かやのなか

あれやこれやと考える

クーラー三昧の日々

2022-08-01 23:39:58 | 
貴志祐介を読んでみよう。そう思い立ち、土曜日に短編集を本屋で購入。軽めのミステリだったこともあり日曜の夜には読了。冒頭の田舎の古民家で起こる殺人事件が最も読み応えがあり、怖かった。真相については謎解きの3ページ前くらいでもしや・・と気がついたが、作者の計算によって巧みに誘導されていた気がする。二作目もコメディタッチだが、明るみに出た真実は狂気の沙汰。淡々とした硬い筆致によって、余計に生理的な気持ち悪さを喚起させられる。もう少し読みたいが古本で探すか。本棚がまた溢れてしまう。

積読していたスタニスラフスキーの俳優修行を読み出す。ロシア語の原著が英語に翻訳され、さらに英語から日本語訳された本のせいか、翻訳はかなり読みにくい。まだ、スタニスラフスキーが役者を始めたばかりの頃の、そもそも役を演じるとはなんぞやと悩み七転八倒するくだりを読んでいる最中だが、いちいちページをめくるたびに共感することばかりで、こんな平易な本だったのか、もっと早く読めばよかったと後悔している。大学時代を思い出す。巨匠も、自分たちが当時悩んでいたこととほとんど同じことを悩んでいたらしい。テクストとか身体性とかいった難しい演劇論を、どれだけ聞いても他人事に思えてしまう私なんかには、このくらいの基礎教本がちょうどよさげ。

暑すぎて、汗をかきすぎて、首と背中にあせものような湿疹ができた。ひやひや。

エリックマコーマックの世界

2022-01-07 00:41:00 | 
年末から年始にかけて、エリックマコーマックの「隠し部屋を査察して」という短編集を読み進めている。文学フリマで教えてもらうまで知らなかったが、ハヤカワの異色作家短編集にも名を連ねる作家で、SFとホラーと猟奇と幻想の入り混じった奇妙な物語ばかりを書いている。Twitterで誰かが「一話一話が重いので一日に二話が限度」と書いていたが正しくその通りで、短い話でも鉛のような読後感を覚えるのでなかなか次の頁をめくる指が動かない。しかし、決意してひとたびめくってしまえば、続きが気になって次から次へとめくってしまう。そんな中毒性をもつ変な作家だ。
他の特徴といえば、何と言っても人の肉体を痛めつける描写のえげつなさだろう。どの短編でも肉体を損壊するシーンが突如として現れ、しかも無口な料理人が正確に魚の臓腑を切り分けるように淡々と行われるため、我々読者は怖がったり気持ち悪いと思ったりするのを忘れて、ぽかんと口をあけて目の前の光景を目に焼き付けるしかない。そして料理人は使い終わった包丁を水で綺麗に洗い流して流しにカタン、と戻す音まで聞こえて、やっと我に帰り、口を閉じる。見つめる先には自分の手を布巾で拭うマコーマックがいる。そんな光景が浮かんできそうな静寂な筆致だ。
私はどちらかというと、肉体はさておいて精神を追い詰める系の物語に触れる方が多かったが、この短編集によって、どうやら肉体を痛めつけられるのも精神と同等かそれ以上に辛そうだ、ということを発見している。
まだ半分しか読めていないが、週末にラストまで行きたい。区の図書館の返却期限は既に一週間超過している。

悲劇喜劇 2019年5月号

2020-05-12 23:58:48 | 
雑誌「悲劇喜劇」の2019年5月号を読む。冬に神保町で100円で叩き売られていたのを買っておいたものだ。ちなみにそこの書架には「悲劇喜劇」が8冊程置かれていて、年代は2015年頃〜2019年頃までと比較的新し目だった。うち4冊を適当に選んで買って帰ったが、そこそこの戯曲を8本読めて400円なら安いものだと思う。逆に、定価で買ったあげく、早々にこの本屋に売り飛ばした人は、後悔しなかったのだろうか。悲劇喜劇は定価で1,445円もする。まぁ私みたいに古本屋を巡回してめぼしい台本を探すような貧民からすれば、その調子でどんどんお読み捨てくださいと言うだけですが。

収録されているのは蓬莱竜太氏の「消えていくなら朝」と根本宗子氏の「クラッシャー女中」。消えていくなら朝の方は、この雑誌の名前を冠した「悲劇喜劇賞」なるものの受賞作として掲載されている。
「消えていくなら朝」は、Twitterの方でもつぶやいたが、2分に一度のペースでムカついて本を壁に投げたくなる。別にこれ自体は批判ではないです。蓬莱氏お得意の、煽り合うための会話が上手くいってるので、つられてムカッとさせられてる。つまり台詞の掛け合いが上手いからです。しかし、いつも思うんだけど(といっても生で観た蓬莱氏の芝居は、モダンスイマーズ1本観だけです)この人の書く家族の会話は本当にいつも(私が触れた2本中2本、という確率で打率10割としてるだけです)逆にリアリティがないというか、家族というものを露悪的に描いて、で、それが何なんだろう? って感想に帰結してしまう。こっちは批判です。家族にしろ兄弟にしろ、実際はもっと、なんていうか他人以上に遠慮しあって生きていかなきゃならない面があって、その折り合いに苦労している人が世の大半だと思うんだけど、そこをすっとばして、まぁわざとすっとばしてるんだろうけど、お互いをあけすけに罵り合う姿に、一体今更何を感じろっていうんだろうか。これがやれりゃ、苦労はねぇよ、みたいな。まぁ、言いたいことを言いまくって、やっぱり崩壊しちゃう様には、スカッとジャパンみたいな爽快感もなくはないけど。私は今のところ、スカッとジャパン以上の深さを感じることがあんまりできない。
「クラッシャー女中」の根本宗子の芝居も去年観ていて、それは「今、できる精一杯」というタイトルだったが、このクラッシャー女中も内容的には「今、できる精一杯」とあまり変わらず、なるほどこの作家の基本フォーマットはこれなのか、と2本並べてみて理解する。いや、もちろん他にもバリエーションがあり、たまたま似た2作に先に知ったのかもしれないけど。生まれながらにヒモ気質な男と、コンプレックス爆弾みたいな女。あと年増女がなぜか性的に場をかき回す。明るく楽しい鬱、っていうんだろうか。全員が全員に依存しあっていて、大人らしい大人が一人たりとも出てこないのも根本宗子の特徴で、若い人には、世の中のこういうふうな捉え方が、すごく馴染むんだろうと思う。あんまり年長者を信用してないっていうか。考え方がクリーンすぎて逆にまぶしいわ、と思わんでもない。昭和の人間は、そもそも始めから他人に期待とかしてないからな。いちいち裏切られた!と騒ぎすぎな気もする。とはいえ、私は性格がひねくれてるうえにルサンチマンを抱えているので、大体の作品はこなくそと思いながら読むのだが、わりと面白く読んだし、最後静かに終わるところなんかは、精一杯の芝居よりも良かった。まぶしかった。一つ腑に落ちなかったのが、この主人公は、サークルクラッシャーと呼べないと思うんだけど、私の中のサークルクラッシャーの定義が間違ってるんだろうか。

短編集の感想(前半)

2017-04-17 23:06:39 | 
集英社文庫の「短編工房」を読む。
前半の感想。

○かみさまの娘/桜木紫乃・・・母の葬式に幼馴染のイケメンがやってきて、昔君のことが好きだったとか言い出すなんてそんなうまい話あるわけが、、と読み進めていたらやっぱり。現実がじわじわと夢幻の住人に侵食されていく。現代版雨月物語みたいな話だった。
○ゆがんだ子供/道尾秀介・・・これはちょっとよくわからなかった。子供が提示してくるストーリーが浮きすぎてるんだけどそれが狙いのような気もする。
○ここが青山/奥田英朗・・・水戸黄門の脚本のような話だった。パラパラとしか読んでない。
○じごくゆきっ/桜庭一樹・・・桜庭一樹を読むのは初めて。なるほど目線が女性作家だった。主人公も最後にはいわゆる、一見はつまらん女として人生を送りながらこの話を語っているのがバランスだなと。
○太陽のシール/伊坂幸太郎・・・捻くれているのせ登場人物たちが出来すぎた嘘のように読めてしまうんだけど、心地よい加減の、ありうる範囲の嘘ではある。
○チヨ子/宮部みゆき・・・一番単純に楽しんで読めた。

全体的にバランス重視型だなぁという感想だけど、一般向けのオムニバス作品集となったら、あんまり尖ったものは入らないんだろう。

春分の日

2017-03-20 20:39:18 | 
三連休でしたが、相も変わらずどこにも行かずに過ごした。
といっても、家にこもりきりというわけではなく、お買い物したり気になってた喫茶店にお茶しに行ったりだの、それなりにプラプラした。

日曜の夜に立ち寄った喫茶店は、花遊小路さらさ。京都界隈で有名なコーヒー屋の系列?だと何年か前に聞いていた店で、場所はチェック済だったのですが特に訪れる機会がなく、今回近くを通ったとき存在を思い出したので訪問。(食べログの、いらない1行目みたいな書き出し)
狭い入口にも関わらず、中はひろびろで非常に盛況だった。特に若い女性から。観光客も多いように見えたが、雑誌で紹介でもされたんだろうか。1時間だけという条件つきで席に案内され、タイ風うどんとコーヒーとかぼちゃケーキをよばれる。うどん美味しかった。ケーキで腹いっぱいになってちょうど一時間。こんな連休のど真ん中でなく、平日の夜とか来たら居心地良さそうだった。

月曜日は昼ごはんを自炊したのち、近所のドトールに赴く。六人がけのテーブルの真ん中にガラスのしきりが設けられ、三対三の対面で座るタイプの席の、真ん中に座ると、右隣に就活生と思しき若い女性が座る。パソコンを開いて履歴書かなにかの下書きを始めるも、とちゅう電話がかかってきて、その場で喋りだす。相手はサークルの先輩かなにか。左隣は若い男性で、こっちもパソコンを開いてずっとTwitterやってる。ガラスの衝立を挟んだ向こう側には、ヘッドホンをつけた外国人の兄さんが何事かを手帳に書きつけている。

連休前の金曜日の夜は、疲れもあって、三連休で突発的に雨晴海岸か山中温泉かにでも行きたいなーなどととりとめもなく夢想していたりしたものだが、遠出したところで見出すものはこの就活生や外国人の兄さんなんだろうと思うと、結局目的がはっきりした旅行でないと、どこに行っても自分は同じようなものを見つけてしまうんじゃないかと思った。
近所のドトールで楽しめるのもいいけど、ある意味視点が固定化しているので。それってあまりおもしろくないかも。

5時くらいに切り上げて、徒歩3分の自宅に戻る。米と味噌汁と、新じゃがで作ったサラダと塩鮭の焼いたの。朝ごはんのような夜ごはんを食べて、さっさと風呂に入って、今これを書いている。