感動していたかもしれない。が、今回は何か自意識が辛かった。自分が死ぬこと、相手が死ぬこと、描かれていたのは実際は肉体の死ではなく自意識の死に感じられて、いやそんなんいちいち大袈裟に騒がんでも日々みんな死んだり生き返ったりしとるわと思えて、舞台の上でみんなが問題にしている事に興味が持てなかった。それが敗因です。


中野の小劇場と架空の女たち

2021-10-13 11:24:22 | 
先々週の土曜日は中野の小劇場で観劇、先週の土曜日は上野で007の新作を鑑賞、合間の平日に海外ドラマのkilling eveをシーズン1から3まで一気見した暇人。
中野の観劇は、桃唄309という劇団の定期イベントに、知人が作演出主演で参加していたので見に行った。都内の小劇場は今まで数えるほどしか経験していないが、あまり居心地のいい思いをしたことがなかった。内輪のノリが濃すぎるとか悪い意味でこなれて緊張感がないとかで、この2年ほど足が遠のいていたのはコロナのせいだけでもなさそう。しかし今回の舞台は、劇の内容とはあまり関係ない部分の話だけど、劇場の雰囲気がまぁまぁ外向けに開かれていて、かつ常連さんにもサービスを忘れないといった良い意味でのこなれた感があり、肩身が狭く感じずに済んだ。長く活動を続けている劇団ならではの余裕かもしれない。
内容の話。劇作家協会の講義に呼ばれていた講師が主催の劇団だったが、なるほどこういった芝居を書くのかーと思った。2本観たが2本とも女性キャラが妄想の権化として登場する。作者のミューズ的なものがありそう。1本目である村の守り神として登場した彼女は、セリフを発した瞬間に神秘性が薄れてしまったので、喋らない役でも良かったんじゃなかろうかと思った。(喋らない女を登場させがちな私がいうのも何だが)でもあんまり大した話もしてなかった気がするし。2本目の駅前に佇む彼女は、ちょっと気の強そうな感じが果たして役に合っていたのか不明だけど、この気の強そうで謎めいている、という合わせ技がポイントなのかもしれない。知人の2人芝居は技のデパート舞の海といった演目だった。本人が急遽出演することになったらしいので難しい面も多かったろうが、もうちょっと丁寧に作ったらコントでなくお芝居になったろうなと思った。こりゃ負けてられないなという感じ。
007の詳しい感想は某所に書くとして、脚本にkilling eveの脚本家が入っていると後で知って驚いた。直前にドラマを履修していたのはもちろんただの偶然だ。この女性脚本家、日本でいうと根本宗子みたいな存在で合ってますか。killing eveは主要登場人物がほぼ女のドラマ。でも女バンザイ女最強ドラマではなく、みんな自己中だしワガママだし気まぐれだし利己的だし、女なら「わかる〜」の詰め合わせで、聖女は一人も出てこない。そのため劇中でワガママ炸裂させた場合は相応に痛い目にあうし救済もない。なんなら泣きっ面にハチみたいな目にもあう。そのへんのバランスがとても良くて、誰が作ってるの、え? 36歳の女が書いたのこれ?と戦慄していたら、007にもちゃっかり名前が乗っていて、やっぱりこっちの映画でも女の描かれ方がいい。印象に残ったのが(ネタバレします)、マドレーヌに対してサフィンが「お前は勝手に彼の子供を生んだだろ」と言ったセリフ。マドレーヌはボンドに誤解されて別れることになり、子供を宿したことも告げられなかったわけで、このまま彼女を不遇&健気ポジションに置いたまま穏便に映画を終えることもできたろうが、そうはいっても女のマドレーヌにも結局打算というか利己的な部分があったわけで、それを本編の中でしっかりセリフとして出してたのでうまいなぁと思った。架空の女性を描くときは、その子が脇毛を剃っているところを想像できるように、てなところだろうか。
killing eveはシーズン1が最高に面白くて2が次点、3はまぁまぁ。ヴィラネルがトカゲみたいに何考えてるかわからん時代がやっぱり良かった。まぁ、人間らしい彼女も魅力的ではありますが。

2019年末観劇ラッシュ

2020-01-20 00:35:38 | 
あけましておめでとうございます。

年末から年始にかけ、わりと多く舞台を鑑賞しましたが、感想を書くスピードが間に合わず。
とりいそぎ年末観た芝居について、覚えているだけのことを記します。

・イキウメ 終わりのない@世田谷パブリックシアター
前川知大氏の舞台の初観劇。散歩する侵略者の映画版のみ予習済。
円形の舞台が美しかった。
オデュッセイアは読んでいない。
現代から宇宙空間へと突然舞台が飛ぶ。それ自体はワクワクしたが、宇宙の話が始まってから膨大な説明セリフのターンになり、ちょっと冗長かもと感じ始めてふと隣を見たら一緒に来た一般人の連れは寝落ちしていた。
主人公の苦悩に対して、祖先のような老人から、イマドキ古臭い激励の言葉が与えられるが、舞台上でそれを聞いた客が感じる若干の居心地の悪さはもちろん計算の上だろうし、この居心地の悪さを体験するのが演劇の醍醐味かもしれない。
中絶され、生まれてこなかった主人公の子供についても絡めていくかと思ったら、そんなことはなかったのは、なんだかもったいないような。
一種の生命賛歌なのだと思う。

・inseparable 変半身@東京芸術劇場シアターイースト
友人の勧めで観劇。
近未来のゾンビものだが、まず登場人物が森の中を歩き回る気があると思えない衣装。
特に足元がおろそかなので、虫に噛まれたらどうすんだとか、ひょっとして虫とか消滅した世界なのか?とか余計なことを考えて、世界観を飲み込むのに時間がかかった。デザイン重視なのかもしれないがかえってスッキリしない。
セリフが説明的にならないようかなり気を使っていたような感じがしたふが、セリフで頑張らない部分をビジュアルで説明できたのではと思う。
ゾンビものだった。
儀式に使われる小道具や、儀式の作法やなんかは、あまりにもテンプレすぎるのだが、作者のインタビューを読むと狙ってやったものらしい。
しかし、なんとなくだが全体的に「土着の文化」をただ上から目線で馬鹿にして扱っている感じがし、私はあまりいい気持ちではなかった。

去年の青年団の「分子が小説を書く」的な話といい、イキウメといいこれといい、
「スピリチュアルなことをふわっと科学っぽくやるのが、演劇界の流行りなのかな?」と、友人が言っていて、笑ってしまった。
私は前川氏は他の作品とはアプローチが異なると思うけど、青年団とこれについては同意で、スピリチュアルなものに説得力をつけるのに、熱量とか生命力ではなく、科学を採用しようぜということだろうか。そのほうがスマートにみえるんだろうなとは思う。

・シスター・アクト@池袋シアターオーブ
ありがたくもチケットをもらったので鑑賞。
さすがはブロードウェイ・ミュージカル、全体の舞台の構成は練り上げられてた。照明と舞台装置の大移動と役者の着替えと、もろもろの連動。
でも話自体は映画のほうが面白かった。
出演者のほとんどが50オーバーとあとから知って驚愕した。
終演後に観客も一緒になって踊るノリにはついていけなかった。
エンターテイメントを成立させるには、技術力が必須ですね。

・ワラフラミンゴ 12月のワワフラミンゴ「くも行き」@東京芸術劇場シアターイースト
友人の勧めで鑑賞。
これは12月に観た芝居の中で私的に一番おもしろかった。
おお、これぞ東京の”笑い”・・・と途中ではっとするタイミングがあった。
単純に面白いとあまり語ることがない。
途中、自分がどれほどの鳥目なのかを試されるシーンがある。
シスター・アクトの真逆に位置するような作品だったが、楽しかった。
ときには客を信頼し客に無茶振りさえすることの大事さを学んだ。

・根本宗子 今できる、精一杯。@新国立劇場
アイドル出身の子を初めて生で観た。
ヒモ男が歌い出したらうますぎて(音楽担当だった)、お前スーパーなんかで働かなくともその歌で十分食ってけるよと心のなかで突っ込んだ。
ミュージカル的に始まり、会話劇となり、音楽劇っぽいのも挟まり、バレエ踊る人もいたりしたが、ラスト10分で一斉に叫び系になる。
この人の芝居は若い人に受けていると聞いていた。
ここまでウワーって全部言葉にして叫ばないとやってらんないのか、若い人はそういう行為に共感しちゃうのか、と考えていくと、ずいぶんやばい世の中だなと暗い気持ちになった。
でも二十代三十代の人間が「私”が”!今!!!こう感じてるんだよ!認めてよ!!!!」とジタバタすんのはいつの世も同じかもしれない。そんなもんか。
このブログもそうですし。
ラストはさておき、会話劇のやりとりは面白いしテンポもよいし、二十代でこれをお書きになったと思うとただただ嫉妬・・・いや、よかったです。

・赤堀雅秋 神の子@本多劇場
友人の勧めで。
いわゆるテレビでよく見る芸能人が沢山出ている芝居で、笑いをとりにくるネタもそれ系が多かった。
更にでんでんがしゃべるたびに観客が笑うのだが、笑っちゃいけない場面でも笑われてしまっていた気が。
赤堀雅秋氏が演じる、急に怒り出すじじいが良かった。
あの二人が(おそらく)新興宗教団体の家庭に生まれた子であるという設定は、本当にラスト付近まで隠さなければいけなかったんだろうか?
ストレートなストーリーに観劇直後はちょっと拍子抜けしたが、一月経つうちに、あとからふと思い返してあのシーンは・・・と考えることがある。
楽日あたりにもう一度観たら、結構変わったものになってそう。

いっぱい観たな。

1月分は明日以降。