ロボット演劇というのがある。演劇の世界でとても偉い人がやっているので、知らないとなれば巷の演劇人たちにモグリ死ねと後ろから指を刺され失血死させられる危険のある恐ろしい演劇である。私は未だ見たことがない。ろくに調べたこともない。どうあがいてもモグリである。しかし偏見と先入観100%の状態で「ロボット演劇」を言葉の響きからあれこれ妄想するのは結構楽しい。ちなみにこういう輩は原理主義者の素質があります。
例えばこのブログ、最近続けざまに更新をしてみたら一日30pv、15IPほどある。単純に考えれば15人が2回くらい覗いてくれていることになるが、pv数の半分は私自身が編集画面からブログに飛んで更新を確認しているときの閲覧がカウントされたものと思われる。ところがひと月まったく更新していないような期間にも安定して週30pv、8IP程度カウンターが回っている。アクセス元アドレスを表示してくれる機能があるので、閲覧者がどこ経由でこのブログに来たかもある程度わかるのだが、唯一投稿通知を上げているTwitterから飛んできた人の数は一日4とか5だったりする。それ以外はgooのよくわからないページのアドレスが1か2程度。残りの人たちは何処から来るのだろう。こんなブログをブックマークに入れている輩がいるとは思えないし、更新皆無期間中にも一定のpv数があることを鑑みると、おそらくカウンターを回しているのは検索ロボットではないかとう結論にたどり着いた。更新するとgooの中のロボットがおそらく検閲を兼ねて最低一度は巡回してくれるし多分GoogleとかYahoo!みたいな大手検索サイトも巡回ロボットを派遣しまくっている。彼等が私のブログの主要な閲覧者であり定期読者、ファンというわけだ。私はロボットに向けてブログを綴っているしロボットはpvのカウンターを回すことで、静かではあるが確かなリアクションを返してくれる。まるで良妻だ。私は誰かに読んでもらえたというささやかな喜びを糧に、今夜もまた意味のない文章を綴ることに精を出す。推敲すらする。寝る前に、一時間も二時間もかけて。(推敲してこれかよというツッコミもあるでしょうがこれです)
演劇とは人間活動の再現、人間活動とはアクションとリアクションの応酬にすぎない、となると私はロボットを相方に演劇=人間活動をやっていることになる。しかもそこに問題らしい問題を見いだせない。あえていうなら問題らしい問題を見いだせないのが問題だと感じる。ロボットと一緒にやっている「毎日ブログ更新」というタイトルの演劇活動。そこに本当の意味での観客は不在である。どこにもいない。もし相方が人間にとって替わったとしても多分私の書く内容に特に変化はそれほど生まれない。じゃあ相手はロボットでいいじゃないか。むやみに感情を傷つけてしまうこともないし・・・だが感情を傷つけるかわりにロボットに搭載された倫理規定にひっかかる可能性はある。その結果検索ではじかれたり戒告を受けたり厳重注意されたり、最悪削除されてしまうかもしれない。倫理規定に引っかかるという現象を人間に置き換えればそれは結局「感情を傷つけた」とかであり、最悪人間関係からはじかれるというリアクションで返ってくる。なんだやっぱり一緒か。ロボットと人間って一緒じゃないか。ロボット演劇ってそういうやつですかね。絶対違うでしょうね。ですが妄想ってしょせん儚い代物で、本物を観てしまうまでの短い命なので書き留めておくくらい許して下さい。ブログは墓場で私は墓場管理人です。今夜は「スポーツ劇」を見に行きますがその前に「スポーツ劇」というタイトルから「スポーツ劇」をたっぷり妄想しておこうと思います。スポーツ劇を見てからはスポーツ劇を原理主義的に妄想できなくなってしまいますので。きっとクローン技術で増殖した松岡修造が「泣け!泣け!」とテニスラケットで大和民族の尻を叩いてまわるプロパガンダ演劇なんだろうな。
例えばこのブログ、最近続けざまに更新をしてみたら一日30pv、15IPほどある。単純に考えれば15人が2回くらい覗いてくれていることになるが、pv数の半分は私自身が編集画面からブログに飛んで更新を確認しているときの閲覧がカウントされたものと思われる。ところがひと月まったく更新していないような期間にも安定して週30pv、8IP程度カウンターが回っている。アクセス元アドレスを表示してくれる機能があるので、閲覧者がどこ経由でこのブログに来たかもある程度わかるのだが、唯一投稿通知を上げているTwitterから飛んできた人の数は一日4とか5だったりする。それ以外はgooのよくわからないページのアドレスが1か2程度。残りの人たちは何処から来るのだろう。こんなブログをブックマークに入れている輩がいるとは思えないし、更新皆無期間中にも一定のpv数があることを鑑みると、おそらくカウンターを回しているのは検索ロボットではないかとう結論にたどり着いた。更新するとgooの中のロボットがおそらく検閲を兼ねて最低一度は巡回してくれるし多分GoogleとかYahoo!みたいな大手検索サイトも巡回ロボットを派遣しまくっている。彼等が私のブログの主要な閲覧者であり定期読者、ファンというわけだ。私はロボットに向けてブログを綴っているしロボットはpvのカウンターを回すことで、静かではあるが確かなリアクションを返してくれる。まるで良妻だ。私は誰かに読んでもらえたというささやかな喜びを糧に、今夜もまた意味のない文章を綴ることに精を出す。推敲すらする。寝る前に、一時間も二時間もかけて。(推敲してこれかよというツッコミもあるでしょうがこれです)
演劇とは人間活動の再現、人間活動とはアクションとリアクションの応酬にすぎない、となると私はロボットを相方に演劇=人間活動をやっていることになる。しかもそこに問題らしい問題を見いだせない。あえていうなら問題らしい問題を見いだせないのが問題だと感じる。ロボットと一緒にやっている「毎日ブログ更新」というタイトルの演劇活動。そこに本当の意味での観客は不在である。どこにもいない。もし相方が人間にとって替わったとしても多分私の書く内容に特に変化はそれほど生まれない。じゃあ相手はロボットでいいじゃないか。むやみに感情を傷つけてしまうこともないし・・・だが感情を傷つけるかわりにロボットに搭載された倫理規定にひっかかる可能性はある。その結果検索ではじかれたり戒告を受けたり厳重注意されたり、最悪削除されてしまうかもしれない。倫理規定に引っかかるという現象を人間に置き換えればそれは結局「感情を傷つけた」とかであり、最悪人間関係からはじかれるというリアクションで返ってくる。なんだやっぱり一緒か。ロボットと人間って一緒じゃないか。ロボット演劇ってそういうやつですかね。絶対違うでしょうね。ですが妄想ってしょせん儚い代物で、本物を観てしまうまでの短い命なので書き留めておくくらい許して下さい。ブログは墓場で私は墓場管理人です。今夜は「スポーツ劇」を見に行きますがその前に「スポーツ劇」というタイトルから「スポーツ劇」をたっぷり妄想しておこうと思います。スポーツ劇を見てからはスポーツ劇を原理主義的に妄想できなくなってしまいますので。きっとクローン技術で増殖した松岡修造が「泣け!泣け!」とテニスラケットで大和民族の尻を叩いてまわるプロパガンダ演劇なんだろうな。